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友宮の守護者編

結城と媛寿

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ファミレスを出た結城と媛寿は、アテナたちがトンネル工事している現場まで歩いていた。今回は経費で落とせると九木が言っていたので、注文したものに関しては一応領収書を切ってもらった。
 刺松市の中央部から友宮邸付近までの道程を、二人はそれほど急ぐことなく歩く。昨夜の山中での鬼ごっこのせいで、疲労がほとんど取れないままになってしまったので、結城は半日休むようにとのアテナからのお達しだった。そのおかげで九木への報告もできたわけだが、あまり大きな進展がなかったのは少々残念に思っていた。
 媛寿は結城の前をややスキップ気味に先行して歩いていた。手には途中のコンビニで買った『ゴリゴリくん』を持ち、上機嫌で舐めている。結城は『ゴリゴリくん』を買う度に、なぜリアルタッチなゴリラがアイスキャンディを食べているイラストを採用したのかと疑問に思っていた。
「んぅ?」
 『ゴリゴリくん』を見ていた結城の視線に気付いたのか、媛寿は後ろを振り返った。
「ゆうきもほしいの? ひとくちならいいよ」
 先端が少し溶けている水色のアイスキャンディを、媛寿は結城に向けて差し出してくる。
「ううん、僕はいいよ。それは媛寿が食べなよ」
「? うん」
 結城の意図が分からず首を傾げる媛寿だったが、気にするほどでもなかったのか、再びアイスキャンディを咥えて前に歩き出した。
 そうして無邪気に歩く後姿を見ていると、ただの着物姿の子どもにしか見えない。だが、彼女は正真正銘、人に幸も不幸ももたらす家神、座敷童子だ。
 結城の脳裏に媛寿と初めて出逢った時のことがよぎった。駄菓子の詰め合わせを注文したら、なぜか着物姿の子どもがダンボール箱に入っていたのだから驚かないわけがない。媛寿自身も驚いたらしく、当初は警戒して物陰から様子を窺うばかりだった。
 警察を始めとした他の人間には一切見えず、追い出すのも忍びないので仕方なく泊めておくことにした。媛寿は結城をじっと見ているだけだったが、結城が駄菓子を食べる時だけは比較的近くに寄ってきていた。試しに駄菓子を分け与えると、おそるおそるではあったが受け取って食べた。それがきっかけで次第に結城と媛寿の距離は縮まっていった。
 時に菓子を要求し、時に小さな幸運をもたらし、時に機嫌を損ねて凶運を招く奇妙な少女と、今では一緒にいない方が珍しい間柄となっていた。
 今回の依頼では最初こそ落ち込んでいたが、犬神の虎丸が来たことですっかり暗い気持ちを忘れているようだった。
「元気になったね、媛寿」
「うん! えんじゅ、げんき!」
 笑顔で道を跳ね回る媛寿を見ていると、結城も自然と気持ちが和らいでいく気がした。
「ゆうき、虎丸うちで飼う?」
「う~ん、そうだなぁ。虎丸の依頼が終わった後で、行くところがないなら飼ってもいいかな」
「やった~!」
「ちょうど媛寿がピカピカにした犬小屋もあるし」
「あう……」
 犬小屋のことを話題に出すと、媛寿は顔を赤くして俯いてしまった。緊急措置だったとはいえ、座敷童子として犬小屋に憑いたのは、未だに恥ずかしく思っているらしい。
「媛寿?」
 結城は赤面したまま黙ってしまった媛寿に声をかけるが、彼女はそれに応えることはせず、結城の足元までトボトボと歩いてきた。服の裾を掴んでよじ登り、いつもの肩車の位置で落ち着いた。
「今日はちょっと汗かいちゃってるけど、いいの?」
「いいの……」
 そう言ったきり媛寿は黙ってしまったので、結城はそれ以上何も訊かないようにして歩き出した。あまり指摘しすぎると恥ずかしさを通り越して不機嫌になりそうだと思ったからだ。
 媛寿が結城の肩に乗るようになったのは、出逢ってから一ヶ月ほど経ったあたりだった。そのぐらい一緒に生活していれば媛寿も慣れてきたもので、結城に肩車してもらうのが普通になっていた。座敷童子に重さはなく、存在感を高めなければ他の人間にも全く見えないので、結城も特に気にすることなく媛寿を肩車して出かけていた。そうして二人はよくコンビニの帰り道を色んな話をしながら歩いた。当時住んでいたアパートにはテレビを置いていなかったので、コンビニの漫画雑誌を一緒に立ち読みした話題で盛り上がった。
 あの頃も今も、結城は一日一日を楽しく過ごせている。一人になったが、独りではない。真っ直ぐ進もうという意志さえ捨てなければ、寂しさとは無縁なのだと、媛寿を始めとした皆が教えてくれた。
「ねぇ、媛寿」
「んぅ?」
「ありがとう」
「……うん」
 それっきりまた媛寿は黙ってしまったが、別段不機嫌ではないことは分かったので、結城はそっとしておくことにした。ただ、媛寿が先程とは別の意味で顔を赤くしていたことには気付いていなかったが。
「ん? ところで媛寿。もしかして……『ゴリゴリくん』垂れてない?」

 一方その頃。刺松市某所のホテルにて。
「んぐ……んぐ……ぷっはぁ~! やっぱヤった後の酒って美味いわぁ~!」
 ベッドに豪快に腰掛けた千夏が備え付けの冷蔵庫からビールを引っ張り出し、某スポーツで汗をかいた後の一杯を愉しんでいた。ちなみに彼女は見た目は十代だが、実年齢的に飲酒は何ら問題ない。
 そしてベッドを挟んだ向かいの床には、ミイラのように痩せこけた九木がうつ伏せで落っこちていた。
(す……吸い殺されるかと思った……まさか四十発連続だなんて……に、逃げなきゃ死ぬ)
 幸い千夏はビールに夢中で九木の方を見ていない。匍匐前進の要領で九木は床を這い、部屋のドアに向かった。ナメクジのような速度ではあるが。
(うおおぉ、足腰に力入んない~! ちっくしょ~、何なんだよも~! いきなり部屋に投げ込まれたかと思ったらひん剥かれて逆○○○って~! しかも誰だよあれ~! おまけに体力ありすぎだろ~! あっ、でもオレこのまま出たら猥褻物陳列になるかも……あ~でも出涸らしにされて死ぬよりはマシだ~! ガンバレ~! オレ~! 世界中のみんな~! オレに力を貸してくれ~!)
「おい、どこ行くんだよ?」
 ドアまであと1メートルの距離に迫った九木だったが、あっさりと巫女少女に片足を掴まれてしまった。まさに鬼に見つかった憐れな村人Aの心境に陥り、九木の顔は真っ青を通り越して紫色になった。
「い、いや~、汗かいちゃったからちょっと風呂でも行こうかな~……なんて」
「そっかそっか、なら次は風呂でヤるか」
「へ?」
「まだゴム一箱あるしな」
「え? え?」
「たしかマットもローションもあったよな」
「ちょ、ちょっと~!」
 九木の片足を掴んだまま、バスルームに引き摺っていく千夏。もちろん相手の意見など何も聞いていない。
「そんじゃ、残りは風呂で愉しむか。あと三時間くらい」
「え? ちょっ! 待っ! あぁれえええぇ~!」
 防音設備のしっかりした建物の中では、九木の叫びは一切外に伝わることはなかった。
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