75 / 170
第三部
作る気もないけど
しおりを挟む
俺は夕方までびっしりと講義が入っている。リヒトは三コマ目の後、卒研の準備でゼミに行って、そのまま居酒屋バイトへ行ってしまう。
つまり今日は午後から一人だ。つまらない。
「あーーー、つまらない」
最後の講義が始まる前、隣に座るアヤメにも聞こえるように言えば、アヤメはまた呆れたため息を俺に送ってきた。
「お義父様との約束なのでしょう? でしたらもう少し真剣に……」
「やってるやってる。でもつまらんものはつまらん」
日本に帰る、と言った時、父親といくつか約束を交わした。そのうちのひとつが、講義をひとつも落とさずに卒業することだ。落とした時点で俺は実家に帰らなければならない。
アヤメはいわば、そう、俺のお目付け役として一緒に入学してきたに過ぎない。
「……一応、アヤメには悪いと思ってる」
「わたくしは構いませんよ。お二人が今度こそ幸せになってくれるのでしたら」
「じゃ、頑張ろっかな」
スマフォが震え、メッセージが入る。リヒトから『じゃ、行ってくるから』の文字に手早く返信して、スマフォを鞄に仕舞った。
「今日、バイト先行こっかな―」
「でしたら、わたくしもご一緒してもよろしくて?」
「御令嬢が行くとこじゃないよ」
「ユーリさんは意地悪ですね。そんなにリヒトさんの働いている姿を見せたくないのですか?」
教授が入ってきたため、小声で「そんなんじゃないよ」と返して、大学が終わったら居酒屋に行く約束を取り付ける。俺としてはそのまま一緒に帰りたいから、リヒトの終わる時間から逆算して行くつもりだった。
だから少し時間を潰してから行くつもりだったのに、気づけばいつの間にやら、十人近くの大所帯でボーリングをしてから行くことになっていた。
ワイワイガヤガヤと小煩い中、居酒屋の暖簾をくぐる。
「いらっしゃいま、せ……」
案内に来たリヒトが、俺を見てその動きを止めた。引きつった営業スマイルに『この大所帯はなんだ』と言われている気がしたけど、気にせずに「八人で」同じような営業スマイルで返した。
「でしたら奥のお座敷でよろしいですか?」
「はい、それで」
いつもは一人で来てカウンターに座るから、座敷に通されたのは初めてだ。
俺に続いて暖簾をくぐる名前も知らない同級生たちが「あ、四天先輩」だの「ここで働いてるんすか」だの気安く声をかけている。リヒトも邪険に扱うわけにもいかず「そうだよ」とやっすい笑顔で返している。
「ユーリさん、ユーリさん」
「何」
「リヒトさん、印象だいぶ変わりますのね」
「営業スマイルだよ、営業スマイル」
半ば自分に言い聞かせるようにして、通された座敷へと座った。なるべくリヒトの姿が見たいから、通路側になるようにして。
最初の飲み物を聞きに来たリヒトに対し、有象無象の奴らが「ビール」だの「梅酒」だのと好きなものを言っている。
「未成年にお酒は売らないよ。烏龍茶でいいかな」
「えー、先輩真面目っすね! じゃあ、コーラで!」
「四天先輩って彼女いますかー」
「先輩今日この後空いてますか!?」
「お持ち帰りってありっすか!」
こいつらマジで好き勝手言いやがって。
ビキビキと、テーブルの下で拳を震わせる。このままでは昭和の親父よろしく、テーブルを引っくり返してしまいそうだ。
そうして唇を震わせて耐えていると、カシャン、と音がしてリヒトがペンを落とした。
「あ、ごめんね」
「いや、いいですけど」
ペンを拾い上げて、屈んだリヒトに渡した。その際に手が触れ、指先を軽く絡められた。立ち上がったリヒトが「ごめんね」と有象無象に笑いかけて、
「彼女はいないかな。作る気もないよ。この後は、卒研関係のレポート提出が迫ってるから、それをしないといけないんだ。それと、うちはお持ち帰りしてないから」
と注文票に各々の飲み物を書き込んでいく。
手際のよさに見惚れていると、自分の飲み物を言うのを忘れていた。けれど運ばれてきた烏龍茶の氷多めに、俺は、ニヤける顔を抑えるのに必死だった。
つまり今日は午後から一人だ。つまらない。
「あーーー、つまらない」
最後の講義が始まる前、隣に座るアヤメにも聞こえるように言えば、アヤメはまた呆れたため息を俺に送ってきた。
「お義父様との約束なのでしょう? でしたらもう少し真剣に……」
「やってるやってる。でもつまらんものはつまらん」
日本に帰る、と言った時、父親といくつか約束を交わした。そのうちのひとつが、講義をひとつも落とさずに卒業することだ。落とした時点で俺は実家に帰らなければならない。
アヤメはいわば、そう、俺のお目付け役として一緒に入学してきたに過ぎない。
「……一応、アヤメには悪いと思ってる」
「わたくしは構いませんよ。お二人が今度こそ幸せになってくれるのでしたら」
「じゃ、頑張ろっかな」
