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21 獣人の村で保育士をします
しおりを挟むアベルはリーゼが自分の手を取ったことに凄まじい高揚感を覚えていた。
なぜならアベルは知っているからだ。
あの憎いカイン・クラークという男は、エルディースの薔薇と謳われ、美しいと名高い第三王女なんかより、今この時アベルの前にいて自分の手を取るリーゼのことを今でも愛おしく思っていることを──
本来の仕事の隠れ蓑として王都で有名な劇団で働いていたアベルは、次の演目について要望があると言った王室関係者にエルディース城へと呼ばれていた。
時期はちょうど勇者一行が救いの旅から帰ってきた辺りで、どこに行っても祝福の雰囲気を垂れ流している王城をアベルは苦虫を噛み潰したような気持ちで歩いていた。
『次回の演目は勇者一行の活躍譚にしてほしい』
王城の一室に通されると王の側近からそう告げられて、ここでもか、と顔には出さずともアベルはうんざりした。どいつもこいつも浮かれてやがって、とアベルは心の中で恨み言を吐く。
『それとは別に、近々第三王女と騎士カインが結婚式を挙げる予定なので、その要素も演劇に取り入れてほしい』
かつて自分を蔑ろにして騎士団を追いやった男は、勇者一行として地位と名誉を獲得するに飽き足らず、王女や権力まで手に入れるのか。
アベルは偉い方の御前にも関わらず、その言葉に腑が煮え繰り返り、眉間を寄せた。そのせいで王の側近から不審がられてしまい、慌てて腹を壊していると誤魔化すはめになった。
王命とあれば絶対だ。次回の演目は勇者一行の活躍譚に決定し、アベルは怒りのままに王城の廊下を歩いていた。
頭の中で憎い元上司の男への呪詛を唱え続け、それが通じてしまったかのように、廊下の突き当たりで男と遭遇してしまう。
『邪魔だ、どけ』
そう言ってアベルを退かしたその男の剣幕に、思わず『ひっ』と喉を鳴らしたアベルであったが、男は気づくこともなく、王城の出口に通ずる廊下を早い足取りで進んでいった。
その後を慌てたように『待て! カイン!』と、獅子の獣人と魔術士の格好をした男が追いかけていき、男を羽交い締めにするとその場に押し留めた。
『離せ!』と肩を振りまわし暴れるその男のことを獣人と魔術士の男たちは二人がかりで押さえ付ける。
『落ちついて下さい!』
『落ちつけるわけねぇだろ! リーゼがいなくなったんだ!』
憎い男のその荒れ狂いように、先ほどまで感じていたはずの酷い苛立ちがどこかへと消え去った。代わりに今度は野次馬精神が顔を覗かせてきたアベルは、廊下の影に隠れてその一部始終を眺めた。
『俺はリーゼがいねぇなら、生きている意味なんてねぇ!』
そして、その男──カイン・クラークが嘆くように言ったその言葉におそらく二人は恋仲なのだろうと推測し、アベルはその日からこっそりとリーゼという者は一体何者なのか調べ始めた。
王城の一室で演劇の内容を詰めていくうちに、それが誰なのかはすぐに分かった。リーゼという者は勇者一行の神官で、高潔で綺麗な顔をしている男であると王の側近から教えてもらったのだ。
初めはあの憎い男が同性である男に傾倒しているという醜聞を流そうかとも考えたが、廊下で目撃した男の様子から全く隠している素振りがみえなかったのと、それほど綺麗な男なら逆に追い風になってしまうのではと考え、その案をアベルは早々に打ち消した。それに。
『騎士カインは王女様と結婚されるんですよね?』
アベルがそう尋ねると、目の前で台本を書き連ねていた王の側近は眼鏡を直すふりをしながら手で顔を隠し、言い辛そうに『そうです』と小さい声で返事をした。
(これはきっと王室の意向で、男本人の意思に反した結婚だ)
そう考えたアベルは、ならば男の言っていた言葉通り『生きる意味』を今後感じることがないように王室の意向に対して自ら一枚噛むことにした。
『そうしましたら、騎士と王女様の恋愛を主とした劇にしませんか? 恋愛劇の方が多くの人からの反響が望めますし、若者受けも良いです。その一方で勇者一行の活躍を添えたらどうでしょう?』
そのアベルの言葉を聞いた王の側近は、目を伏せて『分かりました、いいでしょう』と頷き、眼鏡を掛け直した。
