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31 魔術都市で裏競売にかけられます
しおりを挟む「どうです? そろそろ機嫌は直りましたか?」
客間のテーブルに腰掛けたセイランが、昼食に用意した果実パイへと匙を入れながら聞いてきた。
砂糖で煮つけられているのか美味しそうに照り光るそれは、対面に座らされているリーゼの前にも並べられている。
『そちらは時間の経過という概念がないので、お腹は空かないと思いますけど……』と、気遣いのつもりか、ただ鑑賞の意味合いしか持たないパイを目の前へと置いた男に、リーゼはそっぽを向き、ただでさえ眉間に刻まれていた皺を更に深くした。
ちらりと横目で見ると、セイランはちょうど自分の分の一切れを食べ終えて布で口を拭っている最中だった。
目が合うと眼鏡の奥にある目を細め、元凶の張本人にも関わらず「やっぱりパイはこの店のものが一番美味しいんですよね、今度食べてみてください」と、絵画の中にいるリーゼに向けて言ってくる。
「出せ」
「美人が怒ると迫力があるなんてよく耳にしますけど、どうやら本当のようですね」
茶化すようにそう言った男が、口直しのために手に取ったティーカップをリーゼは睨みつけるようにして見た。中身はおそらく紅茶で、躊躇する素振りなど一切なくセイランはそれに口をつける。
(自分はただの紅茶を飲んで、私には薬入りを飲ませていたとはな)
昨日から苦味の強かった紅茶は、どうやらリーゼを下拵えするためのものであったらしい。
先ほど、現状を受け入れられずに外の世界と阻む結界へと手を当てていたリーゼを前にして『昨日いろいろ突っ込んで煮た鍋の中身を入れました。あれでも飲みやすいようかなり薄めてあげたんですよ』と、彼は言った。
感謝しろとばかりにため息混じりで放たれたその言葉に、
リーゼは可能であるならば一太刀浴びせたい気持ちになった。
「元はと言えばリーゼ……あなたが私の書斎に勝手に潜り込んで、何を探していたのか魔鼠のように散らかしたのが原因ですよ」
「だからと言って絵画に閉じ込めるのは違うだろう。それに私は散らかしてなどいない、しっかり元通りにしたはずだ。それなのに何故分かった?」
二日前、出て行った男が帰ってこないことに痺れを切らしたリーゼは、いくら居場所を聞いても口を割らないセイランの書斎へとこっそり忍び込んだ。
そこの散らかり具合はどの部屋よりも酷く、物を踏みつけないよう慎重に足を地につけ、リーゼは目当てのものを探した。しかし、いくら探しても見つからないどころか、途中床に置かれていた紙束へと膝がぶつかり雪崩が起きてしまった。
リーゼはそれをきちんと元の位置へとあった状態に戻した。部屋を出る前、あきらめきれずに机の上に置かれていた手紙を検めたが、彼が参加する予定の魔術学会の連絡や知人からの手紙のようで目当てのものは見つからなかった。
「私は自分の家のどこに何がどの状態であるか、全て記憶しています。ですので、書斎へとあなたが立ち入ったことは一目瞭然でした。あなたが探していたのはこれですか?」
ひらりと目の前に翳された便箋には日付と住所が記されていた。書かれていた文字を追うと、それはどうやら手紙の内容からして裏競売についてのもので、リーゼは目を瞠った。
絵画の中からセイランに訴えるように見つめる。
(あの手紙は……)
セイランはもう片方の手で封筒を持っていた。差出人には『アーチ&リンク』と連名で記されている。
それは宛名に『先生へ』と書かれていることから、リーゼが教え子とのやりとりの関係のないものと踏んで、手に取ったがすぐに横に流した手紙だった。
「あなたが私の目を掻い潜ってまでどうしても会場に行きたい様子でしたので、より確実な方法を……と用意してあげました」
「自分自身が商品になる方法か?」
「ええ、そうです。裏競売はお偉い方が身分を隠して参加しますからね、とうぜん厳重な警備のもと行われます。受け付けで正体がバレて今後追われるような生活は御免でしょう。よって、自分が商品となり内から入る方が確実です」
人差し指を立て、自分の生徒に言い聞かせるようにそう説いたセイランに、リーゼはその綺麗な形をした目を眉を細めた。そして「しかし、絵画にする必要はあったか? これでは魔術も使えない。それにいざという時に身動きできないだろう」と、不機嫌を隠さずに言う。
セイランは物分かりの悪い子に呆れるような、深いため息を吐いた。
「絵画なら一切あなたへと手出し出来ないでしょう、傷物にしたら価値が落ちますし…………あなた自分の顔をよく見たことありますか?」
眼鏡の位置を指で正しながらセイランは「本当は背中に羽を生やしたり、足を魚の尾にしたかったですよ、私だって。あなたならきっと似合うでしょうし」と残念そうな声色でそう言った。
リーゼはさながら実験動物のように自分を見立てたその言葉に、ふたたび眉間に皺を刻む。しかし、その一方で彼ならそういったことも可能なのだろうか、と背筋を冷や汗が流れた。
「ハルピュイアや人魚にしたところで、あなたが無事に戻ってこれないことは分かっています。もしそんなことがあれば、私はあなたの恋人に斬られてしまいますし、それに今回は……」
一枚の絵画に向かってセイランがそう力説していた時、リンリン、と来客のベルの音が部屋の中へと鳴り響いた。
