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新たなる依頼
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他の依頼を受けるな?
それは間接的にサーシャの仕事を取り上げると言われたも同然だ。
何の権利があってそんなことを言うのかとサーシャは、思わずむっとした。
「そのようなお話は聞き入れられません」
「なに?」
「わたしにとっての唯一の収入源ですし、前にお話した通り、調香師として名を上げたいのです。それなのに、あなた以外の依頼を断ってしまえとは、あんまりなお話ではないですか?」
「!十分な報酬は与える。それに、わたしの信任を得られたとなれば、おまえの望みは叶うはずだ」
サーシャはうろんな目になる。
「・・・・たしかに、ノーラさ――――ラグさんを通してあなたがさる高貴な身分の方だと伺っていますから、名のあるお家の方なのでしょうけど、はっきりどこのどなたかもわたしは分っていません。一時的な報酬は戴けてもその後はどうなるのです?あなたのご依頼があるまでわたしは仕事ができないということですか?」
とんでもない話だ。
やはり上流階級の人間――――サーシャたち庶民とは相いれない存在なのかと、彼への印象を上塗り修正する。
マハは低く唸り、そっぽを向くと苛立たしげに嘆息した。
「・・・・他の依頼もこなしているから、肝心の香の完成が遅れているのではないか?」
「!」
今度はサーシャが呻く番だ。
痛いところを突かれた。
疎かにしているわけではない――――が、そう言われてしまうと反論する気力を削がれてしまう。
実際、難航しているのには違いないのだ。
そうか。
そういう意味で言っているのか。
とんでも発言の理由を見当づけたサーシャは、彼がしびれを切らしたのだと受け取った。
(で、でも、他の依頼の所為ってわけじゃないのにっ)
膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。
上目に彼を見、サーシャは、では・・・と切り出した。
「そのフードを外していただけませんか?」
「!っな、なにっ?」
とたんに狼狽えるマハ。
そんなに素顔を晒すのに抵抗があるのだろうか?
が、周囲に人目はない――――この機会に、ほんの少しだけでいい。
その姿を見ることができれば、足りない何かを見出すことができるかもしれないのだ。
「わたしは本来、依頼人と直接対面してから香を調合します。好みや用途、その方の雰囲気に合うものを作るためです。ご依頼の香も、あとほんの少しで完成なのですが、何かが足りないのです。あなたと他の依頼人との違いを上げれば、恐らく、お顔を拝見していないことくらいです。・・・・幸い、人目もありませんし、できましたら、見せていただけないかと」
サーシャの申し出に、彼は黙り込んだ。
その間に給仕が料理を運んでくる。
しばし無言だった彼は給仕が傍を離れるとグラスの水で口を湿らせ、ぼそっと呟いた。
「・・・・来週の末に、学院主催のパーティがあるそうだな」
「?は、い」
今の話と何の関係があるのか、マハは、毎年学院で催される夜会の話を持ち出した。
夜会は、元学院生から学院関係者、学院の生徒たちが会するもので、王宮勤めの人間たちも顔を出す。将来の根回しやら、人脈の確保など、可能性を広げるための機会とあって学院生のほとんどが出席する催しだ。
ちなみにサーシャは一度も出席したことはない。
有力者たちに覚えめでたければ後々の為になるとは分っていても、苦手な人種が多数勢ぞろいの場とあっては気が休まらない為だ。
怪訝に首を傾けるサーシャに、マハは告げた。
「その時間をわたしと過ごせば、見せてもいい」
「・・・・え」
露骨に嫌な顔となってしまうサーシャだ。
あの行事に出席?
それも、何故マハと過ごすことが条件なのだ。
「ラァスから聞いているだろう。今回の依頼が、どんな目的のものか」
決まり悪そうに咳払いする彼の言葉に、怪訝な顔のまま頷く。
決まった相手――――おそらくは、結婚相手の女性に再会する際の、心証を少しでも良くするためだということはしっかり覚えている。
彼は昔その女性に、不興を買うような何かをしたらしいのだ、と。
「・・・・コルアレ―ドに来たのは、その相手に会うためだ」
「そう、なのですか。でも、だったら余計にわたしとなどいたら変に誤解されてしまうのでは?」
「いや・・・・それはない。つまり――――あれだ」
テーブルの上、指先を落ち着きなく弄び、言いづらそうに彼は俯く。
(『あれ』?え。なに?何の事?)
