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一ノ瀬紅羽の場合
24話
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その病院は、車で二時間かかる田舎にあった。
颯介が借りたレンタカーの助手席から、広がる田園風景を眺める。民家もぽつぽつとはあるが、正直、こんな場所に病院があるなんて見当もつかない。
「ほら、あれです」
見えてきた真っ白い建物は、病院というよりどちらかといえば診療所みたいな感じで、敷地内にある小さな公園には子供たちが走り回っている。
「……」
車から降りて、敷地内に一歩足を踏み入れる。
「あ! 颯介にーちゃんだ!」
「おかえりー!」
遊んでいた子供たちが口々に颯介を呼ぶ。僕たちはすぐに十人ほどの子供たちに取り囲まれてしまって、その場から動けなくなってしまった。その中の、十歳くらいの子が、鼻をすんすんと鳴らし、僕に少しだけ近寄った。
「あれー? このお兄ちゃん、颯介の匂いがする」
「……っ」
言われた瞬間、僕の体温が一気に上がり、顔だけじゃなく耳まで真っ赤になったのがわかる。βの僕にはどんな匂いかわからないから、尚さらだ。
「俺の番だからね」
隣に立つ颯介が、さも当たり前のように言って、僕の右手を取り指先に口づけた。子供たちの前で何をやるんだとか、番にはなれないってあれほど言っただろとか、言いたいことは山ほどあるのに、僕の声が出ないのをいいことに、颯介は子供たちに僕のことを紹介している。
「……!」
「紅羽さん、そんなに照れないでください」
照れてない! 怒ってるんだ!
……あれ、なんでこの子は颯介の匂いがわかったんだろう。
「騒がしいから来てみりゃあ……。颯介、帰ってきたのか」
渋い声が診療所のほうから聞こえて振り返る。
まるでどっかの研究員みたいに白衣を肩に引っ掛け、健康サンダルを履いた髭面の初老男性が、ぽりぽりと頭を掻きながら出てくるところだった。
「先生、お久しぶりです」
颯介が穏やかに笑って、子供たちに「ごめんね」と散るよう促した。公園に戻っていく背中を見送ってから、颯介が「俺の番です」と僕の腰に手を回す。
「ほぉん……、番、ねぇ」
頭のてっぺんから足の爪先まで見られ、僕は少しだけ萎縮して背中を丸くした。
「ま、それはいい。用事なら早くしやがれ、俺は忙しい」
舌打ち混じりに言われ、本当にこの人大丈夫なのかと不安になる。けれど颯介が連れてきてくれたのだし、無下にはしないはず。
颯介に手を引かれるまま、診療所の中へと入る。外装は診療所に見えたけれど、内装は幼稚園や保育園といった託児所に近い。壁には、折り紙で季節を象った飾りがつけられているし、子供たちが書いたであろう絵も飾られている。物珍しげに辺りを見回す僕に「紅羽さん」と颯介が囁く。
「ここ、孤児院なんですよ」
驚きで目を見開く僕に「こっちです」と手を引きながら、颯介は続ける。
「αがαとΩから生まれるのは知ってますよね」
小さく頷く。βの僕でも知っている。常識だ。
「なら、αを望む家庭にΩが生まれた場合、どうなるかわかりますか?」
「……」
「もちろん、全てがそうではありません。バース性関係なく育てるのがほとんどです」
βの間に生まれたβの僕には、想像すら出来なかった。当たり前に育ててもらったし、当たり前に愛を注いでもらえたから。
「でも、実は、αを確実に生む方法ってあるんです」
「……?」
そんなことが可能なのだろうか。なら、もっとαが多くてもおかしくないような……。
「α同士の間には、αしか生まれません」
「……」
颯介の手が、微かに震えている。
「でもα同士ってなかなか上手くいかないみたいで。大抵、放任されてしまうんです。俺みたいに」
「……!」
ハッとして顔を上げれば、昔を思い出すように目を細める颯介の横顔が見えた。その視線の先には、壁に“お誕生日のお友達”と書かれた紙を張る子供たちがいる。
「俺は、八歳の頃にここへ来たんです」
張り終えた子供たちが「にーちゃん!」とだっこをせがんでくる。それに「またな」と頭を撫でて、僕たちは一番奥の、日当たりが良さそうな部屋へとやってきた。
「まぁ、また追々話しますね」
扉に手をかけ、そう笑った颯介が少し悲しそうに見えたから。
開けようとした手を制して、僕は颯介を見上げた。
「紅羽さん?」
怪訝そうに僕を見る颯介。それ以上何も言わせるつもりもなかったし、この気持ちを上手く言えそうにもなかったから、ぐいと手を引っ張って無理やり屈ませた。
「っ」
僕から唇を軽く重ねて、すぐに離した。
隣に僕がいるのに、僕を番呼ばわりしてくるくせに、そんな顔をするからだ。
「紅羽さん、するならもっと……」
廊下の壁に追いやられて、逃げ場がなくなってしまう。そのまま顎に手をかけられて少し上を向かされて――
「ちゅーするぞ! ほら、ちゅー!」
「はわわわぁ。つがいってすごいんだねぇ」
「あんまでっかいこえだすなよ! ばれるだろ!」
声のほうを見れば、曲がり角から顔だけ出してこっちを見ている子供たちがいた。
「はぁぁぁぁあああ。あいつら……」
口ではそう言いながらも、本気で怒るつもりはないようで。
「入りましょっか」
苦笑いしながら、颯介は部屋の扉を開けた。扉の横には“しょちしつ”とよくあるネームプレートの看板がかかっていた。
颯介が借りたレンタカーの助手席から、広がる田園風景を眺める。民家もぽつぽつとはあるが、正直、こんな場所に病院があるなんて見当もつかない。
「ほら、あれです」
見えてきた真っ白い建物は、病院というよりどちらかといえば診療所みたいな感じで、敷地内にある小さな公園には子供たちが走り回っている。
「……」
車から降りて、敷地内に一歩足を踏み入れる。
「あ! 颯介にーちゃんだ!」
「おかえりー!」
遊んでいた子供たちが口々に颯介を呼ぶ。僕たちはすぐに十人ほどの子供たちに取り囲まれてしまって、その場から動けなくなってしまった。その中の、十歳くらいの子が、鼻をすんすんと鳴らし、僕に少しだけ近寄った。
「あれー? このお兄ちゃん、颯介の匂いがする」
「……っ」
言われた瞬間、僕の体温が一気に上がり、顔だけじゃなく耳まで真っ赤になったのがわかる。βの僕にはどんな匂いかわからないから、尚さらだ。
「俺の番だからね」
隣に立つ颯介が、さも当たり前のように言って、僕の右手を取り指先に口づけた。子供たちの前で何をやるんだとか、番にはなれないってあれほど言っただろとか、言いたいことは山ほどあるのに、僕の声が出ないのをいいことに、颯介は子供たちに僕のことを紹介している。
「……!」
「紅羽さん、そんなに照れないでください」
照れてない! 怒ってるんだ!