セイランは腰を上げると「来たようですね、ちょっと待っていて下さい」と絵画の中にいるリーゼへと告げて、いそいそと玄関へと向かった。
セイランに案内されながら、二人の青年が客間へと入ってきた。
彼らの顔はとても似通っているが、携えている表情は正反対だった。それぞれ薄い緑色の髪を逆側へと流し、どちらも利発そうな顔立ちをしている。
「彼らはアーチとリンクと言います。右のにやけた顔をしているのがアーチで、左の仏頂面がリンク。よく似ているでしょう? 見ての通り双子です。そして二人は私の元教え子で、今回の作戦の協力者です」
セイランに紹介に預かった二人は「にやけた顔(仏頂面)は余計です」と声を揃えて言った。
息の合ったその一連のやり取りに、リーゼは彼らの日常を感じた。
客間には椅子が三脚しかない。対面の二脚を双子へと譲り、残りの一脚に腰を据えたセイランは、自分の膝の上に絵画を置いた。
「ちょっと席が足りないので、少しの間これで我慢してくださいね」と、上から覗きこんでそう言った男にリーゼはふんと鼻を鳴らすことで返事をした。
昼過ぎの客間には、柔らかい陽射しが差し込んでいる。
パイの乗っていた皿を片付けたセイランは、紅茶の入ったティーカップを三客テーブルへと並べた。
「黒髪とは……また、珍しいですね。初めて見ました」
対面に座っているアーチが、絵画の中にいるリーゼを凝視しながらそう言った。その言葉に隣に座っていたリンクが「おい」と彼を肘で小突く。
双子の片割れの失言を窘めるようなその行動に、リーゼは絵画の中で肩身を狭くした。街中を歩いているときに、物珍しそうな表情をして眺めてきた人々の群れを思い出す。
リーゼは頭上にいるセイランを見上げ、そして尋ねた。
「セイラン、この街では黒髪であることに意味があるのか?」
「……え? ああ、大したことではありませんよ。この街では黒髪が特別珍しいといっただけで……」
歯切れの悪い声色とサッと逸された視線に、リーゼは怪訝に眉を寄せた。
(……何かあるらしい)
リーゼはこれまで黒髪の人間を他の町や村でたくさん目にしてきた。勇者ナイルやその恋人のマルサだって黒髪だ。
(以前この場所を訪れた時、ナイルもこのような奇異な目を向けられたのだろうか)
もしそうであれば、自分と一緒に幻想術を施し、目立つだろうと金髪から黒髪にした男のことが心配になる。
続けてセイランを問い詰めようとした時、唐突にリーゼの視界がぐらりと大きく揺れた。
それはセイランが絵画を持ち上げたせいで、都合の悪い質問を受ける前にと彼は「さあ、時間はあまりありません。作戦会議をしましょう」と、場を取り仕切るように声を上げた。
双子のアーチとリンクは自警団に所属しているとセイランから説明があった。彼らは金を握らされ、機能しない警察の代わりに、その身を隠しながら街の秩序を守ってきたらしい。
「偉いな」と、リーゼが心の底から賞賛すると二人は声を揃えて「いいえ、仕事ですから」と恐縮してみせた。しかし、携えているその表情が笑顔のアーチ、困り顔のリンクと見事に真逆で、リーゼはこうも違うものなのかと目元を緩めて微笑んだ。
「彼らは今回の裏競売の主催側に潜入しています。今日は表面上、出品物の受け取りのために私の家を訪れました」
セイランがリーゼが収められた絵画を二人に手渡した。落とさないよう丁重に、手袋をはめた手で双子はそれぞれ絵画の端を掴んだ。
「さて、リーゼ。先ほど話した通りに宜しくお願いしますよ? それから、ちゃんと無傷で帰ってきてくださいね」
「作戦の件は承知した。しかし、私がまだあなたに怒っていることを忘れないでくれ」
席をたち見送る姿勢を取ったセイランに、リーゼは顔を背けると横目で睨みつけながらそう言った。
そんなリーゼの様子に困ったように微笑んだセイランは、「帰ってきたら街中のパイをリーゼにご馳走様しますから」と両手を擦り合わせて謝罪の意をみせた。
家を出ると迎えの馬車が家の前に付けられていた。
「それでは、リーゼ。私も明日、会場に行きますので」
見送りに出てきたセイランにリーゼは頷いた。
そして、手を振られ、動き出した馬車の中で、リーゼは目を閉じてセイランの告げた作戦を思い返した。
『会場に着いたら他に裏競売へとかけられる商品を確認し、双子に伝えてください。あまり目立たないように形を潜めて、決して主催者側に印象付けないようにしてくださいね、あなたはただでさえ目立ちますから。そして当日、一人の貴族の男にあなたは買われてください。彼は裏競売に多額の寄付を寄せているうちの一人で、無類の絵画好きです。彼はきっとあなたの入ったこの絵画『黒髪の告解人』を競り落としてみせるでしょう』
(そしてその男の家にある収集品をこの目で抑える)
上手くできるか不安だが、上手くやらなくてはいけない。
すでにカインは別の出資者の貴族の屋敷へと潜入しているという話だった。
カインが外からなら、リーゼは内からだとセイランは言っていた。
(危ない橋は二人で渡りたい。カインがそれを許さなくとも私はそうしたい)
絵画に入れられた時はその理不尽さに腹を立てたが、結局のところリーゼは何がなんでも会場へと足を運ぶつもりでいた。
何も知らないリーゼを心地いいぬるま湯へと浸けたまま、一人危ない道を相談なく渡ろうとする男の支えに、リーゼはどうしてもなりたかったのだ。
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