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友宮の守護者編
決意を新たに
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「お~、いてっ……」
ようやく尻と股間のダメージから回復してきた九木だったが、まだ全快したとはいえないので、鈍痛の続く臀部を軽く擦る。
「ホントに大丈夫ですか、九木刑事?」
「だ、大丈夫、大丈夫。オレのことは気にしないでメシ食べてよ」
平静を装ってはいるが、密かに『後で肛門科と泌尿器科に寄っとこう』と九木は思っていた。
「え、媛寿ちゃんもアテナ様も追加注文あるならどうぞっ。ねっ?」
ダメージの原因となった座敷童子と戦女神は、未だに九木を訝しげな目でジッと見つめている。これ以上お仕置きを受けるのは避けたいので、九木は二人の機嫌も取っておく。
(ファミレスは経費で落とせても、不死屋のチーズケーキは無理だろうな~。トホホ~)
文字通り口が災いの元になってしまったので、九木は心の中で後悔に暮れていた。家神と戦女神を相手にしては、壁に耳あり程度では済まない。
「私とエンジュに無礼な発言をして、むしろこの程度で済んだことを喜ぶべきですよ、クキ。まだ経費に回すのは許しているのですから」
「ちょっ! 心の呟きにまで応えないでくださいよ!」
「前にも言いましたが、下種の考えていることなど読むまでもなく分かります。あなたの底が浅いという証拠でもあるのですよ」
「うぐっ、またオレのこと下種って……しかも底が浅いって」
「ちなみにケーキのサイズはホールでお願いします。帰って皆で食べます」
「ごはっ!」
今度は度重なる精神的ダメージでテーブルに突っ伏す九木。その様子を見て、発言には充分に気を付けようと心に決める結城だった。
「と、ところで小林くん。そろそろ話を始めてもいいかな?」
「えっ? ああ、そうでしたね」
そもそもこのファミレスに来たのは今回の依頼に関しての情報交換が目的だった。あまりに珍妙な騒動が続いてしまったので、結城もすっかり忘れかけていた。
「あの友宮って家なんですけど、正直、僕もワケが分からなくなってきました」
「? どゆこと?」
「媛寿の力で入れなかったんですよ」
「!?」
結城の一言に、九木はここまでで一番驚いたという顔をした。
「えっ、なに!? 家神の座敷童子が家に入れなかったっての!? なんだよソレ! そんなの恥以外の何物でも―――」
「ちょっ! 九木刑事!」
結城に制止され、九木は滑りそうになった口を慌てて手で覆った。何とか全部を言わずに済んだものの、当の媛寿はストローで空気を吹き込んで、コップの中のメロンソーダをボコボコと泡立てていた。もちろん、ものすごく機嫌が悪そうな顔である。
実際、座敷童子である媛寿にとって、今回の潜入失敗は大いにプライドが傷ついたらしい。今はまだ元気になった方だが、ここ数日間は媛寿の仕掛けてくるイタズラが少しレベルアップしていた。どうやら精神安定を保つためだったようだ。
ある時は寝ようとした結城の布団の中にエイリアンの等身大フィギュア(媛寿の私物)が入れてあったり、ある時は朝の食卓にいつの間にか『シェー』のポーズをした河童のミイラ(物置の奥にあった)が置いてあったりといった始末だった。
彼女のイタズラには多少慣れているとはいえ、結城もそんな状態の媛寿が心配になってきた。話をしてみたところ、『ぜっったいあの家のカベにラクガキしてやるっ!』と意気込んでいたので、落ち込んではいないが深く触れないようにしようと考えていた。
方向性は昏いが、とりあえず媛寿は元気ではある。その代わり、下手に刺激すると通常の1.5倍のイタズラを仕掛けられる状態だった。ちなみに結城の当者比である。
「オ、オホン! と、とりあえず『僕の』考えた作戦は失敗してしまったので……」
