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一ノ瀬紅羽の場合
41話
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その施設は、前見た時と変わっていなかった。ただ、今日は子供たちが一人もいなかった。颯介に聞いたら「まぁ、平日なんで」と当たり前のことを言われてしまった。
ですよね! 学校とかありますよね!
「よう。また来やがったか」
玄関で出迎えてくれた白石先生が、颯介と、それから僕を見て無愛想に言い放った。言葉と口調は相変わらずきついけれど、その声には優しさが滲んでいて、心配をしてくれていることがわかる。
「お久しぶりです。あの、あれから連絡せず、すみませんでした」
僕が頭を下げれば、颯介は「気にしなくていいんですよ」とぶっきらぼうに返して、白石先生は「むしろしてくんな」と、二人して同じようなことを言った。それが面白くて、つい小さく吹き出してしまう。
そんな僕を、先生がじっと見つめてくるものだから、僕は慌てて「すみません!」とまた頭を下げた。けれど先生は、ふ、と口元を緩めて、
「……笑えるようになって、何よりだ」
と僕の頭に手を置いて、くしゃりと髪を撫でてくれた。
「先生、その手、邪魔です」
颯介が面白くなさそうな顔をして、先生の腕をがしりと掴む。
「へいへい。今日はガキどももいねぇし、そのへんで話を聞いてやる。適当なベンチにでも座ってろ」
適当な、と言われて、軒先に置いてあるベンチを示される。いくら今日が晴れているといっても、季節は冬。外で話をするにはいささか寒いと思うのだけど。
でも颯介はそれに対しては文句のひとつも言わず、むしろ施設をちらりと見てから「わかりました」と大人しくベンチへと向かった。
「颯介……?」
僕も颯介のあとを追い、端に座った颯介の隣に座る。
「……Ωの匂い」
鼻をすんすんと鳴らして、颯介がちらりと施設を振り返った。僕も見習って匂いを嗅いでみる。もちろん何も感じない。
「でもここ、Ωの子が、その、たくさんいるんだろ? なら今さら……」
「いや、これはたぶん、ヒートだと思います。紅羽さん、第二性についてあまり詳しくないんでしたっけ?」
う……と言葉に詰まるも、本当のことなので渋々頷く。颯介は少し呆れながらも「ヒートは」と話を続けてくれた。
「第二次成長期、大抵は十五歳までにくるもので、フェロモンを出してαを惹きつける生理現象です。フェロモンが強い人だと、βにも影響があるらしいです」
「へぇ……」
「昨日、紅羽さんも体験したでしょう? あれが定期的にくるものと思ってください」
昨夜を思い出して、つい顔に熱が集まってしまう。あんな、どうしようもないくらいに颯介が欲しくなるなんて……。しかも定期的に? 恥ずかしさで消えたくなる。
「大変、なんだな」
「だから抑制剤を……、Ω用の抑制剤を飲んで、フェロモンの発生を抑えてるんです。けれど、一番最初のヒートって突発的に起こるんで……」
なんとなく理解してきた。そうか、今Ωの子がヒートに入っちゃってるから、僕らは外で話を聞くことになったわけだ。なら仕方ない。
「他人事ではないんです。紅羽さんも、何がきっかけで昨日みたいになるか、わからないんですから」
「そっ、か」
そうなると薬を飲まないとなのか? でもそれってΩ用の? α用の、ではないよな。あれ? β用ってあるのか?
頭の中に疑問ばかりが浮かぶけれど、そもそもそれを解決するためにここに来たんだ。先生に心ゆくまで相談させてもらおう。
「待たせたな」
口に飴の棒を覗かせて、よれた白衣を引っ掛けた格好で、先生が玄関から出てきた。手にはバインダーと、それから薬局でよく見る処方箋の白い袋が握られている。
「まず颯介、ほれ」
「はい」
まず先生は、処方箋の袋を颯介に渡して、バインダーをベンチの空いている場所に置いた。
「それから」
そのままなんの前触れもなく、颯介の左頬に右ストレートを喰らわせた。結構いい音、いや骨でも折れたんじゃないかってぐらいの鈍い音が響いて、颯介の身体が僕のほうへ倒れてくる。
「へ!? そ、颯介ッ」
咄嗟に支えた颯介は、先生をこれでもかというくらいに鋭く睨みつけていた。
「颯介。おめぇ、なんつうことしてんだ」
「……」
「ビッチングに関しては、まだ不明瞭なことが多い。大方、一ノ瀬くんをΩにしようとしたんだろうが、その結果がこれだ。あー、クソッ、最初見た時に止めりゃあよかった」
え。不明瞭? 何、僕、結構危ないことになってんの?
