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一ノ瀬紅羽の場合
45話
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都会より空気の澄んだここは、空に浮かぶ星々も、月も、よく見えた。田畑ばかりの道には街灯も少なく、そこを通る車も少ない。
「……何か、話しましたか?」
運転する颯介が、少しぶっきらぼうに話し始めた。コンビニで買ったお茶を飲みながら、僕は「んー」と考えて、首につけた青のチョーカーにそっと触れる。
颯介がシャワーを浴びに行った後、先生がこのチョーカーを手に処置室へ戻ってきた。検査の詳しい結果は、後日、颯介に連絡を入れると話した上で、
「つけとけ」
と僕の首にチョーカーをつけてくれたのだ。
本来、Ωのチョーカーは第二性がわかった段階で買うらしいのだけど、僕は元々βだし、買うのも勿体ないからと、先生の番だったかたのを頂いた。申し訳ないとお断りしたのだけど、先生が「もらってやってくれ」と少し悲しげに微笑んだから、謹んで受け取った。
それを思い出して、僕はもう一度「うん」と頷いてから、カップホルダーにペットボトルを戻す。
「簡単に言うと、身体はβだから、Ωのフェロモンが外に出ないらしい。それで中に籠もったままになってるんだけど、颯介のフェロモンにつられて外に溢れてしまうって」
「それでヒートになるんですね」
「うん」
田舎道をだいぶん通り過ぎ、次第に家々が多く、そして街が明るくなってきた。すれ違う車も、一台、二台と増えていき、数えられなくなってくる。
「いつ、どんな状況でΩに変化するかわからないから、これはつけとけって」
「……そうですか」
赤信号で止まった際に、颯介が僕を、厳密に言えば、僕のつけたチョーカーをちらりと見た。
「……聞かれるかと思ってました」
「え? 何を?」
「俺と、先生……、祖父のこと」
信号が変わり、また車が進み出す。街の明かりもだいぶん増えて、それに伴って帰路に着く人の姿も見えてきた。家まではあと一時間くらいかな。
「聞くって言っても……。颯介のお祖父様なら、別に聞くことなくないか?」
「……そう、ですね。紅羽さんは、そういう人でした」
颯介が安心したように、肩を撫で下ろす。それを見て僕は「あ」と気になることがあったのを思い出した。
「先生、なんで僕が三月生まれってわかったんだろ?」
「Ωの匂いって、生まれ月で違うらしいです。鼻がよくないとそこまでわからないんですけど。あと、運命の番だとはっきりわかるらしいですよ」
吐き捨てるように言い、颯介はつまらなさそうに眉間にシワを寄せた。
「あ、あと、若いよな。いくつなんだろ」
「……六十前後ぐらいじゃないですかね。母親が俺を生んだのが十八の頃みたいなんで」
「じゅっ……!? 僕、受験対策で毎日勉強してた記憶しかない」
特に勉強が出来るわけじゃなかったし、C判定を受けていた僕は、そりゃもう毎日必死で勉強をした。結果としては受かったし、現役で卒業も出来たけれど、友人と遊ぶ暇とか、何か趣味をする時間とかはなかったな。
いや、そもそも遊ぶ友人っていたっけなレベルだ。
「紅羽さん、要領悪いですもんね」
「悪口やめろ」
「そこも好きですけど」
「い、いきなり、そういうこと言うのも、禁止……」
エアコンが効きすぎてるのか、少し熱い。火照った身体を冷まそうと、お茶をまたひと口飲んだ。気付いた颯介が温度を少し下げてから「俺は」と小さく呟いた。
「あの人にとって、厄介者だったと思います」
「厄介者?」
「そうでしょう? 子どもが出来て出ていった娘が、数年後に孫を連れてきて、いきなり面倒を見ないといけなくなったんですから」