あくまで媛寿のせいではなく、『僕の』というところを強調して結城は話を進める。
「次はアテナ様の考えた作戦で友宮邸に潜入することになりました」
「ふふふ、知略の女神の実力、とくとご覧に入れて差し上げましょう」
結城の言葉に乗っかる形で、口元を紙ナフキンで拭いていたアテナが続けた。チーズケーキを平らげ、すっかりご満悦の様子だった。
「けど媛寿ちゃんで入れなかった家にどうやって入るって言うんで―――ぐおっ、ちょっ、媛寿ちゃん! 待って! 今のナシ! ナシ!」
また不意に出てしまった言葉に反応し、媛寿はどこからか取り出した人差し指のオブジェの付いた棒、いわゆるフィンガースティックで九木の頬をグイグイと押していた。ちょっぴり涙目でふくれっ面になっている。
「確かに。マスクマンが動物たちに調べてもらった限りでも、入り込むのはかなり難しそうでしたけど……」
失言はともかく、九木の意見ももっともだった。結城は媛寿と付き合いが長い分、彼女の能力の凄さも知っている。多少の封印が施されていようとも、外からならば座敷童子は屋内へ入り込むことができるはずだった。その媛寿が入れなかったとあっては、友宮邸は並みの屋敷ではない。
さらにマスクマンが懇意にしている動物たちに調べさせた情報も、潜入の難易度を引き上げるものだった。古屋敷の近くに住んでいるカラスとフクロウに協力してもらい、昼と夜で友宮邸の監視をしてもらっていた。結果、友宮邸は人間はおろか、ネズミ一匹、虫一匹確認できなかったらしい。
それどころか、試しに小石を敷地内に落とさせてみたが、小石は見えない障壁にでも阻まれたように弾け飛んだということだった。空中からの侵入も不可能ということが分かった。
これだけの鉄壁振りを見せられては、結城も依頼を果たせるのか、心に大きな不安が鎌首をもたげてくる。
「ユウキ、どんな難攻不落の城塞といえども、絶対の無敵というわけではありません。必ずどこかに弱点が存在します。それを見出し、一気呵成に攻めるのが肝要なのです。勝利を信じて勝機を探らねば、どんな戦でも勝てませんよ?」
アテナは隣席に座る結城の髪にそっと手を添えた。
「もし不安に思うなら、まずその不安に打ち勝ちなさい。あなたは私が見込んだ戦士です。身の内の戦であろうと、外の戦であろうと恐れることはありません。この私がついているのですから」
「……」
いつもながら、アテナの言葉は迷う結城の心に深く入り込み、その奥にある熱い何かを刺激する。
(確かに、そうかも)
不安に思うようなら、それはすでに気持ちで負けている。どうであれ、必ず結果は出る。その時を迎えるまで全身全霊で挑まなければ、あとに残るのは後悔だけだ。ならば、不安がっている暇などない。
「ありがとう、アテナ様」
その返答に、アテナは満面の笑みを浮かべ、結城の頭を優しく撫でた。
「と、いうわけでクキ。あなたはお会計だけを済ませて早く職場に復帰なさい」
結城に向けていた女神スマイルから一転、まるで毒虫を見るような目を九木に向けるアテナ。おまけに手で羽虫を払う仕草まで付いてくる。
「って、温度差ひどくないですか! 小林くんと扱いがエラい違うんですけど!」
「ああ。そういえば、あなたは資料課の所属でしたから帰っても別段やることはありませんね」
「ふぉっ! ふ、塞がりかけていた傷を……ま、まぁオレもこれ以上ダメージ受けたくないんで帰りますけど、その前にオレからの情報を―――え、媛寿ちゃん、その、ストローで冷たい息吹きかけるのやめて」
持ってきていた鞄から何かを取り出そうとする九木だが、媛寿がストローで顔に息を吹き付けてくるので目を開けていられない。まだ九木の失言を根に持っているようだ。
「これ、頼まれてたヤツですよ。佐権院警視から預かってきました」
九木はそう言ってA4サイズの茶封筒を差し出した。