頭の中が疑問符で埋め尽くされる中、彼が再び口を開いた。
「わたしは――――慣れていないのだ」
「・・・・何にでしょう?」
「だからっ・・・・謝る、ことに、だ」
顔を背け、少しぶっきら棒に答えたマハをサーシャは、ぽかんとした顔で見る。
たしかに彼が謝る様を想像するも、何故かふんぞり返っているような印象になってしまうが・・・・。
「えー・・・・つまり、その。それで、わたしにどうしろと?」
「おまえは、その相手と同年の女子だ。その・・・・予行練習に、付き合えと言っている」
「・・・・・・・・」
予行練習。
(あたしで?)
サーシャは即座に首を振った。
「それは無理です。わたしは庶民でしかないですし、あなたのお相手の方は、きっといいところのお嬢様でしょう?それに、わたしは一般的な女子とは言い難いですし」
「おまえがぴったりなのだ。他の者では意味がない」
「ええ!?」
彼がサーシャの何を示してぴったりだと断じるのかが、不明だ。
「他の者は、わたしの身分に媚びるが、おまえは違う。・・・・わたしの決まった相手も、同じなのだ。むしろ、接触を拒む。・・・・酷い扱いをして、傷つけたのだ。わたしが」
「・・・・」
調香とは直接関係はない。
だが――――・・・・。
「悔やんでいるんですか?」
「・・・・関係を修復したいとは、思っている」
「だったら、誠意を示して謝罪なされば、きっと、その方も分って下さるんじゃないですか?」
「――――・・・・おまえも、そう、思うか?」
「心からの謝罪なら、届くはずだと、思います・・・・きっと」
サーシャも、エンナに対してそんな思いを抱えている。
あの貴人の元から逃亡し、一人アッシェドを離れたけれど、その間、彼女はあの地でどう過ごしたことだろう?
コルアレ―ドへ到着し、しばらくするとノーラがエンナの事を調べてくれたのだ。
そうして手紙を預かって来てくれた。
こちらは元気にやっている。だから、気にしなくていいと、心の傷がいえるまで、アッシェドへは戻らない方がいいだろうと――――そこにはただ、サーシャの身を案じる内容だけが記されていた。
養い子が貴人の不興を買ったことで彼女に類が及ばなかったとは考え辛い。
幼い頃、手紙を胸に抱き何度も届かない謝罪をした。
『ごめんなさい』
『ごめんね、エンナ・・・・』
一人だけ安全な場所に逃げて、エンナを置いて逃げて。
だから――――届いてほしいと、自身に重ね合わせて考えるサーシャは、本心からマハに答えた。
「ええ。きっと届きます」
「――――そう、か」
ほっと何処か安堵の滲むマハの声。
「ええ、ですから」
予行練習などなくとも、きっとうまくいく、そう続けようとしたサーシャの言葉をマハはさえぎった。
「それなら、協力するのだな?」
「え!?」
「わたしは、女の機嫌を取ったことはない。逆ならば数え切れないが。・・・・正直、どうしたらいいのか、戸惑っている。・・・・他の依頼を断れと言ったのは、それも、あるのだ」
「で、ですが・・・・」
困惑してちらっと離れた席に着いているラァスを見やると、彼も深々とサーシャに対して頭を下げた。
(・・・・あくまでもこの人の味方ですよね、やっぱり・・・・)
「・・・・一応お伺いしますが、予行練習とはどんな?」
「関係修復には何が必要かをおまえなりの視点で、・・・・教えて、くれれば、いい」
後半は歯切れ悪く彼は言う。
この人は・・・・恐らく本当に、謝罪や人に物を頼むということをしたことがないのだろうと、サーシャは感じ取った。
(・・・・関係の修復・・・・自尊心が邪魔して謝れないとか、この人だったらあり得そう・・・・)
どうしようか。
調香以外の頼みなど、本来彼女の預かり知らぬことなのだが・・・・。
気位の高い青年が、庶民の娘に頼みなど、余程、弱っているとみえる。
サーシャは逡巡の末、小さく息を吐き出した。
「・・・・わたしは正直なところ、身分の高い方は苦手です」
テーブルの上に置かれているマハの指先がぴくりと動く。
「個人的な話ですが・・・・小さな頃、あまりいい印象を持てなかったので。ですから自然、あなたへの評価も辛口になってしまいますよ?それでも、わたしでいいのですか?」
協力してくれなどと言われて正直に指摘したことで、何かしらのバツなどを受けるような羽目にはなりたくない。確認するサーシャに、マハは暫時の沈黙後、口を開いた。
「ああ。かまわない。・・・・その、いい印象を持てなかった相手に、万一、再会したら・・・・おまえは、どうする?」
サーシャは虚を突かれて口を噤んだ。
あの貴人と、再会?
