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友宮の守護者編

最高の報酬(終)

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 結城ゆうきたちが友宮ともみや邸での戦いを終えた翌日、結城は警察病院で特別室のベッドに寝かされていた。
「右脇腹の打撲傷、右側第四~第七肋骨の骨折、おまけに首から上を除く全ての筋肉の損傷、か。まぁ肋骨が肺に刺さらなかっただけ奇跡ってところかな。どうだい小林くん、調子は?」
「いろいろなトコロがめちゃくちゃ痛いんですけど……」
 病室に見舞いに来た九木くきに対して、結城は力なく答えた。
 犬神の群れとの死闘の後、友宮里美ともみやさとみが搬送されていくのを見送って間もなく、結城も事切れたように倒れてしまった。妖刀村正の力で過剰な運動能力を引き出されていた結城の筋肉は、反動で直立もままならないほどに破壊されていた。ついでに『戦女神のキス』の効果も切れたため、二重デュアルゴーレムの殴打によるダメージも本格的に襲ってきた。
 そのため結城も警察病院に緊急搬送され、治療を受けて今の状況に至る。現状、首と目線以外はほとんど動かせなかった。
佐権院さげんいん警視も結構ひどい怪我してたらしいんだよね。頭蓋骨の前と後ろに亀裂骨折。あんな状態でも現場指揮取っちゃうんだからスゴいよ」
(後ろはともかく、前は千夏ちなつさんのデコピンのせい……かな?)
 千夏が佐権院に見舞ったデコピンを思い出し、結城は薄ら寒いものを感じていた。
 あれから釘を刺されていた通り、佐権院に千夏のことは話さなかった。質問はされたが、それとなくはぐらかし、佐権院も何かを察したのか、それ以上追求してくることはなかった。
「とりあえず治療費は警察こっち持ちだから、安心して入院してくれていいよ。けど、何ていうか……」
 九木は結城が寝ている部屋を一通り見回して苦い顔をした。
「病室っていうよりは魔境って感じかな……」
「失敬ですよ、クキ」
 九木が室内の感想を述べると、結城のベッドの横に座っていたアテナが鋭い眼で睨みつけた。純白のナース服に身を包み、医療器具の準備をしている。
「えんじゅ、あくりょうじゃないもん!」
 結城のベッドから顔を出しながら、媛寿えんじゅも九木に抗議する。
「MΞ1→WW(オレたちが付いていれば、病魔が入り込む隙はカンガルーの赤ん坊ほどもない)」
 マスクマンも備え付けのソファに背を預けながら、ココナッツミルクのグァバジュース割りを一気に飲み干した。
「どんなサービスも、お任せ」
 空中に放り投げたリンゴを一瞬で六等分にし、なお且つ皮まで剥いて皿に受け止めたシロガネが無表情ながら得意げに鼻を高く上げた。
 結城が怪我で入院することになり、四人もそれぞれの理由で病室に居座ることにしていた。
 アテナは結城の守護神を名乗っている以上、入院している結城を放って古屋敷に帰るなど言語道断ということで、結城の看護を買って出た。医療の知識もあるので適任と、ナース服まで持ち出す入れ込みぶりだった。何事も形から入る女神である。
 媛寿も結城自身に憑いているので、勝手に離れれば結城に不幸が舞い込んでしまう。そのため、病室に留まっていた。表面上は強がっていても、虎丸とらまるがいなくなったことがやはり寂しいのか、動けない結城の傍をほとんど離れていない。
 マスクマンも独りで古屋敷にいてもつまらないので、結城の負傷が早く回復するよう、病魔を退けるということで病室に泊り込んでいた。ただ、マスクマンが本当に魔除けの能力を持っているかは怪しいので、端から見れば謎の仮面が病室に鎮座しているだけにしか見えないので、少々不気味ではある。
