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25 海をただよう船上で逃走します
しおりを挟む次にリーゼが目覚めた時は夜だった。最近あまり寝れていなかったからか随分と眠ってしまったようで、バッグから懐中時計を取り出して時間を確認すると、ちょうど日付を跨いだ頃合いだった。
寝癖を直すように髪を手櫛で梳かすと、猫の耳がなくなっていることに気がつく。十日が経ち、どうやら獣人変身薬の効果が切れたらしかった。
くぅぅと大きく伸びをしていると、リーゼの名前を呼ぶ声がわずかに聞こえてきた。リーゼは自分が座っているベッドの上の隣で眠っている男を眺めた。
(……よく寝てる)
隣ではカインが気持ちよさそうに寝息を立ててよく眠っていた。
リーゼを呼ぶ声はどうやら寝言だったようで、腕は何かを探しているかのようにシーツの上を彷徨っている。
リーゼはカインに自ら身体を寄せると、先ほどまで収まっていたその場所へと戻るように、男の腕に自らもう一度抱かれにいった。
「カイン……もう夜だ、起きてくれ」
やっと手の中に収まったそれに満足したように、カインは眠っていながらもリーゼの体を強く抱きしめた。それから白い髪に鼻先を埋め、寝惚けながらも匂いを嗅いでくる男に、熱い吐息を頭皮に感じたリーゼはわずかに身動いだ。
「……カイン、いい加減起きろ」
逞しい胸に抱かれながらも、リーゼは起こさなくてはと腕を回してカインの背を叩いた。しかし、今度はむずかるかのようにリーゼの胸へと顔を押し付けてきた男に、リーゼは呆れたようにため息を吐きながらも、こういうのも久しぶりだなと胸の奥が温かくなる気持ちになった。
(もうこの腕に抱かれることはないと思っていた)
リーゼは噛み締めるように男の頭を抱きしめた。すると息苦しさを訴えてくるように、カインは寝言でもごもごと何かを言いながらリーゼの腕を叩いてきた。その様子に少しだけ腹を立てながらもリーゼは男の頭を離してやる。
そのまま起き上がり、離れていく体を追うようにふたたび伸ばされたカインの手にリーゼは枕を押しつけた。
これではないと寝惚けながらも眉間に皺を寄せた男に、その唇へと宥めるように最後に口付けてからリーゼはベッドを離れた。
二人が寝ていた船室を出ると、夜の海の上を船はゆっくりと泳いでいた。白く広がる帆はやわらかい風を受けて、順調に目的地へと進んでいるようだった。
(一体どこに向かっているんだろうか)
昨日より波はおだやかで、船の揺れが少ない。
リーゼは遠くの暗い水平線を見つめながら歩き、依然視界に何も映らないことを確認すると、甲板の下にある場所へと向かうため階段を下りていった。
リーゼは久しぶりに料理をしようと思った。
寝汚い男が目を覚ました時に、常に大皿をぺろりと平らげる大食漢なその男がどうせ腹を空かしてくるだろう、とリーゼは顔を洗ってから調理室に入ると、気合を入れるために腕まくりをした。
食糧庫や壁に掛かっている棚から適当に食材や道具を拝借し、調理台へと並べていく。
「よし」
まずはじめに芋を洗うとまな板の上に置いた。そして、手を丸めてその茶色い物体を押さえつけ、包丁で小気味良く切っていくうちにリーゼは皮を剥く工程を飛ばしてしまったことに気がついた。まな板の上に転がる小さな芋の欠片たちの中から一つだけ手に取ると、リーゼは呆然としながらそれを見つめた。
(……間違えた)
仕方なくその小さな欠片に残った皮を一片一片、包丁で順番に剥いていき、それだけで結構な時間を要してしまうことになった。次に葉物をざくざくと切り刻むと、その更に小さくなってしまった芋の欠片と共に沸騰した鍋へと入れた。
「……あと肉が必要だな」
最初の工程から躓き、少しこんがらがっている思考を落ちつかせるために声に出してそう言ったリーゼは、次に肉の塊と対峙した。おそるおそる包丁をその赤身に入れると、今度は固い何かに包丁の刃がぶつかって首を傾げた。
仕方なくリーゼは、ぐぐっと全体重を乗せて切り落とした。そして、その断面を見るとその強固さで包丁の邪魔をしていたものが骨であったことに気づき眉を顰めた。
(大丈夫だ。骨つき肉の料理とかあるだろう)
リーゼはあまり気にすることなく再び力を込めるとどんどん肉を骨ごとぶつ切りにしていった。
全ての具材を鍋に入れ終えて、リーゼは今度はいくつかの調味料や香辛料に手を伸ばす。適当ににおいを嗅いで風味のいいそれらをぐつぐつと煮えている鍋の上でひと回しすると、完成を待った。
(……やはり料理は戦いだな)
今のうちにと使用した道具を流しで洗いながら、リーゼは一人思い出したように微笑み、額の汗を拭った。
実はリーゼは以前料理を習ったことがある。
救いの旅の間は、大体訪れたところにある料理屋や食堂で各々好きなものを頼んで食べていたのだが、途中から料理が得意なジノが仲間に加わると、時々彼に料理を作ってもらっていた。
それまで野宿をした時など食べ物が必要な際は、保存食で済ませるか、騎士団で野営の経験があるカインや山で狩ったものを解体していたナイルが適当に鍋を作ったりしてその場を凌いでいたのだが、リーゼはからっきしで鍋を担当する機会を与えてもらえなかった。