「その言いようから察するに、あなた程度ではこれを揃えられなかったということですね、クキ?」
「ふぐっ! い、いや決してそうじゃなくって……単に警視に頼んだ方が早かっただけですよ。うん、ただそれだけ……」
「ふ~ん、まぁ良いでしょう。手に入ったなら特に問題ありません」
手渡された封筒の中身は、以前、九木刑事に頼んでいたものだと結城は確信していたが、その内容については理解しきれないものがあった。いや、正確に言えば、それが指し示す作戦は思い当たるが、やはり知略の女神に似つかわしくないように感じられた。
「それと小林くん。例の銀行強盗のことなんだけど―」
「っ!」
その話題を出されると、結城はなぜか居心地が悪くなった。別に彼自身が何かしたわけでもないし、悪いことをしたわけでもないのだが、突かれると謎の焦燥感で体が強張ってしまう。
「あ、アの人たチがなにカ?」
もうバレてしまっているので誤魔化す必要もないが、口と喉が硬直して結城は言葉がカクカクしてしまう。もっとも、緊迫しているのは結城だけで、当の原因である座敷童子と戦女神は何事もないようにドリンクバーのおかわりを飲んでいる。
「別にそのことでしょっぴいたりしないから、気にしないでいいよ。それよりもあの犯人たちの事情聴取に割り込んでみたんだけどさ―」
そこまで言って九木は両眉の先を狭めて目を細めた。こういう表情の時、彼は非常に真面目な話をしてくる。
「『なんで街一番の豪邸じゃなくて小っさい銀行にしたんだ?』って聞いたら、あいつらは友宮邸そのものを認識していなかったらしい」
「!? それってどういう―」
「あの二人組は県外から来た流れの強盗だった。つまり外から来た人間、以前から友宮邸を知らない奴には存在さえ感知されないってことみたいだ」
「……」
「どうやら友宮はシャレにならないくらい凄い力を隠し持ってるな。んじゃ小林くん、健闘を祈るぜ」
情報を全て伝え終えると、九木はそそくさと会計に向かい、足早にファミレスを出て行った。
新たに加わった情報に、結城は戦慄していた。媛寿が力を使っては入れなかったというのも充分に大事だったが、この上、人間の認識力も偏向させてしまう力は、明らかに常軌を逸していた。
これまで常識外の難敵に幾つも出会ってきた結城でも、今回は輪をかけて一筋縄でいかない予感が湧き立っていた。
「ユウキ、先程も言いましたが、恐れる必要は微塵もありませんよ? 私がニホンに来て以降、トロイア戦争以上に面倒な事態など、今だかつてありません。あなた自身を信じ、足を踏みしめて進むなら、私はあなたに勝利を約束しましょう」
静かな闘志がこもった声で告げながら、アテナは巨峰のフレーバーティーをゆっくりと呷った。
「ゆうき! ゆうきもえんじゅといっしょにあの家にラクガキする!」
傍らに戻った媛寿もフィンガースティックを高らかに掲げて檄を飛ばす。結城を見つめるその目には、一度目の敗北の色はもうない。
不安を払拭した結城もまた、今さらどんな難題が増えようと、怖気づく気などさらさらない。
「うん! やろう!」
依頼達成への決意を新たに、結城は表情筋をキリッと引き締めた。
「では早速帰って『これ』を精査し、明日には第二作戦を実施しま……ユウキ、一つ用事を思い出したので『これ』を持って先に帰っていてください」
アテナはA4封筒を結城に手渡し、椅子から勢いよく立ち上がった。その目と表情は、戦闘で見せる彼女の様子よりも険しくなっている。
「何か思い当たったことがあるんですか、アテナ様!」
友宮邸への潜入について重要なことがわかったのかと、結城は身を乗り出す。が、
「……不死屋のチーズケーキ」
「へ?」
「不死屋のチーズケーキのことを忘れて帰りましたね、クキ!」
予想と180度違った回答に、結城は引き締めていた表情が一気に緩んだ。
そういえば九木の言った悪口を許す代わりに、不死屋のチーズケーキを奢るように要求していたのを思い出した。
