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化生の群編

迷わせる山

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 谷崎町たにさきちょうまで専用リムジンで移動した#雛祈____#たちは、件の古屋敷があるという山の近くにあった駐車場に車を停め、それぞれの荷物を持って麓までやって来た。
「この山の中ね」
 山を見上げた雛祈が、頂上を忌々しげに眺めながら呟いた。
 谷崎町の外れにそびえ立つこの山は、面積も標高もそれなりでありながら、特に名前が付いていないという辺鄙な場所だった。百年以上前にある資産家が別荘を建てたり、太平洋戦争時には秘密の軍事工場が設えられたという話は伝わっているが、それもあくまで言い伝えの域を出ない。誰の持ち物であるかも判然とせず、かといって自由に出入りする者も滅多にいない。ありありと存在しているにも関わらず、谷崎町の住人たちはそれほど気に留めていない、あたかも幽霊のような扱いの土地だった。
 なので、山道が整備されているわけもなく、麓で最も道に似つかわしい場所を見つけ、雛祈たちはそこに立っていた。
「お、お嬢様。や、やっぱり帰りませんか? す、すごい不気味な感じなんですけど……」
 布に巻かれた長物を背負った千冬ちふゆが、震えながら雛祈に帰宅を進言した。実際、山の入り口と思しき空間は、昼であっても薄暗く、異様な不気味さが漂っている。
「千冬、あなたも伝説の鬼神の子孫なら、このくらいで怖がっててどうするの? 適当な妖怪や悪霊の十体や二十体、あなたの敵じゃないでしょ」
「そ、そんなこと言われても、こ、怖いものは怖いですよ~」
 普段の言動や態度は情けないが、実際には千冬の仕事ぶりはその見た目に反して大変精度が高かった。メイドとしての通常業務もさることながら、祀凰寺家しおうじけが受け持つ裏の仕事もそつなくこなす。京都の大江山を拠点とした鬼神の血を受け継ぐだけに、その実力は並みの式神や妖魔など、足元にも及ばない。だからこそ、雛祈は重要な局面では必ず千冬を同行させている。
「お嬢、わざわざお嬢自ら出向くほどでもないだろう? 自分が一人で行ってきてもいいのではないか?」
 千冬と同じく布に包まれた巨大な塊を肩に乗せた桜一郎おういちろうも、雛祈が同行することに難色を示している。古くから祀凰寺家に仕え、雛祈が生まれてからはずっと世話役として傍にいた桜一郎としては、雛祈の必要以上の業務や危険は極力省きたいという思いがあった。祀凰寺家の次期当主として雛祈の背負っているものを、桜一郎は内側も外側もよく知っている。だからこそ、それを少しでも軽くするための労を惜しむことはしない。大江山の鬼の首魁、その右腕を先祖に持つ鬼として、その力を人間に使うことも桜一郎は辞さないほど、雛祈への忠誠は厚い。雛祈も桜一郎のそういう部分を理解し、また非常に信頼している。だからこそ、多少の危険でも飛び込むことができる。
「桜一郎、私は祀凰寺家の次期当主となるため、今はこの一帯の土地を任されてるのよ。いずれさらなる大役を担うことになる。それが! 管理している土地で! 素人に好き勝手されるなんて! 見過ごせるわけないでしょ! せっかく作った花壇を害虫に台なしにされた気分よ! 私自身がガツンと言ってやらないと治まらないわ!」
 登山靴の爪先で地面を一蹴りし、雛祈は山道と思しき道に分け入っていった。
 まるで親の敵に会いに行くような雰囲気に、桜一郎と千冬は互いに目配せし合い、仕方ないという面持ちでその背中を追った。

