21 / 170
第一部
鮭弁当と梅酒
しおりを挟む
人がまばらのスーパーで、ユーリと二人、無言で奥のお弁当コーナーへ向かっていく。
同じような学生や、サラリーマン、それから数人の男女グループ。どこかの主婦が、見切りコーナーの野菜を手に取っては見比べたりもしていた。
「……」
種類のあまりなくなったお弁当コーナーで、僕は鮭がひと切れ乗った弁当を手にした。夜に鮭とは趣きも何もないが、半額シールの誘惑には勝てず、僕はそれを持ってレジへと向かう。
「リヒト」
「ん」
呼ばれて振り返る。
瞬間、弁当を引ったくるようにして奪われ、ユーリは無人のセルフレジへと持っていってしまった。そのままスマフォで清算を終え、箸を一膳分だけもらって、無言で外へと出ていく。
「ちょっと、ユーリ……!」
お金を渡そうと、鞄から財布を慌てて取り出そうとして、手が滑って財布ごと地面に落としてしまう。そして何より不運だったのは、財布が逃げるように転がり、近くの排水溝へ入ってしまったことだ。
「ああぁぁぁ」
情けない。年下に奢ってもらって、財布まで落として、しかもよりによって排水溝に入るなんて。
深いわけではなかったから、手を伸ばせば摘み上げれそうではあるけれど、この財布はもう使えそうにない。結構財布って高いんだけどな、なんて心の中で愚痴り、僕は屈もうとして、
「これ、持ってて」
とユーリから鮭弁当を渡された。
流れで受け取ってしまったが、あれ? これでは手が塞がってしまうではないか。ユーリに弁当を突っ返そうとして、彼が屈んで財布を拾い上げるのを見て、僕はお礼を言うのも忘れて「なんで」と呟いてしまう。
「なんでって……、リヒト、財布の中身ないと困るでしょ」
「そ、それはそうだけど。でもお前が拾う必要はないだろ?」
案の定ユーリの手は濡れているし、なんなら服の袖だって汚れてしまっている。しまいには財布から滴る少し臭う水が、ユーリのスラックスにまで広がっているのだから笑えない。
そんな状態なのに、ユーリは嫌な顔ひとつせず穏やかに笑っているものだから、僕はいたたまれなくなって、つい、
「とりあえず家に来い。洗濯、は無理でもタオルとシャワーくらい貸すから」
と言ってしまった。
ユーリが意外そうに目を見開いている。しまった、流石に引かれたかなと思ったけれど、ユーリは首をちょこんと傾げて「いいの?」と目を輝かせる。
違った意味で間違えたかも、と焦るが、言ってしまったものは仕方ない。
「……いいよ」
僕は鮭弁当を持ったまま、また家に向かって歩き出す。財布も返してもらおうとしたんだけど、手が汚れるからと言って、そこは譲ってくれなかった。
シャワー室から、水音が嫌というほど聞こえてくる。流石はボロアパート、防音なんて知ったこっちゃないと言わんばかりの壁の薄さだ。
家に帰った僕は、ユーリをすぐシャワー室へと追いやり、着ていた服を洗濯機へと放り込んだ。僕も一緒に、と言われたがそこは丁寧にお断りして、財布からカードやお金を取り出して、洗面台で適当に洗い流した。
それから鮭弁当を広げ、そこでお茶を買うのを忘れたことを思い出す。冷蔵庫に何かあったかなと立ち上がり見てみれば、梅酒が一本だけ入っていた。
「あー」
そういえば前、店長とお酒の話をしていたことがあった。飲んだことないんですよねと笑い、これやるよと渡されたものだ。
「いや、いやいや、流石にこれはない。ご飯食べるのに酒はないだろ」
鮭と酒だけに、なんて笑い話にもならない。
でもお酒の力は偉大だとも聞く。何か口走っても、お酒のせいにしてしまえばいいのではないか? いや、それは失礼にならないか?