「クキを追撃して不死屋の前まで引き摺ってやります!」
被っていたベレー帽を媛寿の頭に載せ、アテナはやや乱暴に扉を開けてファミレスを出た。
結城は窓ガラス越しに外に出たアテナを見ていたが、軽く屈伸運動をした後、残像と空気の破裂音を残してダッシュしていった戦女神に唖然となってしまった。
(マンガでああいう『加速なんちゃらっ』ってあったな。いや、アメコミヒーローかな)
おそらく九木は肛門科に行く前にもう一つ、女神のお仕置きを受けることになるだろう。帰るように促したのはアテナだったように思うが、チーズケーキのことを忘れたのは九木の落ち度なので、裁定は微妙なところだ。同情した方がいいのか、しないでもいいのか、結城には判断しかねた。
それよりも封筒の中身の方が気になった。アテナが要求したのは刺松市の市街地の地図と、その下を通る電気や上下水道のライフライン敷設図。あとは地下鉄の地図と地質に関する様々なデータだった。
(これを使うってことは……)
「ゆうき~、まえみえない~」
シリアスな思考を巡らせていた結城の耳に、顔にぶかぶかのベレー帽が被さったせいで前後不覚になった媛寿の声が入ってきた。
もう少し考えていたかったが、前が見えずにパタパタと伸ばした手を振る媛寿をそのままにしておくのもかわいそうなので、頭に載ったベレー帽を取ってやる。
「ふはっ。ゆうき、ありがと~」
「どういたしまして」
結城はもう一度封筒に目を戻すが、再度考えを巡らせることはしなかった。アテナの意図するところは分かりかねるが、知略の女神が立てる作戦なら、それを信じてみようと思った。
必ず依頼を達成させる。
結城は友宮が持つなにものかに勝利するイメージをより強固にした。
ちなみにアテナはほんの二十分足らずでファミレスに戻ってきた。その手にはチーズケーキのホールサイズを入れた不死屋のビニール袋が提げられていたが、後で九木に聞いてみたところ、西部劇の馬で引き摺り回される処刑を味わったと語っていた。
ようやく尻と股間のダメージから回復してきた九木だったが、まだ全快したとはいえないので、鈍痛の続く臀部を軽く擦る。
「ホントに大丈夫ですか、九木刑事?」
「だ、大丈夫、大丈夫。オレのことは気にしないでメシ食べてよ」
平静を装ってはいるが、密かに『後で肛門科と泌尿器科に寄っとこう』と九木は思っていた。
「え、媛寿ちゃんもアテナ様も追加注文あるならどうぞっ。ねっ?」
ダメージの原因となった座敷童子と戦女神は、未だに九木を訝しげな目でジッと見つめている。これ以上お仕置きを受けるのは避けたいので、九木は二人の機嫌も取っておく。
(ファミレスは経費で落とせても、不死屋のチーズケーキは無理だろうな~。トホホ~)
文字通り口が災いの元になってしまったので、九木は心の中で後悔に暮れていた。家神と戦女神を相手にしては、壁に耳あり程度では済まない。
「私とエンジュに無礼な発言をして、むしろこの程度で済んだことを喜ぶべきですよ、クキ。まだ経費に回すのは許しているのですから」
「ちょっ! 心の呟きにまで応えないでくださいよ!」
「前にも言いましたが、下種の考えていることなど読むまでもなく分かります。あなたの底が浅いという証拠でもあるのですよ」
「うぐっ、またオレのこと下種って……しかも底が浅いって」
「ちなみにケーキのサイズはホールでお願いします。帰って皆で食べます」
「ごはっ!」
今度は度重なる精神的ダメージでテーブルに突っ伏す九木。その様子を見て、発言には充分に気を付けようと心に決める結城だった。
「と、ところで小林くん。そろそろ話を始めてもいいかな?」
「えっ? ああ、そうでしたね」
そもそもこのファミレスに来たのは今回の依頼に関しての情報交換が目的だった。あまりに珍妙な騒動が続いてしまったので、結城もすっかり忘れかけていた。