 雛祈たちが入った山道は半分獣道といった状態で、道らしきものは続いているが、進む度に生い茂る枝葉に手足を擦られていた。さらには山のなだらかさとは想像もできないほどの急勾配に、普段から鍛錬している雛祈でさえも脚にかかる負荷に顔をしかめていた。
「こんな辺鄙なところに住むなんて、いったい何考えてんの!」
 そろそろ疲労が湧いてきた雛祈は、苛立ちまぎれに件のモグリ霊能者に文句を言った。千冬に持たせていたウォーキングウェアと登山靴に着替えてきたとはいえ、山は予想以上に登りにくい地形だった。
「モグリで活動する拠点として、人が立ち入らないような場所を選んだのではないか?」
 桜一郎は普段着の黒スーツで登っているが、鬼の子孫であるため、体力面では特に問題はない。
「ほ、本当にそんな人いるんでしょうか? や、やっぱりただの噂だったってことも……」
 千冬も疲労は見られないが、しきりに周囲を見回しては、時折聞こえる物音にビクついている。
「いるわ! 学生時代の友人から話を聞いた後、祀凰寺家がかかえるむじなたちに確認して裏は取って……」
 そこまで言いかけて、雛祈はある違和感に気付き、周囲に首を巡らせた。
「桜一郎、歩数計アプリで移動距離を見て」
「分かった」
 雛祈の指示で桜一郎は上着の内ポケットからスマホを取り出した。パネルを操作してアプリを開き、そこに表示された数字を注視する。
「これは……とっくに山の頂上を越えている距離を歩いている」
「次は方位計アプリで方角を見て」
 再度パネルをタッチし、すぐさま別のアプリを起動させる桜一郎。そこに表れたデジタルコンパスの針の向きに眉をしかめた。
「いま自分たちが向かっているのは東だ」
「山を登る時の方向は北だった。やっぱり……」
 桜一郎の報告を聞いて何か得心したのか、雛祈はすぐ近くにあった木に手を置き、それを凝視した。
「お、お嬢様。い、いったい何が!?」
「千冬。この木、見覚えない?」
 雛祈に促され、千冬は示された木を見た。少し記憶の糸を辿ると、雛祈が手を置いている木には確かに見覚えがあり、はっと口を開けた。山をしばらく登ってから通り過ぎた、幹がS字に捻じ曲がった奇矯な形の木がそこにあった。
「そ、そそそ、その木を見てから私たち、ず、ずっと登り続けてましたよ!?」
「そう。ということは、私たちはまだ山の入り口付近をぐるぐる彷徨ってるのよ」
「ひ、ひえぇ~!」
 雛祈が提示した驚くべき解答に、千冬はさらに勢いよく右往左往とし出した。対する雛祈は逆に感情が落ち着き、冷静になっている。
「件の霊能者が結界を張ってたのか? いや、それなら最初からお嬢が気付いてるな」
「ええ。私に全く気取られずにそんなことはできない。おそらく、人の手によるものではないわね」
 自らがすでに術中に嵌っていたことに気付き、雛祈は最大限の冷静さで以って周囲を観察した。たとえ人ならざる者が施した術であったとしても、完全無欠とはいかない。必ずどこかに綻びがある。でなければ、術はかけた者にさえ解くことができなくなるからだ。雛祈の霊視能力が、術の隙となる部分をくまなく探っていく。
(あった! あそこを通れば空間のループから抜け出せる。でも、これは……)
 雛祈は術が施された空間に穴を見出した。しかし、それは雛祈に新たな疑問を浮かべさせた。
(私でも気付かなかった迷いの結界。なのにその穴があれほどこれ見よがしに、それもあれほど大きく開いている。迷わせるための結界なのに、むしろ帰りやすくしている? 『深入りしなければ危害は加えない』、そういう意図さえ感じる)
 上級の結界であるにもかかわらず、不自然なほどに大きく設定されている隙。そのアンバランスさに、雛祈の疑念は一層深まった。
「あそこを通ればもう迷うことはなくなるわ」
「や、やったー! は、早く帰りましょうよ~」
「まだ帰るわけにはいかないわよ、千冬」
「そ、そんな~」
「お嬢……」
「ええ」
 桜一郎もおおよその想像がつき、雛祈に目で語りかける。雛祈もまたそれを察し、目で答える。
「この山には精霊か、それに近いものが住んでいるわ。かなり強い力を持っている」
「せ、精霊!? ふ、ふえぇ~!」
「だから山に踏み入らせることはしない。かといって帰さないわけじゃない。何もしないなら、ただ帰す。そういう意図を持ってる……ってとこかしら」
「けどお嬢。それなら件の霊能者もこの山に住めるわけはない。どうして奴はここを拠点にできてるんだ?」
「それ……よね」
 雛祈は顎に手を当て、目を細めた。いつも思索に耽る時に取るポーズだ。
(山を治める精霊がいるのに、モグリはここを拠点に活動している。例の噂が広まり始めたのは一、二ヶ月前なんてもんじゃない。ならその間、モグリはこの山を何度も登ったり下りたりしていたことになる。これだけの結界を作れる精霊が、そんな回数を見逃した? ありえない! そもそも何でこの山に住もうなんて考えたの!? 私でさえ迷わされたのに、モグリの素人が定住できるわけないじゃない!)
「ああ、もう!」
 深まる疑問と答えに辿り着かない思考が、雛祈の苛立ちを再び引き戻した。
「一体どうなってるのよ! こんなの噂かただの冗談でしたって言われた方がまだ信じられるわ!」
「お嬢、ここは一旦退いてもう一度噂の真偽を確かめてみるというのはどうだろうか? この山のことを考えるとあまりに奇妙だ」
「わ、私も、そ、その方がいいと思います。は、早く帰りたい~」
 雛祈は苛立ちを抑え、また思索のポーズを取った。桜一郎の意見が、雛祈に冷静に思考するきっかけを与えた。
(桜一郎の言う通り、これだけ訳の分からない要素が重なっちゃったら、一度戻って考え直した方がいいかもしれない。そもそも霊的に人が立ち入れない場所に人が住んでるなんて、どう考えても矛盾してる。ひょっとしたら友達が言ってたのは、谷崎町と勘違いした別の場所なのかも。噂の出所を探るのが、この場合賢明、かな)
「分かったわ。今日のところは戻―――」
「あれ? 珍しい。こんなところで人に会うなんて」
 雛祈が帰還を宣言しようとした矢先、藪を掻き分けて一人の男が姿を現した。
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