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24 海をただよう船上で逃走します

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 揺れる船の上を、リーゼは転がりそうになりながら走った。
 途中大きく打ち付けてきた横波に船体がわずかに傾いて、体勢を崩したリーゼは甲板へと膝をついてしまった。しかし、後ろからゆっくりと追いかけてくる靴音が聞こえてくると、ふたたび振り返りもせずに這うようにして駆け出す。

(どこか隠れられそうな場所はないか)

 手すりを掴みながら階段を下りて、リーゼは甲板の下へと逃げ込んだ。片っ端から備え付けられている扉を開いては、どこか身を隠せそうな場所を探していく。

(ここは用具庫だ。そこは浴室で……あそこは調理室か)

 だめだ、どこも開放的で隠れられそうにない。
 手近にある部屋の中を一通り確認したリーゼは、船自体が最近造船されたからなのか、物が少なく身を隠せそうにない状況に濡れた祭服の裾をぐっと掴んだ。
 絶望に苛まれながらも諦めきれずにリーゼは視線を動かして周囲を見回し、そして奥の方の離れたところにある調理室の床に、上蓋のついた隠し戸があるのを見つけた。
 急いで近寄ると取っ手を起こし、指をかけて持ち上げる。

(もうここしかない)

 重たい上蓋を引き抜くように開けて中を確認すると、小麦粉などの粉物類を備蓄する食糧庫のようだった。階段を下ってくる靴音が聞こえて焦ったリーゼは、隙間を縫うようにその中へと入り上蓋を閉じた。
 暗くて狭いその空間で、リーゼは冷えを感じて身を縮ませた。そして、緊張と寒さの両方から肩が震えて、落ち着かせるよう自分の身体を手で摩る。

(お願いだから来るな)

 祈るようにぎゅっと目を瞑り、猫の耳を使って外の音に耳を澄ませた。
 靴音はコツコツと音を響かせて階段を下りきると、寄り道することなくリーゼが隠れている食糧庫へと近づいてくる。

(……あ)

 そして一寸の迷いもない足取りでその靴を鳴らす音はリーゼの頭の上まで来ると、次の瞬間にはキィーと木の軋む音をさせながら隠し戸の上蓋がゆっくりと開かれる音がした。差し込んできた光が瞼を差し、リーゼは諦めたように目を開ける。
 上から見下してくるカインの姿が視界に入った。眉を困ったように下げたその男は「馬鹿だな、指輪の魔力まだ残ってるからどこ隠れても分かっちまうぞ」と、呆れながらそう言ってきて、その言葉に泣きそうになったリーゼが左手の小指を見るとまだ僅かに光っているようだった。

「リーゼ、濡れたままだと風邪引く。いくら治せるっていったって体は冷やすな」

 そう言ってカインは手を伸ばし、未だ小麦粉の入った大袋に身を寄せているリーゼの腹に片腕を回すと、その場所から引きずり上げた。
 狼狽えたリーゼは、しかしどうすることも出来ずにそのまま抱き抱えられてしまい、恨みつらみを擦り付けるように男の肩へと額をぶつけた。

「先に風呂入るか」

 カインはリーゼを抱えたまま、先程急いでいたリーゼが扉を開けっ放しにしたままであった浴室の中へと入っていった。まずは湯船に栓をして、それからに備え付けられていた魔法陣に手をかざし魔力を込めると蛇口に湯を吐き出させる。
 濡れた祭服の襟に手をかけられて、リーゼはその手を払うように叩いた。「おい」と、窘めるように言われたがリーゼは嫌々と頭を振った。

「脱がなきゃ風呂入れねぇだろ」
「……私は入りたいなんて言ってない」
「馬鹿か、こんなに体冷やしてんのに。マジで風邪引きてぇの?」
「元はと言えば、あなたが海に飛び込んだせいだ」

 カインはリーゼを一度床へと下ろすと、その場から逃がさないようにリーゼを壁に片手で押さえつけた。そして、もう片方の手を自分の腰に留めているベルトに掛け、カチャカチャと金具を外しにかかる。

「嫌だ……やだ、離して」
「ちょっと待っとけよ、ほら次お前の番」

 布擦れの音に必死になったリーゼの抵抗をものともせず全ての服を取っ払い裸になったカインは、今度はリーゼの祭服を脱がせようと手をかけてきた。逃げることも出来ず、背中の留め具を外されて肩をむき出しにされるとリーゼはたまらず体を隠すように自分を抱きしめた。

「安心しろよ、無理やり襲ったりしねぇから」

 どの口が言う、とリーゼは思う。今まで散々リーゼの裸を見るや否や手を出してきて、その言葉に全く信用など出来なかった。
 しかも今、この男はリーゼとは別の人間との結婚を控えているのにも関わらずこうして一緒に風呂に入ろうとしている。離れても尚、リーゼのことを追いかけてきて心を掻き回し続ける男にリーゼはいよいよ涙が溢れた。

