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5.令嬢は、婚約破棄をご所望です

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 この国以外では大学に通える?
 生まれた境遇に悩んでいたのが馬鹿みたいだ。すぐにでも行くべきじゃないか。海は泳いで渡れるか?船を作るなら木を集めないと。

「少し落ち着きましょうか」

 目を見開いて思案し始めた私を見て、アシュレー様は少し休める部屋へと案内してくれた。

 そうだ、落ち着こう。
 外国だ。エンリッシュ国でこの国の言葉が通じるとは限らない。
 大学の条件も調べないと。このフランツ王国では収入に応じた金額を授業料として納めるので、男で文字が読め推薦があれば孤児だって入学可能だ。エンリッシュ国では途方もない授業料を払うかもしれない。

 そして、私はクーとしてこの国を出るのか?まだ本名を取り戻すのは恐い。殺されるかもしれない。狂気を孕んだ視線が思い出される。

「クー様、大丈夫ですか?顔色が優れませんが。」
「ぁっ!………すみません。」

 じっとりと汗をかいた手のひらをワンピースの裾で拭う。

「女性としてこの国に生まれなければ、大学入学は不可能ではありません。
 ですが、生まれたときから、それは願うことすら許されず、どこに怒りを向けるべきかもわからない、そんな思いをしておいでですのね。」

 いたわる様にアシュレー様が声をかけてくる。

 染みる。
 誰かに言ってほしかった言葉が、簡単に心に入ってくる。涙が出そうになる。

「どうか、私達にクー様の支援をさせて下さい。」

「…?支援…ですか?」

「そうです。私、大学の入学に必要な諸手続きを、金銭面含めお手伝いできるかと思います。」

「私はエンリッシュ国の言語を教えて差し上げます!また文化の違いも知っておくと生活に便利かと!」

 それまでアシュレー様の後で静かに控えていたソフィア様が、飛び跳ねんばかりに元気よく提案してきた。
 キュレット様も言葉をあとに続けてきた。

「見知らぬ土地へ一人で往くのは心細うでしょう。女性の身でしたらなおのこと。もし私とで良ければ護身術を訓練しませんか。」

 本能が警告を発する。
 手厚い支援内容に、ありがたいけど、有難すぎて逆に恐い。

 ソフィア様が私の返事を待ちきれないとばかりに言葉を切り出す。

「その代わり、私達のお願いを聞いてもらいたいの!」

 ほら、きたよー。これは内容を聞いたら断れないやつだ。

 初対面の平民、しかも孤児に頼む仕事なんて、ヤバイ物を運ぶか暗殺ぐらいだろう。終わったら消せばさ良い。
 支援の内容には正直、心動かされる。悩みの種がすべて解決して更にお釣りが来るぐらいだ。でも曲げれない持論くらいある。

「私は誰も殺したくありません。それにカレン教授に迷惑をかけたくないのでお断りします。」

 万一私が捕まったら、監督者である教授も再び逮捕されてしまうかもしれない。それだけは絶対にしては駄目だ。

「大丈夫です。カレン教授には害が及ばないよう配慮いたします。また、あなたにも危害が加わらないようにさせます。」

 アシュレー様がすみれ色の瞳で縋るように見つめてくる。

「私達も自分たちだけでは解決できない悩みがあるのです。
 どうかあなたの為にも断らないで。あなたにしかできない事なの。」

 体が勝手に頷いてしまった。
 アシュレー様は柔らかく微笑み、キュレット様はホッと息を漏らした。一方でソフィア様は少し顔をこわばらせたように見えた。

「キュレット様、人が来ないよう少し見ていてもらえませんか。」
「かしこまりました。」

 部屋の内部に不審な点がないか確認したあと、キュレット様は扉の前に立つ。
 やはり人に聞かれてはまずいほど危険な話だ。緊張して唾をぐっと飲み込む。

「私達はそれぞれ婚約者がいますが、その方々との婚約破棄を望んでおります。
 円満な婚約破棄をするために、力を貸していただけないでしょうか。」

 ……想像より黒くないお願いだった。こんな美女達にフラレる婚約者にしたら悲惨な話かもしれないが。

 結婚は家と家を結ぶもので、本人たちの意志は関係ない。良家のご令嬢ともなると、それこそ生まれる前から相手が決まっていることもあるだろう。
 問題は違えど、アシュレー様達も決められた人生を変えたいと願っているのだ。できることがあるなら力になろう。

「私は両家の伝令となればよろしいのですか?」

「いいえ、相手に私達の意志を悟られ無いよう動いていただきたいと思います。こちらからの婚約破棄は大変失礼なので、相手側より破棄を引き出していただきたいのです。」

「下町ならではの社交術や、同情的な身の上話をすれば殿方はイチコロよ!
 そしてワタシニ苛められたと嘘でも付けば簡単に婚約は…「ソフィア様、お黙りください。」

 急に饒舌に話し始めたソフィア様を、アシュレー様が黙らせる。
 今までと口調を変えずに殺気プラスするという高等技術。貴族怖い。

「ソフィア様は、悪役令嬢物のロマンス小説を愛読しておりまして、ついその内容を口走ってしまったのです。
 クー様にその様な愚かな真似はさせないのでご安心下さい。
 
 婚約者の方々は私達より身分が高く、私如きでは簡単に会うこともできません。
 まずは相手が何を思っているか聞き出してもらえないでしょうか。」

 アシュレー様は公爵家のはずだ。それより偉い身分は王族だけじゃなかったっけ?
 嫌な、予感がする。

「私の婚約者はシャルル・ド・ラ・ジュイエ。この国唯一の王子様ですわ。
 あなたなら、シャルル殿下に接触するのも容易なはず。」

 アシュレー様が微笑む。

 これは罠か。アシュレー様は私が王子と図書館で会ったことを知っている。
 扉の前にキュレット様が立っている。どこか逃亡経路を考えろ。

 扉がガタッと音をたて開かれる。衛兵か。

「罠では無いわ。ご安心を。

 クー様には、私の弟、ウィリアム・ド・リオンヌをおつけします。
 
 身辺の警護も兼ねさせますので、要望がありましたら遠慮なくお申し付け下さい。

 これまで通りに。」

 開かれた扉の先には、見知った顔があった。すみれ色の瞳が驚きで丸くなっている。

 私がここにいる原因を作った男、ウィリアムだった。

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