話についていけず、とりあえず颯介と先生の顔を交互に見ることしか出来ない。
「……好きなやつ、自分のモンにして何が悪ぃんだよ」
颯介!? 口調が! 口調があの生意気な高校生時代に戻ってるよ!?
「そ、颯介、あのさ、落ち着い」
「あ? おい颯介、もっぺん言ってみろや」
「先生も落ち着いてくださいいい!」
先生が颯介の胸ぐらを掴み、互いに睨み合う。
「なぁ、颯介。おめぇがやったのは、大ッ嫌ぇな母親とおんなじことなんだよ」
「……」
母親の話をされて、颯介が心底嫌そうに顔を歪ませる。詳しく聞いたことはないけれど、確か颯介のご両親はαで、上手くいかなくて、それで颯介はここに来て……。
話を呑み込めず、僕は「あの」とか「ええと」としか言えない。とりあえず手をオロオロと右に左に振ってみるけれど、もちろん、これでどうにかなるものでもない。
「……一ノ瀬くんに何も話してねぇのか?」
「あ、あの、ご両親がαってことは聞いてます、けど」
なんだろう。何か、まずいことになってる気がするぞ。何を言えば話が丸く収まってくれるのだろう。
「ったく。こいつの母親は、百パーセントαを産むっつうくだらねぇ実験のために、好きでもねぇαとガキ作ったんだよ。根拠もねぇことに他人を巻き込みやがって」
「……はッ。そのクソな母親に育てたのは、あんたじゃねぇのかよ。クソジジイ」
ん?
頭の中で、よくアニメや漫画であるような“ポクポクポク、チーン”の効果音が鳴った、気がした。
「うええええぇ!?」
その大声は、この澄み切った田舎の空気にはよく響き渡った。
ですよね! 学校とかありますよね!
「よう。また来やがったか」
玄関で出迎えてくれた白石先生が、颯介と、それから僕を見て無愛想に言い放った。言葉と口調は相変わらずきついけれど、その声には優しさが滲んでいて、心配をしてくれていることがわかる。
「お久しぶりです。あの、あれから連絡せず、すみませんでした」
僕が頭を下げれば、颯介は「気にしなくていいんですよ」とぶっきらぼうに返して、白石先生は「むしろしてくんな」と、二人して同じようなことを言った。それが面白くて、つい小さく吹き出してしまう。
そんな僕を、先生がじっと見つめてくるものだから、僕は慌てて「すみません!」とまた頭を下げた。けれど先生は、ふ、と口元を緩めて、
「……笑えるようになって、何よりだ」
と僕の頭に手を置いて、くしゃりと髪を撫でてくれた。
「先生、その手、邪魔です」
颯介が面白くなさそうな顔をして、先生の腕をがしりと掴む。
「へいへい。今日はガキどももいねぇし、そのへんで話を聞いてやる。適当なベンチにでも座ってろ」
適当な、と言われて、軒先に置いてあるベンチを示される。いくら今日が晴れているといっても、季節は冬。外で話をするにはいささか寒いと思うのだけど。
でも颯介はそれに対しては文句のひとつも言わず、むしろ施設をちらりと見てから「わかりました」と大人しくベンチへと向かった。
「颯介……?」
僕も颯介のあとを追い、端に座った颯介の隣に座る。
「……Ωの匂い」
鼻をすんすんと鳴らして、颯介がちらりと施設を振り返った。僕も見習って匂いを嗅いでみる。もちろん何も感じない。
「でもここ、Ωの子が、その、たくさんいるんだろ? なら今さら……」
「いや、これはたぶん、ヒートだと思います。紅羽さん、第二性についてあまり詳しくないんでしたっけ?」
う……と言葉に詰まるも、本当のことなので渋々頷く。颯介は少し呆れながらも「ヒートは」と話を続けてくれた。
「第二次成長期、大抵は十五歳までにくるもので、フェロモンを出してαを惹きつける生理現象です。フェロモンが強い人だと、βにも影響があるらしいです」
「へぇ……」
「昨日、紅羽さんも体験したでしょう? あれが定期的にくるものと思ってください」
昨夜を思い出して、つい顔に熱が集まってしまう。あんな、どうしようもないくらいに颯介が欲しくなるなんて……。しかも定期的に? 恥ずかしさで消えたくなる。
「大変、なんだな」
「だから抑制剤を……、Ω用の抑制剤を飲んで、フェロモンの発生を抑えてるんです。けれど、一番最初のヒートって突発的に起こるんで……」
なんとなく理解してきた。そうか、今Ωの子がヒートに入っちゃってるから、僕らは外で話を聞くことになったわけだ。なら仕方ない。
「他人事ではないんです。紅羽さんも、何がきっかけで昨日みたいになるか、わからないんですから」
「そっ、か」
そうなると薬を飲まないとなのか? でもそれってΩ用の? α用の、ではないよな。あれ? β用ってあるのか?
