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第四部
来年の約束を。
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朝は家族で、と言われていたのに、見事に抱き潰された僕は、アヤメさんの無言の圧力に逆らえないまま大人しく髪をセットされていた。
「……はい、出来ましたよ」
「……ありがとうございます」
昨日の今日でスーツを駄目にしました、なんてだらしないにもほどがある。鏡に映るアヤメさんを伺うように見れば「何か?」と微笑まれ、思わず「いえ」と返してから視線を手元に戻した。
「アヤメ、終わった?」
相も変わらず、ノックもせず入ってきたユーリに、アヤメさんがため息をつく。
「ユーリさん」
「何」
「何、じゃありません。いくらパーティーがお昼からだとしても、限度というものが」
「無理。リヒトが可愛すぎるから」
またいつもの屁理屈を言ってから、ユーリが鏡に映る僕に視線をやる。昨日と変わらない姿で映るユーリは、少しだけ僕の知らない人に見える。似合っているとは思うのだけど。
「首、なんで隠してんの」
ユーリが襟あたりを指先でいじりつつ、鏡越しにアヤメさんを見やる。僕としては、隠れているほうが落ち着くから、アヤメさんには感謝している。
「ユーリさんのせいじゃありません?」
「折角マーキングしたのに」
「限度をですね……」
ため息を零すアヤメさんに、僕から「こっちのが助かります」と助け舟を出して、椅子から立ち上がる。まだユーリは口を尖らせたままだっただけれど、諦めたのか、仕方なしに僕の手を取って部屋を出た。
昨夜のレストランで立食パーティーらしく、昨日よりもたくさん人がいるな、なんて思いながら、ユーリの隣に立って引きつった笑みで客人を迎える。左手を僕の腰に回し、右手でグラスを持ちながら立つ姿は、本当に様になっている。
本音を言えば、隅で目立たないようにしていたいし、なんならパーティーも出たくはない。と同時に、ユーリは幼い時から、いや、前世は王子だとお城に連れてこられた時から、こんなことをしているのかと思うと、言葉に出来ない感情が湧き上がる。
「疲れた?」
「え?」
顔を覗き込まれ、僕は慌てて「ううん」と手を振って返す。けれどユーリにはやっぱりバレてたみたいで、お客人に適当なことを言いながら笑うと、隅まで僕を連れてきてくれた。
「大丈夫?」
ユーリは僕の手からグラスを受け取って、近くを通りかかった人のトレイに乗せる。
「うん……。折角の誕生日なのにごめん」
「リヒトのせいじゃないし、なんなら一番に祝ってくれたからいいよ」
そう言って、ユーリが僕の額に唇を寄せる。本当はそこじゃないとこがよかった、なんて言えるはずもないから、額をユーリの胸に押しつけるようにして、
「……来年は」
と小さく呟く。
「ん?」
どんなに周囲が煩くても、ユーリは僕の声を聞き逃したりはしない。多少聞こえづらくても、必ず少しだけ屈んで、覗き込むようにして、聞こうとしてくれる。それが堪らなく嬉しい。
赤い顔を見られたくなくて、顔を埋めたままで、皺になるのも構わずにユーリのジャケットを強く握りしめる。
「来年は、一緒にお酒、飲も……?」
「いいね、それ。家でちょっと高いワイン開けよっか」
「ケーキも作りたい」
「俺はリヒトに生クリームつけたいな」
「それは嫌だ」
ユーリの提案を即却下して、二人で少しだけ笑いあう。それが本当に嬉しくて、楽しくて、これ以上の幸せはきっとないんだろうなと思う。
なのに、ユーリが少し険しい顔をして、ある方向を睨みつけたものだから、自然と僕もそっちを見ることになる。神宮さんが、すごい形相でこちらを見ていた。
「あ……」
ずき、とまた痛みだした頭を押さえると、ユーリが「リヒト」と右耳に軽く唇を寄せた。
「痛む? ごめんね、待っててくれる?」
「うん……」
本当は嫌だと言いたい。
でも、ユーリは僕のために話し合おうとしてくれている。なら僕が引き止めちゃ駄目だ。
離れていくユーリの熱が恋しくて、つい手を伸ばしたくなる。寸でのところで留まったけれど、本当は、本当は……。
二人は何かを話しているようだった。けれど急に響いたバシンッという小気味いい音に、僕を含めた客人たちの視線が二人へと集まる。神宮さんがユーリの頬を叩いたのだ。
「ちょっ……」
流石に僕も黙ってられなくて、二人の元へ歩み寄ろうとして、ぐいと後ろに腕を引かれ少しふらついた。何事かと振り返れば、ルノさんがグラス片手に、二人を楽しそうな目で見つめていた。
「何するんですか」
早く行かなきゃいけないのに。離せと言わんばかりに語気を強めて、若干睨んだのに、ルノさんはどこ吹く風で、グラスをカランと鳴らしてみせた。
「リヒトさんは未成年ですか?」
「こんな時に何言って」
「普段言えないことや、やれないことも、お酒のせいにすればいい。ま、分別のつく大人なら、時と場所は選ばないといけませんがね」
もう一度、カランと氷が鳴る。ルノさんを見れば、よくユーリが見せるあの意地悪な笑みを浮かべていた。
「……流石兄弟」
「アヤメにもよく言われます」
「同情しますよ、アヤメさんに」
