上 下
57 / 70
四季折々に、挨拶を。

そして誰もいなくなった 11.

しおりを挟む
 話し声も聞こえないまま、海月は逆の階段から教室に向かった。足音がしないように脱いだ革靴は昼休みにでも置きに行けばいい。翔悟と涼華に知られることなく海月は教室のドアを開いた。

「みーっづき!」
「うわあっ」
「あはは、ビクッた? 治ったよー」

 同じように軽やかに笑っているはずなのに、どうしてか凪沙がいつもより頼もしく思えた。

「おーい。海月ー」
「……あ、そ、そなんだ」

 そのまま机にスクールバッグをかけ、座った。

「なんかあったのー?」
「別に?」
「嘘」

 海月なんかあったでしょ、と続けた。その言葉に数人のクラスメートが顔を見合わせる。

「あ、あのさ、海月」

 声をかけたのはクラスの学級委員長である風花だ。以前海月が翔悟とすれ違い、その後の体育の授業で倒れる直前海月に話しかけていた。

「風花ちゃん……どしたの?」
「……ごめん。机の中のやつしか、捨てられなかった」
「え……」

 差し出した手の中にはカミソリと画鋲、そして紙。

「──ありがとう……」
「え、いんちょ何それ?」
「あ……えと……」
「……海月、行くよ」

 凪沙は強く海月の手を引き、教室から連れ出した。しれっと海月の革靴も持ってきている。

「ちょ、凪沙っ」

 陸上部であり短距離を走る凪沙は加速が早く、運動量はほとんど帰宅部に近い海月はすぐに息が切れる。週に一回は近くのプールに泳ぎに行っていたが、運動部には敵わない。

「流奈ーっ!!」

 絶叫するのに近いほどの大きな声だ。

「え、流奈?」
「久しぶりですね、海月」
「……え、なんで体育館裏?」
「いえ、呼び出しを受けまして。休む前からあってその度に手紙は焼却していたのですが、あまりにしつこいのでいっそばっさりと」

 変わらない口調と、変わらない外見、変わらない笑顔。

「ほら、話してよ!」
「え……で、でも」
「……海月、痩せましたか? 少しやつれてません?」
「…………」

 ──食欲が無い。それだけなのに、体重は落ちる。

「ったく、深海先輩と喧嘩でもしたのー? 夫婦喧嘩は犬も食わないってのに」
「凪沙の口からことわざが……雪が降りますね。今日折りたたみしか持ってないんですよ、やめてください」
「け、喧嘩はしてないけど……」

 ──そう、喧嘩はしていない。ただ、私が一方的にちょっとだけ距離を置いてるだけ。

「……ちょうど、二人がいない時だったんだけど」

***

「……は?」
「な、凪沙……」

 ニヤニヤ顔はどこへ行ったのだろう、凪沙には表情がない。これが真顔というものだと挿絵で辞書に書いてありそうなほどの『真顔』だ。

「え、何そいつ。先輩とか関係ないし。むしろ深海先輩も何? 海月ほっといて何やってんの? 不倫も浮気も文化じゃないんだけど」
「凪沙、落ち着いてください。ただ単に顔が近づいていたというだけで、浮気と決めつけるには早計です」
「いや、顔近づくって何? 何してんの?」
「例えばですが……」

 流奈は凪沙の耳に口を近づけ呟いた。

「こういうのですね」
「……不覚にもちょびっとドキドキしてしまった」
「え……!?」
「冗談だし。……で。どーしよっか」

 ちらりと目を向ければ、そこには虚ろな目がある。

「こーら、そんな目しないの」
「…………」

 全てを無くしたような目だ。ある意味で、海月にとって翔悟は──いや、やめよう。そう思い、凪沙は少し上にある海月の頭を撫でた。

「んー……今日、私の家に来ませんか?」
「……へ?」

 思わず海月が顔を上げた。

「実は帰国したのは私だけで、親はいないんです。秘書や組員の半数ほどは同行していますから、邪魔されもしません」
「やったー!!」
「え……でも」
「今日は弓道部がないので一緒に帰れます。あ、着替えは心配しないでください」

 微笑んでいる流奈の目はきらきらと輝いている。
 ──逃げて、いいのかな。
 翔悟を避けてしまうことが自分の中でどうしても『逃げ』だと感じてしまう。それが本当にそれなのかは分からない。けれど、滲み出てくる罪悪感が最後まで邪魔をする。

「いーじゃん、女子会女子会!」
「……深海先輩には、私から言っておきます。充電がなくなったとでも言えばいい」

 目の前に用意された逃げ道に、足を踏み出したら。
 ──避けてしまったら。

「っ……」

 不意に、海月の脳裏をまたあの光景がよぎった。隠されたものの中にはまだどこにあるか分からないものもあり、翔悟とのお揃いのものが大半だ。
 また──そう、また、大切な何かを奪われるのかもしれない。その何かは翔悟になってしまうのかもしれない。

「ごめん、ちょっと考えるね……」
「そうですか。じゃあ、昼休みに教えて下さい」
「うん」

 ──ああもう、またぐちゃぐちゃ。

「……あ、ううん」
「何ですか?」
「……久しぶりだね、女子会」
「……そうですね」

 ──でも。
 ──まだ壊されてないものを、感じたい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【1/23取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

夫は平然と、不倫を公言致しました。

松茸
恋愛
最愛の人はもういない。 厳しい父の命令で、公爵令嬢の私に次の夫があてがわれた。 しかし彼は不倫を公言して……

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

処理中です...