「そう、かな」
先生の姿を思い出す。颯介の話をする先生の顔は、穏やかで、慈愛に満ちていたと思う。心配しているのもわかる。でもたぶん、それを颯介が素直に受け取れていない気がした。
「お互い、素直じゃないだけな気がするけど」
「気持ち悪いこと言わないでくださいよ」
「でも颯介、先生のこと信頼してるだろ?」
見慣れた街並みに入る。立ち並ぶビルからは、駅に向かうリーマンの姿。レンタカーを返して、僕たちも帰路へと着く。徒歩で駅まで向かって、颯介を見送ってから僕も帰るつもりだ。
「颯介さ。他のαのこと、好きじゃないだろ?」
「まぁ、あまり……」
「でも僕が先生に触られても、あんまり抵抗なさそうだったから」
「抵抗はありますけど」
間髪入れずに否定してきた颯介が可笑しくて、僕はつい笑ってしまう。それがさらに面白くないようで、颯介が少しムッとしたから、僕は「拗ねるなよ」と笑ってその左手を握ってやる。
「それにしてもあれだな。明日からこれつけて出社しないといけないのかぁ。不思議に思われないかなぁ」
「Ωでもβとして生活してる人はいますよ。紅羽さんは真面目だし、自分からβって正直に言ってるんでしょうけど」
「うっ」
返す言葉もない。履歴書の第二性を任意で書く欄には、いつも“β”だと書いていたし。むしろ書かない人とか、違う性を書く人がいるほうが驚きだ。
「これ、駅に向かってます?」
「ん? うん」
当たり前と言わんばかりに頷けば、颯介が「紅羽さん」と繋いだ手を引いて足を止めた。いきなりのことで足がふらつき転びそうになったのを、颯介が腰に手を回して支えてくれた。
「ありがと……」
元は颯介が引っ張ったからなんだけど、それを咎める気はない。年上の余裕ってやつだ。体勢を整えて「どうした?」と颯介の顔を覗き込んだ。
「いえ、紅羽さんの家にスーツあるんで、今日はそっちに泊まって、そのまま出社しようかと思ってたんですが」
「……あ」
そうだった。僕の電車事件があったから、颯介は僕の家に泊まってくれたんでした。
「……何か、話しましたか?」
運転する颯介が、少しぶっきらぼうに話し始めた。コンビニで買ったお茶を飲みながら、僕は「んー」と考えて、首につけた青のチョーカーにそっと触れる。
颯介がシャワーを浴びに行った後、先生がこのチョーカーを手に処置室へ戻ってきた。検査の詳しい結果は、後日、颯介に連絡を入れると話した上で、
「つけとけ」
と僕の首にチョーカーをつけてくれたのだ。
本来、Ωのチョーカーは第二性がわかった段階で買うらしいのだけど、僕は元々βだし、買うのも勿体ないからと、先生の番だったかたのを頂いた。申し訳ないとお断りしたのだけど、先生が「もらってやってくれ」と少し悲しげに微笑んだから、謹んで受け取った。
それを思い出して、僕はもう一度「うん」と頷いてから、カップホルダーにペットボトルを戻す。
「簡単に言うと、身体はβだから、Ωのフェロモンが外に出ないらしい。それで中に籠もったままになってるんだけど、颯介のフェロモンにつられて外に溢れてしまうって」
「それでヒートになるんですね」
「うん」
田舎道をだいぶん通り過ぎ、次第に家々が多く、そして街が明るくなってきた。すれ違う車も、一台、二台と増えていき、数えられなくなってくる。
「いつ、どんな状況でΩに変化するかわからないから、これはつけとけって」
「……そうですか」
赤信号で止まった際に、颯介が僕を、厳密に言えば、僕のつけたチョーカーをちらりと見た。
「……聞かれるかと思ってました」
「え? 何を?」
「俺と、先生……、祖父のこと」
信号が変わり、また車が進み出す。街の明かりもだいぶん増えて、それに伴って帰路に着く人の姿も見えてきた。家まではあと一時間くらいかな。
