45 / 56
一ノ瀬紅羽の場合
45話
しおりを挟む
都会より空気の澄んだここは、空に浮かぶ星々も、月も、よく見えた。田畑ばかりの道には街灯も少なく、そこを通る車も少ない。
「……何か、話しましたか?」
運転する颯介が、少しぶっきらぼうに話し始めた。コンビニで買ったお茶を飲みながら、僕は「んー」と考えて、首につけた青のチョーカーにそっと触れる。
颯介がシャワーを浴びに行った後、先生がこのチョーカーを手に処置室へ戻ってきた。検査の詳しい結果は、後日、颯介に連絡を入れると話した上で、
「つけとけ」
と僕の首にチョーカーをつけてくれたのだ。
本来、Ωのチョーカーは第二性がわかった段階で買うらしいのだけど、僕は元々βだし、買うのも勿体ないからと、先生の番だったかたのを頂いた。申し訳ないとお断りしたのだけど、先生が「もらってやってくれ」と少し悲しげに微笑んだから、謹んで受け取った。
それを思い出して、僕はもう一度「うん」と頷いてから、カップホルダーにペットボトルを戻す。
「簡単に言うと、身体はβだから、Ωのフェロモンが外に出ないらしい。それで中に籠もったままになってるんだけど、颯介のフェロモンにつられて外に溢れてしまうって」
「それでヒートになるんですね」
「うん」
田舎道をだいぶん通り過ぎ、次第に家々が多く、そして街が明るくなってきた。すれ違う車も、一台、二台と増えていき、数えられなくなってくる。
「いつ、どんな状況でΩに変化するかわからないから、これはつけとけって」
「……そうですか」
赤信号で止まった際に、颯介が僕を、厳密に言えば、僕のつけたチョーカーをちらりと見た。
「……聞かれるかと思ってました」
「え? 何を?」
「俺と、先生……、祖父のこと」
信号が変わり、また車が進み出す。街の明かりもだいぶん増えて、それに伴って帰路に着く人の姿も見えてきた。家まではあと一時間くらいかな。
「聞くって言っても……。颯介のお祖父様なら、別に聞くことなくないか?」
「……そう、ですね。紅羽さんは、そういう人でした」
颯介が安心したように、肩を撫で下ろす。それを見て僕は「あ」と気になることがあったのを思い出した。
「先生、なんで僕が三月生まれってわかったんだろ?」
「Ωの匂いって、生まれ月で違うらしいです。鼻がよくないとそこまでわからないんですけど。あと、運命の番だとはっきりわかるらしいですよ」
吐き捨てるように言い、颯介はつまらなさそうに眉間にシワを寄せた。
「あ、あと、若いよな。いくつなんだろ」
「……六十前後ぐらいじゃないですかね。母親が俺を生んだのが十八の頃みたいなんで」
「じゅっ……!? 僕、受験対策で毎日勉強してた記憶しかない」
特に勉強が出来るわけじゃなかったし、C判定を受けていた僕は、そりゃもう毎日必死で勉強をした。結果としては受かったし、現役で卒業も出来たけれど、友人と遊ぶ暇とか、何か趣味をする時間とかはなかったな。
いや、そもそも遊ぶ友人っていたっけなレベルだ。
「紅羽さん、要領悪いですもんね」
「悪口やめろ」
「そこも好きですけど」
「い、いきなり、そういうこと言うのも、禁止……」
エアコンが効きすぎてるのか、少し熱い。火照った身体を冷まそうと、お茶をまたひと口飲んだ。気付いた颯介が温度を少し下げてから「俺は」と小さく呟いた。
「あの人にとって、厄介者だったと思います」
「厄介者?」
「そうでしょう? 子どもが出来て出ていった娘が、数年後に孫を連れてきて、いきなり面倒を見ないといけなくなったんですから」
「そう、かな」
先生の姿を思い出す。颯介の話をする先生の顔は、穏やかで、慈愛に満ちていたと思う。心配しているのもわかる。でもたぶん、それを颯介が素直に受け取れていない気がした。
「お互い、素直じゃないだけな気がするけど」
「気持ち悪いこと言わないでくださいよ」
「でも颯介、先生のこと信頼してるだろ?」
見慣れた街並みに入る。立ち並ぶビルからは、駅に向かうリーマンの姿。レンタカーを返して、僕たちも帰路へと着く。徒歩で駅まで向かって、颯介を見送ってから僕も帰るつもりだ。
「颯介さ。他のαのこと、好きじゃないだろ?」
「まぁ、あまり……」
「でも僕が先生に触られても、あんまり抵抗なさそうだったから」
「抵抗はありますけど」
間髪入れずに否定してきた颯介が可笑しくて、僕はつい笑ってしまう。それがさらに面白くないようで、颯介が少しムッとしたから、僕は「拗ねるなよ」と笑ってその左手を握ってやる。
「それにしてもあれだな。明日からこれつけて出社しないといけないのかぁ。不思議に思われないかなぁ」
「Ωでもβとして生活してる人はいますよ。紅羽さんは真面目だし、自分からβって正直に言ってるんでしょうけど」
「うっ」
