東の娘は姫巫女代理

カイリ

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異例の事態、なのです

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 大きな羽ばたきの音に気づいたシュナは、与えられている私室からバルコニーへと出た。
 手すりの上に降り立った純白の鷹の姿にぱっと破顔する。

「白ちゃん!おかえり」

 答えるようにピイィッとひと鳴きする鷹は、初めて呼ばれた名にも動じることなく、頭を撫でられると気持ち良さそうに双眸を閉じた。
 心なしか気を許してくれているような気がして、嬉しくなるシュナは、その足に括りつけられている紙の存在に気づいた。
 白は聖殿の伝令を務める鷹だ。
 前回は祖母からシュナに宛てた手紙を届けてくれたが、あれが特例であることは承知している。聖殿からジュイス宛ての連絡だろうと感じ、括られた紙を外すと、それが二つあることに気づいた。
 その場で待機する白は、ジュイスが返す返事を待っているように思え、シュナは早速ジュイスのいる部屋へと向かった。

 ***

 シュナがその扉をノックすると、

「どうぞ、お入りなさい」

 ジュイスの入室許可の声がすぐに答えた。
 部屋先で手渡すだけのつもりだったが、逡巡の後、「失礼します・・・・」と室内へと一歩踏み出した。
 初めて見るジュイスの部屋は、想像よりずっと簡素で清潔感がある。
 寒色で統一された内装の中には、物が少なく、目につく物といえば、本棚に並ぶ書物くらいだ。
 それは、いい。
 が、シュナは目にしたその光景にしばし固まった。

「?どうしました」

 肩越し振り返るジュイスの声に、はっと我に返る。

「え、と―――失礼しました?」
「・・・何がですか?入室は許可しました。問題ありませんよ」

 嘆息しつつシュナに向き直る彼の片手には書物―――これは違和感なし。問題は、その左手にある石だ。人の頭ほどの大きさのそれは、研磨されているのかピカピカと光っている。

「本当に、失礼だと思うんですけど、神官さまの手にあるものはもしかして」
「石ですが」

 それが何か?とジュイスは休むことなく左手を持ち上げては下げ、を繰り返している。

(同じようこと浅黄亭の旦那さんもしてたよね・・・)

 故郷で顔見知りの宿屋の主人が体力づくりに励んでいた時の話だ。
 酒屋の旦那さんにたきつけられて始めたはいいけれど、無理がたたって身体のあちこちを痛めたとかなんとか。

「・・・筋肉に興味がおありで?」
「何ですか、その得体の知れないものを見る目は。心外ですね。昨日今日の話ではありませんよ。わたしにとっては日課の一つなのです」

 日課・・・。
 シュナの聖殿神官さまの印象は書物や錫杖以外の重いものは持てません、である。
 実際、彼は筋肉隆々というにはスマートで、法衣に包まれた腕や肩などのラインは、騎士であるロジエンのものとは全く違う。

「・・・・何度も言いますが、仮にも女性なのですから。異性をじろじろ見るのは感心しませんよ、巫女代理」

 咎める視線に慌てて視線を泳がせる。

「そんなことよりも、何か用があったのではありませんか?」
「あ、そうでした!あの、聖殿から白ちゃんが来て」
「・・・それで?」

 伝令の鷹に付けられた名前に、彼の眉がぴくりとするが、それに関して彼は特に何も言わなかった。
 シュナは手にした文書をそのままジュイスに手渡す。
 開封の古語を唱え、内容に目を通す彼は、一枚の文書をシュナへと差し出してくる。

「こちらはロジエンからです」
「!」

 ロジエンが少女の救出へ向かって三日目だ。そこに記された書き手の印象を思わせる力強い文字で、彼が無事やり遂げた事を知った。
 手紙には、じき宿舎へ帰ると記されていて、シュナは安堵とともに、ぱっと破顔する。

(良かった・・・・ありがとうございます、ロジエンさん)

 困っている人々を助けてくれたこと。それと、無事でいてくれたことに、シュナは深く感謝する。
 そんな彼女の耳に、驚きを滲ませたジュイスの呟きが聞こえた。

「・・・・これは・・・・」
「?どうかされたんですか?」

 怪訝に思い尋ねると、彼はもう一通の文書から視線を上げた。
 泉色の瞳がしばしシュナを見つめる。

「?あの・・・・神官さま?」

 戸惑って見返す。
 いつ見ても綺麗なその目は、注視されると酷く緊張する。
 彼はふと瞬くと、僅かにその目を伏せた。

「いえ。何でもありません。――――――――ロジエンが戻り次第、第三神殿へ参ります。いつでも出立できるよう、準備はしておいてください」
「!は、はい」

 ジュイスは手にした文書に目を落とし、何か思案している。

(何かあったのかな?)

 内容が気になるところだが、聖殿の重要事項だというのなら、彼がシュナに教えるはずもない。

「?どうしました?」

 その場に佇んでいるシュナを怪訝そうにジュイスが見る。

「あ、その。わたしの部屋のバルコニーに白ちゃんがいるんですが、返事を待ってるのかなっ・・・・と思いまして」
「――――いえ。返事は書きませんので。そのうち鷹もいなくなるはずですから、気にしなくともよいですよ」

 淡々と彼は答えた。
 やはり鷹の名を口にするつもりはないらしい。
 それを少しだけ残念に思いながら、シュナは部屋から出た。
 彼の言葉通り、バルコニーに白の姿はなくなっている。
 少しは仲良くできる時間があるかと思っていたシュナは、がっくりと肩を落とした。


 ***


 知らせから一日後。
 はしゃいだユールの声が庭に響き、ロジエンが宿舎へと戻って来たことを告げた。
 二階の部屋から飛びだし階段を駆け下りると、正面の扉からユールとロジエンが姿を見せる。

