サ帝

紅夜蒼星

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「ふぅ……」
 一人、こじんまりとした銭湯の椅子で溜息をついた。
 座っているのは、あまり大きくはない露天風呂スペースの一角だ。
 元々椅子が置いてあるでもないそのスペースに、俺は椅子置き場から持ってきてととのいスペースを自作していた。
 いつもの行動だ。
 本来は体を洗うスペースも兼ねているので、タイミングが悪ければ刺青の入った兄ちゃんのシャワーが、延々と自分の体に降り注ぐことだってある。
 しかし、そんなととのいには邪魔でしかない行動すらも愛おしいと感じていた。
 体を清めるという行為が、悪であるはずがないのだから。
「三セット目。今日はここで店じまいかな」
 誰に言うでもなく、一人ごちる。
 サウナ室の真横に設置されたフック。そこにかけられたバッグからサウナハットとサウナマットを取り出し、サウナルームへと入室した。
 ガチャリと、今となっては珍しい木の扉を引く。形状の付いたカギを引っかける必要はない。利用者のマナー意識に任せた、そんな奔放さもこの銭湯に通う理由の一つだった。
 このサウナは十人程度しか入ることが出来ない、けして大きくはないサウナだ。
 ドアの傍らに一段、ドア向かいに二段のスペースがある。
 この菊美湯にはかなり珍しく、現在男湯には人の影はない。
 当然サウナルームにも客はいなかったようで、普段ならば取り合いになる、文字通りのホットスポットである二段目へと腰を下ろした。
 菊美湯のサウナは百度近い温度があるロッキーサウナだ。左奥にそびえるオートロウリュというのも、一般的なスパでは珍しくはないが、銭湯でこの設備を備えているところはかなり珍しいだろう。
 加えてこのサウナは、他のサウナと比べて決定的に違っていた。
 それは、匂いだ。
 サウナ室全体に充満する、ヒノキのいい香りだ。都会の真ん中にあるというのに、大自然の中で森林浴をしているような錯覚すら覚える。
 ヒノキだけではなく、アロマの匂いもほんわかと香り、熱を帯びた匂いが鼻腔をくすぐってくる。
 化学臭い、激しい主張をしてくるようなアロマではない。あくまでも主役はサウナなのだと理解し、引き立てるような微かな匂いだ。
 そしてテレビがなく、薄暗い雰囲気がこのサウナにはある。
 強制的に文明から、新しい情報からシャットアウトさせられ、自己のみに意識が集中させられる。
 ととのいへと、上り詰めていくのだ。
 今日も今日とて例外ではなく、壁時計を確認すればあっという間に五分が過ぎていた。
 体調にもよるが、基本的にはサウナの入浴時間は六分から十分。長くいた方が水風呂との温度差でととのいが深くなるというのが持論だが、それ以上に無理をしないというのがポリシー。あと一分したら出ようと、心の中で決意を固める。
 一度目を伏せるが、扉が開かれた音に反応し、俺はなんとなしに顔を上げた。
 そこには、美少女が立っていた。
 この『サウナ時代』には男女混浴のサウナというものはけして珍しくない。
 男湯、女湯に分かれていたスパ施設がサウナゾーンを解禁し、水着着用の元で混浴を許可しているのは最早一般的とすら言っていい。
 しかしながらこの【菊美湯】にはそんなエリアはなく、昔ながらの男湯女湯の二つで運営しているはずだ。
「福良大海(ふくら たいかい)ね」
 己の名を呼ばれる。
 この銭湯に来て、一言も名乗って等いないはずなのに。
 あたかも昔からの知己であるかのように、その名を呼ばれる。  
「あんた、サウナの帝王になりなさい」
 サウナ室の時が止まる。
 
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