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友宮の守護者編

九木の相方

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「や…やっと、着いた……」
 時刻は十五時。九木は自宅であるマンションの前で息せき切っていた。
 二時間分の記憶の欠落から目覚めてみると、なぜか隣の県の河岸に流れ着いているという謎の状況に見舞われながら、何とか数時間での帰還を果たした。
 河岸の周りには人の気配も人家もなく、ただ鬱蒼とした雑木林だけが拡がっていた。携帯電話が圏外でなかったのが、せめてもの救いだった。GPSとダウジングを頼りに、脅威の最短コースを突っ切って、九木は自宅まで帰ってきたのだ。
「あ、あとはうまく居てくれるかだよな」
 友宮邸への潜入作戦が開始される時間には間に合った。残る問題は一つ。佐権院が要請してきた人物が、部屋にいるかどうかだ。
 正直、気が進まない。そう思いながら、九木は自室までの階段を踏みしめる。確かに佐権院の言うように、最大の戦力と言える人物だが、何を考えているのか分からない。それも頼みごとを簡単に引き受けるかどうかも怪しい。そんな相手に会うとあって、九木の脚は疲労とは別の意味で重くなっていた。
(説得に失敗したらどうしよう)
 などと考えているうちに、あっさりと自室のドアの前まで来てしまった。躊躇しながら手を伸ばし、ドアノブを回す。鍵は開いていた。
(あっ、居る)
 ひとまず第一関門はクリアした。部屋の鍵が開いているということは、同居しているかの人物が居るということだ。
 九木はドアの隙間から中の様子を窺った。自宅であるのになぜこんな警戒をしなければならないのかとツッコむ余裕もなく、さっと部屋の中に侵入した。
 玄関口から続く廊下をゴキブリの如く背を低くして直進する。リビングと廊下を隔てるドアの前で止まり、ガラス窓からリビングの様子を覗いた。
(……居た)
 リビングの奥に設えられたソファに横たわり、その人物はスヤスヤと眠っていた。
 なるべく音を立てずにリビングに入り、素早い匍匐前進でソファの前まで接近した九木は、そこで眠る人物の様子を窺った。
(相変わらずこんな格好で……)
 ソファで眠る人物は、男モノのワイシャツ一枚だけしか着用していなかった。流れるような長い黒髪に整った貌、新雪と同じくらいに白い脚を見せる女性が、リビングのソファで無防備に寝息を立てていた。
 だが、男なら垂涎の状況であり、なお且つ女好きの九木は、その様子にまるで反応できないでいた。確かに美人と言える要素はこれでもかと持ち合わせているのだが、見た目は中学生程度であり、どう贔屓目に見ても高校入りたてとしか見えない容姿だった。
 九木洸一、三十一歳。決してロリコンではない。
 せめて十八歳以上の見た目ならと思い、溜め息を吐くのも何度目か分からない。が、事はそんな感傷に浸っていられるほどの時間もない。ともかく、その少女には起きてもらうことにした。
「スズ様~、スズ様~。起きてくださ~い」
 あまり刺激しすぎないように小声で呼びかける九木。意外にも少女はその一声だけで目を開けた。むくりと上半身を持ち上げ、大きく伸びをする。
「う~~ん……あっ、洸一おかえりなさい」
「ただいま、スズ様……じゃなくって、スズ様その格好は?」
「これ?」
 九木がスズと呼ぶ少女は、ややサイズがブカブカになっている両袖を持ち上げ、ヒラヒラと軽く振って見せた。
「洸一を誘惑するため」
「あの、何度も言ってますけどオレはロリコンじゃないですって……」
「ぬ~、昔は私くらいの見た目で結婚もアレも普通だったのに」
「今じゃ淫行条例に触れちゃいますって。しかもオレ警察官だし」
「私は洸一よりずっと年上!」
 そう言われても見た目に問題が大有りだ、と指摘したいが九木はそれを飲み込んだ。スズはすらりとしたモデル体型で確かに容姿は美しい部類に入るが、どちらかと言えばティーン受けする方で、大人な女性が好みの九木の守備範囲ではない。
 もう少し大人っぽいスタイルだったならばと何度涙を流したか分からないが、今はそんなことを考えている場合ではないので、九木は本題を切り出した。
「ところでスズ様、ちょっとお願いしたいことがあるんですけど―――」
「ヤダ」
「早っ! 即答!? なぜ!?」
「今日はお仕事に行ってきて疲れてるから。洸一も私を襲ってくれないみたいだし。つまんない」
 にべもなく九木の頼み事を断ったスズは、背を向けて再びソファの柔らかさに体を預けた。
 あまりにも率直に断られてしまい、九木はしばらく空いた口が塞がらなかったが、すぐに気を持ち直した。
「いやいや、それ困りますって! もう三時間もしないうちに作戦が始まるのに!」
「私、関係ない」
「佐権院警視からスズ様連れて来いって言われてるのに!」
「関係部署に登録も報告もしてる。でも要請を受けなきゃいけない決まりなんてない」
(くっそ~、やっぱ平安時代から生きてるだけあって、その辺のこと熟知してやがる~)
 警察官であり、霊能力者でもある九木だが、裏の世界の事情に関してはスズの方が一枚二枚どころか千枚は上手だった。見た目は少女でも、その実は日本という国の闇の部分でしっかり生き永らえてきた存在の一角である。ただ推しただけでは全く動くことはない。
 かといって、ここで諦めてしまっては立つ瀬がないので、九木はいつもの常套手段に出ることにした。
「オホンッ……スズ様~、今度の日曜オレ非番なんで、どっかデートに行きませんか~?」
 それを聞いた途端、スズは勢いよく起き上がった。
「ホント?」
「ホント、ホントですよ~」
「作戦の場所ってどこ?」
「刺松市の友宮邸です」
「行く!」
 先程までのやる気のない態度から一転、スズはソファから飛び上がり、天井ギリギリでムーンサルトを極めて床に着地した。
 その華麗な動きを見ながら、九木は自らの情けなさにうなだれていた。スズに動いてもらうためとはいえ、こんなご機嫌取りをしなければいけないとは。色んな意味で自分の行動に哀愁を禁じえない九木であった。
「それで、相手は何?」
「へっ? ああ、え~と多分……神様相手にするかもしれないって……」
「じゃあ一口じゃなくて二口持って行く」
 戦う相手が定まったところで、スズは着ていたワイシャツを宙に脱ぎ放った。
「…………襲ってもいいけど?」
「いや、ないですって」
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