脳裏に鮮やかな残像が浮かび、知らず身体が震えた。
「・・・・再、会・・・・するような事はないと思います。とても・・・・高い身分の方ですから」
「――――・・・・そう、か」
サーシャの表情を見てか、彼はそれ以上聞いてこなかった。
しん、と沈黙がその場に降りる。
そのまま静かに食事を始めるマハを見て、サーシャものろのろとそれに倣った。
「・・・・サーシャ」
「んぐっ!」
唐突に呼びかけられて、白身魚を危うく喉に詰まらせそうになる。
グラスを手に取り、水で流し込む。
「大丈夫か?」
「は、はい。・・・・何ですか、その・・・・」
おまえ呼ばわりだったのが、急に呼び捨て。
馴れ馴れしいと感じるよりも、純粋に驚いた。
「これより、そう呼ぶ――――――――おまえは、わたしの・・・・婚姻相手の立場でわたしと対面しろ。問題があれば、そのまま口にしていい。予行練習、なのだからな」
「!あ、え?あたしに、お嬢様役になりきれって言うんですか!?」
驚きのあまり、素の言葉が出てしまう。
「普段通りのおまえでいい。無理に演じなくてもいいと言っている。そのままのおまえで、練習に付き合えばいいんだ。報酬は、調香依頼に上乗せする。ただ――――わたしのことは、マハと呼べ」
以前にもそう言われたが、呼ぶ機会などないと思っていた。
戸惑いつつ、おずっと口を開く。
「マハ、さん・・・・ですか」
「敬称はいらん。ただ、マハと呼べばいい」
「・・・・マハ・・・・」
「それでいい。――――夜会の夜は、わたしがエスコートする。他の男の手は取るな。予行練習中、おまえはわたしの相手なのだから」
有無を言わさぬ口調で話がまとめられてしまった。
(な・・・・何で、この展開?)
調香依頼の経過報告のはずが、気づけば、予行練習相手に指名されている。
途方に暮れた表情でラァスを見やると、彼は愛想の良い笑顔で頭を下げた。
あくまでも彼はマハ側の人間なのだ。
この場に助け舟を出す存在がいないことを改めて知り、彼女は低く呻いた。
せめて夜会の出席以外での方向にならないかと提案したが、それはあっさりと却下されてしまった。
――――この後、彼女は全力でこの話を蹴らなかったことを後悔する羽目となる・・・・。
それは間接的にサーシャの仕事を取り上げると言われたも同然だ。
何の権利があってそんなことを言うのかとサーシャは、思わずむっとした。
「そのようなお話は聞き入れられません」
「なに?」
「わたしにとっての唯一の収入源ですし、前にお話した通り、調香師として名を上げたいのです。それなのに、あなた以外の依頼を断ってしまえとは、あんまりなお話ではないですか?」
「!十分な報酬は与える。それに、わたしの信任を得られたとなれば、おまえの望みは叶うはずだ」
サーシャはうろんな目になる。
「・・・・たしかに、ノーラさ――――ラグさんを通してあなたがさる高貴な身分の方だと伺っていますから、名のあるお家の方なのでしょうけど、はっきりどこのどなたかもわたしは分っていません。一時的な報酬は戴けてもその後はどうなるのです?あなたのご依頼があるまでわたしは仕事ができないということですか?」
とんでもない話だ。
やはり上流階級の人間――――サーシャたち庶民とは相いれない存在なのかと、彼への印象を上塗り修正する。
マハは低く唸り、そっぽを向くと苛立たしげに嘆息した。
「・・・・他の依頼もこなしているから、肝心の香の完成が遅れているのではないか?」
「!」
今度はサーシャが呻く番だ。
痛いところを突かれた。
疎かにしているわけではない――――が、そう言われてしまうと反論する気力を削がれてしまう。
実際、難航しているのには違いないのだ。
そうか。
そういう意味で言っているのか。
とんでも発言の理由を見当づけたサーシャは、彼がしびれを切らしたのだと受け取った。
(で、でも、他の依頼の所為ってわけじゃないのにっ)
膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。
上目に彼を見、サーシャは、では・・・と切り出した。
「そのフードを外していただけませんか?」
「!っな、なにっ?」
とたんに狼狽えるマハ。
そんなに素顔を晒すのに抵抗があるのだろうか?
