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必要不可欠な要素

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(き、来た……!)

テラスへと進んでくる獣人から二人は後退し、距離を取る。
同様に距離を縮める獣人は金色の双眸を眇めた。

『飛んで逃げないところを見る限り、魔力が尽きたとか?退魔士の呪縛陣を破るには随分消耗したろうね』

その笑い声は、グルルルと喉を鳴らすように響いた。

「退魔士?わたしの目には、馬鹿デカい獣にしか見えないが?」

サーシャを背に庇うマファルドに臆した様子はない。
常と変わらぬ泰然とした態度――――だがそれは、内に潜む魔性に与える影響を懸念してのことかもしれない。

『偽りじゃあないさ。退魔士の血も、獣人の血も引いてる。――――どっちにしても、魔性あんたとは相性が悪いねえ』
「初対面で相性がどうのと言われてもな。土足で踏み込む形となったのはすまないが、この娘に手出ししたそなた自身に非があると知るべきであろう?」
『救ってやろうとしただけさ。あんたのような生き血をすするような輩からさァっ』

語尾を強めると同時、床にたたきつけられた拳。
凄まじい破壊音と共に、足元が生き物のように隆起し、剥がれた石床がマファルド目掛けて飛び散る。

「!」

マファルドが力強くサーシャを後方へ押しやり、発光する両手で礫の様なそれを伏せぐ。
その隙をつき、高く跳躍した巨躯がマファルドへと飛び掛かかった。

「マ、マハさん!」

僅かに反応が遅れたマファルドが身を捩る。顔面目掛け振り下ろされた鋼の様な爪を辛うじて避けたようだ。
サーシャはほっと安堵の息をつく。
彼が片手を振るい生じた光の刃は間近に迫っていたラスユを後方へ退けた。
力が不安定だと言っていたが、何とか対抗できている。
そんな風に思った次の瞬間。
目の前にある広い背中が、がくりと前屈みになった。

(え……)

一体どうしたというのかと近づけば、マファルドが低く呻き、右の胸を押さえている。
指の間から滲みだす緋色に、サーシャは息を呑んだ。
避けたと思った爪は、彼の胸を深く切り裂いていた。

(傷がっ)

『一撃で楽にしてあげようとしたのに。変に避けるから苦しまなきゃいけなくなるんだよ?』

優位を確信し愉悦を滲ませたその大きな口が捲れ上がり、鋭い歯列が覗く。
その屈強な腕が持ち上がり――――ぴたりと動きが止まった。
うろんげにその金色の双眸が眇められる。

『――――っとに。理解できないな。退きなよ。君が巻き添えになることはないんだよ?』

早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、サーシャは両腕を広げ、正面にいるラスユを睨む。
巻き添えになるつもりなどない。
だが、手傷を負ったマファルドに止めを刺そうとするのを感じた瞬間、自然と体が動いていた。

「!?下がれ、サーシャ」
「……嫌です」
「馬鹿者、お前の出る幕ではな……」
「それはマハさんの方です!下がっててくださいっ」

ぴしゃりと返すと、マファルドが絶句する気配がした。
獣人の脅威などものともしていなかった時と違い、今の彼は明らかに劣勢だ。
威圧感ある獣人を前に、サーシャは喉を上下させた。

「あなたさっき、あたしを助けたいって言いましたよね?」
『言ったとも。それで俺の花嫁になってくれって。なに?気が変わった?』

サーシャの問いかけに、獣人の顔が僅かに緩んだ。
途端に殺気立つ背後の気配を感じ、サーシャは即座に「いいえ」と断じた。

今度は獣人の鼻の頭に皺が寄る。

『何が良くてそんな魔性に入れあげてるんだか。――――けど、そいつがいなくなれば、君の目も覚めるはずだよ。さあ、早く退きな』

退魔士というものがどういった存在なのかよくわからないが、完全な魔性ではないマファルドをここまで目の敵にするのは、生まれがどうのという問題だけではないように思う。
だが、それが何にしろ、このまま黙っているわけにはいかない。

「あたしは調香師です」
『?』

怪訝そうに獣人の頭が傾ぐ。

「世界で唯一、この方に合う香を調香している最中なのに、肝心の依頼人に何かあっては困ります。あなたにどんな理由があっても、あたしの依頼人に手出ししないで」
『……』

香は、一応完成している。
だが、嘘でも、無理やりでも構わない。
この相手からマファルドを守らなければ。
ラスユは僅かな沈黙後、確認するように問うてくる。

『……君は、仕事だからその男についてるの?』
「依頼人に手出しされるのは、あたしの助けに何てなりません」

今は調香依頼でというより、契約でというのが正しいが。
すると唐突にラスユが笑い出した。

『これは傑作だ。それだけ濃い所有印をつけながら、あくまで雇用関係しかないって?魔性の精神操作はかなりの精度を持つっていうのに、とんだ為体だな』

おかしくて敵わないと近くの壁を叩いて破壊する獣人。
呆気に取られていると、笑いの衝動をやり過ごした彼が、肩を竦めた。

『じゃあさ、俺と雇用契約結び直せばいいじゃない。それでそいつは、俺が始末する、と』
「どうしてそういう事にな」

続きは口にすることができなかった。
力強く肩を引かれ、振り仰ぐ先に身を起こすマファルドが見える。

「!動いたら傷がっ」
「――――――――お前はわたしの調香師だ。わたしだけの」

真紅の双眸が色を濃くする。

「手出しなど許さない」
『女の子に庇われてる状態のくせに。どう許さないって?』

マファルドが再びサーシャを後方へ押しのけた。

「だ、駄目です。そんな身体で何をしようって言うんですかっ」
「このような傷、大したことはない」
「そんなわけないでしょう!」

足元に滴り落ちる血の量は、決して少なくはない。
魔性の血を引くといえ、マファルドは完全なる魔の眷属ではないのだ。
多量の失血は命取りとなる。

「あなたは、一刻も早くアッシェドに帰国しなくちゃいけないはずです」
「ああ。お前と共にな」

短く答え、ラスユと対峙するその背をサーシャは当惑して見つめる。
即位の為に必要だからだとはいえ、自分の所為でこんな事に巻き込んでしまった。

(血が、あんなに……)

このままでは危険だ。
だが、ラスユもマファルドも引きそうにない。
マファルドが言っていた触れ合いも、事態を好転させるような効果を生み出しはしなかった。

(どうしたらいい?)

目前で再開される交戦。
気持ちばかりが焦り、どうすることもできない。

(本当に?)

何もできないまま、彼の窮地を見ている事しかできない?
心臓がずくりと痛む。
力になりたくても、なれない。
いつかと同じ。
どうしようもなく、無力――――……。
そんな思いをするのは、もう嫌なのに。

(ごめんなのにっ……)

焼けつくような痛みが広がった刹那、熱を帯びていた首筋に浮かぶ印が強く発光した。






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