「あの友宮って家なんですけど、正直、僕もワケが分からなくなってきました」
「? どゆこと?」
「媛寿の力で入れなかったんですよ」
「!?」
結城の一言に、九木はここまでで一番驚いたという顔をした。
「えっ、なに!? 家神の座敷童子が家に入れなかったっての!? なんだよソレ! そんなの恥以外の何物でも―――」
「ちょっ! 九木刑事!」
結城に制止され、九木は滑りそうになった口を慌てて手で覆った。何とか全部を言わずに済んだものの、当の媛寿はストローで空気を吹き込んで、コップの中のメロンソーダをボコボコと泡立てていた。もちろん、ものすごく機嫌が悪そうな顔である。
実際、座敷童子である媛寿にとって、今回の潜入失敗は大いにプライドが傷ついたらしい。今はまだ元気になった方だが、ここ数日間は媛寿の仕掛けてくるイタズラが少しレベルアップしていた。どうやら精神安定を保つためだったようだ。
ある時は寝ようとした結城の布団の中にエイリアンの等身大フィギュア(媛寿の私物)が入れてあったり、ある時は朝の食卓にいつの間にか『シェー』のポーズをした河童のミイラ(物置の奥にあった)が置いてあったりといった始末だった。
彼女のイタズラには多少慣れているとはいえ、結城もそんな状態の媛寿が心配になってきた。話をしてみたところ、『ぜっったいあの家のカベにラクガキしてやるっ!』と意気込んでいたので、落ち込んではいないが深く触れないようにしようと考えていた。
方向性は昏いが、とりあえず媛寿は元気ではある。その代わり、下手に刺激すると通常の1.5倍のイタズラを仕掛けられる状態だった。ちなみに結城の当者比である。
「オ、オホン! と、とりあえず『僕の』考えた作戦は失敗してしまったので……」
あくまで媛寿のせいではなく、『僕の』というところを強調して結城は話を進める。
「次はアテナ様の考えた作戦で友宮邸に潜入することになりました」
「ふふふ、知略の女神の実力、とくとご覧に入れて差し上げましょう」
結城の言葉に乗っかる形で、口元を紙ナフキンで拭いていたアテナが続けた。チーズケーキを平らげ、すっかりご満悦の様子だった。
「けど媛寿ちゃんで入れなかった家にどうやって入るって言うんで―――ぐおっ、ちょっ、媛寿ちゃん! 待って! 今のナシ! ナシ!」
また不意に出てしまった言葉に反応し、媛寿はどこからか取り出した人差し指のオブジェの付いた棒、いわゆるフィンガースティックで九木の頬をグイグイと押していた。ちょっぴり涙目でふくれっ面になっている。
「確かに。マスクマンが動物たちに調べてもらった限りでも、入り込むのはかなり難しそうでしたけど……」
失言はともかく、九木の意見ももっともだった。結城は媛寿と付き合いが長い分、彼女の能力の凄さも知っている。多少の封印が施されていようとも、外からならば座敷童子は屋内へ入り込むことができるはずだった。その媛寿が入れなかったとあっては、友宮邸は並みの屋敷ではない。
さらにマスクマンが懇意にしている動物たちに調べさせた情報も、潜入の難易度を引き上げるものだった。古屋敷の近くに住んでいるカラスとフクロウに協力してもらい、昼と夜で友宮邸の監視をしてもらっていた。結果、友宮邸は人間はおろか、ネズミ一匹、虫一匹確認できなかったらしい。
それどころか、試しに小石を敷地内に落とさせてみたが、小石は見えない障壁にでも阻まれたように弾け飛んだということだった。空中からの侵入も不可能ということが分かった。
これだけの鉄壁振りを見せられては、結城も依頼を果たせるのか、心に大きな不安が鎌首をもたげてくる。
「ユウキ、どんな難攻不落の城塞といえども、絶対の無敵というわけではありません。必ずどこかに弱点が存在します。それを見出し、一気呵成に攻めるのが肝要なのです。勝利を信じて勝機を探らねば、どんな戦でも勝てませんよ?」
アテナは隣席に座る結城の髪にそっと手を添えた。
「もし不安に思うなら、まずその不安に打ち勝ちなさい。あなたは私が見込んだ戦士です。身の内の戦であろうと、外の戦であろうと恐れることはありません。この私がついているのですから」
「……」
いつもながら、アテナの言葉は迷う結城の心に深く入り込み、その奥にある熱い何かを刺激する。
(確かに、そうかも)
不安に思うようなら、それはすでに気持ちで負けている。どうであれ、必ず結果は出る。その時を迎えるまで全身全霊で挑まなければ、あとに残るのは後悔だけだ。ならば、不安がっている暇などない。
「ありがとう、アテナ様」
その返答に、アテナは満面の笑みを浮かべ、結城の頭を優しく撫でた。
「と、いうわけでクキ。あなたはお会計だけを済ませて早く職場に復帰なさい」
結城に向けていた女神スマイルから一転、まるで毒虫を見るような目を九木に向けるアテナ。おまけに手で羽虫を払う仕草まで付いてくる。
「って、温度差ひどくないですか! 小林くんと扱いがエラい違うんですけど!」
「ああ。そういえば、あなたは資料課の所属でしたから帰っても別段やることはありませんね」
「ふぉっ! ふ、塞がりかけていた傷を……ま、まぁオレもこれ以上ダメージ受けたくないんで帰りますけど、その前にオレからの情報を―――え、媛寿ちゃん、その、ストローで冷たい息吹きかけるのやめて」
持ってきていた鞄から何かを取り出そうとする九木だが、媛寿がストローで顔に息を吹き付けてくるので目を開けていられない。まだ九木の失言を根に持っているようだ。
「これ、頼まれてたヤツですよ。佐権院警視から預かってきました」
九木はそう言ってA4サイズの茶封筒を差し出した。
「その言いようから察するに、あなた程度ではこれを揃えられなかったということですね、クキ?」
「ふぐっ! い、いや決してそうじゃなくって……単に警視に頼んだ方が早かっただけですよ。うん、ただそれだけ……」
「ふ~ん、まぁ良いでしょう。手に入ったなら特に問題ありません」
手渡された封筒の中身は、以前、九木刑事に頼んでいたものだと結城は確信していたが、その内容については理解しきれないものがあった。いや、正確に言えば、それが指し示す作戦は思い当たるが、やはり知略の女神に似つかわしくないように感じられた。
「それと小林くん。例の銀行強盗のことなんだけど―」
「っ!」
その話題を出されると、結城はなぜか居心地が悪くなった。別に彼自身が何かしたわけでもないし、悪いことをしたわけでもないのだが、突かれると謎の焦燥感で体が強張ってしまう。
「あ、アの人たチがなにカ?」
もうバレてしまっているので誤魔化す必要もないが、口と喉が硬直して結城は言葉がカクカクしてしまう。もっとも、緊迫しているのは結城だけで、当の原因である座敷童子と戦女神は何事もないようにドリンクバーのおかわりを飲んでいる。
「別にそのことでしょっぴいたりしないから、気にしないでいいよ。それよりもあの犯人たちの事情聴取に割り込んでみたんだけどさ―」
そこまで言って九木は両眉の先を狭めて目を細めた。こういう表情の時、彼は非常に真面目な話をしてくる。
「『なんで街一番の豪邸じゃなくて小っさい銀行にしたんだ?』って聞いたら、あいつらは友宮邸そのものを認識していなかったらしい」
「!? それってどういう―」
「あの二人組は県外から来た流れの強盗だった。つまり外から来た人間、以前から友宮邸を知らない奴には存在さえ感知されないってことみたいだ」
「……」
「どうやら友宮はシャレにならないくらい凄い力を隠し持ってるな。んじゃ小林くん、健闘を祈るぜ」
情報を全て伝え終えると、九木はそそくさと会計に向かい、足早にファミレスを出て行った。
新たに加わった情報に、結城は戦慄していた。媛寿が力を使っては入れなかったというのも充分に大事だったが、この上、人間の認識力も偏向させてしまう力は、明らかに常軌を逸していた。