アベルは本来は茶色であった髪を金色へと染め上げ、自ら騎士の役を演じることにした。元々騎士団にいた自分以外にこれ程までな適任者はいないだろうと心の中で自虐する。
しかしこれも復讐のため。稽古をしながら開幕の日を待った。
凱旋祝賀式典の日、アベルは初めてリーゼを見た。といってもおそらく騎士の男の無理を通しているような表情から、本物はまだ姿を隠したままで、あの場にいるものはおそらく偽物であると考えた。
(しかし、綺麗な男だな──)
真っ白でまるで人形のようなその姿は、傍へと置いておきたいくらい綺麗で、アベルはその時一瞬にしてリーゼが欲しくなった。
まずは王都から騎士と王女の恋愛劇は開演されることになった。評判は上々で、騎士と王女の結婚の噂もそれとなしに行き渡ることとなった。
近辺の町や村を回りながら公演し、徐々に周知させるように噂を広げていく。
そして次の公演の場所が決定するまで王都で待機していた時、アベルは街中で男を見かけた。
買い物をする第三王女の後ろを、表情を読み取ることのできない護衛のような顔つきで男は付いて回っていた。しかし、すでに噂の流れている王都では、その二人の姿をみた人々からは感嘆の声が寄せられ、王女は恥ずかしそうに扇で顔を隠していた。
男はそんな周りの様子や王女の態度に無表情でありながら、時に鋭い目つきをし、群がる人々を冷たく見下ろしていた。
アベルはそんな男の様子に腹を抱えて笑った。今まで男に嘗めさせられた辛酸をそのまま返しているような気持ちになって、胸がすいた。
それに、それだけでは終わらずに神は自分に味方してくれたらしく、あの憎い男が一番大事にしているであろうものが今ここにある。
「リーゼ」
握手をしたままの手を引っ張って、リーゼを自分の近くへと引き寄せた。
聖の加護がある彼が、催眠に掛かっているのかどうかはまだ判断できないので、しっかりと獣人の子どもの首へと片手を回したまま、彼と繋いでいた手を離した。
それからアベルは自分の胸元へと手を持っていき、服の下に隠れている石を握りながら口を開く。
『リーゼ、膝をついて』
指示を出すと、リーゼは言われた通りにアベルの目の前で膝をつき、首を垂らした。
「……リーゼ」
アベルは感嘆の声をこぼした。
式典で一目姿を見た時から手に入れたいと思っていて、この村の公演で客席にいたリーゼの姿を見つけた時は本当に夢ではないかと疑った。
そして、ふらりと入った料理店で泣いているその綺麗な横顔を見てしまった時、この村に訪れた理由である本来の仕事を放棄しようかと思考を及ばせたくらいだった。
だからわざと子どもたちと握手する様子を彼に見せつけ、子どもたちを追いかけて自分の元まで自らの足で訪れてくれることに期待した。
アベルは胸元を掴んでいた手を離して、リーゼへと伸ばした。顎をつかみ、上を向かせて自分と視線を合わせるようにする。
(……綺麗だな)
右を向かせて、左を向かせて、顔の造形を確かめるようにアベルは眺めた。
白く長いまつ毛に覆われた碧色の瞳、形の整った鼻梁、唇は淡い花色で小さく慎ましい。
アベルはうっとりと言ったように表情を崩した。
その小さな顔を引き寄せて、一度唇へと口付けようとした時──コンコンと扉がノックされる音がした。
(やっと出港の準備が出来たか)
リーゼの顔から手を離し、アベルは『入れ』と命じる。その声に、駒にしている警護の男が扉を開けて入ってきた。
そして今は感情を無くしてただの傀儡となっているその男は、淡々とした口調でアベルに信じがたいことを報告してきた。
「船にボートが横付けされました。武器を持った男たちが乗り込んできそうです」
◇◇◇
アベルは獣人の子どもの頸を片手に掴み、もう片方の手でリーゼの腕を掴むと、船室の外へとでた。
夜闇に乗じて海へと出る手筈だったのにもかかわらず、すでに外は僅かに明るくなっていた。
甲板の下からは騒ぎに気づいたのか獣人の子どもが「とうちゃー!」と父親を呼ぶような声が聞こえてきて、アベルは船倉にぶち込んだ時に黙らせとくべきだったなと後悔し、舌打ちをした。
『帆は下ろしているな?! すぐに船を出せ! この際、撹乱していた奴らのことはどうでもいい!』
