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51話
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金曜日のクリスマスは忙しかったなぁ。
でも土日は颯介の家にお泊まりして、そういう雰囲気にもなって。部屋中に溢れる颯介の匂いに頭が馬鹿になって、ずっと離れたくなくて、颯介からたくさん愛されて……。
で、今日、月曜出社だ。
僕はまだ、番っていなかった。
え? なんで? 僕、Ωだよね? あっれー、おかしいなー。お医者様からもΩと間違われるくらい、いやもうΩなんだけど、元βだと思われないくらいには、もうΩのはずなんだけど。
「……い、く……ぱ……、紅羽先輩」
「へ!?」
いきなり呼ばれて焦った僕は、積んであったファイルを肘で倒してしまう。ものの見事に床に散らかしてしまって、周囲から浴びせられる“またか”の視線が痛い。
一番驚いていたのは、声をかけてきた颯介だった。持っていた書類の束を僕のデスクに置いてから、僕が散らかしたファイルを拾ってくれた。
「あ!? ごめっ、ごめん、颯介!」
「えっ……と」
ついいつもの調子で名前を呼んでから、慌てて「十三!」と言い直した。
「……俺は別に構わないですよ」
「ほんと、ごめん! わざとじゃない!」
颯介のことを考え過ぎて名前を呼んでしまいました、なんて恥ずかしすぎるだろ、僕! ちゃんと公私混同しないようにしてたのに。これもそれも、颯介が噛んでくれないからだ、なんて責任転嫁は横に置いといて。
「どうした?」
「今度の会議で使う資料だと思うのですが、ここのデータが違うかと」
「え? あ……」
言われた箇所を確認する。確かに数値が違うし、なんなら最初の入力が間違っていたとしか思えない。
「ごめん。すぐ直す」
「はい、お願いします」
颯介は拾ったファイルを置いてから、また自分のデスクへと戻っていく。考え事してて颯介の仕事を増やすとか、先輩としても最低すぎる。
僕は気合を入れ直すために自分の頬を叩き、またパソコンに向き合った。そうだ、いっそのこと、聞いてみればいい。それが一番手っ取り早いし、颯介にも何か悩みがあるのかもしれない。
もしそうなら先輩として、年上として、か、かかか彼氏として、僕が力にならないとな!
「颯介、今日泊まっていいか?」
「え?」
帰り。颯介は僕を送り届けるつもりでいたのか、心底驚いた顔をした。
「な、なんなら泊まりじゃなくてもいい! そうだ、僕が颯介を送ってくのはどうだ? しゅ、終電で帰ってもいいし」
自分でも必死すぎるだろとは思った。実際、颯介も何事かと言いたそうではある。それでも理由を深く聞こうとはせずに、
「深夜に帰らせるつもりはないんで、泊まってってください」
と諦めた様子で了承してくれた。それに「あああありがと」と動揺しながらお礼を言って、無言のまま道を歩いていく。
なんて切り出す? 悩みないかって聞いてみる? 頼ってくれていいぞって言ってみるとか? あと、なんでうなじ噛んでくれないんだ、とか……。
「あ、あの颯介」
「紅羽さんの言いたいこと、なんとなく、わかってます。番のことですよね?」
僕が話すより先に、颯介がそう切り出した。なんだ、わかってるならなんで噛んでくれないんだよ、と言いたいのを抑えて、僕は「ん」と小さく頷いた。
「噛みたくないわけでも、番になりたくないわけでもないです。ただ、タイミングがあって、ですね」
タイミング? 雰囲気だろうか。
確かにこの土日でしたことと言えば、指輪を売って焼き肉を食べに行ったことぐらいだけど。あとは見逃したホラー映画をサブスクで見たぐらいか。確かに雰囲気はなかった。
「色気がなかったのは謝る。もう少し、こう、雰囲気を考えるべきだった」
「いや、紅羽さんに色気も雰囲気も期待してませんから、大丈夫です」
「じゃあ、何が駄目なんだ」
もしかして臭いのか? 実は僕のΩ臭って、そこまでいい匂いしないとか? 颯介を誘惑出来ていないのだろうか。手首、それから肩に鼻を寄せて、自分の匂いを嗅いでみる。当たり前だけど、自分のΩ臭なんてわかりやしない。
「紅羽さ……、いや、違う、そうじゃないんです……くくっ」
