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18.養殖の深窓令嬢

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 アシュレー様に仲介してもらい、キュレット様に会いに行けることになった。
 ベル家は子爵であり貴族の屋敷っぽい感じはあるが、リオンヌ邸のそれと比べるとまだ威圧を感じない。
 だから案内された時もそれほど緊張せずにいた。

「ようこそいらっしゃいました。……クー様。」

「本日はお招きいただきありがとうございます。ベル夫人。」

 出迎えてくれたのは茶髪で小柄な女性、ピエールの母でキュレット様の将来の母(予定)。
 とても繊細そうな風貌で、この人がピエールを産んだとはちょっと想像ができない。

 キュレット様は、というと夫人の後ろでとても控えめに立っている。キュレット様への挨拶もそこそこにベル邸を案内される。

 調度品一つ一つの歴史や配置について説明してくれる………………が、長い!
 一枚の絵に10分以上かかってるよ!!!
 早くキュレット様と二人で話がしたいのに。

 一時間近くかかって、やっと客間に通された。
 絵の説明のたびにこちらに感心の意を求めてくるから、愛想笑いのし過ぎでほっぺがピクピクなる。

 「どうぞこちらへ、お掛けになって下さい。」

 二人がけのソファーに座ってベル夫人の退室を待つ………………が、出て行かず向かいのソファーにキュレット様と並んで座る。

「こちらの壺は東洋から…」

 再び調度品の説明が始まった。抑揚の少ない声で作品の細やかなうんちくが永遠と語られる。

 ……………………………。

 アシュレー様を通して招待してもらったのが、いけなかったかもしれない。リオンヌ家の縁者と思われているかも。ウィルが身近過ぎて公爵なの忘れてた。

 貴族の茶会は情報収集が目的。
 ベル家の手の内を見せて、リオンヌ家の情報を得る気なのかもしれない。
 とするとベル夫人は主催者として茶会のこの席にきっと最後までいる気だ。

 でも私は貴族じゃ無いし、貴族のゴシップ情報だってあげれるものはない。

 ときたまベル夫人はチラッとキュレット様へ視線を送る。「こういう風に言うのよ。」と教えるように。 
 ベル夫人は女主人としてこの家の管理を一手に担っているんだろう。将来の娘であるキュレット様に、その後を継いでもらいたいと思っていそうだ。

 でもその未来を変えるためにキュレット様と密談するのが今日の目的。
 ベル夫人には悪いが、退室してもらおう。

「素敵なお屋敷ですね。そしてこの…緑茶・・も大変美味しいです。」

 夫人はさっと顔を蒼くした。

「お口に合えば幸いですが……紅茶を用意できず、大変失礼しました。」

 紅茶は10gで100リーフもする。100日働いたって買えるかどうか…最近ではお金を積んでも、コネが無いと買えないそうだ。
 平民に気軽に出すリオンヌ家の方がおかしい。

 でも。

 手提げかばんから小さな紙袋を取り出す。用意しておいた手土産だ。

「もし良かったら、これを。私が作ったものですが。」

「まぁ、ご親切に。これは…………!!」

 夫人の目がみるみるうちに大きくなる。そして紙袋の中身を少し手に取り匂いを嗅いでいる。
 そして更に目を大きく見開いて私を見る。

「これを、作ったのですか?作れるものなんですか?」

 袋の中身は紅茶の茶葉である。

 緑茶と紅茶は同じ種類の植物の葉から作られている。両者の違いは『発酵』。
 ただし、微生物を使った『発酵』ではなく、葉に含まれる成分による化学反応だ。
 それについて書かれた論文を見つけ、試行錯誤の末それっぽいものができたのだ。
 教授も手伝ってくれたが、私よりも熱心に取り組んでいて、ちょっと紅茶の魔力を恐ろしく感じたのは秘密。

「作り方をこれに書いてきました。加熱が不十分な緑茶の茶葉で試してみてください。」

 紅茶の作り方を書いた紙を夫人に渡す。受け取る手は震えていた。
 目はしきりに左右へ動き、腰は少し浮いている。

「本日はありがとうございました。あとキュレット様と少しお話させてもらったら帰りますので、大丈夫です。」

 あら退室を申し出たかしら、と夫人が口を抑えている。ニッコリと頷くと、夫人は早口で別れの口上を述べると部屋を出ていった。おもてなしに人生を注いでいる夫人のことだ、早速紅茶を作る気に違いない。

