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7.公爵男子、ウィリアム 2 

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 まずは現場を見ようと事件があったというロナサス通りへ向かいながら、事のあらましをクーと名乗る少年から聞いていた。

 昨晩、ロナサス通りにあるタバコ店の二階でそこの店主であるニコラ・ボワッソ42歳の死体が発見された。
 店の事で呼びに行った使用人が最初に発見したらしい。部屋の床に横たわった状態で、額に少しぶつけたような傷があったようだ。

「死体の近くに氷の塊があったみたいです。
 それで、撲殺したと警察は考えているそうですよ。」

「だからトマス教授に嫌疑がかけられたのか…」

「トマス・カレンさんって、やっぱりあのトマス・カレン教授なんですか?」

 少年が目をキラキラさせて尋ねてる。

 トマス教授は人工的に氷を作り出すことに成功し、去年の夏に催された収穫祈願祭でデモンストレーションを行った。
 暑い夏に、民衆の前で氷を作り出し科学の素晴らしさを伝えたのだ。少しでも科学を身近に感じてもらいたい、いずれ研究を共にする仲間ができたらいいと、祭りに向け準備をしていた教授が思い出される。
 隣で目を輝かせ氷の実験について語る少年を見たらきっと教授も喜ぶに違いない。

 …早く証拠を見つけ、教授を開放してもらわなければ。

「エーテルが気化するときの熱、つまり状態が液体から気体に変化する時に必要な力を周りの空気から奪って、空気中の水を氷にしているんでしょ。
 物質の状態が変わるときに力が必要なんて考え方、画期的ですよね!!」

 この少年、原理についてかなり本質を捉え理解している。

「どうしてそんなに科学の知識があるのに、殺人事件みたいなゴシップ記事を書こうとしている?
 もっと専門的な新聞もあるだろう。」

「僕だって専門誌に書きたいです。でも貴族だったり、大学を出てたりしないと記事は採用されない。

 …それに、今回の件は警察の副署長から、うちの新聞社アランさんに内密で調査依頼が来たんです。」

「…………警察から?」

「だって、不自然じゃないですか。
 氷が現場にあったからって、面識もない氷の実験者を逮捕するなんて。
 トマス・カレンさんの支援者に大きな貴族がいるらしい。それに敵対する貴族が警察署長を使ってカレンさんを犯人にし、支援者の貴族を陥れようとしていると、副署長は睨んでいる。

 だから逮捕したあとアスコルビットが検出されても、それすらも証拠の一部にしようとするだろう。」

 我が公爵家はトマス教授を支援している。
 もしかするとそのせいで教授は捕まったのか。

 公爵家は王族の次に身分が高い。敬われると同じくらい敵意も存在する。
 同じ国を支えるはずの貴族同士で、その地位を巡る争いは水面下で日々行われている。
 地位を守り抜くのも貴族の仕事の一つと思っているが、それに他人を巻き込むとはなんて迷惑甚だしいのだ。

 黙った少年から向けられる視線が、貴族を非難しているように感じ話題をそらす。

「君は新聞記者の名前としてクー(しっぽ)なんて名前を名乗っているのか?
 他に正式な名前があるんだろう。」

「『クー』って変な名前だと思っているんだ。名乗っても僕のこと名前で呼ばないよね。
 固有名詞で呼んでもらわないと誰に話しかけてるのか分からないから呼んで欲しいんだけど。

 でも確かに変な名前かもね。僕を拾ってくれた粉屋の爺さんが付けてくれたんだ。」

「拾った?お前………クーの親は?」

「親はいない。それより、まだあなたの名前は教えてもらえない?」

「ウィリアム………だ。」

 この事件の元凶かもしれない家名を名乗ることができなかった。少年もそのことに気がついているのであろう、不自然な溜めについて追求はしてこなかった。

「ウィリアム……長いからウィルだな。」

ズルッ

 足が滑り転びかける。
 初めて愛称をつけられ心がドキッとしたからではない。断じて。

 昨日雨が降ったからに違いない。
 雨上がりの石畳はよく滑る。

「ウィリアムだ。短くするな。しかもさっきから口調もだいぶく砕けているが。」

「敬われたいなら、爵位でも名乗れば?
 時間ないんだろ。名前も敬意も節約、節約。
 ほら、あそこがニコラ・ボワッソの家だ。」

 三階建の石造りの建物。その軒下にタバコ屋の看板が下がっている。
 人口の爆発的増加のせいで王都の住宅はかなり混み合っている。そのためボワッソの店も隣とピタリと接して建てられている。

「店の前に警官が立っている。しばらく待とう。」

「大丈夫だよ。言っただろ、これは副署長案件だって。息のかかった警官を配備してるから。
 ラウル兄さん!」

 少年が店の前の警官に手を振ると、相手も手を上げてそれに答えた。

「図書館で調べものしてたら遅くなったけど、まだ大丈夫かな?」

「大丈夫だが……そちらの方は?」

 視線がこちらに向けられる。

「ウィルっていうんだ。。多分偉い人だから、いざという時に身代わりになってもらおうと思って連れてきた。」

「何だと!騙したのか!!!」

 ニッと、ポケットに手を入れ不敵な笑みを浮かべるクー。
 カッとなり少年に掴みかかるが、ラウルという警官はその行動を予測したように我々を店の中に押し込んだ。

「ウィルさん、すみません。いつもは現場に入るとき怪しまれないよう、非行少年の注意という体をとっているのです。
 ところが今日はあなたがいるから、先程のようなことを言って仲裁の体を取ることにしたのだと思います。
 そもそもクーの言葉も、真犯人を見つけたら手柄をあなたにあげたいという意味なのです。こんな子供が成果をあげても誰も信じませんから。
 
 クーもウィルさんに謝るんだ。最初に打ち合わせをすれば不快な思いをさせずに済んだんだぞ。」

 少年の髪を鷲掴みにして頭を下げさせる。
「ごめんなさい」と小さい謝罪が聞こえた。

「現場は二階の奥の部屋です。
 一階は店舗、二階を居住スペース、三階は他人に貸していたそうです。

 借用している二人のうち、一人は年配の男性で当日は勤務先に終日いたことが確認されています。
 残る一人は貿易関係の青年で、他国にスパイスの買い付けへ行っているそうで出国記録に間違いはありません。

 犯人は借用人では無さそうですが、大家であるニコラ・ボワッソと折り合いは悪かったそうです。
 周辺での聞き込みでもボワッソの評判は、強欲、非情など良いものではありませんでした。

 こちらに発見時の様子が書かれています。どうぞお使いください。

 くれぐれも下手な真似はするなよ。」

 最後のセリフは少年に向けられていたようで、クーは肩をすくめてそれに答える。
 そして二階への階段へ歩き始めた。


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フランス語で犬などのしっぽのことを、クーと言うそうです。
粉屋の爺さんに拾われたとき、逆立てたしっぽ様に警戒していたため、クーと呼ばれることになったそうです。
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