これまで常識外の難敵に幾つも出会ってきた結城でも、今回は輪をかけて一筋縄でいかない予感が湧き立っていた。
「ユウキ、先程も言いましたが、恐れる必要は微塵もありませんよ? 私がニホンに来て以降、トロイア戦争以上に面倒な事態など、今だかつてありません。あなた自身を信じ、足を踏みしめて進むなら、私はあなたに勝利を約束しましょう」
静かな闘志がこもった声で告げながら、アテナは巨峰のフレーバーティーをゆっくりと呷った。
「ゆうき! ゆうきもえんじゅといっしょにあの家にラクガキする!」
傍らに戻った媛寿もフィンガースティックを高らかに掲げて檄を飛ばす。結城を見つめるその目には、一度目の敗北の色はもうない。
不安を払拭した結城もまた、今さらどんな難題が増えようと、怖気づく気などさらさらない。
「うん! やろう!」
依頼達成への決意を新たに、結城は表情筋をキリッと引き締めた。
「では早速帰って『これ』を精査し、明日には第二作戦を実施しま……ユウキ、一つ用事を思い出したので『これ』を持って先に帰っていてください」
アテナはA4封筒を結城に手渡し、椅子から勢いよく立ち上がった。その目と表情は、戦闘で見せる彼女の様子よりも険しくなっている。
「何か思い当たったことがあるんですか、アテナ様!」
友宮邸への潜入について重要なことがわかったのかと、結城は身を乗り出す。が、
「……不死屋のチーズケーキ」
「へ?」
「不死屋のチーズケーキのことを忘れて帰りましたね、クキ!」
予想と180度違った回答に、結城は引き締めていた表情が一気に緩んだ。
そういえば九木の言った悪口を許す代わりに、不死屋のチーズケーキを奢るように要求していたのを思い出した。
「クキを追撃して不死屋の前まで引き摺ってやります!」
被っていたベレー帽を媛寿の頭に載せ、アテナはやや乱暴に扉を開けてファミレスを出た。
結城は窓ガラス越しに外に出たアテナを見ていたが、軽く屈伸運動をした後、残像と空気の破裂音を残してダッシュしていった戦女神に唖然となってしまった。
(マンガでああいう『加速なんちゃらっ』ってあったな。いや、アメコミヒーローかな)
おそらく九木は肛門科に行く前にもう一つ、女神のお仕置きを受けることになるだろう。帰るように促したのはアテナだったように思うが、チーズケーキのことを忘れたのは九木の落ち度なので、裁定は微妙なところだ。同情した方がいいのか、しないでもいいのか、結城には判断しかねた。
それよりも封筒の中身の方が気になった。アテナが要求したのは刺松市の市街地の地図と、その下を通る電気や上下水道のライフライン敷設図。あとは地下鉄の地図と地質に関する様々なデータだった。
(これを使うってことは……)
「ゆうき~、まえみえない~」
シリアスな思考を巡らせていた結城の耳に、顔にぶかぶかのベレー帽が被さったせいで前後不覚になった媛寿の声が入ってきた。
もう少し考えていたかったが、前が見えずにパタパタと伸ばした手を振る媛寿をそのままにしておくのもかわいそうなので、頭に載ったベレー帽を取ってやる。
「ふはっ。ゆうき、ありがと~」
「どういたしまして」
結城はもう一度封筒に目を戻すが、再度考えを巡らせることはしなかった。アテナの意図するところは分かりかねるが、知略の女神が立てる作戦なら、それを信じてみようと思った。
必ず依頼を達成させる。
結城は友宮が持つなにものかに勝利するイメージをより強固にした。
ちなみにアテナはほんの二十分足らずでファミレスに戻ってきた。その手にはチーズケーキのホールサイズを入れた不死屋のビニール袋が提げられていたが、後で九木に聞いてみたところ、西部劇の馬で引き摺り回される処刑を味わったと語っていた。
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