返す言葉もない。履歴書の第二性を任意で書く欄には、いつも“β”だと書いていたし。むしろ書かない人とか、違う性を書く人がいるほうが驚きだ。
「これ、駅に向かってます?」
「ん? うん」
当たり前と言わんばかりに頷けば、颯介が「紅羽さん」と繋いだ手を引いて足を止めた。いきなりのことで足がふらつき転びそうになったのを、颯介が腰に手を回して支えてくれた。
「ありがと……」
元は颯介が引っ張ったからなんだけど、それを咎める気はない。年上の余裕ってやつだ。体勢を整えて「どうした?」と颯介の顔を覗き込んだ。
「いえ、紅羽さんの家にスーツあるんで、今日はそっちに泊まって、そのまま出社しようかと思ってたんですが」
「……あ」
そうだった。僕の電車事件があったから、颯介は僕の家に泊まってくれたんでした。
「……何か、話しましたか?」
運転する颯介が、少しぶっきらぼうに話し始めた。コンビニで買ったお茶を飲みながら、僕は「んー」と考えて、首につけた青のチョーカーにそっと触れる。
颯介がシャワーを浴びに行った後、先生がこのチョーカーを手に処置室へ戻ってきた。検査の詳しい結果は、後日、颯介に連絡を入れると話した上で、
「つけとけ」
と僕の首にチョーカーをつけてくれたのだ。
本来、Ωのチョーカーは第二性がわかった段階で買うらしいのだけど、僕は元々βだし、買うのも勿体ないからと、先生の番だったかたのを頂いた。申し訳ないとお断りしたのだけど、先生が「もらってやってくれ」と少し悲しげに微笑んだから、謹んで受け取った。
それを思い出して、僕はもう一度「うん」と頷いてから、カップホルダーにペットボトルを戻す。
「簡単に言うと、身体はβだから、Ωのフェロモンが外に出ないらしい。それで中に籠もったままになってるんだけど、颯介のフェロモンにつられて外に溢れてしまうって」
「それでヒートになるんですね」
「うん」
田舎道をだいぶん通り過ぎ、次第に家々が多く、そして街が明るくなってきた。すれ違う車も、一台、二台と増えていき、数えられなくなってくる。
「いつ、どんな状況でΩに変化するかわからないから、これはつけとけって」
「……そうですか」
赤信号で止まった際に、颯介が僕を、厳密に言えば、僕のつけたチョーカーをちらりと見た。
「……聞かれるかと思ってました」
「え? 何を?」
「俺と、先生……、祖父のこと」
信号が変わり、また車が進み出す。街の明かりもだいぶん増えて、それに伴って帰路に着く人の姿も見えてきた。家まではあと一時間くらいかな。
「聞くって言っても……。颯介のお祖父様なら、別に聞くことなくないか?」
「……そう、ですね。紅羽さんは、そういう人でした」
颯介が安心したように、肩を撫で下ろす。それを見て僕は「あ」と気になることがあったのを思い出した。
「先生、なんで僕が三月生まれってわかったんだろ?」
「Ωの匂いって、生まれ月で違うらしいです。鼻がよくないとそこまでわからないんですけど。あと、運命の番だとはっきりわかるらしいですよ」
吐き捨てるように言い、颯介はつまらなさそうに眉間にシワを寄せた。
「あ、あと、若いよな。いくつなんだろ」
「……六十前後ぐらいじゃないですかね。母親が俺を生んだのが十八の頃みたいなんで」
「じゅっ……!? 僕、受験対策で毎日勉強してた記憶しかない」
特に勉強が出来るわけじゃなかったし、C判定を受けていた僕は、そりゃもう毎日必死で勉強をした。結果としては受かったし、現役で卒業も出来たけれど、友人と遊ぶ暇とか、何か趣味をする時間とかはなかったな。
いや、そもそも遊ぶ友人っていたっけなレベルだ。
「紅羽さん、要領悪いですもんね」
「悪口やめろ」
「そこも好きですけど」
「い、いきなり、そういうこと言うのも、禁止……」
エアコンが効きすぎてるのか、少し熱い。火照った身体を冷まそうと、お茶をまたひと口飲んだ。気付いた颯介が温度を少し下げてから「俺は」と小さく呟いた。
「あの人にとって、厄介者だったと思います」
「厄介者?」
「そうでしょう? 子どもが出来て出ていった娘が、数年後に孫を連れてきて、いきなり面倒を見ないといけなくなったんですから」
「そう、かな」
先生の姿を思い出す。颯介の話をする先生の顔は、穏やかで、慈愛に満ちていたと思う。心配しているのもわかる。でもたぶん、それを颯介が素直に受け取れていない気がした。
「お互い、素直じゃないだけな気がするけど」
「気持ち悪いこと言わないでくださいよ」
「でも颯介、先生のこと信頼してるだろ?」
見慣れた街並みに入る。立ち並ぶビルからは、駅に向かうリーマンの姿。レンタカーを返して、僕たちも帰路へと着く。徒歩で駅まで向かって、颯介を見送ってから僕も帰るつもりだ。
「颯介さ。他のαのこと、好きじゃないだろ?」
「まぁ、あまり……」
「でも僕が先生に触られても、あんまり抵抗なさそうだったから」