何せ飲んだことがないため、自分が一体どうなるのかわからない。お客さんが酔っているのはそれなりに見てきたが、まさか店の前で寝るみたいなことにはならないだろう。
「あー……、もういいか」
ずっと冷蔵庫を開けているのも電気代の無駄になる。僕は梅酒を手に取ると弁当の前に座って、プルタブに指をかけた。プシュッと小気味のいい音がして、梅の香りが微かに漂った。
おず、とひと口含んでみる。
「あ、意外と美味しい……?」
仄かな甘さに梅の酸っぱさが加わって、呑み口も後味もさっぱりしていてなかなかいい感じだ。喉に焼け付くような炭酸のきつさもあまりなくて、これなら僕でも飲めそうな気がする。
「なんだ、お酒って結構いけるんじゃないか」
ぐいぐいと休む間もなく呑んでいく。
お弁当が半分も進んでない頃、ユーリが「リヒト」とシャワー室から出てきた。
「ユーリぃ……?」
「へ? リヒト?」
自分でも甘く出てきた声に、僕はどこか冷静に、これが酔うってことなのかなと考えていた。
同じような学生や、サラリーマン、それから数人の男女グループ。どこかの主婦が、見切りコーナーの野菜を手に取っては見比べたりもしていた。
「……」
種類のあまりなくなったお弁当コーナーで、僕は鮭がひと切れ乗った弁当を手にした。夜に鮭とは趣きも何もないが、半額シールの誘惑には勝てず、僕はそれを持ってレジへと向かう。
「リヒト」
「ん」
呼ばれて振り返る。
瞬間、弁当を引ったくるようにして奪われ、ユーリは無人のセルフレジへと持っていってしまった。そのままスマフォで清算を終え、箸を一膳分だけもらって、無言で外へと出ていく。
「ちょっと、ユーリ……!」
お金を渡そうと、鞄から財布を慌てて取り出そうとして、手が滑って財布ごと地面に落としてしまう。そして何より不運だったのは、財布が逃げるように転がり、近くの排水溝へ入ってしまったことだ。
「ああぁぁぁ」
情けない。年下に奢ってもらって、財布まで落として、しかもよりによって排水溝に入るなんて。
深いわけではなかったから、手を伸ばせば摘み上げれそうではあるけれど、この財布はもう使えそうにない。結構財布って高いんだけどな、なんて心の中で愚痴り、僕は屈もうとして、
「これ、持ってて」
とユーリから鮭弁当を渡された。
流れで受け取ってしまったが、あれ? これでは手が塞がってしまうではないか。ユーリに弁当を突っ返そうとして、彼が屈んで財布を拾い上げるのを見て、僕はお礼を言うのも忘れて「なんで」と呟いてしまう。
「なんでって……、リヒト、財布の中身ないと困るでしょ」
「そ、それはそうだけど。でもお前が拾う必要はないだろ?」
案の定ユーリの手は濡れているし、なんなら服の袖だって汚れてしまっている。しまいには財布から滴る少し臭う水が、ユーリのスラックスにまで広がっているのだから笑えない。
そんな状態なのに、ユーリは嫌な顔ひとつせず穏やかに笑っているものだから、僕はいたたまれなくなって、つい、
「とりあえず家に来い。洗濯、は無理でもタオルとシャワーくらい貸すから」
と言ってしまった。
ユーリが意外そうに目を見開いている。しまった、流石に引かれたかなと思ったけれど、ユーリは首をちょこんと傾げて「いいの?」と目を輝かせる。
違った意味で間違えたかも、と焦るが、言ってしまったものは仕方ない。
「……いいよ」
僕は鮭弁当を持ったまま、また家に向かって歩き出す。財布も返してもらおうとしたんだけど、手が汚れるからと言って、そこは譲ってくれなかった。
シャワー室から、水音が嫌というほど聞こえてくる。流石はボロアパート、防音なんて知ったこっちゃないと言わんばかりの壁の薄さだ。
家に帰った僕は、ユーリをすぐシャワー室へと追いやり、着ていた服を洗濯機へと放り込んだ。僕も一緒に、と言われたがそこは丁寧にお断りして、財布からカードやお金を取り出して、洗面台で適当に洗い流した。
それから鮭弁当を広げ、そこでお茶を買うのを忘れたことを思い出す。冷蔵庫に何かあったかなと立ち上がり見てみれば、梅酒が一本だけ入っていた。
「あー」
そういえば前、店長とお酒の話をしていたことがあった。飲んだことないんですよねと笑い、これやるよと渡されたものだ。
「いや、いやいや、流石にこれはない。ご飯食べるのに酒はないだろ」
鮭と酒だけに、なんて笑い話にもならない。
でもお酒の力は偉大だとも聞く。何か口走っても、お酒のせいにしてしまえばいいのではないか? いや、それは失礼にならないか?
