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一ノ瀬紅羽の場合
8話
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あの夜から、僕と十三は同僚以上恋人未満という、なんとも微妙な関係になってしまった。
それもこれも、僕が早く返事をしないのが原因ではあるけれど、あいつはαなのだ。もし、自分の番になるべき人を見つけてしまったら、僕はまた一人になる。それを考えれば考えるほど、僕はさらに一層返事をしにくくなっていった。
「紅羽先輩。飯でも行きませんか?」
あの夜からニヶ月が経った頃。そう十三から誘われた。
「う、うん」
十三のおかげで、だいぶん残業をする日が減った。
部長はあまり面白くなさそうな顔をして、どうにかこうにか仕事を回そうとしてくるのだけれど、十三がそれを引き受けたり、手伝ったりしてくれて、特にここ最近は夢の定時退社をしている。
「あ、じゃ、僕が奢る。最近手伝ってくれてたし」
「それじゃあ、お言葉に甘えましょうかね。味噌ラーメン専門店が出来たらしいんで、そこでどうでしょう?」
「ラーメンか、うん、わかった」
そんなお店があったんだ、知らなかったな。
ここ二ヶ月、帰りは大抵、十三と一緒に帰っている。といっても駅まで送ってくれて、そこで十三が「お気をつけて」と見送るぐらいなんだけど。
あとはたまにキスされたり、うなじを甘噛されたり、首筋に顔をぐりぐり押しつけられたり。最初は戸惑った僕も、段々十三が犬みたいに思えてきて、ここ最近ではそれも慣れてきた。
でも、あの夜みたいなことはしてこない。
荷物をまとめて、定時を過ぎたあたりで二人で会社を出る。
「で、どこにあるんだ?」
とりあえず十三についていくが、向かう先がいつもと同じ駅なことに気づいて、僕はもう一度「なぁ」と十三のスーツの裾を引っ張った。
「ん? あぁ、先輩の家の近くですよ」
「そう、か、そうか……そうなのか!?」
全然知らなかった。
ちなみにだが、こいつには僕がいつも乗り降りする駅は教えてある。というか、駅まで見送られた時の会話で、何気なしに聞かれたから答えてしまっただけだ。
「先輩、ほんと……っ、いい反応……、くくっ」
相変わらず僕のことをよく笑うやつだ。ムカついたから脇腹を軽くつついてやった。十三はびくんと身体を仰け反らせ「うっ」と軽く呻いた。してやったり、とにやりと笑えば、十三は「せんぱーい?」と僕を恨めしそうに見てきやがった。
「ザマァみろ」
べ、と軽く舌も出しながら笑う。これぐらいの反撃、別にしても許されるはず。
「へぇ、そういうこと言っちゃいます? あーあ、ラーメン大盛りで唐揚げと炒飯もつけちゃおっかなぁ」
「まだメニュー知らないだろ。それにラーメンと炒飯を一緒に食べると血糖値上がるぞ」
「血糖値って……、今さら健康志向ですか。会社で寝泊まりしてた人が?」
「それはその……、感謝してる」
最後のほうは聞こえるか聞こえないかぐらいの、本当に小さな声で言った。周りを行き交う人の賑いもあって、聞こえていないはずだ。それなのに十三はふ、と口元を緩めて「どういたしまして」と微笑んだ。
「……ふん」
気恥ずかしくて、また脇腹をつつこうとしたけれど、今度は華麗にその手を掴まれて阻止された。くそ、生意気なやつだ。
会社近くの駅から二駅。そこからニ十分ほど歩けば僕の住むアパートに着く。
けれど今日はラーメン屋が目的だ。家とは反対に十分ほど歩いて、少し賑やかな通りに出れば、表に“味噌”と書かれた看板のお店が見えてきた。平日だからかそれほど混んでなく、僕らは運良くテーブル席へと案内された。
「へぇ、味噌って色々あるんだな」
「北は北海道、南は沖縄までありますからね。隣同士の県でも使う味噌が違うなんてこと、よくありますよ」
「ふぅん」
まぁ、初めてだし、一番オーソドックスなのでいいかと北海道味噌を注文する。ちなみに十三も北海道味噌で、しかも大盛り、ちゃっかりと炒飯まで頼みやがった。唐揚げはそもそもメニューになかった。
「それで先輩」
「ん?」
「そろそろ考えてくれました?」
水を飲もうとしていた手が止まる。
いくら鈍い僕でも、何を、なんてわざわざ聞くような野暮なことはしない。
「その、まだ、保留で……」
自分でもズルいな、とは思う。でもいっそのこと、これで諦めてくれないかなとも考えてしまう。
「なら、まだ待ちますね」
「……ごめん」
なんでこんな僕に、好意を持ってくれてるんだろう。なんの取り柄もない、ただのβなのに。
「お待たせしました! 北海道味噌の普通と、大盛り! あと炒飯!」
「あ、あぁ、どう、も……!?」
テーブルに無遠慮に置かれたふたつの器。片方は僕の普通盛りで、よく見る、そう、普通のラーメンだった。
問題は十三の頼んだ大盛りのほうだ。明らかに僕の器の三倍はあるそれに、これでもかというくらい、もやしと炒めた野菜と、極厚のチャーシューが乗っている。
「……ぷっ、な、なんだよこれ! おい十三、おま、これ食べれるのか?」
「いやぁ……、ちょっと予想外というか」
頼んだ本人は、僕への仕返しのつもりのようだけど、これじゃあ仕返しどころか、全部自分に返ってきてるじゃないか。
僕は十三の少なくなった水を注いでやりながら「ま、頑張れ」と他人事のように笑った。
それもこれも、僕が早く返事をしないのが原因ではあるけれど、あいつはαなのだ。もし、自分の番になるべき人を見つけてしまったら、僕はまた一人になる。それを考えれば考えるほど、僕はさらに一層返事をしにくくなっていった。
「紅羽先輩。飯でも行きませんか?」
あの夜からニヶ月が経った頃。そう十三から誘われた。
「う、うん」
十三のおかげで、だいぶん残業をする日が減った。
部長はあまり面白くなさそうな顔をして、どうにかこうにか仕事を回そうとしてくるのだけれど、十三がそれを引き受けたり、手伝ったりしてくれて、特にここ最近は夢の定時退社をしている。
「あ、じゃ、僕が奢る。最近手伝ってくれてたし」
「それじゃあ、お言葉に甘えましょうかね。味噌ラーメン専門店が出来たらしいんで、そこでどうでしょう?」
「ラーメンか、うん、わかった」
そんなお店があったんだ、知らなかったな。
ここ二ヶ月、帰りは大抵、十三と一緒に帰っている。といっても駅まで送ってくれて、そこで十三が「お気をつけて」と見送るぐらいなんだけど。
あとはたまにキスされたり、うなじを甘噛されたり、首筋に顔をぐりぐり押しつけられたり。最初は戸惑った僕も、段々十三が犬みたいに思えてきて、ここ最近ではそれも慣れてきた。
でも、あの夜みたいなことはしてこない。
荷物をまとめて、定時を過ぎたあたりで二人で会社を出る。
「で、どこにあるんだ?」
とりあえず十三についていくが、向かう先がいつもと同じ駅なことに気づいて、僕はもう一度「なぁ」と十三のスーツの裾を引っ張った。
「ん? あぁ、先輩の家の近くですよ」
「そう、か、そうか……そうなのか!?」
全然知らなかった。
ちなみにだが、こいつには僕がいつも乗り降りする駅は教えてある。というか、駅まで見送られた時の会話で、何気なしに聞かれたから答えてしまっただけだ。
「先輩、ほんと……っ、いい反応……、くくっ」
相変わらず僕のことをよく笑うやつだ。ムカついたから脇腹を軽くつついてやった。十三はびくんと身体を仰け反らせ「うっ」と軽く呻いた。してやったり、とにやりと笑えば、十三は「せんぱーい?」と僕を恨めしそうに見てきやがった。
「ザマァみろ」
べ、と軽く舌も出しながら笑う。これぐらいの反撃、別にしても許されるはず。
「へぇ、そういうこと言っちゃいます? あーあ、ラーメン大盛りで唐揚げと炒飯もつけちゃおっかなぁ」
「まだメニュー知らないだろ。それにラーメンと炒飯を一緒に食べると血糖値上がるぞ」
「血糖値って……、今さら健康志向ですか。会社で寝泊まりしてた人が?」
「それはその……、感謝してる」
最後のほうは聞こえるか聞こえないかぐらいの、本当に小さな声で言った。周りを行き交う人の賑いもあって、聞こえていないはずだ。それなのに十三はふ、と口元を緩めて「どういたしまして」と微笑んだ。
「……ふん」
気恥ずかしくて、また脇腹をつつこうとしたけれど、今度は華麗にその手を掴まれて阻止された。くそ、生意気なやつだ。
会社近くの駅から二駅。そこからニ十分ほど歩けば僕の住むアパートに着く。
けれど今日はラーメン屋が目的だ。家とは反対に十分ほど歩いて、少し賑やかな通りに出れば、表に“味噌”と書かれた看板のお店が見えてきた。平日だからかそれほど混んでなく、僕らは運良くテーブル席へと案内された。
「へぇ、味噌って色々あるんだな」
「北は北海道、南は沖縄までありますからね。隣同士の県でも使う味噌が違うなんてこと、よくありますよ」
「ふぅん」
まぁ、初めてだし、一番オーソドックスなのでいいかと北海道味噌を注文する。ちなみに十三も北海道味噌で、しかも大盛り、ちゃっかりと炒飯まで頼みやがった。唐揚げはそもそもメニューになかった。
「それで先輩」
「ん?」
「そろそろ考えてくれました?」
水を飲もうとしていた手が止まる。
いくら鈍い僕でも、何を、なんてわざわざ聞くような野暮なことはしない。
「その、まだ、保留で……」
自分でもズルいな、とは思う。でもいっそのこと、これで諦めてくれないかなとも考えてしまう。
「なら、まだ待ちますね」
「……ごめん」
なんでこんな僕に、好意を持ってくれてるんだろう。なんの取り柄もない、ただのβなのに。
「お待たせしました! 北海道味噌の普通と、大盛り! あと炒飯!」
「あ、あぁ、どう、も……!?」
テーブルに無遠慮に置かれたふたつの器。片方は僕の普通盛りで、よく見る、そう、普通のラーメンだった。
問題は十三の頼んだ大盛りのほうだ。明らかに僕の器の三倍はあるそれに、これでもかというくらい、もやしと炒めた野菜と、極厚のチャーシューが乗っている。
「……ぷっ、な、なんだよこれ! おい十三、おま、これ食べれるのか?」
「いやぁ……、ちょっと予想外というか」
頼んだ本人は、僕への仕返しのつもりのようだけど、これじゃあ仕返しどころか、全部自分に返ってきてるじゃないか。
僕は十三の少なくなった水を注いでやりながら「ま、頑張れ」と他人事のように笑った。
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