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11 砂漠の町で商人をします
しおりを挟む砂漠の町イスワンは、古代の人々がこの広大な砂海の中で偶然見つけた大きな緑地に、文明を発展させたとされる古代都市だ。
切り立った砂岩を削り、それを基盤にして人々は段々状に家を建てた。
町の真ん中を縦断するように一本の目抜き通りがあり、人通りの多いその道を囲むように商人たちは店舗を並べている。
「わぁ、綺麗! こんなの初めて見た、これいくらかしら?」
目元だけ露出させたベールを顔に巻いた少女が、リーゼの前に腰を下ろした。絨毯の上に並べてあった商品の一つである水色の宝石を手に取ると感激して値段を聞いてくる。
それは氷の街で手に入れた『氷精石』という宝石で、氷洞窟の中の氷柱に混ざって稀に生成される珍しい石だった。綺麗な六角形をしていて、石の中には氷の結晶が散りばめられており、触るとひんやりと冷たい不思議な効能を持っている。
リーゼは木板に金額を書くと、胸元まで掲げて少女に見せた。
「……結構高いのね。私には手が出せないかな」
残念そうな顔をした少女にリーゼは急いで桁を一つ消して、もう一度見せた。
「あ、その金額なら買える! ちょっと待ってね」
財布を取り出した少女からお金を受け取ったリーゼは目を伏せてお礼をし、商品を渡した。『氷精石』を手にした少女は「わぁ、冷たくて気持ちいい! ありがとうございます!」と嬉しそうに目元を綻ばせながら店から離れて行く。
「リーゼさん、結構商売上手ですね。最初に高く金額を提示して、後から安くするなんて」
隣に座っているサリームが耳打ちをしてきた。その見当違いなサリームの言葉に、リーゼは肩を狭めながら目元だけで曖昧に微笑んだ。
(実は最初の金額が定価で、後から破格の安値を付け直して売ったなんて商売人の前では言えないな)
リーゼは救いの旅で世界中のいろいろな場所を訪れ、その土地にしか生成しない宝石や、遺跡から発掘した魔装具などたくさんの珍しいものを手に余るほど持っている。
いつもはバッグの中の異空間に所狭しと並べてあるがこれを機にようやく役に立つと、今回机の上に並べてみた。
お金もたんまりとあり、儲けを考える必要もないのでさっきは気軽に売ってみたが、サリームに見当違いな解釈をされて少しばかり肩身の狭い思いをした。
四日前、砂漠の町イスワンの入り口へとたどり着いたリーゼは、一緒に連れてきてくれたサリームに礼を言った後、宿屋を取ろうと町の中に入ろうとした。しかし、遠慮がちに手を上げたサリームが『うちに来ますか?空き部屋があるんですけど』と言うのでしばらくどうするか迷ったが、女性を演じる都合上、誰かしらそばに居てくれる人がいると心強いのと、単純に砂漠を渡っている道中で会話が弾んだこともあり、厚意に甘えて数日お世話になることにした。
そして、お礼と称して彼の店舗で一時的に商人をしている。
道を行く人々が時折リーゼの前に腰を下ろしては、世界中の珍しいものを前に目を輝かせ、金額に悩んだり値段を交渉したりしながら買い物をした。
商品を手にして嬉しそうにする姿に、リーゼも以前この町に来たときに、初めて買い物をした時のことを思い出す。
当時、リーゼは露店に飾られていた髪紐が綺麗な色をしていたので眺めていた。神殿を出たばかりの彼はお金の持ち合わせがなく、宿や移動などは王城から支給された旅費から当てられるものの自分の娯楽に使えるお金を一切持っていなかった。
『なんか欲しいもんあんの?』
後ろからカインに声を掛けられ、慌ててリーゼは髪紐から視線を外し、『ない』と言った。誤魔化すようにその場から離れ、宿へと帰るために道を急いでいると『おい、待て』と、追いついてきたカインに呼び止められた。
『ほらお前髪長いし、必要なときあんだろ』
そう言ったカインに金糸の紐を手渡され、リーゼは目をぱちぱちと瞬かせた。
『……ありがとう』
素直に礼を言ったリーゼに、カインは『安もんだし気にすんな』と、照れを隠すようにリーゼを追い越し、先に宿へと続く道を歩いて行った。リーゼは彼の背中を眺めながら、言い表すことのできない胸が膨れるような気持ちになった。
リーゼは髪の長い間、必要な時はその髪紐を使って髪を束ねた。髪が短くなり使えなくなった今でも、バッグの中に大切に保管してある。
◇◇◇
店を構えているリーゼの前へと近づいてきた幼い女の子に、目元だけで微笑んで首を傾げてみせた。今は女性に成りすましていて顔を隠し、声の出せないリーゼの精一杯のおもてなしの表現だったのだが、女の子には通じたようで恥ずかしそうに手を振ってきた。
「どうしたの、お嬢さん」
隣にいるサリームが、話せないリーゼの代わりに女の子に尋ねる。
「これおいしそー」