「ロジエンさん!」
「おー嬢ちゃん。ただいま」

 記憶と寸部も違わぬ陽気な笑顔。
 その姿には酷い負傷などは見受けられない。

(よ、よかった・・・・)

「お、おかえりなさい」

 無事だとは聞いていたが、実際に無事な姿を目にして心底から安堵する。
 ロジエンはシュナの顔を見ると、笑みを深めた。

「ははっ。心配させちまったかな?けど、約束通りちゃあんと戻ってきたろ?」

 シュナがこくこく頷いた時、背後からジュイスの声が響いた。

「――――ロジエン、帰りましたか」
「おう。今帰った。こっちに変わりはないか?」
「ええ――――と言いたいところですが、聖殿から伝達がありました」
「うん?」

 怪訝な顔をするロジエンだが、ジュイスはすぐには話すつもりがないようだ。
 すぐにそれを察したのか、ロジエンもその場から動き出す。

「こんな所で立ち話もなんだしな。お前の部屋で聞かせてもらうわ」
「ええ。――――――――巫女代理、自室で古語の予習をしておいてください」

 青年二人がジュイスの部屋へと歩いていく背を見送るシュナの傍ら、ユールが首を捻った。

「何でしょうね?聖殿からの連絡って」
「さあ・・・・」

 白が届けた、あの伝達の事だろうとは思うが、内容はわからない。

「気になりませんか?シュナさま」
「え」

 好奇心の滲む声に見やれば、ユールの目がきらんといたずらを思いついたように輝いた。

 ***

「ユ、ユールくん。止めた方が・・・・」
「しーっ!シュナさま。静かに」

 ジュイスの部屋の前、扉に耳をそばだてるユールとそれを止めるシュナの姿がある。
 彼らの会話が気にならないではないが、万が一にでも聞き耳を立てていた事が知れた場合を考えると恐ろしい。

(し、神官さまにバレたら、どうするの!?)

 何とかしてユールを扉から引きはがそうとするシュナは、その向こうで交わされる会話を意図せずして耳にしてしまった。

『それで?場所を選ぶような何があったって?』
『――――次代姫巫女が、選出されたようです』

「!!」

 傍らのユールと共に顔を見合わせる。

(次の姫巫女さまが選ばれた!)

 思わぬ言葉に双眸を大きく見開く。
 エリサから聞いた話では、次代の姫巫女が定まるまで一年はかかると聞いた。だが、代理生活が始まってまだ、半年も経っていない。
 本当だろうか?
 だとしたら、思うよりも早く【東の果て】へと帰郷できるかもしれない。
 期待にシュナは胸が高鳴った。
 ロジエンもシュナたち同様、驚いた様子だ。

『そりゃあ、随分と早いな。間違いないのか?』
『・・・・極めて異例の事ですが・・・・どうやら事実、聖水盤に、次代の姿が映ったようです』
『ほおう――――で?聖殿の上の方々は、どうするって?』
『それなのですが――――』

 その言葉が続く先に、喉をごくりと上下させた時、だ。

「お二人とも、どうなさったんです?」
「!」

 びくりと肩を揺らし振り返れば、ティー・セットをトレイに乗せたダナの姿がある。
 と、同時に扉の中で交わされていた会話が途切れ、こちらへと近づく足音。
 焦って扉から離れる二人だが、無情にも扉は開き、部屋の主が姿を見せた。

「・・・・何をしているのですか、あなた達」

 逃げる途中の背中に低い声が投げかけられた。
 恐る恐る振り返ると、冷ややかな眼差しを向けるジュイスの姿がある。

(ひいっ!眉間に皺がっ!!)

「ははっ。嬢ちゃんたちも気になったんだろ――――下手に隠すより、ちゃんと話した方がいいかもしれねえな、こりゃあ」

 扉の中からひょいと顔を出すロジエンが取りなすようにそう言えば、ジュイスは嘆息した。

「ロジエン、あなたは少し彼女たちに甘いのではないですか?」
「固いお前と緩いオレで丁度いいんじゃねえか」

 からからと笑うロジエンを一瞥し、次いでシュナたちを見る泉色の瞳は、飽きれの色を濃くしている。
 怒っているのを通り越し呆れられた、と身を縮めるが、彼は、中に入るようにと皆を促した。
 ダナがお茶を用意する傍ら、テーブルの席に着いたシュナたちに、ジュイスは改めて話し始めた。

「このような短期間で次代の姫巫女が選出されるのは、きわめて異例といえるのですが、これより聖殿は、次代姫巫女を迎え入れる準備に入ります。通常であれば、その時点で八つの神殿の神力がつながり魔の眷属を退ける障壁ができているのですが、現在はまだ二点のみしか宝珠が発動していません。引き続き、巫女代理には役目を果たして頂かなければならないのですが」
「八つ全部の神殿を巡る前に次代の姫巫女が就任すれば、途中で終了するかもしれないってことか?」

 ロジエンの言葉に、ジュイスは頷く。

「ただ、伝達にはその部分が曖昧に書かれているので、大神官たちがどうお考えかは、わかりません」
「例のないことだってのなら、上も対処に困ってるのかもしれねえな?」

 二人の話を聞き、先ほどの期待がより大きくなった。

(じゃ、じゃあ、本当に?一年も待たずに【東の果て】に帰れる?)

 そんなシュナにすかさずジュイスの注意が向けられる。

「だからと言って、あなたがすぐにお役御免になるとは限りません。くれぐれも気を抜くことのないように」
「は、はい」

 そうは返事をしたものの、シュナの中ではすでに期待が根付いてしまっていた。
 どこか浮足立って部屋を出ていくその後姿をジュイスの双眸が懸念の色を映して見ていたことに、彼女は気づかなかった。
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