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28.その少女、ジュリエット

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 襲撃から逃れ、研究室に無事帰ってこられた。

 服から漂う火薬の臭いに、物が落ちた大きな音に、まだ狙撃者がいるんじゃないかとビクついてしまう。そのたびに心臓がぎゅっと縮んで息が苦しい。
 体が少しずつ欠けていくような恐怖が抜けきらない。

 なのに、王子は何事も無かったかのように帰っていった。
 平然と研究室で着替えて最後に挨拶したときの、爽やかで可憐な笑顔にゾッとした。
 表情に出さないように訓練しているのか、命を狙われることなど日常茶飯事なのか。
 『高貴なる者の役目』ってやつか………大変だな。


 銃撃戦など無かったかのように毎日は続き、女学校へ行く日になった。
 女装して学校へ向かう。………いや、女装じゃなくてこれが本来の姿か。
 アシュレー様からもらった女物の服。貴族の女性が着るような物ではなく、動きやすく一人でも着れる侍女の様な作りの服だ。
 質はものすごく良いがお嬢様方のドレスに比べたら質素だし、普段着慣れないから滑稽に見える。

 うん、滑稽なことは自覚している。だから目の前の令嬢に罵られても同感!ってなる。

 マナー講義が終了し、次はダンスか…と移動していたら廊下でどこぞの貴族令嬢に蔑まれた。
 キラリと反射した光が目に入り、ふと目にしたものに気を取られて立ち止まったせいだ。

「まぁ、この方とってもみすぼらしいわね。本当にここの学生かしら?
 庶民も入学できるなんて、王国の紋を掲げるリス・ブラン女学校も堕ちたものね。」

 令嬢は扇で口元を隠しながら私に蔑みの目線を寄こす。
 その口調は非難が聞こえないようにひそめるでも無く、あたかも庶民にはその言葉を理解できないかの様にはっきりと。

 隣の令嬢・・・・は黙って聞いていた。

「なんて汚らしい手でしょう。まるで洗濯女の様に赤くてゴツゴツしているわ。働いているのかしら。女子が労働なんてはしたない。」

 今日はうっかり手袋を忘れてきた。そのせいで剥き出しになっている手をバカにされている。

 お貴族様は労働を嫌う。

 とはいっても労働者が汗水垂らして得た利益を搾取した税で、お貴族様は生活しているんだよね?

 それに使用人に服やパンツは洗ってもらってるのだとしたら……汚い手で洗ったパンツは汚い、になる。
 この令嬢は汚いパンツを穿いている?

 ふと気がつくと辺りは凍った様に静まりかえっている。
 蔑んできた令嬢は顔面崩壊するくらい怒りを顕にしている。

 あれ、考えが声に出てました?

「穿いているわよ!!!」
「え?!汚いパンツを?」
「違うわ!そんな物は穿かないわ!!!」
「ノーパン………痴女か………」
「汚いおパンツは穿かないと言ってるのよ!!!」

 わぉ、貴族の令嬢にパンツと言わせてしまった。
 扇をメシメシと折れそうなほど握りしめ睨んでくる様はとてもじゃ無いがお上品とは言えない。

「こんな令嬢がいるなんて、女学校もこの程度なんですね。」

 普段は布擦れの音が聞こえるほど静かな学園が、遠巻きに見ている令嬢達の囁きでザワザワしている。

「平民が何をほざいているの?ただの平民が私達貴族に話しかけていいわけ無いでしょう?!
 身をわきまえなさい!!!
 
 私の隣にいらっしゃるこの方は未来の王妃、ジュリエット・メディンヌ様よ!

 本来ならあなたの様に汚らしい者は視界に入る事すら許されないのよ!!!」

 パンツ令嬢はご丁寧にも隣の令嬢・・・・を紹介してくれた。

 ジュリエット・メディンヌ。

 絶対貴族制主義であり、科学と医学に権威を持つ筆頭侯爵メディンヌ家の一人娘。
 そして王位継承権第三位ブロイ家嫡男の婚約者でもある。

 もとの肌色が解らなくなるくらい塗りたくられた化粧のジュリエット嬢。
 繊細なレースと刺繍が施された豪華なドレス。豪華過ぎて、明らかに周りと浮いてる。公爵令嬢のアシュレー様でさえこんな派手なドレスは学校には着てこない。

