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犯罪者予備軍
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止まったストップウォッチを見て、蒼があからさまに顔をしかめた。
「ねぇ」
「……おう」
睨まれるのに耐えきれず、わざと視線を反らした。
「俺、真剣に走った」
「最後尾走ってたやつが何言ってんだ」
「じゃ、なんで視線反らすの」
少し低い位置から見上げる目が、確かに俺を責めている。ふわりと風に乗って漂う香りに「う」と一瞬息が詰まった。それを誤魔化すように今度は俺がストップウォッチを蒼に押し付けて、
「っせ。ちゃんと測ってろ」
とその場から逃げ出すように離れた。
人口比率で言えばフォークは希少だ。テレビやSNSで騒がれてはいるが、その実、犯罪者全員がフォークなわけではない。フォークでもケーキでもない、所謂“ナチュラル”と呼ばれる奴らの中にも、犯罪者なんているわけで。それでもニュースになるたび、こう言われるのだ。
『どうせフォークなんだろ』と。
「はっ、はあ……っ」
いつもと変わらない走りでトップを駆け抜け、クールダウンを兼ねて少し歩く。体育館にいるはずの女子が、終わったのかサボりなのか、何人か外に出てこちらを見ている。と、その女子のほうから嫌な匂いがして、俺は「うっ」と口元を押さえた。
「光哉?」
俺の様子がおかしいことに気づいたのか、蒼がストップウォッチ片手に駆け寄ってくる。差し出されたタオルで口を押さえれば、嗅ぎ慣れた蒼の匂いがして、それは俺を少しだけ落ち着かせた。
「アオ、ごめん。女子から、においが……」
「女子? うちのクラスにはいないんだよね? 他のクラスかな」
そう言い蒼は「ちょっと待ってて」と俺をその場に残して、体育教師に二言三言伝えると、すぐに俺の元へと戻ってきた。
「朝踏んだウンコの匂いに耐えれなくなったって言ったから」
「なんつう理由だよ……」
「保健室、行こう。そんだけ冷や汗かいてたら、たぶん休ませてもらえるから」
こういう時の蒼は少し強引だ。なるべく蒼以外の匂いを鼻に入れないよう、タオルをさらに強く口元に当てて、俺は覚束ない足取りで保健室へと急いだ。
保険の先生は「いいわよ」と案外あっさり休むことを了承してくれた。普段から真面目な蒼が、顔色の優れない俺を連れてきたのが効いたのだと思う。
俺は真っ先にベッドに寝かされて、カーテンの向こう側では蒼と先生の話し声が聞こえてくる。
「今からちょっと出ないといけないから、よくなったらちゃんと授業に出るのよ?」
「はい、ありがとうございます」
扉の閉まる音に続いて、蒼がカーテンから顔を覗かせてきた。
「……だって。良くなりそう?」
「良くも悪いも、風邪でも病気でもねぇし」
椅子をベッドの横に持ってきた蒼が、何喰わぬ顔で「そうだね」と俺の額に手を乗せてきた。微かに湿った手が堪らなく美味そうで、俺は無意識に、その手を掴んで口へと運んでいた。
「……っ」
蒼の肩が大袈裟なほどに揺れた。
「ごめん……!」
怯えたような、不安げな目に頭が急激に冷えて、俺はハッとして手を離した。
しまった。まただ。
あの日から蒼を喰いはしてないが、こんなことは何度もあった。だいぶんケーキの匂いには慣れてはきたものの、不意をつかれると、無性に腹が空いて喰いたくなってしまう。
「……大丈夫。いきなりで驚いただけ。俺も、今のは不用心だった」
「いや、ほんと、俺のほうこそごめん」
頭は冷えたが、飢えが満たされたわけじゃない。
もうすぐ昼飯の時間だし、とりあえずそれまではここで休ませてもらおう。少しは落ち着くはずだ。
「蒼は先に戻れ」
「光哉は? きついんじゃないの?」
「休めばなんとかなる」
腕で顔を隠すようにして、これ以上蒼の顔を見ないようにする。あの目を見たくなかった、のに。
「ミツのくせに生意気」
「んご!?」
いきなり口に指を突っ込まれ、何すんだとも言えずに蒼をただただ睨みつけた。突っ込まれた指先は酷く甘くて、飢えて仕方なかった腹を満たしていく。
「俺がいるのに、俺以外のケーキを欲しがるとか、生意気」
「んごごっ」
どうやら指先に蒼の唾液を絡ませていたらしい。だからこんなに酷く甘ったるいのだ。
「どう? 少しはマシになった?」
「んご」
お前のせいで何も言えねぇよ、指を抜け。指を。
蒼の手首を掴んで無理やり引き剥がした。その際、少しだけ口内を爪が掠めたのか痛みが走る。
「爪切れ、爪。いてぇよ」
「切ったら戦えなくなる」
「何と」
「それはあれだよ、敵と」
「だから敵ってなんだ」
引き抜かれた自分の指先を見て、それから蒼がいつもの無表情でぺろりと舐めた。
「なんだ、甘くない」
「ったりめぇだ」
「着替えとお弁当、持ってくる」