船上で次の行動の指示を待ち、突っ立っていた男たちに向けてアベルは声を上げた。鞭で打たれたように男たちは動きはじめる。
しかし、その瞬間、甲板の上に数人の男たちが投げられた。
その男たちはアベルが捜索を遅らせようと撹乱に回していた駒たちだった。気を失っている様子の彼らに焦ったアベルは男たちが投げられてきた方角を確認する。すると、ゆっくりと動き出した船のへりに何者かの足が掛けられていく様子が目に映り、そして──
「置いてっちゃ可哀想だろ、アベル。せっかく連れてきてやったのに」
そう言って、船縁を乗り越えて船上へと姿を現したのは今は王都にいるはずのこの世で一番アベルが憎く思っている男──カイン・クラークで。
アベルはすぐさま獣人の子どもの喉に掛かる手を見せつけ、そしてもう片方の手でリーゼの腰を引き寄せると「動くな!」とカインに向かって叫んだ。
「動くな! 武器を捨てろ!」
カインは言われた通りに腰に提げていた武器を甲板へと捨てた。
ガシャンと重たい音をさせて転がった男の愛剣に、従うしかないその様を見たアベルは「騎士が剣を持たずして何ができる!」と高笑いした。
「人質携えて、いつだって卑怯なお前には何も言われたくねぇな」
しかし、カインは馬鹿にしたように笑うアベルを一蹴するかのようにそう言うと、人質を両手に抱えるアベルのことを怖気づくどころかその翠色の瞳を昏くさせ、射抜くように睨み返してきた。
鋭い視線に、アベルは気圧されたように一歩後退する。
「なんだ、アベル。俺が怖いのか?」
カインは口角を上げ、口元だけで不敵に笑った。しかし、その翠色の瞳は全くもって笑っておらず、その様子を真正面から浴びてしまったアベルは身の毛がよだつ感覚を覚えた。
(クソ……なめやがって!)
だがこれ以上情けないところは見せられないと、アベルは気を張りなおす。
そしてリーゼの頬へと自分の顔を寄せると「お前の大事なものが、今誰の手に落ちてるか分かって言ってるのか?」といい、アベルはリーゼの腰から手を離し、自分の胸元へと持っていった。
『リーゼ、俺に口付けしろ』
そうリーゼへと指示を出した途端、目の前の男の顔が凍りついたように固まり、それを見たアベルは快感を覚えた。
指示を受けたリーゼが僅かに背伸びをして、アベルの首の裏へと手を回してくる。アベルは彼が口付けしやすいように身を屈ませてやり、横目で立ち尽くしたまま動けないでいるカインを見て口角を上げた。
だがしかし、なぜかカインも笑みを返してきてアベルは目を見張った。
(……なんだ?)
リーゼの唇が、アベルのものへと重なりそうになったその瞬間──カチ、と首の裏で何かが外されたような音が小さく響き、それと同時にアベルの獣人の子どもの首へと手をかけていた方の腕に手刀が振り下ろされた。
「──っ痛!」
関節を狙われた痛烈な痛みに、アベルは獣人の子どもの首を掴んでいた手を離してしまった。目の前には綺麗に微笑むリーゼがいて、そして彼のその手に持っているものが自分が首から提げていた『催眠石』だと分かるとアベルは目を真っ赤にした。
(こいつ……催眠にかかったフリをしていたのか?!)
リーゼは甲板へと倒れた獣人の子どもの元へとすぐさま近づくと、その体を抱えてアベルから距離を取った。
そしてそのまま『催眠石』を握りしめながら、船全体に行き渡らせるような大声で『船を岸へと戻せ!』と指示を出す。
アベルの駒だった男たちはその透き通った声を聞き、一旦動きを止めてからふたたび動き出した。
「ま、待て! お前たち、帆の向きを変えるな!」
風を受ける帆の向きを逆側へと切り替えようとしている男たちにアベルは一生懸命に命令を出した。しかし、今彼らの主人は別の人間へと移ってしまったので一切聞く耳を持ってはくれない。
これはまずい、と慌てて人質と石を取り返そうとリーゼへと飛びかかろうとした時、アベルは横から放たれた拳に殴り飛ばされた。
(またしてもこいつに邪魔をされるのか……)
気を失う直前、目の前にいる金髪の男が冷たく見下ろしてくる姿が見えた。そして船に橋を掛けた獣人たちが続々と船上へと足を踏み入れてきた光景を最後にアベルは目を閉じた。
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