 でも、ジュリエット嬢から目を離せなくなったのは化粧のせいでもドレスのせいでもない。

 こちらを見下ろす冷たい瞳が、あの時振り返った時の瞳とそっくり同じ。

 襲撃事件の謎の少女は、ジュリエット・メディンヌだった。


「この無礼の代償はきっちり払ってもらいますわ!名乗りなさい!!!」

 注目がジュリエット嬢に逸れたのが気に食わなかったのかパンツ令嬢が再び憤慨した。

「私は…クーという名前ですが。」

「クー?しっぽですって?
 そんなおふざけはもう十分なのよ!
 きちんと本名を名乗りなさい!
 調べればすぐ解るのよ!!!」

「いや、それでもクーなんです。家名はありません。孤児なので。」

「孤児ですって?!家がないの?!!!
 どう責任取るつもりよ!!!」

 パンツ令嬢は真っ赤な顔で捲し立てる。
 過呼吸になりそう。大丈夫かな。


「落ち着きなさい。」

 ジュリエット嬢がパンツ令嬢を止めた。

「あなた、クーというのね。おかしな名前ね。
 髪も短くて……

 男の子の格好で街にいそうだわ。」

 声は冷たく蔑む様な口調なのに、目は真剣に問いかけてくる。

 あなたは街で王子の側にいた子?と。

「あなたは木の棒を振り回してそうですよね。
 銃をぶっ放した人に向かって。」

「何という侮辱!!!!」

 キレた。

 パンツ令嬢が。

 狂ったように足を打ち鳴らして扇を振り回す。

 けど言われた本人であるジュリエット嬢は黙ったままこちらを見てくる。
 もし銃撃戦の少女がこの人なら身に覚えがあるはずだ。
 そして街で見た男の子が私であると認めたことになる。


 まだ振り回し続けていたパンツ令嬢の扇がジュリエット嬢にぶつかった。

 でもジュリエット嬢はそれに気を止めずこちらに一歩踏み出した

「あなたには、上流階級について教えなくてはいけないわね。」

 パンツ令嬢が自分に言われたわけでもないのに緊張から背筋を緊張させる。
 低く、冷たい声だけどこれは単なる威し文句じゃない。

 やっぱり、この人はなにか知っている。

 もしメディンヌ家が暗殺や襲撃事件の犯人だとしたら、王子の側にいた子供とわかったら消される可能性もある。

 けど、ここで接触しないときっと彼女は…


 ジュリエット嬢が私の方にもう一歩進んだとき、その前に誰かが割り込んだ。

 最初からジュリエット嬢の側にいた令嬢だ。
 ピエールを思い出させる武人のような立ち姿。

 キラリと光が反射する。ジュリエット嬢に気がつくきっかけになった光だ。
 彼女の持つ扇の骨に金属が使われている。アクセサリーというより、もはやそれは武器でしょう。

 鉄扇令嬢は私から守るというより、ジュリエット嬢を制するように体の向きを変える。

「このような蟻など放っておけば良いのです。
 お嬢様、ご自分の立場を理解してこれ以上・・・・はしたない行動はお控え下さいませ。」

 ジュリエット嬢を引かせようと、体で隠しながら鉄扇で軽く叩いている。やっぱりそれは武器なんですね。

 学校には護衛を連れてくることはできない。でも格下や主従関係にある家の娘を付き人にすることはある。キュレット様もアシュレー様の盾なんだろう。

 でもこの二人の関係は違う。
 現にジュリエット嬢がパンツ令嬢に打たれても守らなかった。鉄扇で攻撃もしてるし。

 護衛、というより見張り。罪人と看守という感じがしっくりする。

 こんな扱いを公の場でされてメディンヌ家が黙ってるはずがない。つまり、見張りはメディンヌ家が用意した。

 何故見張りを?

 王子暗殺を実行しようとするジュリエット嬢を止めるため。
 もしくはメディンヌ家の陰謀を阻止しようとしているからか。

 ジュリエット嬢と話すチャンスは今しかない。
 見張りの鉄扇令嬢が邪魔だ。
 なんとか離れてくれないかな。

 そろそろだとも思うけど。

 これだけ(パンツ令嬢が)騒いだんだ。この接触は校内に広まっているはず。

 たまたま近くにいた生徒達は火の粉を被らないよう、息を殺してこちらを窺っている。


 重い静寂が広がるなか、コツ、コツ、と優雅な足音が少しずつ大きくなった。


 廊下の端に、望んでいた姿が見えた。
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