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36話

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 空は灰色の雲が多くなり、雪が降り始める季節になった。両手に吹きかける息が白く染まり、少し暖かくはなるものの、またすぐに寒くなる。そんな季節。
 僕は、Ωにはなっていなかった。
 あれからだいぶん颯介と身体を重ねてきたけれど、颯介曰く“Ωの匂いはしない”とのこと。ま、人体を作り変えるなんてことは、やっぱり都市伝説なんだろうな。

「紅羽先輩、帰りましょうか」

 この日も定時で仕事を終わらせて、いつも通りに颯介が僕のデスクまで来た。僕もファイルを鞄に突っ込んでから「うん」と椅子から立ち上がる。
 エントランスから出れば一気に風が吹きつけて、僕は小さくくしゃみをした。コートを着ていても寒い。マフラーもしてくればよかった――

「先輩、これ」
「ぁ……」

 不意にマフラーが巻かれて、急に体温が高くなる。嗅ぎ慣れたはずの匂いに顔が赤くなるのがわかって、僕はマフラーで顔を隠すように、ずいと口元まで引っ張り上げた。

「もうすぐクリスマスですね。平日ですけど」

 クリスマスか。毎年気にもしてなかった、というより、元カノと当日に会ったことなんてなかったな。クリスマスって何するのが普通なんだろう。

「仕事帰りにケーキでも買って帰りましょうか」
「……高級レストランでディナーとかじゃないんだな」
「したいなら予約しますよ……?」

 そう言われて「あ、いや」と口ごもる。別にしたいわけじゃない。あれかな。チキン買って、あとプレゼントを買えばいいのか?

「……紅羽さん」

 会社からだいぶ離れたからか、颯介がいつもの呼び方をした。

「俺は、特別な何かはいらないです。あなたと一緒に過ごせれば、それで満足ですから」
「一緒にって……、どうせ仕事なんだから一緒だろうが」
「それはそうなんですけどね……」

 颯介が肩を落とす。
 当日会社でも顔を合わせて、帰りもこうして一緒なら、今日もクリスマスも変わらないと思うのだけど。やっぱり僕としては、何かこう、特別なことをしてやりたい。

「じゃ、僕が何か考えて――っくしゅ」

 背筋がぶるりと震えて、鼻水が少し出る。

「風邪かな……」

 ティッシュを出そうと鞄に手を突っ込もうとして、颯介が先に「はい」とポケットティッシュを出してきた。ひと言お礼を言ってから鼻をかむ。

「最近寒くなりましたからね。お腹出して寝ちゃ駄目ですよ?」
「出すか、馬鹿」

 ティッシュを颯介に返して、かんだあとのゴミはポケットに入れるかと考えていると、ゴミも颯介がもらってくれた。流石にいいと言ったのだけど、今さら鼻水ぐらい、と言われて癪だったから、颯介のポケットに突っ込んでやった。

「でも紅羽さん、本当に大丈夫です? 顔赤いですよ?」
「んー……」

 確かに最近、体調が優れないなとは思っていた。
 体温は高いし、頭はふわふわするし、全体的に怠いし。でも熱があるわけではなかったから、そのうち治るだろうと思って放っておいたのだ。
 大丈夫。もうすぐ駅に着く。電車に乗ったら、あとは駅から歩くだけ……。

「家まで送りましょうか? それとも、今から俺の家来ます?」
「や。移ると悪いし、自分の家に帰る」
「じゃあ、せめて送っていきますね」

 颯介が僕の空いてる手を握り、自分のコートのポケットに突っ込んだ。繋いだ手が暖かくて、熱とは別の意味で体温が上がる気がする。これじゃ下がるものも下がらない。
 改札を通って、電車を待つ。ホームにいる人がいつもより多く感じる。冬休みに入った学生なんだろうか。体調もよくないし座りたかったけど、降りる駅まですぐだし、まぁ立ってても大丈夫だろう。

「電車、来ましたよ」
「ん……」

 ふらつく足取りで電車に乗り込んで、流されるままに反対側の扉まで押し込まれた。颯介が庇う形で立って「掴まってください」とスーツを握らせてくれる。自然と颯介とくっついて、嫌でも香りを嗅ぐようになってしまう。

「ふ……ぅ」

 あ、駄目だ、これ。
 僕は身体にこもる熱を、颯介の足に無意識に擦り寄せていた。電車の揺れも相まって、ほどよい刺激が心地良い。

「ちょっ……、紅羽さん」

 颯介の焦る声がする。けれど引き離すわけにもいかないのか、颯介は小さく息を呑んだ後、僕の顔を隠すよう頭を押さえつけてきた。

「んぁ……っ」

 一段と香りが強くなって、僕はぶるりと身体を震わせた。コートで隠れて見えないけれど、下着だけに留まらず、僕はスーツのズボンさえもぐっしょりと濡らしていた。
 出して少し冷静になる。こんなおおやけの場で致したことが急に恥ずかしく、申し訳無さやら、どうすればいいのかわからないやらで、僕は「そ、すけぇ……っ」と掠れた声で縋る。

「……そのまま顔、隠しててください。大丈夫ですから」
「ん、ん……っ」

 出したばかりだというのに、熱がまた籠もりだしていく。こんなこと初めてで、僕はどうすればいいかもわからず、ただ言われたままにコートに顔を埋めた。
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