 体を押し返そうとする腕を取られて、そのまま一枚一枚服を剥がされた。裸にされた途端にカインに抵抗虚しく抱き上げられて、そのまま湯船の前まで来ると湯をため終えたその中に押し込められる。後ろから男も足を突っ込んできて、リーゼは出来るだけ距離を取ろうと端に寄った。
 帆船に寝泊まりする水夫たちが汗を簡単に流すためだけに作られたであろう、あまり広くないそれに成人した男二人が入るには窮屈すぎた。リーゼは華奢な体つきであまり面積を取らないが、後から入ってきた男は鍛え上げられた体躯を持っていて、その狭さを補うようにリーゼの体の方まで脚を伸ばし、後ろから抱え込もうとしてくる。
 リーゼは背中を向けながら、カインに向けて腕を突っ張らせた。それに対し、腕をリーゼへと伸ばしながら「リーちゃん」と機嫌を取るように呼びかけてくる男に、リーゼはその方を一切見ずして頭を振って拒絶をした。

「リーゼ」
「……話しかけてくるな」

 ちゃぷん、とカインが抱きかかえることを諦めたのか、湯の中に腕を沈めた音がしてリーゼは肩の力を抜いた。しかし、その後すぐに深いため息をついた男が「じゃあ、そのままでいいから聞け」と真剣な声色でそう言ってきて、リーゼは再び体を硬直させた。

「王女との結婚の件だけど──」
「待て!」

 リーゼはカインが全てを話してしまう前に男の方へと振り返って、急いでその口を手で塞いだ。どうしてもその話の先を聞く勇気が持てずして、その翠色の瞳を小さくして驚くカインに「言わないで」と懇願する。堰を切ったように涙が溢れて、リーゼの頬を伝っていった。

「嫌だ……お願いだ……聞きたくない」

 胸が苦しくて仕方がなかった。この時を持ってしてもカインのことを好きなままでいて、いくら忘れようとしても思い出してしまう男の顔を見ているのも辛く、リーゼは男の口に両手を翳したまま項垂れた。カインの脚に乗り上げるような姿勢になり、願いを請うようにそのまま男の首元に顔を埋めた。
 何も話して欲しくないのに「聞いて」とリーゼの両手を掴み、口元から外した男が耳元で囁いてくる。頭を弱々しく振るリーゼのことを慰めるようにカインは白い髪に口付けてきた。

「俺が好きなのはリーゼだけだよ」

 リーゼの脇腹を掴み体を起こしたカインは、その小さな顎を手で掴み視線を合わせると、真剣な表情をしてそう言った。その言葉にさらに涙を溢れさせたリーゼが、顔をくしゃくしゃに歪めながら「本当?」と聞くと、それさえ愛おしむかのように口角を上げたカインは「本当」とその涙が止まらないリーゼの目元を自分の手で拭ってやった。

「…………だって……あなた……王、女様と」

 自分の口からその名前を出すことはリーゼにとって本当に苦しいことだった。胸を大きく上下させて息を切らしたように小さな声で紡ぐリーゼに、カインは宥めるようにその白く指どおりがいい髪を梳いた。

「あー、それはマジで何もない。王女とも結婚しないし、そもそも好きじゃねぇ。勘違いした王室がどうにかして俺と王女を結婚させようと動いてるだけ……」

 心底勘弁してほしいといった表情でカインが弁明している最中に、それを聞いたリーゼは伸び上がって男の唇に自分の唇を押し付けた。
 白く細い両手に頬を挟まれたカインは、縋り付くようなその口付けに、たまらずリーゼの頭を抱えて自らも強く唇を押し付け返した。

「ん……ぅ」

 徐々に深くなっていく口付けにリーゼは頭がくらくらした。唇を強く合わせていたと思ったら、次の瞬間には熱い舌がリーゼの口内へと入ってきて、食べ尽くすように蹂躙してくる。

「……あ……ぅん……カ、イン……はぁ」

 舌を吸われて、背筋が痺れた。依然として涙は止まらなくて、しゃくりあげるような息が漏れる。
 震える身体を大きく固い手で撫でられて、気持ちいいのにそれ以上はやめて欲しくて、リーゼはカインの厚い胸元に縋りついた。
 その甘く苦しい酔わされているような心地よさに猫の尻尾もカインの腕へと巻きつく。

(あ……意識が……)

 濡れた音が響く浴室で男の舌に激しく犯されながら、リーゼは意識を手放した。
 そういえば、昨日寝ていなかったな、と最後にぼんやりと頭の片隅で思い出した。


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