……あれ、なんでこの子は颯介の匂いがわかったんだろう。
「騒がしいから来てみりゃあ……。颯介、帰ってきたのか」
渋い声が診療所のほうから聞こえて振り返る。
まるでどっかの研究員みたいに白衣を肩に引っ掛け、健康サンダルを履いた髭面の初老男性が、ぽりぽりと頭を掻きながら出てくるところだった。
「先生、お久しぶりです」
颯介が穏やかに笑って、子供たちに「ごめんね」と散るよう促した。公園に戻っていく背中を見送ってから、颯介が「俺の番です」と僕の腰に手を回す。
「ほぉん……、番、ねぇ」
頭のてっぺんから足の爪先まで見られ、僕は少しだけ萎縮して背中を丸くした。
「ま、それはいい。用事なら早くしやがれ、俺は忙しい」
舌打ち混じりに言われ、本当にこの人大丈夫なのかと不安になる。けれど颯介が連れてきてくれたのだし、無下にはしないはず。
颯介に手を引かれるまま、診療所の中へと入る。外装は診療所に見えたけれど、内装は幼稚園や保育園といった託児所に近い。壁には、折り紙で季節を象った飾りがつけられているし、子供たちが書いたであろう絵も飾られている。物珍しげに辺りを見回す僕に「紅羽さん」と颯介が囁く。
「ここ、孤児院なんですよ」
驚きで目を見開く僕に「こっちです」と手を引きながら、颯介は続ける。
「αがαとΩから生まれるのは知ってますよね」
小さく頷く。βの僕でも知っている。常識だ。
「なら、αを望む家庭にΩが生まれた場合、どうなるかわかりますか?」
「……」
「もちろん、全てがそうではありません。バース性関係なく育てるのがほとんどです」
βの間に生まれたβの僕には、想像すら出来なかった。当たり前に育ててもらったし、当たり前に愛を注いでもらえたから。
「でも、実は、αを確実に生む方法ってあるんです」
「……?」
そんなことが可能なのだろうか。なら、もっとαが多くてもおかしくないような……。
「α同士の間には、αしか生まれません」
「……」
颯介の手が、微かに震えている。
「でもα同士ってなかなか上手くいかないみたいで。大抵、放任されてしまうんです。俺みたいに」
「……!」
ハッとして顔を上げれば、昔を思い出すように目を細める颯介の横顔が見えた。その視線の先には、壁に“お誕生日のお友達”と書かれた紙を張る子供たちがいる。
「俺は、八歳の頃にここへ来たんです」
張り終えた子供たちが「にーちゃん!」とだっこをせがんでくる。それに「またな」と頭を撫でて、僕たちは一番奥の、日当たりが良さそうな部屋へとやってきた。
「まぁ、また追々話しますね」
扉に手をかけ、そう笑った颯介が少し悲しそうに見えたから。
開けようとした手を制して、僕は颯介を見上げた。
「紅羽さん?」
怪訝そうに僕を見る颯介。それ以上何も言わせるつもりもなかったし、この気持ちを上手く言えそうにもなかったから、ぐいと手を引っ張って無理やり屈ませた。
「っ」
僕から唇を軽く重ねて、すぐに離した。
隣に僕がいるのに、僕を番呼ばわりしてくるくせに、そんな顔をするからだ。
「紅羽さん、するならもっと……」
廊下の壁に追いやられて、逃げ場がなくなってしまう。そのまま顎に手をかけられて少し上を向かされて――
「ちゅーするぞ! ほら、ちゅー!」
「はわわわぁ。つがいってすごいんだねぇ」
「あんまでっかいこえだすなよ! ばれるだろ!」
声のほうを見れば、曲がり角から顔だけ出してこっちを見ている子供たちがいた。
「はぁぁぁぁあああ。あいつら……」
口ではそう言いながらも、本気で怒るつもりはないようで。
「入りましょっか」
苦笑いしながら、颯介は部屋の扉を開けた。扉の横には“しょちしつ”とよくあるネームプレートの看板がかかっていた。
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