そう言った女の子がその小さなゆびで指し示したものはドライフルーツの瓶詰めで、色鮮やかなそれはトル村の神父様が餞別として持たせてくれたものだった。数瓶あって、大方リーゼひとりでは食べきることが出来ないので、今回商品として机にいくつか並べてあった。
リーゼは瓶を一つ手に取ると、なかなか重たいそれを落とさないよう女の子の両手にしっかりと抱きかかえさせた。「おかねは?」と不安そうに尋ねる女の子に、顔を左右に振って必要ないことを知らせる。
「お姉ちゃん、ありがとー!」
女の子は満面の笑みを浮かべて嬉しそうにお礼を言った。しかし、突如として女の子の後ろから伸びてきた男の手が、女の子の抱えていたドライフルーツの瓶を取り上げる。
「腹減ってんだ、俺にくれよ嬢ちゃん」
「あー! お姉ちゃんがわたしにくれたのになんでとるの!」
危機を感じたリーゼが立ち上がる前に女の子が二人組の男の、瓶を取り上げた方の男の太ももに突進してしがみついた。
「うざってぇ!まとわりつくな!」
「……わぁぁ!」
男が足を振り払うと、女の子が盛大に地面に転ばされた。
立ち上がったリーゼはこれ以上女の子が傷つかないように男の手首を掴む。
「なんだ姉ちゃん、そんな非力そうな腕で俺に喧嘩を売るのか?」
にやにやと下品な顔を隠さず笑う男の腕は太く、戦うことに慣れている様子だった。ぼさぼさの黒く長い髪を後ろで一つにまとめていて、盗賊のような居住いだ。
「おい、こいつ綺麗な目してるぞ」
もう一人の男がリーゼの目元を覗き込んでそう言った。その瞬間ベール越しに顎を乱暴に掴まれて確かめるように顔を左右に振られる。
男はそのままリーゼに掴まれたままでいた手首を上げ、リーゼを引き寄せて腰を抱いた。そして耳元で「綺麗だが強気な目が良い。顔も小せぇし気に入った」と男に囁かれ、その身も蓋もない言葉にリーゼの肌は粟立った。
「おい商人の兄ちゃん、この姉ちゃんは商品か? 一晩いくら払えばいい」
驚いて動けないままでいるサリームに男は問う。リーゼはこんな目立つ場所で力を出せない以上、このまま売られて男たちの根城で彼らの寝首を掻いた方が早いとサリームに手で指示を出そうとしたが、その時──
「彼女は僕の妻です! 売り物じゃない! 手を離せ!」
と、サリームの大きな声が通り中に響き渡り、男共々リーゼも唖然とした。
突如としてリーゼたちの上空に影が落ちた。太陽の日差しが遮られ、辺りが暗くなり、リーゼは上を向いた。
上空には大きな魔鳥が飛びながら旋回していて、一人の男が空から飛び降りてくる。見覚えのあるシルエットにリーゼは男を突き飛ばして、店舗の影へと隠れた。
(……ハンスだ!)
「おい、ハンスだ! 逃げるぞ!」
二人組の男たちも急いで町の出口の方角へと駆けて行く。その後ろを上空から急降下した魔鳥が追随していった。
太陽のような橙色の髪を快活に跳ねさせた小柄な男が、地面へと軽やかに降り立った。気の抜けたように店舗のテーブルへと手をついたサリームが「ハンス、ありがとう。助かったよ」と魂の抜けたような声で礼を言った。
「サリームはいつ結婚したんだ? おれが旅に行ってる間か?」
「ハンスー! こわかった、ありがとうー!」
救世主の登場に、女の子は泣きながらハンスの足にしがみついた。その小さな頭を彼の契約魔獣にするようにわしわしと撫でたハンスは「ナディア。ああいう時はすぐ逃げるんだ。分かったか?」と優しい声で嗜めた。
「お姉ちゃんがたすけてくれたの!」
リーゼは指をさしてそう言った女の子にその華奢な体を一瞬だけ震わせた。「サリームの嫁さんが助けてくれたのか、みんな無事で良かった良かった」と、ハンスはあまり気に留めない感じで笑っていたのでリーゼは内心で胸を撫で下ろす。
サリームもこれ以上リーゼが注目を浴びることを恐れたのかハンスの言葉に訂正を入れなかった。
「ワン! ワン!」
突如として聞こえてきた鳴き声に、彼らに背中を向けていたリーゼの心臓が高鳴った。
(……ペグー!)
ペグーとはハンスが契約している召喚獣の一匹で、焦茶色の毛に大きな体を持った犬のような魔獣だ。戦闘時は鋭い牙を剥き出しにして魔物を食いちぎる気概を見せるのだが、リーゼを前にすると魔獣とは名折れのただの仔犬に成り下がる。
今もリーゼの周りをうろちょろして、くぅんくぅんと鳴いていた。リーゼは思わず手を伸ばして、よしよしと撫でるとペグーは嬉しそうに舌を出し涎を垂らした。
「珍しいな! そいつ全然人に懐かないんだけど、サリームの嫁さんには心を許してるみたいだ」
ハンスの言葉にリーゼは手を引っ込める。ペグーはいきなり撫でられなくなり、不思議そうな目をしてリーゼを見つめては首を傾げていた。
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