が、周囲に人目はない――――この機会に、ほんの少しだけでいい。
その姿を見ることができれば、足りない何かを見出すことができるかもしれないのだ。
「わたしは本来、依頼人と直接対面してから香を調合します。好みや用途、その方の雰囲気に合うものを作るためです。ご依頼の香も、あとほんの少しで完成なのですが、何かが足りないのです。あなたと他の依頼人との違いを上げれば、恐らく、お顔を拝見していないことくらいです。・・・・幸い、人目もありませんし、できましたら、見せていただけないかと」
サーシャの申し出に、彼は黙り込んだ。
その間に給仕が料理を運んでくる。
しばし無言だった彼は給仕が傍を離れるとグラスの水で口を湿らせ、ぼそっと呟いた。
「・・・・来週の末に、学院主催のパーティがあるそうだな」
「?は、い」
今の話と何の関係があるのか、マハは、毎年学院で催される夜会の話を持ち出した。
夜会は、元学院生から学院関係者、学院の生徒たちが会するもので、王宮勤めの人間たちも顔を出す。将来の根回しやら、人脈の確保など、可能性を広げるための機会とあって学院生のほとんどが出席する催しだ。
ちなみにサーシャは一度も出席したことはない。
有力者たちに覚えめでたければ後々の為になるとは分っていても、苦手な人種が多数勢ぞろいの場とあっては気が休まらない為だ。
怪訝に首を傾けるサーシャに、マハは告げた。
「その時間をわたしと過ごせば、見せてもいい」
「・・・・え」
露骨に嫌な顔となってしまうサーシャだ。
あの行事に出席?
それも、何故マハと過ごすことが条件なのだ。
「ラァスから聞いているだろう。今回の依頼が、どんな目的のものか」
決まり悪そうに咳払いする彼の言葉に、怪訝な顔のまま頷く。
決まった相手――――おそらくは、結婚相手の女性に再会する際の、心証を少しでも良くするためだということはしっかり覚えている。
彼は昔その女性に、不興を買うような何かをしたらしいのだ、と。
「・・・・コルアレ―ドに来たのは、その相手に会うためだ」
「そう、なのですか。でも、だったら余計にわたしとなどいたら変に誤解されてしまうのでは?」
「いや・・・・それはない。つまり――――あれだ」
テーブルの上、指先を落ち着きなく弄び、言いづらそうに彼は俯く。
(『あれ』?え。なに?何の事?)
頭の中が疑問符で埋め尽くされる中、彼が再び口を開いた。
「わたしは――――慣れていないのだ」
「・・・・何にでしょう?」
「だからっ・・・・謝る、ことに、だ」
顔を背け、少しぶっきら棒に答えたマハをサーシャは、ぽかんとした顔で見る。
たしかに彼が謝る様を想像するも、何故かふんぞり返っているような印象になってしまうが・・・・。
「えー・・・・つまり、その。それで、わたしにどうしろと?」
「おまえは、その相手と同年の女子だ。その・・・・予行練習に、付き合えと言っている」
「・・・・・・・・」
予行練習。
(あたしで?)
サーシャは即座に首を振った。
「それは無理です。わたしは庶民でしかないですし、あなたのお相手の方は、きっといいところのお嬢様でしょう?それに、わたしは一般的な女子とは言い難いですし」
「おまえがぴったりなのだ。他の者では意味がない」
「ええ!?」
彼がサーシャの何を示してぴったりだと断じるのかが、不明だ。
「他の者は、わたしの身分に媚びるが、おまえは違う。・・・・わたしの決まった相手も、同じなのだ。むしろ、接触を拒む。・・・・酷い扱いをして、傷つけたのだ。わたしが」
「・・・・」
調香とは直接関係はない。
だが――――・・・・。
「悔やんでいるんですか?」
「・・・・関係を修復したいとは、思っている」
「だったら、誠意を示して謝罪なされば、きっと、その方も分って下さるんじゃないですか?」
「――――・・・・おまえも、そう、思うか?」
「心からの謝罪なら、届くはずだと、思います・・・・きっと」
サーシャも、エンナに対してそんな思いを抱えている。
あの貴人の元から逃亡し、一人アッシェドを離れたけれど、その間、彼女はあの地でどう過ごしたことだろう?