スマフォが震え、メッセージが入る。リヒトから『じゃ、行ってくるから』の文字に手早く返信して、スマフォを鞄に仕舞った。
「今日、バイト先行こっかな―」
「でしたら、わたくしもご一緒してもよろしくて?」
「御令嬢が行くとこじゃないよ」
「ユーリさんは意地悪ですね。そんなにリヒトさんの働いている姿を見せたくないのですか?」
教授が入ってきたため、小声で「そんなんじゃないよ」と返して、大学が終わったら居酒屋に行く約束を取り付ける。俺としてはそのまま一緒に帰りたいから、リヒトの終わる時間から逆算して行くつもりだった。
だから少し時間を潰してから行くつもりだったのに、気づけばいつの間にやら、十人近くの大所帯でボーリングをしてから行くことになっていた。
ワイワイガヤガヤと小煩い中、居酒屋の暖簾をくぐる。
「いらっしゃいま、せ……」
案内に来たリヒトが、俺を見てその動きを止めた。引きつった営業スマイルに『この大所帯はなんだ』と言われている気がしたけど、気にせずに「八人で」同じような営業スマイルで返した。
「でしたら奥のお座敷でよろしいですか?」
「はい、それで」
いつもは一人で来てカウンターに座るから、座敷に通されたのは初めてだ。
俺に続いて暖簾をくぐる名前も知らない同級生たちが「あ、四天先輩」だの「ここで働いてるんすか」だの気安く声をかけている。リヒトも邪険に扱うわけにもいかず「そうだよ」とやっすい笑顔で返している。
「ユーリさん、ユーリさん」
「何」
「リヒトさん、印象だいぶ変わりますのね」
「営業スマイルだよ、営業スマイル」
半ば自分に言い聞かせるようにして、通された座敷へと座った。なるべくリヒトの姿が見たいから、通路側になるようにして。
最初の飲み物を聞きに来たリヒトに対し、有象無象の奴らが「ビール」だの「梅酒」だのと好きなものを言っている。
「未成年にお酒は売らないよ。烏龍茶でいいかな」
「えー、先輩真面目っすね! じゃあ、コーラで!」
「四天先輩って彼女いますかー」
「先輩今日この後空いてますか!?」
「お持ち帰りってありっすか!」
こいつらマジで好き勝手言いやがって。
ビキビキと、テーブルの下で拳を震わせる。このままでは昭和の親父よろしく、テーブルを引っくり返してしまいそうだ。
そうして唇を震わせて耐えていると、カシャン、と音がしてリヒトがペンを落とした。
「あ、ごめんね」
「いや、いいですけど」
ペンを拾い上げて、屈んだリヒトに渡した。その際に手が触れ、指先を軽く絡められた。立ち上がったリヒトが「ごめんね」と有象無象に笑いかけて、
「彼女はいないかな。作る気もないよ。この後は、卒研関係のレポート提出が迫ってるから、それをしないといけないんだ。それと、うちはお持ち帰りしてないから」
と注文票に各々の飲み物を書き込んでいく。
手際のよさに見惚れていると、自分の飲み物を言うのを忘れていた。けれど運ばれてきた烏龍茶の氷多めに、俺は、ニヤける顔を抑えるのに必死だった。
38
お気に入りに追加
548
あなたにおすすめの小説
告白
すずかけあおい
BL
「河原美桜くん。好きです」
クラスメイトの志波から人生初の告白をされた美桜は、志波のことを全然知らないからと断るが、なぜか「これからよろしくね」と言われて……。
〔攻め〕志波 高良(しば たから)高二
〔受け〕河原 美桜(かわはら みお)高二

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」


王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い

義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります。
※(3/14)ストック更新終わりました!幕間を挟みます。また本筋練り終わりましたら再開します。待っててくださいね♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます

傷だらけの僕は空をみる
猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。
生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。
諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。
身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。
ハッピーエンドです。
若干の胸くそが出てきます。
ちょっと痛い表現出てくるかもです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる