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24.王子、街に出る 1

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 熊の様な騎士、ピエール・ド・ベルが研究所に訪ねてきた。後に可愛らしい少年を連れている。
 顔だけ見ると少女の様に愛らしいその人は、よく見なくても気がついた、シャルル殿下だ。

「殿下が市井をご自分の目で見て回られたいとおっしゃっている。案内を頼む。」

「何故僕に…」

「王子と知られることなく、というご希望だ。俺が護衛していては人目を引いてしまう。
 お前であれば王子と居ても目立たない。すぐ側で王子をお守りしてもらいたい。もちろん目が届くところで我々も護衛する。」

「クーは市井で育った、と聞いたよ。クーの目線で案内をしてもらえないかな。」

 柔らかく微笑み、可愛らしくシャルル殿下がいう。この人は、自分の言葉の重みをわかっているはずだ。
 口の中でため息を噛み殺す。

「わかりました。ではその服装をなんとかしましょう。」

「これでは駄目だったかな?クーの衣装を参考に用意してもらったのだけど。」

 王子は綿のシャツに簡素なデザインのジャケットを羽織っている。王族からすると質素な服なのだろうが、市井を歩くには上等すぎる。

 それもそのはず、王子が参考にしたのはウィル公爵家のお下がりなんだから仕方ない。

 こんな服装で私と歩いたら、物取りに狙って下さいと言っているようなものだ。

「僕の服を貸しょう。知り合いからもらった物だから少し大きめで、殿下も着れると思います。」

「お前、正気か?!庶民の服を殿下に勧めるなんて無礼だ。」

 ピエールと共に来ていた黒髪騎士ガスパールが、窘めるように言う。

「こんな所に殿下をお忍びで連れてきて、市井を歩くのに協力している方がどうかしています。
 王子だとバレたら命が危険なことくらい、わかってますよね?」

 庶民の間での王族の評判はすこぶる悪い。二年前に重かった税金を更に上げられて、市民は貧困に喘いでいる。
 その原因である王族が小奇麗な格好で歩いていたら殺意を覚える人もいるだろう。
 騎士は強いのかもしれないけれど、数名で100万人の暴徒と化した庶民に勝てるとは思えない。

 シャルル殿下だってそれくらいわかってるはず、なのにここまで来たからには何か目的があるに違いない。私にできる範囲で全力で協力するしかない。

 アランのお下がりのうち、まだキレイな物を選んで引っ張り出す。それを押し付け着替えてもらった。
 それなのに…

「駄目だ…」

 クタクタの木綿シャツを着ても、王子の神々しさが消えてくれない。
 これでは命に関わる。
 無礼を承知で、髪や肌を暖炉の煤で汚してみた。「何をする気だ!!!」と黒髪の騎士ガスパールが剣を構える。
 
 驚いたことにそれを「わからないなら黙って見てろ」と止めたのはピエールだった。
 そして小さい声で私に礼を言ったのだ。

「キュレットから薬を受け取った。感謝する。子供が快方に向かったと母親が喜んでいた。」

 ピエールの子供は、王子暗殺未遂当日、隣のおばさんからおすそ分けされたジャムを食べて寝込んだらしい。隣のおばさんはその後消息不明だ。この件のために仕込まれた人物だったかもしれない。
 ジャムを分析させてもらったらリリーズの実でできたものであるらしかった。

 リリーズの実は甘いが中毒性を持つ。
 死の危険は少ないが、体が小さい子供であれば数日熱を出すことが多い。その後も倦怠感が続くと言われている。
 
 しかし昔から誤食されてきたためか解毒剤が存在するのだ。
 キュレット様に薬を渡していたが、効いたようで良かった。

「今日、またリリーズの解毒剤が届いたんだが、飲ませた方が良いのか?お前の署名もないから判断に困っている。」

「え?それは僕じゃないです。」

 また子供を狙われているかと、表情が固くなるピエール。でも見せてもらった薬は、リリーズの解毒剤で間違いなさそうだ。

 それにしても妙だ。何故解毒剤がある毒を使ったんだろうか。子供だからと慈悲を出しそうな犯人とは思えないんだけどな。
 そして、この解毒剤を送りつけたのは誰だ?
 

 考えているうちに炭が王子に馴染み、どうにか庶民らしく見えなくもないので、街に繰り出すことにした。

 研究所から通り3つも歩くと、そこは喧騒溢れる街並みだ。
 医療技術の発達により人口が増えた一方で、王都の面積は拡大していないため人々は密集して暮らしている。
 流れる川にかけられた橋の上にまで家を建てている。

 王子はすれ違う人の多さに驚き、飛び交う怒鳴り声に驚き、初めて飲むビールに驚いていた。
 広場では若い男女が激しいタップダンスをしていて、興味深そうに眺めていた。
 
 とりあえず広場まで来てみたところで王子に尋ねた。

「どこか行きたい場所があるんですか?」

「クーが普段どの様な生活を送っていたのかしりたいな。カレン教授の研究所に来る前はどういった仕事をしていたの?」

「日雇い仕事は荷運びとか雑用とか色々ありますが、僕は字が読めるから伝言を届ける仕事をしています。」

 今でも少し仕事をしているというと、ぜひ一緒にやらせてくれないかと言い出した。
 王子…お小遣いが欲しいのかな……。

 王都でも識字率は高くない。だから字が読める伝令の仕事は割がいい。
 私は文字を両親から習ってたから伝令の仕事ができて、だからこの年まで生き延びれた。運が良かった。

 どこかで伝令を求めていないか店舗を見て回ったらパン屋のおじさんに伝言を頼まれた。急ぎ塩を注文したいらしい。
 注文を紙に書き写していたら側にいた王子に気がついたようで、じっくり見てきた。

「すごい別嬪さんを連れてるな。そんだけ美人なら女の子じゃ無くても攫われちまうかもしれん。気をつけなよ。」

「はーい、忠告ありがとね。」

 王子も曖昧な顔で会釈を返した。

 50ソルもらって伝言を調味料店に届ける。
 王子は邪魔にならないようひっそりとついてきている。

「こんな感じで一日に5~6件の仕事をもらって、稼いでいます。」

「でもそれだと一日に3リーフ程しか得られないよね?」

「パンは最近高いから買えないけど、麦の粥なら3杯くらい食べれますよ。」

 これでもまだマシな生活をしている、というと王子は目を瞑り、上を見上げた。
 同情しているのかもしれない。でもどの世界にだって自分より下の生活がある。比べたり同情したりなんて意味の無いことに思ってしまう。

 何か声をかけようとしたとき、

「クー?クーだよね?!」

 小さな少年に声をかけられた。

「トニー?久しぶりだね!」

 痩せっぽっちの少年はトニー、8歳くらい。数年前に母親を無くしている。上には器量良しの姉、クラリスがいたはずだ。

 トニーがぎゅっと腕に縋り付いてきた。嫌なことでもあったのかと頭を撫でていると絞り出すような声で言ったのだ。

「クラリスが…クラリスがいなくなったんだ…」
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