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3 始まりの村で診療所を任されました
しおりを挟む「右腕を伸ばして……そう。では、じっとしていて下さい」
質素な部屋には、薬剤の匂いが充満している。
木製の机と椅子以外の家具は、簡易的なベッドと薬品が並べられた棚だけしかないのに、それでもただでさえ小さなこの部屋の中では圧迫感があった。
『──キュア』
リーゼにとって本来は必要のない呪文の詠唱をして、患部に手を当てた。緑の光がぽぅっと広がり、差し出された右腕にあった深い切り傷が少しずつ癒えていく。
(……このくらいか?)
傷口が完全に塞ぎきっていないくらいで、リーゼは男の腕にかざしていた手を引いた。
さっきまでざっくりと切れていた男の腕は今では少しだけ血が滲んだ状態になっている。
「すごいな!兄ちゃん!ほとんど治ってるじゃねぇか!」
日焼けした男──教会にいるリーゼの元に治療してもらいにやってきた農夫のフォルスターが、わはは!と大変喜んでいたので、リーゼも口角を上げて笑顔を作った。
無理やり微笑んだせいで、慣れない口髭が上唇をくすぐり、痒みを生む。
「では仕上げに包帯を」
「おう!頼む!」
リーゼは農作業で培ったらしい男の太い腕にぐるぐると包帯を巻きつけた。……こんな感じでいいのか?……いやもう一巻きするか? と、思案を重ねているうちに、包帯もどんどん分厚くなっていく。
「なぁ兄ちゃん……ちと巻きすぎじゃねぇか?」
「……いえ……念のためです」
言い訳として、苦しいだろうか。リーゼは目の前のフォルスターの様子を窺いみたが、先ほどの奇跡のような治癒能力を前にしたからか、感心したとばかりに「へぇ~、そうなのか」と声を上げ、納得しているようだった。
「ありがとな、兄ちゃん!これで仕事戻れるわ!」
「はい、お疲れ様でした」
農夫のフォルスターが笑顔で手を振りながら部屋の扉を閉めたところで、リーゼはふぅとため息をつく。
実のところリーゼは人々に治療をする際、包帯を扱ったことがなかった。
いつもなら呪文の詠唱もはぶき、手をかざすだけでよほどの大怪我でなければ一瞬で怪我を完治させることが出来るのだが、今は正体を隠している身、余計な手間を必要としてやっている。
コンコン、とノックの音がしてリーゼは口髭の位置を直して、姿勢を正した。
「どうぞ」と入室の許可を告げるとローブ姿の男が一人入ってくる。
「……神父様」
「お疲れ様です、セーラさん」
リーゼは今、ある村の教会の診療室に身を置き、村医者もどきをしている。部屋に訪れた神父様は、リーゼに対して労うように笑顔を向けた。
セーラとはリーゼが適当につけたこの場所での偽名だ。
「貴方がこの村に来てから、怪我人がいなくなるどころか長年苦しんでいた村長の腰痛まで完治して、みなさん本当に感謝しているんですよ」
「……お力になれたのでしたら幸いです」
リーゼはこほん、とわざとらしく小さく咳をした後にごまかすように口髭を指で撫でた。
(もしかして、少しやりすぎてるのか?)
◇◇◇
エルディース国、王都ラークから馬車に乗ったリーゼは、行き先を勇者ナイルの故郷であるトル村にした。
リーゼが初めて神殿から出て城に召喚された後、セレウス神からの信託を受け、ナイルを迎えにいくため訪れたのがこのトル村だった。
今回は三年ぶりにこの村にやってきて、すでに五日が経過している。
どうせあの男のことを思い出してしまうのなら、いっそのこと以前の旅路をなぞり、記憶を上塗りしてやろうとリーゼは考えたのだ。
「しかし、魔法みたいですね。治癒術というのは」
神父様は感心したように話す。
「呪文を唱え、手を当てるだけで傷が癒えてしまう」
小さな村には治癒術を扱えるものはとうてい存在しない。聖属性の魔力が流れているものは希少で、大体が都市の教会や神殿に集められ、治癒術師としての研鑽をつまされる。
リーゼは物心つく頃にはすでに王都の神殿で祈祷をしていたので、人一倍魔力量が多く、おそらくエルディース国にはリーゼを超える聖属性魔法の使い手はいないだろう。
よって、正体を隠している立場にもかかわらず、普通の治癒術師を演じるための加減が難しい。
五日前、リーゼはトル村を訪れた直後、自分が失敗したことに気づいた。
「あらやだ!聖職者様ですね!巡礼に来られたんですか?」
村の入り口で馬車を降りたリーゼが、宿を取ろうと数歩踏み出したところで村の人間から声をかけられた。
「……いや、違」
「こんな小さな村までお越しになるなんて、大変だったでしょう!今教会にご案内するわね!」
小さな田舎の村に住む人々は、全ての人間を家族のように扱う節がある。というのはリーゼが旅を経験したことで得た知識だった。にもかかわらず、五日前のリーゼの頭からは、王都でいろいろあったからかその知識が抜け落ちてしまっていた。
思えば、三年前に初めてこの村に訪れた時も、連れ立った男と一緒にこの村の広場で馬車を降りるや否や『あらやだ!高そうな服を着た夫婦が揃ってこんな田舎まで来るなんて、まさか駆け落ちじゃないでしょうね!?』と、着いて早々騒がれたことを思い出す。
リーゼは今回、以前に一度訪れたことがあるこのトル村に足を踏み入れる前に、正体がばれないよう、幻想術を応用してリーゼ以外の他人からは髪と瞳が変哲のない茶色に見えるように術を施した。
錫杖は小さく丸めて腕輪にし、それに加え、なぜかバッグに収納してあった(おそらくあの男がリーゼのバッグに勝手に突っ込んだ)つけ髭をちょうど良いとばかりに口の上に貼り付けて、これでおおよそ聖職者に見えないだろうと意気込んで、足を踏み入れたのだが──村の入り口に立った瞬間に偶然その場にいた村人に見破られて狼狽した。
そのまま「さぁ、こちらです!」と、案内を買ってでたご婦人にリーゼは、その張り切りようから退路を考えることをあきらめて、仕方なく着いていくことを選んだ。
「あの、なぜ私が聖職者だと分かったんですか?」
まさか術を見破ることが出来るほどの手練れだったりするのか、とリーゼはわずかに警戒する。
「やだ、分かるわよ。だってあなた神父様と同じ格好してるもの」
──祭服か。失念していた。リーゼは同じような白いローブを数着持っているが、それ以外の服は持ち合わせていない。次の街に訪れる際は、事前に調達しようとリーゼは心に決めた。
そして教会に着くや否や、大怪我を負った急患が舞い込み、リーゼは止むを得ず村人たちの前で治癒術を披露することになった。
不幸中の幸いだったのは一度会ったことのある神父様や村人たちに正体がバレなかったことだけで、少しの間だけと頼まれて、正体を隠している身にも関わらず、トル村の教会の診療所で治癒術を施すこととなった。
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