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友宮の守護者編

最後の一撃

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媛寿えんじゅ!? だ、大丈夫なの!? そんな状態で……」
 媛寿の申し出に、結城ゆうきは状況も忘れて面食らった。
 結城の腕の中にいる媛寿は、どう見繕ってもくだんの任を全うできるようには思えない。二重デュアルゴーレムとの闘い。そして全力を超えた不幸玉ふこうだま。これだけ力を使えば、いかに上位の座敷童子ざしきわらしでも平気ではいられない。挙手した右手ですら、宙をふらふらと彷徨っている。
「あいつ……虎丸とらまるを……だから……ぜったい……ぶっとばして……やるぅ」
 定まることなく揺れる小さな腕だったが、その手は一つの決意によって強く握られた。
 虎丸の仇を打たんとする、媛寿の思いの表れだった。
「それではエンジュ、最後の一手はあなたに任せます。良いですね?」
 アテナの問いに、媛寿は握った拳から親指を立てることで、確かな応えを示した。
「ならば、行きます!」
 アテナはアイギスの裏に隠していた一本の槍を取り出した。それは戦女神アテナが全能神ゼウスの額から生まれた際、すでにその手に持っていた槍だった。銘こそ無い物だが、アテナの誕生から幾多の戦いを共にしてきた、体の一部とも言える神槍。
 アテナはその槍の穂先に、手の中の小瓶を叩き付けた。小瓶が割れる。封入されていた真紅の液体が、磨き上げられた穂先を赤く染めた。
 アイギスを左手で構えたまま、アテナは右手の槍を投擲体勢に持っていく。狙うは心臓。たとえどれだけ疲弊していても、戦女神の照準は一寸の狂いもありえない。
 敵の中心を確実に捉えた。
「ガアアァッ!」
 槍が投げ放たれるほんの僅差で、里美さとみが剣を降り抜いた。最初の時よりも威力は落ちているが、風の刃が唸りを上げて襲い来る。
「くっ!」
 このまま槍を投擲しても、風の刃で弾かれてしまう。かといって止めてしまえば、風の刃が槍を手首もろとも吹き飛ばしてしまう。
 そんなアテナの逡巡を汲んだかのように、地面にめり込んでいたマスクマンが勢いよく起き上がった。獣の如き素早さでアイギスの前に躍り出ると、かろうじて手放していなかった石斧で地面を横一閃に薙いだ。途端、地面の一部が壁となって捲れ上がった。
 突如出現した土砂の壁に当たり、風の刃は壁と対消滅した。
 さらに結城たちの後ろから、真白い影が宙に舞う。地下空間の壁際まで飛ばされていたシロガネが、大きな放物線を描いて里美に急墜していた。
 里美は先の一合と同様に、横薙ぎで払おうと再び構えた。シロガネはそこへ左のツヴァイヘンダーを投げつける。予想に反して剣を投げられたため、里美は横薙ぎでこれを払った。
 その剣を振り抜いた姿勢を狙い、シロガネは両手持ちに構えた日本刀を袈裟懸けに斬り下ろす。剣先が欠けていたロングソードの刀身は、根元から綺麗に斬り落とされた。
「ぶっ!」
 着地を無視して斬り込んだため、シロガネは顔面から地面に飛び込んでしまった。
「オ、オオアァ!」
 剣を破壊された怒りから、里美は着地失敗で地にへばりついているシロガネに拳を振り下ろそうとする。
「TΛ4↑(これでもくらえ!)」
 マスクマンが里美の顔に左手をかざす。その掌から、小さいながらも黒雲が発生し、里美の頭部をすっぽりと覆ってしまった。
 雲が顔にまとわりつき、右往左往する里美。その右腕をシロガネが、左腕をマスクマンが、それそれ取って背中側に回した。前がガラ空きとなった。
「SΣ1(今だ!)」
「や、る」
 最大にして最後のチャンス。アテナはその瞬間を逃すことなく、里美の心臓めがけて槍を投擲した。
 アテナの手元から離れた槍は、矢のように真っ直ぐ飛び、里美の左胸に深々と刺さった。
「グウッ……アアァ!」
 痛みに呻いたのも束の間、里美は両腕を抑えていたマスクマンとシロガネを力任せに振り払った。
「☆!」
「うっ!」
 マスクマンとシロガネは結城たちの元に投げ飛ばされたが、地面に衝突する前に、アテナが二人を受け止めた。
「ユウキ! エンジュ! 今です!」
 アテナが二人に号令を発する。
「媛寿、行けるかい?」
 結城は腕の中で脱力している媛寿を見た。白いもち肌の顔も、鮮やかな赤い着物も煤で汚れ、支えがなければ立って歩くことも適わないほどに疲れきっている。正直、ここから最後の決め手を務められるのか怪しい状態だった。
「ゆうき……からだ……ちょっとだけ、かして」
 首だけを動かして、媛寿は結城の顔を見つけ返した。
「! 分かった!」
 媛寿の意図を即座に理解した結城は、右手で媛寿の小さな手を包むように握った。
「……もうちょっと……かがんで」
「? こう?」
 前者は分かったが、後者はよく分からず、とりあえず結城は背を曲げた。腕に抱えている媛寿に顔を近づける格好となる。
「め、つむって……」
「ん? うん」
 これもよく分からなかったが、結城は一応目を閉じることにした。
 媛寿は結城の頬に空いている手をそっと当て、体を引き寄せて距離を縮める。やがて媛寿が結城の頬に口づけするように、実体が薄まり溶けていった。
「媛寿、それじゃあ……行くよ!」
(おっけー、ゆうき!)
 媛寿が自身に憑依したことを確認した結城は、スタンディングスタートのポーズを取り、
「うおおあぁ!」
 全速で以って里美に向かって駆け出した。
 マスクマンとシロガネを振り解いた里美は、顔にまとわり付く黒雲を乱雑に散らし、胸に刺さった槍を力任せに引き抜いた。
 傷口からわずかに血が迸ったが、それに構うことなく、猛進してくる結城に対して拳を振りかぶった。
 その動きに合わせて、結城もまた拳を放つ体勢を整える。アテナ直伝、必殺の右ストレート。建御名方神が宿った里美と正面から打ち合えば、おそらく右腕の骨は粉々に砕けるだろう。だが、それが一瞬の隙を生む。そこを突く。
 里美の右腕が風を切って振るわれる。
 対する結城は迎えの右拳を放つ。
 両者の拳が合わさろうとした時、結城の背後から一筋の光が飛来した。それは結城の横顔を通り抜けると、里美の鼻先にまで迫った。
 直感的に回避行動を取ると、光は里美の頬を掠め、地面に突き刺さって動きを止めた。佐権院さげんいんの愛刀、九字兼定くじかねさだのレプリカだった。
 結城の後ろで、佐権院は最後の抵抗として、九字兼定を投擲していたのだ。これが功を奏した。飛来した九字兼定を回避したことで、里美の拳撃は完全に体勢を崩した。
 結城と対峙するはずだった拳は軌道を外れ、あらぬ方向に放たれただけだった。
 結城はこの隙を見逃さなかった。
 ここまでの加速で得られた走力のまま、相手の懐深くまで入り込む。そして里美の頭部を両手でがっしりと掴み、逆海老に大きく体を仰け反らせた。
「くーらーえー!!」
(くーらーえー!!)
 結城と媛寿の声が重なる。
 背骨、背筋、頚椎、後頸部の筋肉群。それら全ての張力を集結させた、渾身のヘッドバットが、里美の眉間に叩き込まれた。
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