 シロガネも結城の看護を名乗り出たが、微動だにできない状態では何をされるか分からないので、絶対に変なことはしないと約束した上でアテナの補佐を務めていた。今のところは真面目な態度を取っているが、時々妖しい眼で見てくるので、結城としては気が気でない。
(これだけとんでもない連中が居座ってたら、部屋どころか施設そのものから病魔が逃げ出すぞ)
 たった一人が入院している病室に揃った強烈な面々を前に、九木は慄いていいのか呆れていいのか分からない気持ちになっていた。
「ってか、アテナ様の持ってたあの薬を使えば入院なんてしなくていいんじゃ……」
「あれは全て使ってしまいました。それに、あの薬の存在はハデス叔父様に知られるわけにはいきません。今回だけ特別に手持ちを使ったまでです。それでクキ、一体何の用ですか? 見舞いにしては花の一輪も用意していないようですが?」
「おっと、そうだった。小林くんに今回の事後処理がどうなったか話しとこうと思ってね」
「へ? 事後処理?」
 その言葉を聞いた結城は、九木の方へ首だけを向けた。
「え~とだね……」
 九木はくたびれたコートから警察手帳を取り出すと、ぱらぱらと目当てのページを捲った。
「まずサブマシンガンの付喪神トミーと、混乱をもたらす者ヌーリムキラカって精霊だけど、アメリカ出身だってことが判ってね。どうも日本へ密航してきて友宮家に匿われてたらしいんだ。で、向こうの機関に連絡つけて、強制送還ってことになるな」
「……」
「……」
 九木からの報告を聞いて、マスクマンもシロガネも特に興味がなさそうに装っていたが、二人とも手元が止まっていた。
「あともう一人用心棒がいたみたいだけど、こっちは正体不明で行方も全く分からないんで、追跡は不可能って判断されたね。アテナ様が戦ったんでしょ? 何か分かりませんか?」
「相当な手練てだれだったということ以外は何も分かりませんね」
 特に九木の方を見ることなく、アテナは淡々と答えた。鬼の一門、原木本ばらきもとの一族に連なる者ということまで知っているが、千夏の知人らしいので、あえて何も知らないということにしておいた。
「それと友宮邸の壁に『三代目参上!』ってデカデカと落書きがされてたんだけど、何か心当たりない?」
 九木と結城から向けられた視線を感じ、媛寿はベッドの中に素早く身を隠した。知らん振りを決め込んでいるのは明白だった。
(そういえば落書きしてやるって言ってたな。いつの間にやったんだろ?)
 結界のせいで侵入できなかった恨みをちゃっかり晴らしていた媛寿を、結城は半ば呆れ気味に感心していた。
「でだ、お待ちかねっていうか何ていうか、友宮里美についてなんだけど……」
 その名前が出た途端、結城の顔は非常に険しくなった。今回の一件において、最も運命に翻弄された人物だけに、結城はその行く末を一際懸念していた。
「医学的な精密検査と霊的な精密検査、どっちも異常なし。槍が刺さった箇所も何もなかったみたいに綺麗なもんだったよ。しばらく様子を見て問題がなければ、旧姓に戻った上で東北に帰すってさ。友宮家は完全に途絶えたし、実家の祖父母は健在らしいから、悪いことにはならないんじゃないかな」
「……今回のこと、全部話したんですか?」
「話したよ。できる限りショックが大きくならないように。ただ、妙に落ち着き払ってたのが少し気になったけどね。友宮咆玄が事前にあらましを説明してたとは思えないけど、本人も何か察してたのかな」
「……そうですか」
 結城も九木も、里美の意識が儀式の進行中も保たれ、御神体の中にいた大口真神オオグチノマガミと交流していたことは知らない。大口真神も全てを里美に話していたわけではなかったが、態度や雰囲気から里美も自身の置かれた状況を予想していた。それが古屋敷に住まう者たちと、年老いた狼神に救い出されるとは、夢にも思っていなかったが。
「あっ、それと例の捕まえた怨念のことだけど、佐権院警視のコネで諏訪大社にいる本物の建御名方神タケミナカタノカミに連絡ついてさ、引き取って始末してもらえることになったよ。建御名方神は諏訪湖に張られた結界から出られないから、こっちで持ってかなきゃいけないんだけどね。『昔捨てた自分の怨念が迷惑をかけてすまなかった』って言ってたらしいよ」
(結界か……)
 結城は建御名方神について佐権院から説明されるまでよく知らなかったが、いまにして考えれば友宮邸に張られた強力な結界は、諏訪湖から出られないという境遇を表していたのかもしれないと思った。とりあえず、アテナが捕獲した怨念の処遇も当の本人に引き渡されると分かったので、結城は『そうですか』と相槌を打った。
「一応そんなところかな。あれだけ色々と騒動があったにしては、事後処理がえらく簡単に済んじゃって拍子抜けなんだけど。ああ、そうだ。これ、佐権院警視から今回の報酬」
 九木は警察手帳を懐に仕舞うと、入れ替わりで二つの封筒を取り出した。一つは1cm程度の厚さの茶封筒。もう一つは細めの白い封筒だった。
 結城は動けないので、差し出された二つの封筒は、ベッドの中にいた媛寿が素早く手に取って引っ張り込んだ。
「ありがとうございました、九木刑事」
「いいっていいって。今回もホントに世話になったし。どのみちオレの金じゃなくて税金だし。じゃ、小林くん、お大事に~」
 事件が解決したからか、九木は上機嫌で病室を後にした。
 九木を見送った結城は、首を元の正面に戻し、天井を遠い眼で見つめていた。
「まだ考えているのですか、ユウキ?」
「……アテナ様、僕はこれで良かったんでしょうか?」
 友宮咆玄ともみやほうげんの行った神降ろしは、結果的に失敗したとはいえ、それは義理の娘を救いたい一心で踏み切った処方だった。友宮咆玄からすれば、結城たちは娘を救おうとしていたところを邪魔しに来た敵だったことだろう。もしも神降ろしが怨念を呼ばずに成功するはずだったのなら、結城の立場は変わっていたかもしれない。たとえ違法に行われた神降ろしであったとしても。
 そして、友宮里美の命は救うことができたが、大局的に見れば、結城は里美の命以外を全て壊してしまったとも言える。友宮里美から直に心の内を聞いておらず、また聞けるほど結城の神経は図太くないが、本当にこの結末が幸せだったのかと言えば、決して断言できるものではない。
 今までも、こういう構図はよくあった。善悪の在所を簡単に割り振ることができず、ともすれば結城が関わらない方が、事が丸く収まったかもしれない状況。今回の友宮を巡る事件は、結城に殊更ことさらその事実を突きつけていた。
「ユウキ、あなたはトモミヤサトミの命が危ういと知った時、どうしたいと思いましたか?」
「助けたいって……思いました」
「ならば今、その思いは間違いだったと考えますか?」
「それは……」
「結果としてトモミヤサトミの命は救われました。それはあなたが最初に救いたいと思わなければ成し得なかったことです。もしもあなたがあの娘を捨て置いたならば、今頃はもっと悲惨な結末を迎えていたことでしょう。全ての行いが正当化されるわけでもなく、どちらか一方が絶対に正しいということはありません。本当に何が正しかったかは、後になってみなければ答えは出ないのですから。しかし……」
 アテナはそこで言葉を切り、結城に力強い目を向けた。
「あなたが最初に抱いた思いは、決して間違いではなかったということです」
 向けられたその瞳には、多分に慈しみが含まれているように結城は感じていた。手向けられたその言葉は、結城の中に渦巻いていた情念を優しく解きほぐしていくようだった。
「そう……でしょうか」
「戦いの女神である私が保証します!」
 アテナは立ち上がり、腰に手を当てて自信満々に胸を張った。
 結城はフォローを入れられて照れくさい気持ちになり、少し頬を赤くしながら黙ってしまった。
