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友宮の守護者編

それぞれの意思

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 友宮邸内のダンスホールで起こった爆発の衝撃は、敷地の隅々にまで行き渡った。
「WΛ1↑BM(なんか……めちゃくちゃ派手にやってやがるな)」
 裏庭の森林地帯にいたマスクマンもまた、屋敷から轟いた爆音を聞いていた。対精霊用の毒を打ち込まれたせいで、まだ体はまともに動かない。なのでマスクマンは手近にある植え込みの葉や雑草を毟り取り、絶えず口に放り込んでいた。未だ体内に巡り続ける毒を、無害な草を摂取することで少しでも中和しようと試みたのだ。
 その甲斐あってか、痺れるような感覚は抜け切らないが、立って歩ける程度には回復が見込まれた。
(状況はよく分からねぇが、ヤバいことにはなってそうだな。それに、嫌な予感がしやがるぜ)
 膝が小刻みに震えながらも立ち上がったマスクマンは、おぼつかない足取りで愛用のブーメランと石斧を回収した。とても通常通りに扱えるような状態ではないが、丸腰で行くよりは余程マシだった。
「YA、IC、OR、MO?(お前、そんな状態で、行く、のか?)」
 マスクマンのすぐ足元から、語りかけてくる声があった。つい先程まで戦っていた名無しの精霊だった。今はもう隠蔽の能力も解け、本来の姿を現している。細身の体に白いローブのような服と、藁で作った蓑を着ている。だが、体の細さとは対照的に、頭部と掌は異様に肥大化している。高い鼻と、巨大な頭部に申し訳程度に生えた髪は、さながらデフォルメされた天狗に似ていた。
 名無しの精霊もまた、自身が使っていた毒を打ち込まれたせいで、身動きが取れないでいた。
「YΣ3→。FΠ5→(ああ、行く。放って帰れるわけもないからな)」
 まだ重い足を引き摺りながら、マスクマンは屋敷へと歩を進める。普段と比べれば、あまりにも遅い速度だ。
「WH、YR、PS、II、DI?(何で、お前ほどの、精霊が、そこまで、する?)」
「RΞ9(何でだろうなぁ……)」
 全てが破天荒だが、面白味のある仲間たち。騒がしいばかりだが、どこか穏やかに感じる日々。それらがマスクマンの脳裏を一瞬ぎった。
「CΦ6↓(出逢っちまったからかもなぁ)」
 名無しの精霊にそう言い残し、マスクマンは友宮邸へと向かっていった。

 突然の爆音が耳に飛び込み、シロガネの意識は一気に覚醒した。トミーとの闘いで気を失っていたことを思い出し、慌てて立ち上がろうとする。
「くうっ!」
 右太腿に激痛が走り、あえなく地面に倒れ伏した。
「よぉ、起きたか」
 シロガネが首を巡らせて横を見ると、まだツヴァイヘンダーで地面に縫い止められたトミーが目に入った。普通の人間ならとうに絶命しているところだが、物の化身は本体を破壊されない限り死ぬことはない。なので体を剣で貫かれているにもかかわらず、トミーは驚異的な生命力で生き延び、葉巻の煙まで吹かしていた。もっとも、煙は主に胸部の傷から漏れているのだが。
「今のデカい音は爆発物によるモンだな。俺たちの中にそんなの使う奴はいねぇから、おぇの仲間か。揃いも揃って危ねぇ奴らだな。お前ぇも含めてよ」
 トミーの軽口に応えることなく、シロガネは体のバランスをとってゆっくりと立ち上がった。わずかに回復したとはいえ、大きく損傷した右脚はあまり言う事を聞かない。片足を引きるようにしながら、シロガネは横たわるトミーの頭の上まで来た。そして、まだ痛む右脚を軽く上げる。
「おほっ、イイ眺め―――ブベッ!」
 ニヤけたのも束の間、上げられた足はそのままトミーの顔面を踏みつけた。
「コレ、返してもらう」
 踏みつけたトミーの顔面を支点に、シロガネは地面に刺さったツヴァイヘンダーを一気に引き抜いた。
「ぐあぁっ! も、もう少し優しく抜いてくれよ。こっちは初めてなんだからよ」
「もう一回、刺す?」
「……遠慮するぜ」
 それ以上トミーに構うこともなく、シロガネはすぐ傍の彫像をツヴァイヘンダーで薙いだ。蝋細工のようにあっさりと両断され、地面へと落ちる彫像。同時に引っかかっていた日本刀も外れ、シロガネの手の中へと収まった。
 踵を返し、シロガネは屋敷へと歩き出した。
「そのザマで行くのか? やめとけよ。死にに行くようなモンだぜ」
「ワタシが壊れる時は、結城の隣。だから、行く」
「やれやれ、物のかがみだね。感動するこった」
「お前も、同じ。ご主人様マスター、守る」
「俺はただ雇われた身だ。必要以上のことはしねぇよ。それにここまで派手に負けちまったら、恥ずかしくって顔なんか出せねぇしな」
「……、そう」
 もはやトミーに一瞥いちべつすることもなく、シロガネは一路、邸内を目指した。

「っ!」
 爆発による衝撃と振動を感じ取り、アテナはようやく気絶から覚めた。が、肉弾戦と雷槍ケラウノスの限定使用から生じた疲弊は、想像以上に重く圧し掛かっていた。まるで鉛に固められてしまったように、体が動かない。鉛の重量や硬度など、本来のアテナからすれば無いに等しいものだったが、今は本物の鉛の方が良かったと思えるほどに、アテナの体は重く床に張り付いていた。
「目ぇ覚めたみたいだね」
 そう声をかけてきた者はすぐに見当が付いた。アテナがここまで疲弊する原因となった相手、鬼の末裔、原木本ばらきもとだった。
「何だかスゴいことになってるみたいだね。あのあんちゃん……じゃないか。座敷童子? それとも眼鏡の付喪神つくもがみを連れてた人かな?」
 アテナは答えない。というより、答えることができない。それほどまでに消耗は深刻だった。人々の信仰の形が変わったために、弱体化を余儀なくされた身ではあるが、肝心な時にそれを意識させられると妙に悔しくなる。原木本の言うことも、右から左だった。
「でも、もっとスゴいことはこの後起こるよ。咆玄ほうげんさんのやろうとしてること、無茶だけどけっこうスゴいから」
 息切れしながらも、アテナはようやく指の関節を動かせるようになった。上半身の感覚も、徐々にではあるが戻りつつあった。
「ねぇ、女神様。できればさぁ、邪魔しないであげてくれないかな? 咆玄さんもいろいろ考えた上で決めたことだから。ここに来て水の泡にされたんじゃ、可哀想だよ」
「ぐっ! うぅ……」
 歯を食いしばり、苦悶に呻きながらも、アテナは自身を縛り付けていた重さに打ち勝った。しかし、それでも立って歩くのが精一杯の状態である。
「トモミヤを……止めるかどうかの判断は……ユウキに委ねてあります」
「ユウキ? あの兄ちゃんのこと?」
「事の発端は……ある者から……聞いています……ただ……本当に阻止するかは……トモミヤに会ってから……決めると……ユウキは考えています……もちろん……トモミヤサトミを……助けたいという気持ちも……ありますが」
「……アンタはそれでいいの、女神様?」
「戦いの女神は……見込んだ者に助力はしても……行動の制限まで……設けたりはしません……その者が……何を思い……何を成すか……そっと見守るだけです」
(あの兄ちゃん、すごい信頼されてんだなぁ)
「はは、ホントに羨ましいや」
 未だ軋みをあげる体に鞭を打ち、アテナは崩壊した大食堂を後にした。結城たちが通った道を追いすがりながら、腰の雑嚢ざつのうに手を伸ばす。その中には、神降ろしの儀式を止めるための、最も重要なアイテムが入っていた。
(必ず追いつきます。ユウキ、無事でいてください)
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