感情が上手く読み取れない表情のまま、蒼は椅子を持ってカーテンの外へと出ていった。その背中に「おー」と大して興味なさげに返すのがやっとだった。
「ねぇ」
「……おう」
睨まれるのに耐えきれず、わざと視線を反らした。
「俺、真剣に走った」
「最後尾走ってたやつが何言ってんだ」
「じゃ、なんで視線反らすの」
少し低い位置から見上げる目が、確かに俺を責めている。ふわりと風に乗って漂う香りに「う」と一瞬息が詰まった。それを誤魔化すように今度は俺がストップウォッチを蒼に押し付けて、
「っせ。ちゃんと測ってろ」
とその場から逃げ出すように離れた。
人口比率で言えばフォークは希少だ。テレビやSNSで騒がれてはいるが、その実、犯罪者全員がフォークなわけではない。フォークでもケーキでもない、所謂“ナチュラル”と呼ばれる奴らの中にも、犯罪者なんているわけで。それでもニュースになるたび、こう言われるのだ。
『どうせフォークなんだろ』と。
「はっ、はあ……っ」
いつもと変わらない走りでトップを駆け抜け、クールダウンを兼ねて少し歩く。体育館にいるはずの女子が、終わったのかサボりなのか、何人か外に出てこちらを見ている。と、その女子のほうから嫌な匂いがして、俺は「うっ」と口元を押さえた。
「光哉?」
俺の様子がおかしいことに気づいたのか、蒼がストップウォッチ片手に駆け寄ってくる。差し出されたタオルで口を押さえれば、嗅ぎ慣れた蒼の匂いがして、それは俺を少しだけ落ち着かせた。
「アオ、ごめん。女子から、においが……」
「女子? うちのクラスにはいないんだよね? 他のクラスかな」
そう言い蒼は「ちょっと待ってて」と俺をその場に残して、体育教師に二言三言伝えると、すぐに俺の元へと戻ってきた。
「朝踏んだウンコの匂いに耐えれなくなったって言ったから」
「なんつう理由だよ……」
「保健室、行こう。そんだけ冷や汗かいてたら、たぶん休ませてもらえるから」
こういう時の蒼は少し強引だ。なるべく蒼以外の匂いを鼻に入れないよう、タオルをさらに強く口元に当てて、俺は覚束ない足取りで保健室へと急いだ。
保険の先生は「いいわよ」と案外あっさり休むことを了承してくれた。普段から真面目な蒼が、顔色の優れない俺を連れてきたのが効いたのだと思う。
俺は真っ先にベッドに寝かされて、カーテンの向こう側では蒼と先生の話し声が聞こえてくる。
「今からちょっと出ないといけないから、よくなったらちゃんと授業に出るのよ?」
「はい、ありがとうございます」
扉の閉まる音に続いて、蒼がカーテンから顔を覗かせてきた。
「……だって。良くなりそう?」
「良くも悪いも、風邪でも病気でもねぇし」
椅子をベッドの横に持ってきた蒼が、何喰わぬ顔で「そうだね」と俺の額に手を乗せてきた。微かに湿った手が堪らなく美味そうで、俺は無意識に、その手を掴んで口へと運んでいた。
「……っ」
蒼の肩が大袈裟なほどに揺れた。
「ごめん……!」
怯えたような、不安げな目に頭が急激に冷えて、俺はハッとして手を離した。
しまった。まただ。
あの日から蒼を喰いはしてないが、こんなことは何度もあった。だいぶんケーキの匂いには慣れてはきたものの、不意をつかれると、無性に腹が空いて喰いたくなってしまう。
「……大丈夫。いきなりで驚いただけ。俺も、今のは不用心だった」
「いや、ほんと、俺のほうこそごめん」
頭は冷えたが、飢えが満たされたわけじゃない。
もうすぐ昼飯の時間だし、とりあえずそれまではここで休ませてもらおう。少しは落ち着くはずだ。
「蒼は先に戻れ」
「光哉は? きついんじゃないの?」
「休めばなんとかなる」
腕で顔を隠すようにして、これ以上蒼の顔を見ないようにする。あの目を見たくなかった、のに。
「ミツのくせに生意気」
「んご!?」
いきなり口に指を突っ込まれ、何すんだとも言えずに蒼をただただ睨みつけた。突っ込まれた指先は酷く甘くて、飢えて仕方なかった腹を満たしていく。
「俺がいるのに、俺以外のケーキを欲しがるとか、生意気」
「んごごっ」
どうやら指先に蒼の唾液を絡ませていたらしい。だからこんなに酷く甘ったるいのだ。
「どう? 少しはマシになった?」
「んご」
お前のせいで何も言えねぇよ、指を抜け。指を。
蒼の手首を掴んで無理やり引き剥がした。その際、少しだけ口内を爪が掠めたのか痛みが走る。
「爪切れ、爪。いてぇよ」
「切ったら戦えなくなる」
「何と」
「それはあれだよ、敵と」
「だから敵ってなんだ」
引き抜かれた自分の指先を見て、それから蒼がいつもの無表情でぺろりと舐めた。
「なんだ、甘くない」
「ったりめぇだ」
「着替えとお弁当、持ってくる」
感情が上手く読み取れない表情のまま、蒼は椅子を持ってカーテンの外へと出ていった。その背中に「おー」と大して興味なさげに返すのがやっとだった。
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