笑いを堪えきれない颯介を睨みつけ「じゃ、なんだよ」と口を尖らせてみせる。立ち止まった颯介が、そんな僕の手を取って手首に口づける。チリリとした痛みが走り、赤い痕が残された。
「い……っ」
「ヒート中じゃないと番えないんですよ」
手を離した颯介が、残念そうに呟く。
「そう、なのか?」
「やっぱり知らないんですね……」
元βをなめるな、と言いたいところだけど、第二性については、通常小中学生で習ってしまう。その話を、自分はβと診断されたから、という理由で聞いてなかったのは自分だ。
誰かを責められるわけではない。と、僕は颯介が八重に話していた内容を思い出し「なぁ」と顔を覗き込んだ。
「強制発情がどうのとか言ってなかったか? なら、颯介が僕をそうすればよくないか?」
「紅羽さんにしてはよく覚えてましたね、偉いです」
「馬鹿にするな」
しばらく歩いて、颯介のアパートが見えてくる。鍵を開けた颯介が「どうぞ」と先に入れてくれたから、靴を揃えて奥の部屋まで上がった。
「あの時も言いましたが、同意の上でないと違法です。Ωのヒートを誘発させて番うことくらい出来ますし。強制発情は、Ω側に負担がかかりますし……」
「なるほど……、そっか……」
実際、僕は八重に屈服させられそうになった。あれがまかり通ってしまうのなら、今の時代、Ωは生きづらい世の中になってしまうだろう。
でも颯介なら、別に構わないのにな。
鞄を入口横の隅に置いて、いつも通りベッドに座る。その際、颯介の香りがふわりと舞い、僕の理性を攫っていきそうになった。お腹の奥がきゅうっと疼いて、堪らず手近にあった枕を抱きしめる。
「ふ……っ」
おかしいな。僕も使ってるはずなのに、枕も、シーツも、部屋中に颯介の匂いが満ちている。
「紅羽さん……っ」
「ん」
座ったまま颯介を見上げる。つらそうに顔をしかめ、口元を押さえ、息遣いを荒くし、肩を上下させていた。
「あんまり、フェロモンを強くしないでください……」
「そう、言われても」
「じゃないと、今すぐにでも組み敷いて、犯して、噛んでしまいたくなるんで……」
別にいいのに。と思ったのだけど、颯介の「明日も仕事でしょう」のひと言で、僕は現実に引き戻された。
でも土日は颯介の家にお泊まりして、そういう雰囲気にもなって。部屋中に溢れる颯介の匂いに頭が馬鹿になって、ずっと離れたくなくて、颯介からたくさん愛されて……。
で、今日、月曜出社だ。
僕はまだ、番っていなかった。
え? なんで? 僕、Ωだよね? あっれー、おかしいなー。お医者様からもΩと間違われるくらい、いやもうΩなんだけど、元βだと思われないくらいには、もうΩのはずなんだけど。
「……い、く……ぱ……、紅羽先輩」
「へ!?」
いきなり呼ばれて焦った僕は、積んであったファイルを肘で倒してしまう。ものの見事に床に散らかしてしまって、周囲から浴びせられる“またか”の視線が痛い。
一番驚いていたのは、声をかけてきた颯介だった。持っていた書類の束を僕のデスクに置いてから、僕が散らかしたファイルを拾ってくれた。
「あ!? ごめっ、ごめん、颯介!」
「えっ……と」
ついいつもの調子で名前を呼んでから、慌てて「十三!」と言い直した。
「……俺は別に構わないですよ」
「ほんと、ごめん! わざとじゃない!」
颯介のことを考え過ぎて名前を呼んでしまいました、なんて恥ずかしすぎるだろ、僕! ちゃんと公私混同しないようにしてたのに。これもそれも、颯介が噛んでくれないからだ、なんて責任転嫁は横に置いといて。
「どうした?」
「今度の会議で使う資料だと思うのですが、ここのデータが違うかと」
「え? あ……」
言われた箇所を確認する。確かに数値が違うし、なんなら最初の入力が間違っていたとしか思えない。
「ごめん。すぐ直す」
「はい、お願いします」
颯介は拾ったファイルを置いてから、また自分のデスクへと戻っていく。考え事してて颯介の仕事を増やすとか、先輩としても最低すぎる。
僕は気合を入れ直すために自分の頬を叩き、またパソコンに向き合った。そうだ、いっそのこと、聞いてみればいい。それが一番手っ取り早いし、颯介にも何か悩みがあるのかもしれない。
もしそうなら先輩として、年上として、か、かかか彼氏として、僕が力にならないとな!