コルアレ―ドへ到着し、しばらくするとノーラがエンナの事を調べてくれたのだ。
そうして手紙を預かって来てくれた。
こちらは元気にやっている。だから、気にしなくていいと、心の傷がいえるまで、アッシェドへは戻らない方がいいだろうと――――そこにはただ、サーシャの身を案じる内容だけが記されていた。
養い子が貴人の不興を買ったことで彼女に類が及ばなかったとは考え辛い。
幼い頃、手紙を胸に抱き何度も届かない謝罪をした。
『ごめんなさい』
『ごめんね、エンナ・・・・』
一人だけ安全な場所に逃げて、エンナを置いて逃げて。
だから――――届いてほしいと、自身に重ね合わせて考えるサーシャは、本心からマハに答えた。
「ええ。きっと届きます」
「――――そう、か」
ほっと何処か安堵の滲むマハの声。
「ええ、ですから」
予行練習などなくとも、きっとうまくいく、そう続けようとしたサーシャの言葉をマハはさえぎった。
「それなら、協力するのだな?」
「え!?」
「わたしは、女の機嫌を取ったことはない。逆ならば数え切れないが。・・・・正直、どうしたらいいのか、戸惑っている。・・・・他の依頼を断れと言ったのは、それも、あるのだ」
「で、ですが・・・・」
困惑してちらっと離れた席に着いているラァスを見やると、彼も深々とサーシャに対して頭を下げた。
(・・・・あくまでもこの人の味方ですよね、やっぱり・・・・)
「・・・・一応お伺いしますが、予行練習とはどんな?」
「関係修復には何が必要かをおまえなりの視点で、・・・・教えて、くれれば、いい」
後半は歯切れ悪く彼は言う。
この人は・・・・恐らく本当に、謝罪や人に物を頼むということをしたことがないのだろうと、サーシャは感じ取った。
(・・・・関係の修復・・・・自尊心が邪魔して謝れないとか、この人だったらあり得そう・・・・)
どうしようか。
調香以外の頼みなど、本来彼女の預かり知らぬことなのだが・・・・。
気位の高い青年が、庶民の娘に頼みなど、余程、弱っているとみえる。
サーシャは逡巡の末、小さく息を吐き出した。
「・・・・わたしは正直なところ、身分の高い方は苦手です」
テーブルの上に置かれているマハの指先がぴくりと動く。
「個人的な話ですが・・・・小さな頃、あまりいい印象を持てなかったので。ですから自然、あなたへの評価も辛口になってしまいますよ?それでも、わたしでいいのですか?」
協力してくれなどと言われて正直に指摘したことで、何かしらのバツなどを受けるような羽目にはなりたくない。確認するサーシャに、マハは暫時の沈黙後、口を開いた。
「ああ。かまわない。・・・・その、いい印象を持てなかった相手に、万一、再会したら・・・・おまえは、どうする?」
サーシャは虚を突かれて口を噤んだ。
あの貴人と、再会?
脳裏に鮮やかな残像が浮かび、知らず身体が震えた。
「・・・・再、会・・・・するような事はないと思います。とても・・・・高い身分の方ですから」
「――――・・・・そう、か」
サーシャの表情を見てか、彼はそれ以上聞いてこなかった。
しん、と沈黙がその場に降りる。
そのまま静かに食事を始めるマハを見て、サーシャものろのろとそれに倣った。
「・・・・サーシャ」
「んぐっ!」
唐突に呼びかけられて、白身魚を危うく喉に詰まらせそうになる。
グラスを手に取り、水で流し込む。
「大丈夫か?」
「は、はい。・・・・何ですか、その・・・・」
おまえ呼ばわりだったのが、急に呼び捨て。
馴れ馴れしいと感じるよりも、純粋に驚いた。
「これより、そう呼ぶ――――――――おまえは、わたしの・・・・婚姻相手の立場でわたしと対面しろ。問題があれば、そのまま口にしていい。予行練習、なのだからな」
「!あ、え?あたしに、お嬢様役になりきれって言うんですか!?」
驚きのあまり、素の言葉が出てしまう。
「普段通りのおまえでいい。無理に演じなくてもいいと言っている。そのままのおまえで、練習に付き合えばいいんだ。報酬は、調香依頼に上乗せする。ただ――――わたしのことは、マハと呼べ」
以前にもそう言われたが、呼ぶ機会などないと思っていた。
戸惑いつつ、おずっと口を開く。
「マハ、さん・・・・ですか」
「敬称はいらん。ただ、マハと呼べばいい」
「・・・・マハ・・・・」
「それでいい。――――夜会の夜は、わたしがエスコートする。他の男の手は取るな。予行練習中、おまえはわたしの相手なのだから」
有無を言わさぬ口調で話がまとめられてしまった。
(な・・・・何で、この展開?)
調香依頼の経過報告のはずが、気づけば、予行練習相手に指名されている。
途方に暮れた表情でラァスを見やると、彼は愛想の良い笑顔で頭を下げた。
あくまでも彼はマハ側の人間なのだ。
この場に助け舟を出す存在がいないことを改めて知り、彼女は低く呻いた。
せめて夜会の出席以外での方向にならないかと提案したが、それはあっさりと却下されてしまった。
――――この後、彼女は全力でこの話を蹴らなかったことを後悔する羽目となる・・・・。
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