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3話

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 とりあえず一階から見ていくことに決め、エレベーターの前まで歩き、くだりのスイッチを押してエレベーターが来るのを待つ。

「先輩」
「……」
「ね、先輩」
「……」
「先輩ってば」

 無視だ、無視。昨夜のソウに似てるからって、本人なわけが……。

「……紅羽くれはさん」
「一ノ瀬先輩」

 しまった、つい反射で返してしまった。
 振り返り十三とさを見上げれば、可笑しくてたまらないとばかりに、口元に手をやって笑いを堪えていた。

「やっぱり紅羽さんだ」
「い、ち、の、せ、せ、ん、ぱ、い」
「紅羽先輩」

 わざわざ一言一句区切って言い直したのに、十三のやつは僕の名前に先輩をつけただけで、否が応でも名字で呼ぶつもりはないらしい。
 ポーンとエレベーターの音が鳴り、目の前の扉が開く。仕事中で誰も乗っていないがらんとした空間に、僕が先に乗って“開”のボタンを押す。十三も乗り込んだのを確認してから“閉”を押し、続けて“1”を押そうとした手を十三に掴まれた。

「な、何す」
「なんか運命感じちゃいますよね、これ」
「う、運命って……」

 エレベーターの扉が閉まる。けれど階層のボタンを押していないせいで、エレベーターが動き出す気配は一向にない。

「い、今、は、仕事中で」
「それなんですけど、別に今さら案内なんてしなくて大丈夫ですよ」
「それって……ふ、くっ」

 どういうことだと顔を上げたところに、待ってましたとばかりに十三に口を塞がれた。舌先で口をこじ開けられ、口内を十三の舌が好き勝手に荒らしていく。
 奥に引っ込めていた自分の舌を絡め取られ、上手く飲みきれない唾液が唇から零れた。それは僕に昨夜を思い出させて、また息が苦しくなってくる。

「ふーっ、んんーっ」
「……いっ」

 あまりの息苦しさに、勢いあまってやつの舌を噛んでしまった。
 やつが驚いたように肩をびくつかせ、僕から距離を取る。痛みで口を押さえる様があまりにも滑稽で、僕は「ザマァみろ!」と年甲斐もなく乱暴な言葉を使ってしまった。

「……ははっ」

 けれど十三は怒るでもなく、むしろ逆に吹き出すと、何事もなかったように“1”のボタンを押した。

「先輩、部長にも言えればいいのに」
「……だって、僕はβの中でも、普通だから」
「あー、ありますよね。一人だけ、そういうβを入れておくって風潮」
「……」

 あからさまになってきたのは、高校からだったと思う。別にβだから頭がいいとか悪いとか、運動が出来る出来ないとかはないのだけど、僕はたぶん、世渡りが上手くはなかったのだろう。
 例えばそれは、放課後、制服でゲーセンに寄ってみたりだとか。学校をサボってファーストフードに行ってみたりだとか。そういう、少しハメを外すようなことをしてこなかった。
 結果的に僕は、面白みのない、真面目で、素朴なやつと認識されてしまったわけで。

「αとかΩだったら、少しは違ったのかな……」

 人とは違う自分に、なれたのかな。

「……なりたいんですか?」

 十三のくぐもった言葉が、押さえた口の合間から聞こえた。だいぶん強く噛んでしまったらしい。んべ、と出した舌先は真っ赤に滲んでいた。

「選べないし、なれるもんじゃないだろうが。ほら、もう着くぞ」

 チーンと音が鳴ってエレベーターの扉が開く。“開”のボタンを押したまま「早く出ろ」と十三を先に出してから、続けて自分も出た。

「それじゃ、まずはだな」

 少し弱音を吐いてしまったし、ここは先輩らしく案内しないとな。そう意気込んで、ホールの案内図前まで歩いていく。

「あ、紅羽先輩、案内なんですけど」
「うん? 見たいとこでもあったか?」

 なんだ、それなら早く言えよ。と言いたいのを我慢して「どうした?」と胸を張ってふんすと鼻を鳴らした。

「いや、もう全部頭に入ってるんで、今さら案内はいらないです」
「へ? や、でも、案内するのが僕の仕事、で」

 どうしよう。このままじゃ戻れない。戻れば、また部長からの怒鳴り声が飛んでくるのは、目に見えて明らかだ。
 さっきまでの覇気を失くして肩を落とした僕に、十三が「だから」と外を示した。

「外回り、行きましょう」
「で、でも僕、営業じゃ……」
「いいからいいから。さ、行きましょ、先輩」

 随分強引で、我儘な後輩だ。
 戻ったら部長に怒られるかなとか、仕事どうしようとか、思うことは山程あるのだけれど、久しぶりに出た明るい外は、そんな不安を一気に吹き飛ばしてくれた。
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