「聞くって言っても……。颯介のお祖父様なら、別に聞くことなくないか?」
「……そう、ですね。紅羽さんは、そういう人でした」
颯介が安心したように、肩を撫で下ろす。それを見て僕は「あ」と気になることがあったのを思い出した。
「先生、なんで僕が三月生まれってわかったんだろ?」
「Ωの匂いって、生まれ月で違うらしいです。鼻がよくないとそこまでわからないんですけど。あと、運命の番だとはっきりわかるらしいですよ」
吐き捨てるように言い、颯介はつまらなさそうに眉間にシワを寄せた。
「あ、あと、若いよな。いくつなんだろ」
「……六十前後ぐらいじゃないですかね。母親が俺を生んだのが十八の頃みたいなんで」
「じゅっ……!? 僕、受験対策で毎日勉強してた記憶しかない」
特に勉強が出来るわけじゃなかったし、C判定を受けていた僕は、そりゃもう毎日必死で勉強をした。結果としては受かったし、現役で卒業も出来たけれど、友人と遊ぶ暇とか、何か趣味をする時間とかはなかったな。
いや、そもそも遊ぶ友人っていたっけなレベルだ。
「紅羽さん、要領悪いですもんね」
「悪口やめろ」
「そこも好きですけど」
「い、いきなり、そういうこと言うのも、禁止……」
エアコンが効きすぎてるのか、少し熱い。火照った身体を冷まそうと、お茶をまたひと口飲んだ。気付いた颯介が温度を少し下げてから「俺は」と小さく呟いた。
「あの人にとって、厄介者だったと思います」
「厄介者?」
「そうでしょう? 子どもが出来て出ていった娘が、数年後に孫を連れてきて、いきなり面倒を見ないといけなくなったんですから」
「そう、かな」
先生の姿を思い出す。颯介の話をする先生の顔は、穏やかで、慈愛に満ちていたと思う。心配しているのもわかる。でもたぶん、それを颯介が素直に受け取れていない気がした。
「お互い、素直じゃないだけな気がするけど」
「気持ち悪いこと言わないでくださいよ」
「でも颯介、先生のこと信頼してるだろ?」
見慣れた街並みに入る。立ち並ぶビルからは、駅に向かうリーマンの姿。レンタカーを返して、僕たちも帰路へと着く。徒歩で駅まで向かって、颯介を見送ってから僕も帰るつもりだ。
「颯介さ。他のαのこと、好きじゃないだろ?」
「まぁ、あまり……」
「でも僕が先生に触られても、あんまり抵抗なさそうだったから」
「抵抗はありますけど」
間髪入れずに否定してきた颯介が可笑しくて、僕はつい笑ってしまう。それがさらに面白くないようで、颯介が少しムッとしたから、僕は「拗ねるなよ」と笑ってその左手を握ってやる。
「それにしてもあれだな。明日からこれつけて出社しないといけないのかぁ。不思議に思われないかなぁ」
「Ωでもβとして生活してる人はいますよ。紅羽さんは真面目だし、自分からβって正直に言ってるんでしょうけど」
「うっ」
返す言葉もない。履歴書の第二性を任意で書く欄には、いつも“β”だと書いていたし。むしろ書かない人とか、違う性を書く人がいるほうが驚きだ。
「これ、駅に向かってます?」
「ん? うん」
当たり前と言わんばかりに頷けば、颯介が「紅羽さん」と繋いだ手を引いて足を止めた。いきなりのことで足がふらつき転びそうになったのを、颯介が腰に手を回して支えてくれた。
「ありがと……」
元は颯介が引っ張ったからなんだけど、それを咎める気はない。年上の余裕ってやつだ。体勢を整えて「どうした?」と颯介の顔を覗き込んだ。
「いえ、紅羽さんの家にスーツあるんで、今日はそっちに泊まって、そのまま出社しようかと思ってたんですが」
「……あ」
そうだった。僕の電車事件があったから、颯介は僕の家に泊まってくれたんでした。
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