グラスを受け取って、ひと口、ふた口飲んだところで、少しだけ世界がぐらついた。ルノさんにグラスを突っ返してから、僕は煩く騒ぎ立てる神宮さんの元へと足を進めた。
「……はい、出来ましたよ」
「……ありがとうございます」
昨日の今日でスーツを駄目にしました、なんてだらしないにもほどがある。鏡に映るアヤメさんを伺うように見れば「何か?」と微笑まれ、思わず「いえ」と返してから視線を手元に戻した。
「アヤメ、終わった?」
相も変わらず、ノックもせず入ってきたユーリに、アヤメさんがため息をつく。
「ユーリさん」
「何」
「何、じゃありません。いくらパーティーがお昼からだとしても、限度というものが」
「無理。リヒトが可愛すぎるから」
またいつもの屁理屈を言ってから、ユーリが鏡に映る僕に視線をやる。昨日と変わらない姿で映るユーリは、少しだけ僕の知らない人に見える。似合っているとは思うのだけど。
「首、なんで隠してんの」
ユーリが襟あたりを指先でいじりつつ、鏡越しにアヤメさんを見やる。僕としては、隠れているほうが落ち着くから、アヤメさんには感謝している。
「ユーリさんのせいじゃありません?」
「折角マーキングしたのに」
「限度をですね……」
ため息を零すアヤメさんに、僕から「こっちのが助かります」と助け舟を出して、椅子から立ち上がる。まだユーリは口を尖らせたままだっただけれど、諦めたのか、仕方なしに僕の手を取って部屋を出た。
昨夜のレストランで立食パーティーらしく、昨日よりもたくさん人がいるな、なんて思いながら、ユーリの隣に立って引きつった笑みで客人を迎える。左手を僕の腰に回し、右手でグラスを持ちながら立つ姿は、本当に様になっている。
本音を言えば、隅で目立たないようにしていたいし、なんならパーティーも出たくはない。と同時に、ユーリは幼い時から、いや、前世は王子だとお城に連れてこられた時から、こんなことをしているのかと思うと、言葉に出来ない感情が湧き上がる。
「疲れた?」
「え?」
顔を覗き込まれ、僕は慌てて「ううん」と手を振って返す。けれどユーリにはやっぱりバレてたみたいで、お客人に適当なことを言いながら笑うと、隅まで僕を連れてきてくれた。
「大丈夫?」
ユーリは僕の手からグラスを受け取って、近くを通りかかった人のトレイに乗せる。
「うん……。折角の誕生日なのにごめん」
「リヒトのせいじゃないし、なんなら一番に祝ってくれたからいいよ」
そう言って、ユーリが僕の額に唇を寄せる。本当はそこじゃないとこがよかった、なんて言えるはずもないから、額をユーリの胸に押しつけるようにして、
「……来年は」
と小さく呟く。
「ん?」
どんなに周囲が煩くても、ユーリは僕の声を聞き逃したりはしない。多少聞こえづらくても、必ず少しだけ屈んで、覗き込むようにして、聞こうとしてくれる。それが堪らなく嬉しい。
赤い顔を見られたくなくて、顔を埋めたままで、皺になるのも構わずにユーリのジャケットを強く握りしめる。
「来年は、一緒にお酒、飲も……?」
「いいね、それ。家でちょっと高いワイン開けよっか」
「ケーキも作りたい」
「俺はリヒトに生クリームつけたいな」
「それは嫌だ」
ユーリの提案を即却下して、二人で少しだけ笑いあう。それが本当に嬉しくて、楽しくて、これ以上の幸せはきっとないんだろうなと思う。
なのに、ユーリが少し険しい顔をして、ある方向を睨みつけたものだから、自然と僕もそっちを見ることになる。神宮さんが、すごい形相でこちらを見ていた。
「あ……」
ずき、とまた痛みだした頭を押さえると、ユーリが「リヒト」と右耳に軽く唇を寄せた。
「痛む? ごめんね、待っててくれる?」
「うん……」
本当は嫌だと言いたい。
でも、ユーリは僕のために話し合おうとしてくれている。なら僕が引き止めちゃ駄目だ。
離れていくユーリの熱が恋しくて、つい手を伸ばしたくなる。寸でのところで留まったけれど、本当は、本当は……。
二人は何かを話しているようだった。けれど急に響いたバシンッという小気味いい音に、僕を含めた客人たちの視線が二人へと集まる。神宮さんがユーリの頬を叩いたのだ。
「ちょっ……」
流石に僕も黙ってられなくて、二人の元へ歩み寄ろうとして、ぐいと後ろに腕を引かれ少しふらついた。何事かと振り返れば、ルノさんがグラス片手に、二人を楽しそうな目で見つめていた。
「何するんですか」
早く行かなきゃいけないのに。離せと言わんばかりに語気を強めて、若干睨んだのに、ルノさんはどこ吹く風で、グラスをカランと鳴らしてみせた。
「リヒトさんは未成年ですか?」
「こんな時に何言って」
「普段言えないことや、やれないことも、お酒のせいにすればいい。ま、分別のつく大人なら、時と場所は選ばないといけませんがね」
もう一度、カランと氷が鳴る。ルノさんを見れば、よくユーリが見せるあの意地悪な笑みを浮かべていた。
「……流石兄弟」
「アヤメにもよく言われます」
「同情しますよ、アヤメさんに」
グラスを受け取って、ひと口、ふた口飲んだところで、少しだけ世界がぐらついた。ルノさんにグラスを突っ返してから、僕は煩く騒ぎ立てる神宮さんの元へと足を進めた。
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