「ベル夫人…いや、ベル家の人々は貴方に、夫人のような人生を用意しようとしているんですね。それが最良の道と信じて。」

「はい。」

 キュレット様は静かに肯定した。ここに来てから初めてキュレット様の声を聞いたな。

「ピエール…様に子供がいることはご存知ですね?」

「はい。私に子を成す責任が無くなるからと、オーギュスト様もお認めになっています。」

 家族公認の浮気である。

 ピエールの相手は酒場で知り合った娘らしい。お互い一目惚れで、出会った瞬間に恋に落ちた。
 正式な結婚はしていないのでこの屋敷には住んでおらず、近くに家を借りているらしい。普段ピエールはそこで暮らし王城に通っているのだとか。子供は1歳半頃までは母親に育てさせ、その後はこの屋敷に引き取って教育や礼儀作法を身に付けさせるつもりらしい。もちろんその後は子供と母親が会うことは許されない。平気で親子を引き離そうとするが、乳母に子を任せる貴族階級からしたら無情でもなんでもない当然の行動のようだ。
 毒物検査のため子どもとその母親に会ったが、いずれ我が子と引き離されてしまうが飢えて死んでしまうより良いと無理やり自分を納得させているように見えた。

「お相手の方の状況を思うと、このままピエール様と私が結婚して良いと思えなくて。
 貴族のピエール様と平民の方とでは結婚どころか子をなすことなど、あの夫人が許すはずありません。でも私との結婚が近いためあの子の養子の手続きも進んでいます。
 養子縁組さえ済んでしまえば私は必須ではない。私がいなければお相手の方は乳母として迎えることでしょう。」

 少し視線を外し寂しそうに語るキュレット様。でも自己犠牲の精神だけで婚約破棄を望んでいるようには見えなかった。

「キュレット様は武闘会で優勝されたそうですね。下町でも凄い盛り上がりでしたよ。仮面の騎士が次から次へと試合相手を薙ぎ払っていくとの噂です。剣技だけでなく力でも負けてないとか。
 …………キュレット様はどうやって鍛えたんですか?

 あのベル夫人を見ていると、女の子が体を鍛えるのを許しそうには見えないんですが。」

 するとキュレット様は少し寂しそうに笑って答えた。

「時間だけはありましたから。
 自分の体重を使って負荷をかけたのです。」

 理解しやすいようにと実演してくれた。
 キュレット様はソファーから少し離れ、小指で逆立ち・・・・・をして腕立て伏せをし始めたのである。
 危なげなくゆっくりと腕を縮め、伸ばす。体の重心がブレないことからも、普段からこの行為を行っているとわかる。
 スカートが捲れないよう足で挟んでいるが、置物のように安定してそびえ立っている。
 
 もう一度言う、キュレット様がである。

「小指は特に、剣術において重要です。
 剣術はオーギュスト様達の手合わせを見て、足さばきはダンスから学びました。」

 なんて説明しながらまだ腕立て伏せを続けている。声に乱れは一切ない。

 こんな事できる気がしない。その辺の男だって、こんな事できるやつはいないだろう。
 そりゃ武闘会で力勝ちするよ。

 小指で軽快に床を弾き、美しくもとの姿勢に戻る。

 ベル家の深窓の令嬢は、大事に守られている間に最強の身体になった訳か。

 そんな人が、ベル家の管理だけで将来満足できるのか?
 できるのなら、こんな風になるまで身体を鍛えたりしないだろう。

「キュレット様は、お父上やオーギュスト様のような騎士とかになりたいのですか?」

 ベル家でのキュレット様の振る舞いを見る限り、いつも大人し過ぎるほどお淑やかに振る舞っているに違いない。
 そんな子を見ていれば、穏やかに毎日を過ごさせてあげたいと思うのにも納得できる。
 軽々と二人掛けソファーを持ち上げてスクワットする令嬢はフルフルとくひ振った。

「いいえ。武人は大変立派な仕事です。でも残される家族を思うと自分がなりたいとは思いません。
 でもいつか家族ができたらとは思います。
 この家の方々はとても親切ですが、一方的にもらうのではなく私からもしてあげられる関係が欲しいのです。」

 ふと、ピエールが言っていた言葉を思い出していた。

「結婚せずとも家族にはなれる。」

 ポロッと出た言葉にキャレット様がソファーを元の位置に戻してこちらを見た。

「ピエール…様が言っていました。結婚せずとも家族にはなれると。」

 ぐっと拳を握ったキャレット様はしばし沈黙し、小さく息を吐いて言った。

「私、もっと賑やかな方が好きなのです。」

「ん?」

「力を試したくて武闘会に出ましたが、あの賑やかな雰囲気が忘れられなくて。
 この家はいつも静寂に満ちています。武人でいらっしゃるオーギュスト様は滅多に戻られず、ピエール様も他所で過ごされています。夫人は沈黙を好むので使用人達も静かな方ばかり。」

「…ほ、ほほぅ。」

 突然の告白にしばし固まった。
 賑やかな…。武闘会の日は確かに街は賑やかだった。でも下町はいつもそんな喧騒に満ちている。
 婚約破棄、その後のキュレット様。家族が欲しい、賑やかしい、力自慢。ちょっと思いついたので提案してみた。

「キュレット様、こんなのはいかがでしょうか?
 例えば…」
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