頭の中に疑問ばかりが浮かぶけれど、そもそもそれを解決するためにここに来たんだ。先生に心ゆくまで相談させてもらおう。
「待たせたな」
口に飴の棒を覗かせて、よれた白衣を引っ掛けた格好で、先生が玄関から出てきた。手にはバインダーと、それから薬局でよく見る処方箋の白い袋が握られている。
「まず颯介、ほれ」
「はい」
まず先生は、処方箋の袋を颯介に渡して、バインダーをベンチの空いている場所に置いた。
「それから」
そのままなんの前触れもなく、颯介の左頬に右ストレートを喰らわせた。結構いい音、いや骨でも折れたんじゃないかってぐらいの鈍い音が響いて、颯介の身体が僕のほうへ倒れてくる。
「へ!? そ、颯介ッ」
咄嗟に支えた颯介は、先生をこれでもかというくらいに鋭く睨みつけていた。
「颯介。おめぇ、なんつうことしてんだ」
「……」
「ビッチングに関しては、まだ不明瞭なことが多い。大方、一ノ瀬くんをΩにしようとしたんだろうが、その結果がこれだ。あー、クソッ、最初見た時に止めりゃあよかった」
え。不明瞭? 何、僕、結構危ないことになってんの?
話についていけず、とりあえず颯介と先生の顔を交互に見ることしか出来ない。
「……好きなやつ、自分のモンにして何が悪ぃんだよ」
颯介!? 口調が! 口調があの生意気な高校生時代に戻ってるよ!?
「そ、颯介、あのさ、落ち着い」
「あ? おい颯介、もっぺん言ってみろや」
「先生も落ち着いてくださいいい!」
先生が颯介の胸ぐらを掴み、互いに睨み合う。
「なぁ、颯介。おめぇがやったのは、大ッ嫌ぇな母親とおんなじことなんだよ」
「……」
母親の話をされて、颯介が心底嫌そうに顔を歪ませる。詳しく聞いたことはないけれど、確か颯介のご両親はαで、上手くいかなくて、それで颯介はここに来て……。
話を呑み込めず、僕は「あの」とか「ええと」としか言えない。とりあえず手をオロオロと右に左に振ってみるけれど、もちろん、これでどうにかなるものでもない。
「……一ノ瀬くんに何も話してねぇのか?」
「あ、あの、ご両親がαってことは聞いてます、けど」
なんだろう。何か、まずいことになってる気がするぞ。何を言えば話が丸く収まってくれるのだろう。
「ったく。こいつの母親は、百パーセントαを産むっつうくだらねぇ実験のために、好きでもねぇαとガキ作ったんだよ。根拠もねぇことに他人を巻き込みやがって」
「……はッ。そのクソな母親に育てたのは、あんたじゃねぇのかよ。クソジジイ」
ん?
頭の中で、よくアニメや漫画であるような“ポクポクポク、チーン”の効果音が鳴った、気がした。
「うええええぇ!?」
その大声は、この澄み切った田舎の空気にはよく響き渡った。
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