「ゆうき! ゆうき! はやくけがなおしてコレいこ!」
 ベッドの中から結城の顔のすぐ横に出てきた媛寿は、白い封筒を押し当てる勢いで突き出してきた。それは佐権院との邂逅の時に約束されていた、今回の依頼の副賞だった。
「そうだね。でも……イタタッ! ツ~……少なくとも一ヶ月以上はかかるって言われちゃってるしな~」
「クキの意見に便乗するわけではありませんが、アスクレーピオスの霊薬を使い切ったのは早計だったかもしれませんね」
 結城の怪我の状況を鑑みて、アテナは胸の前で腕を組み、悩ましげに唸った。
「私がヘラ義母様かあさまのように不死身の力を授けることができれば良かったのかもしれませんが……」
「そんなことできるんですか?」
「私のお気に入りの英雄ヘラクレスは、それで不死身の肉体を授かったのですよ? もっとも、ゼウス父様が無許可でヘラ義母様の乳房を吸わせたので、後で大激怒されましたが」
「へっ? 乳房? 吸わせる?」
「母乳です。私も出せるのなら、あなたに不死身の肉体を与えるのも吝かではありませんでした」
 アテナは眉根を寄せて考え込みながら、組んでいた腕で胸を押し上げた。そのせいでナース服に包まれた胸部のボディラインが余計に強調される。
 それを見た結城は、アテナから『不死身の肉体を与えられる』場面を想像してしまったことも相まって、
「ブッ!」
 天井近くまで鼻血を高らかに噴出した。
「ふわっ! ゆうき~!」
「ユ、ユウキ!? どうしましたか!?」
「EΣ4→(早くナースコールしろよ!)」
「今のうちに、採尿」
 この一ヵ月後に結城は無事退院することになるのだが、それまでの間もいろいろあったのはまた別の話である。

 一方その頃、金毛稲荷神宮こんもういなりじんぐうの千夏の部屋では。
「ふひっ! ち、千夏姉ちゃん、もう勘弁してよ~」
「まだ四十発目だろ? あと十発は付き合ってもらうからな!」
「えぇ~!」
 ひん剥かれた原木本が、千夏に組み敷かれ悲鳴を上げていた。
「い、いくら鬼だからって、朝からずっとはさすがにキツいよ~! それにボク、右腕ボロボロにされてる怪我人だよ!」
「骨は全部接いで鉄板まで巻いてんだから大丈夫だろ。それに、あの場から連れ出してやったんだから、感謝しろ。でなきゃ今頃もっと面倒なことになってたぞ」
「そ、そんなこと言って、千夏姉ちゃんが愉しみたいだけでしょ!」
「半分はお前のお仕置きも兼ねてるんだ」
 覆い被さりながら見下ろしてくる千夏の眼に、同じ鬼でありながら原木本は背筋に凍りつくような感覚が走った。
「観念して腹に力入れな」
「ひいぃ~!」
「千夏さ~ん、いますか~」
 千夏が再び原木本を『食べよう』としていたところ、不意に部屋の襖が開かれ、狐耳の美女がヒョコリと顔を出した。
「あらあら~、お楽しみ中でしたか~」
「あっ、キュウ様」
 唐突に現れた金毛稲荷神宮の主に、千夏は特に慌てる様子もなく応じた。キュウもまた、室内の光景を目の当たりにして動揺する気配は微塵もない。しかし、原木本はキュウの姿を捉えると、目を見開いて驚愕した。
「えっ、まさか、九尾のき―――むぐっ!」
 原木本が全て言い終わる前に、千夏が枕を顔に押し当てて口を塞いだ。
「ところでキュウ様。もしかして何か急ぎの用事ができたとか?」
「い~え~、特に何もありませんよ~。た~だ~、千夏さんが~、有給を取ってナニをしているか~、見に来ただけですよ~」
「ナニってそりゃ、ご覧の通り」
「その子が~、昨夜連れて帰って来たお知り合いですか~?」
「そっ。原木本のトコの三男坊」
 当の紹介されている本人は、枕で口と鼻を塞がれてジタバタともがいている。
「あ~、大江山の~、ナンバー2だった方の~。へ~……」
 千夏に布団の上で組み伏せられながら暴れる原木本に、キュウは妖しく目を細めた。
「千夏さ~ん、後で~、わたくしにも~、貸してくださ~い」
 一通り原木本を品定めした後、キュウはおっとりした笑顔でそう言った。その意味を汲んだ千夏もまた、八重歯を剥きだしてニヤリと笑った。
「では~、待ってますね~。今夜は~、楽しくなりそうです~」
 そう言いながら部屋を去っていくキュウだったが、その眼が温和な雰囲気とは対照的に妖艶な光を宿していたことを、原木本はわずかな開けた視界から見ていた。
「ぷはっ! ち、千夏姉ちゃん、ボクどうなっちゃうの!?」
「キュウ様はヤるのと同時に精気も吸う性質だからな。時々参拝客で気に入った奴がいたらツマミ食いしてるんだよ。その代わり参拝客の願いが叶うように後押ししてやってるんだけどな」
「ちょっ! そ、それって……」
「安心しろよ、命に関わるようなトコまで吸ってないから。けどお前の場合は人間よりもチョ~ット深いトコまで吸われるかもな」
「ひいっ!」
「だ・か・ら、コレが終わったらあたしが精の付くモン口にねじ込んでやるから、しっかりキュウ様のお相手しろよ」
「そ、そんな……鬼~!」
「お前も鬼だろ。さぁ、分かったらさっさとおっ勃てろ! まだ十発も残ってんだからな!」
「ひぎ~っ!」
 この一ヵ月後に原木本桂三郎けいざぶろうはお仕置きから解放されるのだが、それはまた別の話。

 友宮邸での戦いから一ヶ月が経ち、無事に退院した結城はようやく谷崎町たにさきちょうの古屋敷に戻ることができた。久方ぶりに帰って来た我が家で、シロガネの淹れたお茶を飲みながら居間でのんびりと―――できてはいなかった。
 古屋敷の居間は、この世の終わりが来たかのように暗い。照明を点けているはずなのに、闇が降りてきている。
 その源泉となっていたのは、居間のテレビの前にあるソファに突っ伏している媛寿とアテナだった。二人とも魂が抜けてしまったと思えるほどに、虚ろな目でテレビの画面を見ていた。目まぐるしく切り替わる場面も、今の二人には何ら反応を示す対象ではない。
「……」
 そんな二人の様子を、結城は非常に申し訳なさそうな顔で遠くから見つめていた。
 結城は二人が落ち込んでいる理由を知っている。居間の床に無造作に捨て置かれた、今回の依頼の副賞、『TOKYOデザニーランドSEAサイド』のチケットだった。
 二人が逸る気持ちを抑え、結城の快復を待って出立するはずだった今日この日。封筒を開けてチケットを確認したところ、昨日で有効期限が切れていた。ならば今回の報酬を使って行こうとしたところ、『スペースウォーズ』関連のキャンペーンもイベントも先週で終了していたことが判明した。
 今回の報酬において、副賞を一番の楽しみにしていた媛寿とアテナにとっては、文字通りこの世が終わったことと等しいぐらいの衝撃だった。今となってはどうすることもできないので、DVDに録り溜めていた『名探偵ドイル』を流しているが、内容は全く把握できていなかった。
「YΛ2↑(おい、結城。早くあの二人を何とかしろよ)」
「このままだと、危ない」
「何とかって言われても……」
 マスクマンとシロガネが事態の改善を訴えてくるが、結城にも二人の機嫌をどうやって直せばいいか見当もつかなかった。ただ、こんまま放っておいては本当に危険であることも重々承知していた。古屋敷の上空には稲光を閃かせる暗雲が立ち込めたまま、屋敷内では物が勝手に落ちたり、大黒柱から怪しい軋みが聞こえてきたり、ついさっきには鳥の大群が山から飛び去っていくのを見たばかりだ。
(僕が皆みたいにすぐ怪我を治せればよかったかもしれないけど……無理だよね)
 友宮邸での戦いから一晩明けた次の日には、結城を除く四人の負傷と疲労は回復していた。改めて四人が神や精霊の類だと認識させられた結城だったが、そんな結城自身も本来なら一ヶ月以上はかかる怪我を、きっかり一ヶ月で完治させていた。その間に病院内で危篤状態の患者が快復したり、見込みの薄い手術が成功したり、治療が絶望的だった症状が改善したりといったことが度々起こっていた。マスクマンの言っていた通り、病魔が近付く隙が一部たりとも無かったために、結城の快復も相当に早く済んだのだった。