「颯介、今日泊まっていいか?」
「え?」
帰り。颯介は僕を送り届けるつもりでいたのか、心底驚いた顔をした。
「な、なんなら泊まりじゃなくてもいい! そうだ、僕が颯介を送ってくのはどうだ? しゅ、終電で帰ってもいいし」
自分でも必死すぎるだろとは思った。実際、颯介も何事かと言いたそうではある。それでも理由を深く聞こうとはせずに、
「深夜に帰らせるつもりはないんで、泊まってってください」
と諦めた様子で了承してくれた。それに「あああありがと」と動揺しながらお礼を言って、無言のまま道を歩いていく。
なんて切り出す? 悩みないかって聞いてみる? 頼ってくれていいぞって言ってみるとか? あと、なんでうなじ噛んでくれないんだ、とか……。
「あ、あの颯介」
「紅羽さんの言いたいこと、なんとなく、わかってます。番のことですよね?」
僕が話すより先に、颯介がそう切り出した。なんだ、わかってるならなんで噛んでくれないんだよ、と言いたいのを抑えて、僕は「ん」と小さく頷いた。
「噛みたくないわけでも、番になりたくないわけでもないです。ただ、タイミングがあって、ですね」
タイミング? 雰囲気だろうか。
確かにこの土日でしたことと言えば、指輪を売って焼き肉を食べに行ったことぐらいだけど。あとは見逃したホラー映画をサブスクで見たぐらいか。確かに雰囲気はなかった。
「色気がなかったのは謝る。もう少し、こう、雰囲気を考えるべきだった」
「いや、紅羽さんに色気も雰囲気も期待してませんから、大丈夫です」
「じゃあ、何が駄目なんだ」
もしかして臭いのか? 実は僕のΩ臭って、そこまでいい匂いしないとか? 颯介を誘惑出来ていないのだろうか。手首、それから肩に鼻を寄せて、自分の匂いを嗅いでみる。当たり前だけど、自分のΩ臭なんてわかりやしない。
「紅羽さ……、いや、違う、そうじゃないんです……くくっ」
笑いを堪えきれない颯介を睨みつけ「じゃ、なんだよ」と口を尖らせてみせる。立ち止まった颯介が、そんな僕の手を取って手首に口づける。チリリとした痛みが走り、赤い痕が残された。
「い……っ」
「ヒート中じゃないと番えないんですよ」
手を離した颯介が、残念そうに呟く。
「そう、なのか?」
「やっぱり知らないんですね……」
元βをなめるな、と言いたいところだけど、第二性については、通常小中学生で習ってしまう。その話を、自分はβと診断されたから、という理由で聞いてなかったのは自分だ。
誰かを責められるわけではない。と、僕は颯介が八重に話していた内容を思い出し「なぁ」と顔を覗き込んだ。
「強制発情がどうのとか言ってなかったか? なら、颯介が僕をそうすればよくないか?」
「紅羽さんにしてはよく覚えてましたね、偉いです」
「馬鹿にするな」
しばらく歩いて、颯介のアパートが見えてくる。鍵を開けた颯介が「どうぞ」と先に入れてくれたから、靴を揃えて奥の部屋まで上がった。
「あの時も言いましたが、同意の上でないと違法です。Ωのヒートを誘発させて番うことくらい出来ますし。強制発情は、Ω側に負担がかかりますし……」
「なるほど……、そっか……」
実際、僕は八重に屈服させられそうになった。あれがまかり通ってしまうのなら、今の時代、Ωは生きづらい世の中になってしまうだろう。
でも颯介なら、別に構わないのにな。
鞄を入口横の隅に置いて、いつも通りベッドに座る。その際、颯介の香りがふわりと舞い、僕の理性を攫っていきそうになった。お腹の奥がきゅうっと疼いて、堪らず手近にあった枕を抱きしめる。
「ふ……っ」
おかしいな。僕も使ってるはずなのに、枕も、シーツも、部屋中に颯介の匂いが満ちている。
「紅羽さん……っ」
「ん」
座ったまま颯介を見上げる。つらそうに顔をしかめ、口元を押さえ、息遣いを荒くし、肩を上下させていた。
「あんまり、フェロモンを強くしないでください……」
「そう、言われても」
「じゃないと、今すぐにでも組み敷いて、犯して、噛んでしまいたくなるんで……」
別にいいのに。と思ったのだけど、颯介の「明日も仕事でしょう」のひと言で、僕は現実に引き戻された。
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