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友宮の守護者編

戦女神の勝利の鍵

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佐権院が声をかけた後ろのボックス席に、まるで漂っていた霧が晴れるように四つの影が浮かび上がった。
「へっ!? えっ!? え~~~!!」 
 結城と佐権院は特に驚きもしていないが、九木は状況についていけないのか、しきりに驚いている。ボックス席に座っていたのは、普段から結城とともにいる者達だった。
 座敷童子の媛寿はチョコレートサンデーをつつき、戦いの女神アテナはコーヒーの香りを堪能し、仮面の精霊マスクマンはココナッツミルクの入ったグラスを煽り、銀の短剣の化身シロガネは紅茶のカップを啜っていた。さも、最初からその席に居座っていたかのように。
「よく気付きましたね、サゲンイン。私達は全員、存在感を極力消していたはずですが」
 コーヒーカップをソーサーに置き、アテナは結城達の座る席に振り向いた。
「一般人や三流の霊能者ならば、まず気付かない程の隠形でした。しかし、私の得意分野は『霊視』。視ることにかけては、このトオミの力も合わせて右に出るものはないと自負がある」
 佐権院は席から立ち上がり、自慢である丸眼鏡トオミを指で持ち上げながら振り返る。互いに知を武器にする者同士だからなのか、アテナと佐権院の視線が妙な緊張感を以って交錯した。
「って、ちょっと! コレなに!? 最初から皆いたってこと!? 全部聞いてた!? どういうことなの、小林くん!」
 まだ少し混乱気味の九木が、複雑な表情を浮かべている結城に詰め寄った。
「僕一人で話しに行くって言ったんですけど、聞いてもらえなくって。じゃあ姿を消しておくから、とりあえず成り行きを見守っておくってことになったんですよ」
「そ、そうだったの? あれ? ていうか全然気付いてなかったってことは、ひょっとしてオレって三流なの?」
「九木刑事、そんなどうでもいいことは、いま議論の対象ではないよ」
「うぐっ! け、警視殿、少し手加減してもらえませんか。オレ今回けっこうダメージ多いんですけど……」
「そうですね。時間もありませんし、どうでもいい些事は放って本題に入りましょう」
 座っていたボックス席から、アテナは結城達の座るボックス席まで移動してきた。
「ぐうぅ、些事って。ていうかアテナ様! オレこの前病院に担ぎ込まれた時って何があったんですか? なんかおぼろげにアテナ様のことが記憶にあるんですけど! おまけにあの日から股間が擦りすぎたみたいにヒリヒリと―――」
 結城達のボックス席に到達する直前、つまり九木の前まで来たアテナは、九木の顎の下に鋭い手刀を振るった。
「うっ」
 直後、九木の体は糸の切れた人形のように床にくず折れた。
「ア、アテナ様!?」
 その一連の光景に、今度は結城が面食らい、驚愕の表情でアテナを見る。
「少し脳を揺らしただけです。命に別状はありません」
 命に関わることはないと言うアテナだが、倒れた九木は白目を剥いて泡まで吹かしている。結城は少々心配になってきた。
 一方、アテナは先程まで座っていたボックス席に戻り、まだ椅子に座っているマスクマンの肩を軽く叩き、小声でひそひそと何かを話していた。と言っても、結城はそこそこ耳が良いので、内容は聞こえていたわけだが。
「近くの河に戸板にでも乗せて流してきて下さい」
 アテナは親指で倒れている九木を指し示す。
「WΞ4↓(いいのかよ)」
「戦いの女神たる私が許します」
 女神が許せば何でもいいわけじゃない、と結城とマスクマンはツッコミたかった。が、それで退くような女神でもなく、既にシロガネが店の主人から戸板をもらってきていたので、結城は沈黙し、マスクマンは渋々と九木を肩に担いで店を出ることにした。戸板を抱えたシロガネも、彼に続く。
 どうやら、また九木がアテナのことを『ドS女神』呼ばわりしたことへの制裁らしい。戦いの女神でありながら争いを好まず、基本的に寛容なアテナだが、自身への侮辱だけは許さない。マスクマンに運ばれていく九木を見つめながら、結城は戸板が無事に河岸に辿り着けますようにと祈った。
「サゲンイン、あなたのパートナーにもご退場を願えませんか?」
 結城達に向き直ったアテナは、佐権院の丸眼鏡に視線をやった。
 存在を指摘されたからか、丸眼鏡は佐権院の傍らに秘書風の女性の姿に化身した。
「彼女にも聞かせたくない話をする、ということですかな、アテナ様?」
「ええ。ここからの話を聞く者は、できれば少ない方が好ましいので」
 予備眼鏡をかけながら問う佐権院に、アテナは至極真剣な面持ちで応えた。
 媛寿は佐権院がかけた予備眼鏡を見て、
「ドイルくんメガネ! ドイルくんメガネ!」
 と、指を差して騒いでいる。ちなみにチョコレートサンデーのカップはもう空である。
「エンジュ、特別にこれを進呈します。近くのコンビニで好きなものを食べてきなさい」
 椅子に身を乗り出して騒いでいた媛寿に、アテナは自分の財布―なぜかガマ口―から千円を一枚取り、拡げて差し出した。
「いいの? あてな様!」
「戦いの女神に二言はありません」
「やったー! やったー! あてな様、ありがとー!」
 受け取った千円札を天高く掲げ、媛寿は床を所狭しと跳ね回った。
「トオミ、済まないが彼女を連れてコンビニに行ってきてもらえないか?」
「了解、蓮吏」
 佐権院の命を受けたトオミは、媛寿を伴って喫茶店の扉をくぐっていった。媛寿はお気に入りの駄菓子の名前を列挙しながら歩いて行き、それが聞こえなくなった頃、アテナは改めて結城と佐権院の座るボックス席の前に立った。
「では始めましょうか」
 今や、店内にいるのは結城、佐権院、アテナの三人だけとなり、アテナが作戦会議の再開に際して居住いを正した。
「アテナ様、友宮の行っている儀式は現段階でも計り知れない力を振りまいています。儀式が完了に近付いているとなると、もはや途中で停止させることもできない。正攻法で行くならば、私がさっき言った方法が最も的確だ」
「佐権院警視……」
 またも深く昏い口ぶりで語る佐権院を前に、結城の顔に不安がよぎる。
「だが、知略の女神たるあなたなら、我々人間とは違う解決法をお持ちではありませんか?」
「サゲンイン、あなたは想像していたよりずっと賢いようですね」
 佐権院から向けられた試すような視線に、アテナは不敵な笑みで以って返した。
「ここまでの情報を総合すると、確かに儀式を止めるのは不可能ですね。東西の洋を問わず、この手の大掛かりな儀式を途中で止めることはできず、止めたとしても不具合は免れません。それも非常に厄介なものを引き寄せます」
「アテナ様……」
 結城の不安げな視線を見て取り、アテナは今度は太陽のような微笑を結城に送った。
「止めることができないなら、方向性を変えてしまえば良いのです」
 アテナは懐から取り出したものを、二人によく見えるようにテーブルの中央に置いた。
「これが勝利の鍵となります」
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