何せ飲んだことがないため、自分が一体どうなるのかわからない。お客さんが酔っているのはそれなりに見てきたが、まさか店の前で寝るみたいなことにはならないだろう。
「あー……、もういいか」
ずっと冷蔵庫を開けているのも電気代の無駄になる。僕は梅酒を手に取ると弁当の前に座って、プルタブに指をかけた。プシュッと小気味のいい音がして、梅の香りが微かに漂った。
おず、とひと口含んでみる。
「あ、意外と美味しい……?」
仄かな甘さに梅の酸っぱさが加わって、呑み口も後味もさっぱりしていてなかなかいい感じだ。喉に焼け付くような炭酸のきつさもあまりなくて、これなら僕でも飲めそうな気がする。
「なんだ、お酒って結構いけるんじゃないか」
ぐいぐいと休む間もなく呑んでいく。
お弁当が半分も進んでない頃、ユーリが「リヒト」とシャワー室から出てきた。
「ユーリぃ……?」
「へ? リヒト?」
自分でも甘く出てきた声に、僕はどこか冷静に、これが酔うってことなのかなと考えていた。
66
お気に入りに追加
547
あなたにおすすめの小説
平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます
ふくやまぴーす
BL
旧題:平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます〜利害一致の契約結婚じゃなかったの?〜
名前も見た目もザ・平凡な19歳佐藤翔はある日突然初対面の美形双子御曹司に「自分たちを助けると思って結婚して欲しい」と頼まれる。
愛のない形だけの結婚だと高を括ってOKしたら思ってたのと違う展開に…
「二人は別に俺のこと好きじゃないですよねっ?なんでいきなりこんなこと……!」
美形双子御曹司×健気、お人好し、ちょっぴり貧乏な愛され主人公のラブコメBLです。
🐶2024.2.15 アンダルシュノベルズ様より書籍発売🐶
応援していただいたみなさまのおかげです。
本当にありがとうございました!

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

生徒会長の包囲
きの
BL
昔から自分に自信が持てず、ネガティブな考えばっかりしてしまう高校生、朔太。
何もかもだめだめで、どんくさい朔太を周りは遠巻きにするが、彼の幼なじみである生徒会長だけは、見放したりなんかしなくて______。
不定期更新です。
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。
余命僅かの悪役令息に転生したけど、攻略対象者達が何やら離してくれない
上総啓
BL
ある日トラックに轢かれて死んだ成瀬は、前世のめり込んでいたBLゲームの悪役令息フェリアルに転生した。
フェリアルはゲーム内の悪役として15歳で断罪される運命。
前世で周囲からの愛情に恵まれなかった成瀬は、今世でも誰にも愛されない事実に絶望し、転生直後にゲーム通りの人生を受け入れようと諦観する。
声すら発さず、家族に対しても無反応を貫き人形のように接するフェリアル。そんなフェリアルに周囲の過保護と溺愛は予想外に増していき、いつの間にかゲームのシナリオとズレた展開が巻き起こっていく。
気付けば兄達は勿論、妖艶な魔塔主や最恐の暗殺者、次期大公に皇太子…ゲームの攻略対象者達がフェリアルに執着するようになり…――?
周囲の愛に疎い悪役令息の無自覚総愛されライフ。
※最終的に固定カプ
転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。
兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる