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友宮の守護者編

一本の電話

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谷崎町の外れにある山奥には、人が滅多に辿り着けない古い屋敷があると噂になっている。奇妙な出来事に見舞われたり、奇妙な困り事を抱える者がそこへ行くと、屋敷の住人が助けてくれる。いつの頃からか囁かれている噂話だった。
 人の噂も七十五日とはよく言うが、なぜかこの噂は隣町からさらに隣の町まで広がり続けている。
 時々、興味本位の都市伝説マニアやヨーチューバーが噂を確かめるため、山奥に入ることはあるが、なぜか巨大猪に追いかけられたり、巨大な岩が降ってきて押し潰されそうになったり、碌な目に遭わずに帰ってくる。奇抜な仮面を付けた怪人に出くわしたという者もいれば、山刀と鎌を携えたメイドに身ぐるみ剥がされたという者までいる。
 かと思えば、遭難して困り果てていたところ、古い屋敷に招かれ、食事をご馳走になって気が付いたら麓に戻っていたという話まである。その時に奇妙な住人たちに会った気がするが、どんな者たちかは大概の人間が憶えていない。
 真偽も定かではない内容が跋扈する噂話にあって、谷崎町の古屋敷は輪をかけて荒唐無稽さが目立っていた。
 ただ、知っている者に限っては、それは仕方のないことだと言う。
 なぜなら、その古屋敷に住んでいるのは、奇妙な縁に導かれて集まった、とても奇妙な組み合わせの住人たちなのだから。