「抵抗はありますけど」
間髪入れずに否定してきた颯介が可笑しくて、僕はつい笑ってしまう。それがさらに面白くないようで、颯介が少しムッとしたから、僕は「拗ねるなよ」と笑ってその左手を握ってやる。
「それにしてもあれだな。明日からこれつけて出社しないといけないのかぁ。不思議に思われないかなぁ」
「Ωでもβとして生活してる人はいますよ。紅羽さんは真面目だし、自分からβって正直に言ってるんでしょうけど」
「うっ」
返す言葉もない。履歴書の第二性を任意で書く欄には、いつも“β”だと書いていたし。むしろ書かない人とか、違う性を書く人がいるほうが驚きだ。
「これ、駅に向かってます?」
「ん? うん」
当たり前と言わんばかりに頷けば、颯介が「紅羽さん」と繋いだ手を引いて足を止めた。いきなりのことで足がふらつき転びそうになったのを、颯介が腰に手を回して支えてくれた。
「ありがと……」
元は颯介が引っ張ったからなんだけど、それを咎める気はない。年上の余裕ってやつだ。体勢を整えて「どうした?」と颯介の顔を覗き込んだ。
「いえ、紅羽さんの家にスーツあるんで、今日はそっちに泊まって、そのまま出社しようかと思ってたんですが」
「……あ」
そうだった。僕の電車事件があったから、颯介は僕の家に泊まってくれたんでした。
144
お気に入りに追加
531
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
篠突く雨の止むころに
楽川楽
BL
キーワード:『幼馴染』『過保護』『ライバル』
上記のキーワードを元に、美形×平凡好きを増やそう!!という勝手な思いを乗せたTwitter企画『#美平Only企画』の作品。
家族のいない大原壱の、唯一の支えである幼馴染、本宮光司に彼女ができた…?
他人の口からその事実を知ってしまった壱は、幼馴染離れをしようとするのだが。
みたいな話ですm(_ _)m
もっともっと美平が増えますように…!
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
急に運命の番と言われても。夜会で永遠の愛を誓われ駆け落ちし、数年後ぽい捨てされた母を持つ平民娘は、氷の騎士の甘い求婚を冷たく拒む。
石河 翠
恋愛
ルビーの花屋に、隣国の氷の騎士ディランが現れた。
雪豹の獣人である彼は番の匂いを追いかけていたらしい。ところが花屋に着いたとたんに、手がかりを失ってしまったというのだ。
一時的に鼻が詰まった人間並みの嗅覚になったディランだが、番が見つかるまでは帰らないと言い張る始末。ルビーは彼の世話をする羽目に。
ルビーと喧嘩をしつつ、人間についての理解を深めていくディラン。
その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。
愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(ID25481643)をお借りしています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
その捕虜は牢屋から離れたくない
さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。
というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。
【完結】我が国はもうダメかもしれない。
みやこ嬢
BL
【2024年11月26日 完結、既婚子持ち国王総受BL】
ロトム王国の若き国王ジークヴァルトは死後女神アスティレイアから託宣を受ける。このままでは国が滅んでしまう、と。生き返るためには滅亡の原因を把握せねばならない。
幼馴染みの宰相、人見知り王宮医師、胡散臭い大司教、つらい過去持ち諜報部員、チャラい王宮警備隊員、幽閉中の従兄弟、死んだはずの隣国の王子などなど、その他多数の家臣から異様に慕われている事実に幽霊になってから気付いたジークヴァルトは滅亡回避ルートを求めて奔走する。
既婚子持ち国王総受けBLです。
「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい
みおな
恋愛
私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。
しかも、定番の悪役令嬢。
いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。
ですから婚約者の王子様。
私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる