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49話

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 どうしてここがわかったんだろう、とか。
 八重が帰ってること知ってたのか、とか。
 てか、本当にどこ行ってたんだよ、とか。
 聞きたいことはたくさんあるけど、とりあえず、疎い僕でもわかることがある。
 颯介は、強い怒りを、その瞳の奥に携えていた。

「お久しぶりですね、八重サン」

 八重の振り上げられた右腕を、颯介が背後から握りしめている。骨が軋んでいるのかと思うぐらい、力が込められていて、痛みからか、八重の顔が次第に酷く醜く歪んでいく。

「と、十三とさああぁ! お前! お前が! お前のせいで!」
「これはまた随分なご挨拶ですね。営業の研修で、言葉遣いを教えてもらえなかったんですか?」

 対する颯介は、いつもと変わらない口調と態度で、穏やかに口元を緩ませる。その目元だけは冷たいままで。

「それにしても、年末年始の帰省には少し早いようですが。あぁ。もしかして、あちらのに耐えきれず逃げてきたとか?」

 くすくすと軽快に笑う颯介の声は、心底八重を見下していた。αを好きではないと言いつつも、見下すなんてことをしてこなかった颯介が、だ。

「十三ぁああ! お前がボクの! 栄光ある道を、未来を、奪ったんや! わかっとるんかジブン!」
「栄光? 未来? 貴方は何を言っているんですか」

 颯介の手に力が入ったのか、八重が「あ゙あ゙あ゙あ゙!?」と野太い悲鳴を上げる。

「紅羽さんのこともそうですが、散々好き勝手にしてた貴方が、どの口でそれを言うつもりです?」

 僕だけが意味をわかっておらず、座り心地最悪なゴミ袋を背もたれにして、颯介と八重を交互に見やった。

「他部署のΩへの卑劣な嫌がらせ、βへの差別的発言、強制的にヒートを引き出したこともあるとか。そもそも、合意でない強制発情は違法ですよね」

 ヒートを引き出す? そんなことが可能なんだ、という疑問は横に置いといて。
 颯介は気怠そうに八重の腕を引いて、軽々と地面へひれ伏させる。地面に顔面からいった八重が、鈍い呻き声を上げながら背中を丸くする。

「紅羽さん!」

 呻き続ける八重を放って、颯介が僕に駆け寄り、目の前に膝をつく。颯介は左手に持っていた鞄と、お洒落な小さい紙袋を横に置いてから、殴られた右頬を労るように撫でてくれた。そこで改めて痛みを感じて、僕は「いっ」と顔をしかめる。

「颯介、なんで、どうして……?」
「この近くに用事がありまして……。帰りにコンビニで、その、ケーキでもと思ったら、紅羽さんの香りがした気がして」
「なんだ、颯介も同じこと考えてたのか……」

 笑っちゃいけないんだけど、颯介と気持ちが通じ合っているみたいで嬉しくなって、つい頬が緩んだ。

「と、とさああああ……!」

 地獄の底から這い出た悪鬼のような形相で、八重がふらふらと立ち上がる。口からは涎と泡を吹き、目はギラギラと血走り、それに合わせて漂う香りがひと際強くなった。その香りに耐えきれず、僕は「うっ」と口元を袖で押さえ、その匂いを嗅がないようにした。

「紅羽さん」

 名前を呼んだ颯介が、僕を抱き寄せる。自然と颯介の胸元に顔を埋める形になり、息をするたびに、颯介の香りが身体中に巡っていく。それでも理性がぐらついてしまうほど、運命の番とやらの結びつきは、皮肉なほどに強い。

「そう、すけ……っ、あの人の匂い、が、きつく、てっ」
「落ち着いてください、紅羽さん。俺の匂い、わかりますか?」

 あんなやつの誘惑に負けないよう、必死に腕を伸ばして颯介を抱き締め返す。コートやスーツに出来るシワも気にせず、甘い、満たされた香りを取り込めば、頭にかかっていたモヤが消えていく。

「とさああ! 許さへん! お前……!」

 八重の叫びにも近い声が木霊こだまする。僕は颯介にしがみついて、もう何も見えないよう、聞こえないようにした。そんなあいつを見ようともせず、颯介は乾いた笑い声を響かせた。

「あぁ、そうでした、八重サン。俺、暴力は好きじゃないんです」

 遠くから、サイレンの音がする。それは次第に近づいてきたかと思うと、僕らの細道を赤色の回転灯が照らし出した。

「警察だ! ヒートを誘発させたαがいると通報を受けた! 大人しくしろ!」

 八重のさらに後ろ、細道からの入口からの声は、街の治安を守る屈強な人たちからだった。



 警察に連れて行かれる八重を横目に、僕は鞄から薬を出して飲み込んだ。少し突っかかって喉を鳴らしていると、颯介が「どうぞ」と水のペットボトルをくれた。

「……どこに行ってたんだよ」

 ひと口、ふた口水を飲んでから、颯介を下から睨みつけた。僕から視線を反らした颯介が「所用で……」と言いづらそうに口ごもる。

「所用って、それか?」

 颯介が大事に持っている袋を示す。凝ったデザインの、可愛らしい袋を。

「あー、えっと、そう、ですけど」

 気まずそうに袋を体の影に隠すも、隠しきれていない。けれど誤魔化しきれないと諦めたのか、颯介はため息をついてから、自分の鞄を地面へと置いた。

「こんな場所で渡したくはなかったんですが……」

 颯介は袋に手を突っ込むと、そこから小箱を取り出し左手に持った。僕も知ってるサイズ感のそれは、中に何が入っているかは、僕だってよく知っている。

「紅羽さん」
「え、は、はひ!?」

 緊張で声が裏返る。あ、駄目だ、顔が期待でニヤける。

「いや、そんな顔されると渡しづらいというか……」
「あ、じゃ、じゃあ、あと! あとにしよう!」
「ここまで来てそれはないでしょう。鞄、邪魔なんでちょっと置いてもらえます?」

 ガチガチに固まりながらも、僕は鞄を足元に置いた。颯介が空いた右手で僕の左手を取り、その薬指に、いつかのように唇を寄せた。

「紅羽さん」
「は、い」

 颯介が唇を離す。触れた箇所が熱い。顔も茹でダコみたいだ。小箱が開かれる。シンプルな造りで、気持ち程度にサファイヤの装飾が施されたそれは、どう見ても指輪だ。
 
「これは、俺の覚悟です。今日のようなことが、今後一切起こらないよう、俺の一生をかけて、あなたを守り続ける覚悟の証です」
「かく、ご……」
「ただ」

 ふ、と颯介が口元をふいに緩めた。

「受け取ってもらうには、あなたにも相応の覚悟を持ってもらいます」
「僕?」
「はい。俺に、一生愛される覚悟です」
「……っ」

 そんなの、もう決まってる。
 僕は零れる涙を拭おうともせず、颯介と同じように微笑み返す。

「あたりま――」
「あのー、お兄さんたち。いいとこ申し訳ないんだけど、お話、聞かせてもらえるかな? Ωの彼は、怪我もしてるみたいだし」
「……」

 警察のおじさんが、気まずそうに声をかけてきた。だいぶん待っててはくれたのだろう。周囲で見ていた警察の人と、救急の人が、見ないふりをして目線を反らしていたから。
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