幼い頃から神殿の中にいて、料理をするどころかその工程すら見たこともなく、そのことに少しばかり負い目を感じていたリーゼはジノに頼み込んで直接料理を習うことにした。
最初は指を切ったり、食材を駄目にしたり散々なリーゼであったが、終わる頃にはリーゼの手料理を試食するといつも倒れそうになっていたジノが眉間に皺を寄せるくらいになるまでには成長できていた。
だからリーゼは料理することに自信がついていた。
最後に瓜を粉々にするために使った錫杖の先を洗っていると、靴音が聞こえてきてリーゼは振り向いた。
「お前、勝手にいなくなんなよ……どっか行ったと思って焦っただろ」
「……私は起こした。あなたが起きなかっただけだ」
寝癖がひどい頭を掻きながらカインはそう言うと、洗い物をしているリーゼに近づき、後ろから抱きしめてきた。
照れ隠しにつんけんとした態度を取ってしまったリーゼは、ごまかすように「味を見るからどけ」と男を肘で押しやり、玉杓子を手に取る。
しかし、リーゼが鍋に近づいて中身を掬おうとすると「待て、リーゼ」とカインから制止の声がかかった。
「俺が先に味見する」
カインはそう言うと、リーゼの手から玉杓子を奪った。
リーゼは手持ち無沙汰となったことに若干唇を尖らせながらも、大人しくカインに任せることにした。なぜなら以前からリーゼが料理をした時は毎回カインが率先して味見を買って出てくれていたことを思い出し、今回もそれに倣うように鍋の前から退いて場所を譲った。きっと自分では気づけないこともあると思いながらも、それでも美味しいと言ってもらえるのではないかと期待に胸を高鳴らせる。
カインは鍋に近づくと、ごくりとその大きく隆起した喉仏を鳴らした。そして玉杓子で鍋の中身を少しだけ掬い、一口食べたあと盛大に咽せそうになりながらも、それを口の中で押し殺すことに成功した。
「どうだ? 美味しいか?」
「……ちょっと、待て」
こほん、と空咳を数回して喉の調子を整えたカインは「刺激的な味がする」とリーゼに向かって笑顔を作って言った。リーゼは刺激的な味とはどういう味だろうかと自分も近づいて一口食べようとしたが、カインに邪魔をするかのように片手で腰を掴まれ止められてしまう。
リーゼが訝しげに眉を寄せると、カインは「少し味が濃いわ」と鍋の中に水や調味料をいくつか足していった。
「ほら、食ってみろ」
もう一度味見をしたカインは頷くと、リーゼに玉杓子で鍋を一口分だけ掬って差し出してきた。途中、火傷しないように息を吹きかけ熱を冷まし、リーゼはカインの手ずから食べさせてもらった。
「美味しい」
上手く出来て良かったとリーゼは手を合わせて喜んだ。
カインはそんなリーゼの様子に胸を撫で下ろしながらも、「部屋で食おう」と完成した鍋を手に持ち、先に歩いていってしまう。
リーゼは食器と匙を持って後を追うように調理室を出た。
船室にあったテーブルにつき、二人は鍋を食べた。
途中、ちゃんと切れていない大きな葉物や、骨の入った固い肉に苦戦を強いられはしたが、味付けが良くリーゼは椀二杯分も平らげた。なぜか煮崩れして形がなくなっていた芋や瓜が良い感じにとろみとなっていてリーゼを驚かせたが、美味しく作れたのであまり深く考えないことにした。
カインもリーゼの倍以上の椀五杯分を腹におさめ、満足した様子でふぅと腹をさすっている。
「さて、私は片付けをしてくる」
だいぶ遅めの夕食を終えて、リーゼは空になった鍋や食器を手に持って席を立とうした。隣でカインも立ち上がったのが見えて、手伝おうとしてくれているのかと思ったリーゼは「ゆっくりしててくれ」と声をかける。
しかし、そう言っても卓の反対側にいる自分の元へと近づいてきたカインにリーゼは「ありがとう」と微笑み、そしてその手によって調理室で洗おうと抱えていた食器類たちが再びテーブルの上へと戻されるとリーゼは呆然とした。
「どうした……わっ! おい!」
そのカインの可笑しな行動に、リーゼが顔を顰めた時──いきなり体が宙へと浮かび上がり、リーゼは声を上げた。
下を見るとカインがリーゼの体を担ぎ上げていて、焦ったリーゼは降ろしてくれと訴えるように男の背中を必死に叩いた。
しかし、鍛え上げられた男の体にはリーゼの抵抗など小動物が暴れているようなもので、狼狽えたリーゼは男の名前を叫んだ。
「カイン!」
「はいはい、ちょっと待ってろよ」
カインはそのまま食卓や長椅子のある部屋を早足で抜けると、隣の部屋へとリーゼを抱えたまま移動した。
その部屋には先程まで眠っていたベッドが一つ置かれていて、リーゼをその上へと乱暴に転がすと、カインは必死に起き上がろうとするリーゼをふたたび押し戻すようにその華奢な身体の上へと跨った。
「……何するんだ?」
「何って分かんねぇの?」
それから悪戯っぽく口角を上げた男が「よく寝て、腹満たした後に恋人と夜することって言ったら一つしかねぇだろ」と笑いながら言うものだから、リーゼは肩をびくりと震わせた。
「待って、カイン」
「待たねぇよ。ずっと逃げられ続けた挙句、昨日もお預けくらってんだ」
カインはリーゼが押しやろうとする手を一纏めにするとベッドへと押さえつけた。抵抗虚しくそのまま深く口付けられてしまったリーゼは、男を受け入れるために瞼を閉じた。
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