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25.王子、街に出る 2

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 姉がいなくなったと、少年トニーが助けを求めてきた。
 絞り出すように訴えたあとぎゅっと体をこわばらせ、泣くのを我慢しているようだ。

「クラリスは…確か12歳になったんだっけ。」

「うん…」

「姿が見えなくなったのは一週間くらい前か…」

 トニーに確認していると、シャルル殿下が小さな、けど迷いのない声で「僕も協力する。」と提案してきた。 

「国家権力を使っても良い。自国の民を守ってみせる。」

 そう言って近くにいるであろうピエール達に目で合図を送らん…としている王子を手で制止する。

「事故でも、犯罪組織に巻き込まれた、のでも無いかもしれない。」

 トニーの目をしっかり捉えて問う。

「現実から逃げない覚悟はある?」

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「お父さんは家でまだ寝てると思うよ…
 昨日も遅くまでお酒を呑んでいたから。
 最近ずっとそうなんだよ。」

 トニーの家に案内してもらう。
 崩れかけた家の中から、誰かのいびきが聞こえてくる。

 貧民街の饐えた臭いに王子はかわいい顔を歪め、袖口で鼻を抑えている。
 ハンカチで口元を隠していなくても育ちの良さが滲み出て、貧民街の住人の興味を引いてしまっている。
 ピエール達は、もはや王子の側で護衛していた。


「外でちょっと待っててくれる?」

 トニーと王子に問いかけ、返事を待たずに家の戸を開ける。
 本当に扉か?と思うほどの抵抗を感じるが、軋む戸を壊さないよう気をつけ押し、入れるだけの隙間を開けて中に滑り込む。

 薄暗い室内、棚の影に置かれた木箱の上におっさんが寝ていた。

 アルデヒドの臭いが周囲に漂っている。
 きっと多量のお酒を呑んで酔いつぶれたんだ。
 トニーの面影は少しも見られない、髭でボサボサの顔。だがトニーとクラリスの父親に間違いない。
 記憶の中にある、トニーの母親の葬式の時に怒鳴っていた顔と同じだ。

 だらしなく開けられた口に気付け薬の瓶を近づけてみた。

「ックェゴォ!!!グガァァッッ!!!」

 効果は抜群だ。 

「ッぐはっ……ハァッ……
 デメェっ何じやがるァァ!!!」

 口や鼻の粘膜に気付け薬の塩基成分が付着し、大変ヒリヒリしていらっしゃる様だ。
 しきりに喉と鼻をこすっている
 
「気にいらなかった?
 ワインだよ?高いんだよ~」

 ニンマリと子供っぽい満面の笑みを浮かべ、小瓶の蓋を開けトニーの父親に見せつける。
 父親は『ワイン』と聞いた途端に目の色を変え、ワインの瓶を引ったくった。

「ん?………オメェは…新聞社のガキか?
 おぉう。オレに土産を持って来るとはいい心がけだな。もらってやるよ。」

 瓶に鼻を近づけスンスン匂いを嗅ぎ、直接口をつけてチビチビ呑み始めた。
 ワインは、ビールの50倍ほどの値段がする。
 今まで飲んだことなんて無いに違いない。
 飲み下しながら偉そうな顔で頷いている。

 ほっぺどころか鼻や耳まで赤い。体がふらつき、手は小刻みに震えている。

「もう、結構呑んでたみたいだね。景気良さそうで羨ましいなぁ。」

「んゞーまぁなぁ……ちょっとした臨時収入があったのよ。」

 へぇーいいなぁと相槌をうち、カマをかけてみる。

「オジサンは商売上手だねぇ。
 幾らぐらいでクラリス売ったのさ。」

「あー、100リーフも出しやがった。フッかけたつもりだったんだが、よっぽど気に入ったんだろう。もうちっと高くしても良かったかもな。」

 グイッと小瓶をあおり、盛大なゲップを吐き出す。

「力のねぇ娘なんて、稼げない無駄めし喰いと思っていたが、いぃ金に化けたぜ。
 ガヒィヒィヒィヒィ…」

 少しカマをかけただけなのにペラペラと喋り始める。

「あの娘、今まで雇ってもらっていた織物工房が店を畳むってんでクビになりゃがった。

 近所の工房はぁほとんど潰れたよ。
 クリプトの野郎が妙な物を作ったせいだ。」

 クリプト…というとジュート・クリプトかな。

 5年前にジュート・クリプトは紡績と機織りをする機械を作り出した。革新的な代物で、蒸気機関を動力に使う。
 人の手で織るより十倍早く、しかも疲れたり病気になったりしない。

 一昨年アランと取材で見させてもらったけど…素晴らしかった。
 リンク一つ一つに興奮したものだ。

 最初は多かった不具合も改善され、最近は機械を増やして生産量をどんどん増やしていると聞いた。

 早くたくさん作れるから、原料は他の工房より遥かに多い量を使う。でも原料を産み出す羊の数は増えて無いから、羊毛が不足して高騰しているとアランの記事で見た気がする。

 近所の織物工房は材料費を捻出できずに潰れたのかもしれない。

「だからクリプトんとこに娘連れて行って、テメェのせいでクビになったから食わせてけねぇ、買え!
つったら、やせて顔色の悪い子供なんぞに100リーフをぽんと出しやがる。

 金持ちに買われて、オレよりもいい生活してるかもしれねぇなぁ…
 もう一人も連れて行って売っちまうか…

 いったいどんだけ稼いでやがる!この不景気によォ!!」

 罵るトニーの父親は、さっきから滝のような汗をかいている。
 袖で汗を拭っている時間、落ちる沈黙が空気を重くする。
 相槌を打たず、冷静に観察しているこちらの視線に気づいたようだ。不安げな顔で見てくる。

「そろそろ効いてきたかな?」

 一服盛ったかのような発言をすると、トニーの父親は恐怖に顔を引き攣らせ喉を掻きむしり始めた。
 まぁ、実際に飲んでいたのはワインなんかじゃ無いし、一服持ったといえばその通りかも。

「……デメェっ!!!何を飲ませやがった!!!」

 ゼイゼイと息をしながら睨みつけてくる。掴みかかろうとしてきたが、足がもつれたのか立ち上がったところで転んでいる。

「グァッ!」

 転がってきた小瓶を拾い、トニーの父親の顔を覗き込みニンマリ笑ってみた。

「あげる、なんて言って無いのに勝手に飲んじゃうんだもん。オジサン、気をつけないと。」

「…おれ…は………しぬの…………か……」

 弱りきって息も絶え絶えの状態だ。
 うーん、と考えるふりをしてから答える。

「トニーに薬渡すから、あとで飲んどいて。そしたら大丈夫だから。」

 トニーの父親は安堵のため息を大きく漏らす。
 助かると聞いて気持ちが楽になったようだ。

「あ、でもまた同じ様な状況になることはあるかもね。」

 しゃがみトニーの父親の耳元で告げる。

「トニーも売るなら、次は駄目かもしれないね。
 残念。ははは。」
 
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