 その日の天気は晴れ。山々の清涼な空気は、暖かな陽光によく似合う。外に出て深呼吸したあと、ラジオ体操でもすれば、さぞ心地良いだろう。
 そんな気持ちの良い朝にあって、座敷童子の媛寿は難しい顔で唸っていた。
 朝食が済み、腹もこなれたところで、古屋敷の住人たちは居間に集まってお茶を飲んでいた。短剣の化身であるシロガネが出すお茶は、日本茶も紅茶も両方あるが、今日は日本茶だった。大人用湯飲みが三つと、子ども用湯飲みが一つ。熱いお茶が注がれ、それぞれが澄んだ湯気を楽しみながら飲んでいる。
 煌く金髪をなびかせる女神アテナは当初、自分の知っているお茶とはまるで違う日本茶に驚いていたが、今は日本特有の苦みをあえて美味とするお茶に慣れ親しんでいた。
 仮面に宿った精霊・マスクマンは好物のココナッツミルクをお茶によく入れるが、日本茶には今ひとつだったので、薬膳の一種として日本茶だけはストレートで飲むことにしていた。
 そんな中、お茶を楽しむ一時にあって媛寿は何事か悩んでいた。時刻は朝9時半。もうすぐ媛寿が贔屓にしている短パンマンの再放送がある時間だ。いつもなら30分前にはソワソワしているはずだが、今日は腕を組み、首を傾げ、悩み唸っている。
 ただ事ではない。アテナ、マスクマン、シロガネは一様にそう思った。
「いったい何を悩んでいるのですか、エンジュ?」
 切り出したのはアテナだった。彼女も媛寿とは付き合いが長い。普段から無邪気に元気良く振舞っている媛寿がこれほど考え込んでいるのは、よほどの理由があるのだろうと思っていた。
「う~ん、わかんないの」
「分からない?」
「うん。わかんないことがあるの、あてな様」
 疑問や悩みとは関わりがないような媛寿が、分からないことがあるからと悩んでいることに、アテナは驚いた。
 座敷童子である彼女はその容姿に違わず、性格がとても子どもである。しかし、それなりに長く生きているので、見識はそこそこ持っており、見境なく奔放なわけではない。普段は何も考えていないように見えて、やはり考えることはあるということかもしれない。
「よろしい。では、この知の女神アテナがどのような疑問にもお答えしましょう。どんとお任せなさい」
 アテナは形の良い胸を張り、そこに右手を当てて鼻を鳴らした。自信満々である。
 ギリシャ神話最強の戦女神アテナは、同時に知恵の女神でもある。古今東西、あらゆるジャンルの知識に精通し、日本に出張して来てからも、バザーの古本市やBOOK・OZの100円図書コーナーで書籍を入手し、幅を広げ続けている。ならば、解決できない問題などあるはずがない。戦闘力は全盛期の10分の1まで落ちてしまっているが、こと知略に関して言えば、未だケルトの英雄フィン・マックール以上と自負していた。
「それで、何をそこまで思い悩むのです?」
「ゆうきのこと・・・」
「ユウキの?」
 二人が言う人物は、屋敷の一応の所有者となっている小林結城のことだ。彼の持つ奇妙な縁があったからこそ、媛寿は駄菓子の詰め合わせダンボールに入って彼と出会い、アテナは出張先を探していたところをチーズケーキに釣られて守護神となった。マスクマンもシロガネも同様である。
 結城は今、朝食後に警察から拾得物の保管期間が過ぎたので、受け取りに来て欲しいと電話があり、不在にしている。座敷童子に憑かれているせいか、彼は何かと道を歩いていれば、変な物を拾うことが多かった。大抵は警察に届け、落とし主が現れたら1割をもらい、現れなければそのまま拾得物として収めていた。
 結城と媛寿は一番最初に出会ったので、他の三人に比べて付き合いも長い。今さら分からないことがあるとも思えないのだが。
「ゆうき、おやつ隠してた。ねてるとき」
「おやつ?」
 媛寿の好物が菓子であることはアテナも知っているが、眠っている時に結城が菓子を隠しているというのはイメージが繋がらなかった。
 しかし、睡眠時のことに関して言えば思い当たることはあった。
 結城は気付いていないが、媛寿は夜の間は彼の布団に潜り込んで眠っているのだ。東北出身の媛寿は無意識に暖を取ろうとする癖がある。最初の頃は他の住人の寝床に潜り込んでいたが、かなり相性にムラがあった。アテナの場合は眠っている間に媛寿が胸を思い切り吸ってきたということで却下された。マスクマンの元に行った時は寝相がかなり悪く、手や足が飛んできて仮面を割られそうになったらしい。シロガネの寝床にはそもそも行っていない。その頃のシロガネは百合モノの小説にハマっていたので、行っていたら何をされたか分からない。
 結局、結城との相性が一番良かった。夏場以外はいつも彼が寝静まったあたりで潜り込み、起きる前には出て行っているので当人だけが気付いていなかった。
 眠っている結城について、媛寿が知っているのは道理だが、菓子を隠しているという意味は分からなかった。
「ユウキがいったい何を隠していると?」
「『チュウチュウペット』」
 古屋敷の住人が皆、夏場にお世話になっているビニールチューブに入ったジュースを凍らせて食べる氷菓子である。
「どこに?」
「ズボンのなか」
「い、いつ頃?」
「あさ起きるまえ」
 場の空気の方が凍りついた。
「ゆうき、ズボンにかくしてて、取ろうとしたらおっきな声だしてビックリした」
 今朝は全員が結城の『ウォゥッチャアァ!』という叫び声を目覚ましに起きたが、どうやらそれが原因だったらしい。
 知の女神アテナはもちろん保健体育も修めているが、これはおいそれとは言えない。
「媛寿」
 それまで黙って話を聞いていたシロガネが媛寿の肩に手を置いた。いつも通りの無表情だが、目は興奮に爛々と輝いている。
 マスクマンは乱痴気騒ぎになりそうな気配を直感で察したので、少しずつ三人から距離を取り始めた。
「次に『チュウチュウペット』見つけたら、擦る。そうしたら」
「そしたら?」
「『ガルピス』、出る」
「ホント!?」
 アテナの頭頂から水蒸気が弾け、マスクマンは一目散に逃げた。ちなみに『ガルピス』は某有名飲料メーカーの看板ヒット商品である。濃厚な白色をしている。
「思い切り掴んでは、だめ。優しく擦れば、出る」
 シロガネは妙にいやらしい手つきで媛寿に指南を始めている。長年使われ続けた短剣が化身した彼女ではあるが、なぜかこういう方面に異様に食いついてくる。ヨーロッパ書院ガールズ文庫愛読者ゆえかもしれない。
「なっ!? シ、シロガネ! なんということを教えていますかぁ!」
「アテナ様が教えられないなら、ワタシが教える。コッチは、得意」
「くぅっ!」
 アテナは歯噛みした。手にしている湯飲みが握力で壊れそうになっている。
 他人に裸を見られても特に動じることのない彼女だが、色っぽい話になると滅法弱かった。知恵と戦いの女神アテナ。ギリシャ三大『処女』神の一柱である。
「そ、そもそもエンジュはまだ子どもです! そういった話はまだ時期尚早と―」
「媛寿も、長く生きてる。人間なら、とっくに大人」
「えんじゅ、子どもじゃないもん!」
「子どもじゃないという方が子どもです!」
 いよいよ居間が騒ぎになってきた。廊下に脱出したマスクマンはお茶が冷めてしまうが、自室で飲もうと湯飲みを持ったまま歩いていこうとした。
 そこへ玄関に置いてあった電話が鳴った。屋敷はかなり古いが、ある程度のライフラインが生きており、電話線も奇跡的に繋がっていた。もはや骨董品とも言えるダイヤル式の黒電話だったが。
「Hello」
 マスクマンは受話器を取って応対した。彼は大昔に現世から精霊世界に還った古いタイプの精霊だった。失われた言語で話すが、意思疎通はできる。ただし、それは目の前にいる相手に限定されるので、電話などを取る時は英語を用いていた。故郷から各地を転々としたので、彼は他言語にも堪能だった。
「What?」
 電話の相手が話した内容に、マスクマンは大いに驚いた。すぐに踵を返して居間に戻り、まだ騒ぎ立てている女傑たちに大声で告げる。
「H£1C●55↓(訳:おい! 結城が警察に捕まったぞ!)」
 女傑たちは寝耳に水といった表情で固まってしまった。
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