 代わりに媛寿とアテナの幸運が削られたかもしれなかったが。
「う~ん……」
「HΠ9→(おい、結城。どこ行くんだよ?)」
「ここで二人がガッカリしているのを見てるのも辛いから、部屋で何か考えてくるよ」
「なるべく、早く。さっきから、山鳴りが」
「……と、とにかく考えるだけ考えてくるよ」
 より一層不安を掻き立てられつつ、結城は自室のドアをくぐった。
「ホントにどうしよ~」
 自室に戻ってきたはいいが、果たして落ち込んでいる二人を宥められる名案が思い浮かぶのか。そもそもあまり頭に自信のない結城には、ある種の難業に近い問題だった。
 チケットの有効期限が切れたのも、キャンペーンが終了してしまったのも、実質的に結城に責任の一端があるだけに、なおのこと心が重かった。
「何とかしたいけど、終わっちゃったものはどうしようも……お?」
 頭を抱えて室内をぐるぐると回っていた結城は、机の上に置かれた雑誌に目を止めた。退院直前に病院の売店で購入した、『月刊少年メガジン』だった。表紙には新進気鋭のティーンモデル、立星鈴たてほしすずが水着姿でポーズを取っている。
 が、結城が注目したのはそこではない。表紙の端に赤文字で書かれた告知文だった。
「こ、これだー!」
 結城が天啓を受けたように叫ぶのと同時に、古屋敷の避雷針に雷光が直撃した。

 休日で賑わう映画館のホールの一つ。スクリーンから最適な位置取りの座席に、座敷童子、戦女神、仮面の精霊、白銀のメイド、そしてただの一般人の青年が並んで座っていた。
 上映が始まるまであと五分。媛寿とアテナはポップコーンとコーラで完全武装し、上映開始を今か今かとそわそわしながら待っている。数時間前までの落ち込みようはどこ吹く風である。
 結城が自室に置いていた『月刊少年メガ神』は今月発売してすぐの物だった。その表紙の端には『本日公開! スペースウォーズ・エピソード8! 見どころ大特集!』と書かれていた。すっかり忘れていたが、スペースウォーズの最新作『エピソード8 最後のオショウ』はもう封切りになっていた。結城は速攻で上映館を検索し、人数分の座席をインターネット予約した。そしてすぐさま媛寿とアテナに映画に行くことを提案すると、二人はパンドラの箱に希望を見たかのように目を輝かせた。
(良かった~。本当に良かった~)
 ポップコーンをつまみながら、結城は心底安堵していた。媛寿とアテナが立ち直ると、古屋敷の上空の暗雲は散り、大黒柱の軋みも治まり、飛び立っていった鳥の大群が戻ってきた。どうにか異常気象や山崩れの危機を回避し、結城も心身ともに落ち着けるようになった。何より媛寿とアテナに笑顔が戻ったのが、一番安心できた理由かもしれない。
「ゆうき! もうはじまる? もうはじまる?」
「エンジュ、そろそろ静かになさい。古代ギリシャでも観劇の際は静粛が求められたものです」
 媛寿は興奮を抑えきれずにはしゃいでいるが、かくいうアテナも上映が待ちきれないのか、しきりにそわそわと体が揺れていた。
「チケットについては残念でしたが、上映に一番乗りできたことは僥倖でした。ユウキ、感謝します」
「ゆうき! ありがと!」
 二人から述べられたお礼の言葉に、結城は今回受け取った報酬よりも価値のあるものを手に入れた気がしていた。
「僕の方こそ、ありがとう」
 自然と口からその言葉が紡がれる。
 そして上映開始のブザーが鳴り、スクリーンを覆っていたカーテンが開いていった。
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