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1 田中姉妹の《じゃない方》

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2歳上の姉は、生まれた時から『ヒロイン』になるのを決められていた人だった。


両親の良いところだけを受け継いだ顔を持つ美しい赤ちゃんを囲み、親戚みんなで、果てはどんな美人になるだろうか、と盛り上がったのよ、という話を父や母から一体何回聞いただろう。

それに比べて、あなたはね…

2人目ということもあってか、お姉ちゃんより500グラムも重かったから、丸まるした赤ちゃんで、みんな、この子は丈夫な子になるねって笑ったのよ、と。


思い出話に始まり、日常生活の中で両親からの繰り返される姉妹の容姿の比較が尽きることはなかった。







優実はとにかく目立つことが嫌いな子供だった。


両親や親戚が悪気なく繰り返す姉妹の容姿を比較する言葉から、自分が姉に比べると『劣った』容姿であることは幼い頃から自覚していた。

2歳上の姉、佳織かおりがいつでもどこでも話題の中心であることの真逆で、とにかく目立ちたくない、佳織と姉妹だと知られたくないとただそれだけを願っていたのだ。

子供の頃からお正月の時に親戚一同で集まるたびに、『お姉ちゃん”は”いつ見ても美人だねぇ』と、悪気なく言われ続けてきた。小学校高学年の時には既に、お正月が来るのが億劫に感じるようになっていた。


優実が中学に進学すると、中学3年生だった佳織は学校のマドンナ的存在で、『あの』佳織の妹が入学してきた!と何人もの先輩がわざわざ1年の教室まで優実を見にやってきて、『まぁ、ブスではないけどね…』と、勝手に失望して帰っていく。そういう時、なるべく顔を見られたくなくて、ずっと俯いていた。とにかく目立たないよう、目立たないよう1年間を過ごした後、佳織が卒業した後は本当に心底ほっとしたものだった。

出来たら違う公立高校に進みたかったが、佳織も優実も成績が良く、同じ進学校に進むことになった。レベルを下げてまで佳織を避けることは、さすがにプライドが許さなかった。両親や親戚、近所の人に、『優実ちゃんは頭”も”佳織ちゃんに比べると…』と言われることだけは嫌だった。

けれど、結局は中学入学時と同じことが高校でも起こり、入学して一週間で己の選択を悔いることになった。優実はまた1年間俯き気味で、なるべく目立たないようにやり過ごすしかない日々にため息しか出なかった。

佳織は高校2年の時点で既に初めての恋人ができていたが、相変わらずの美人ぶりで先輩にも後輩にも人気があり、奥手な優実が密かにいいなと思っていた同級生の男の子の視線の先にいつも佳織がいることに気づいた夜にはひとり静かに部屋で泣いた。

優実の初恋はそうやって誰に告げることなく呆気なく散っていったのだ。

佳織が地元の大学に進むと言ったとき、優実は心の中で狂喜乱舞した。姉が無事志望校に合格したのを、心の底から喜んだ。数年後、自分の進路希望の欄には当然のように東京の私立大学の名前を書いた。

そうして18歳、地元から離れ独り暮らしを始めた時、初めて優実は『田中佳織の妹』を卒業することが出来たのだ。






両親も、姉も、優実に対して優しくないわけでも、無関心でもなかった。

運動会の徒競走で一番を取れば喜んでくれたし、テストでいい点を取れば褒めてくれた。習い事も姉と同じように、優実がしたいようにさせてくれた。姉のことだけを贔屓することは決してなかった。東京の大学に行きたいと我儘を言っても、出来る限りのことをしようとしてくれるそんな両親だったが、『容姿』に関してだけは、一度も褒めてくれたことがなかった。

自分は恵まれていたと分かっている。家族からの愛を疑っているわけでもない。育ててくれた恩はいつか返したいとさえ思う。ただ時々、シンデレラのように容姿が美しく、そして分かりやすく家族から虐げられていたら、逆に生きやすかったもしれない、と思うときがある。そしてそんなことは本当にシンデレラのような境遇じゃないから言えることなのだ、と、屈折した独りよがりの考えを消し去れない自分に激しく嫌悪するのだ。





初めての彼氏は大学3年生の時、同じゼミで出会った同級生。明るくて優しい人だった。付き合った理由は、ただひとつ。向こうから告白してきてくれたから。

姉のことを知らない彼に、自分のことだけを見て、好きです、と言ってもらえて本当に嬉しかった。

今から思えば、優実は彼のことが異性として誰よりも大好きだったわけではなかった。彼が姉ではなく、自分のことを好きになってくれたから、好きだと錯覚していたのかもしれない。それくらい、佳織への目に見えないコンプレックスは、無意識のうちに根深く優実の心の奥に巣食っていた。


それでも初めての彼とは半年ほど付き合った。その間彼は優しかったし、幸せだった時間もたくさん過ごした。けれど、就職活動が忙しくなると同時になんとなく彼と連絡がつきにくいなと思っていたが、単純に就活で忙しいのだと思っていた。ある日、たまたま彼の下宿先の近くを通りかかったので連絡なしにアパートに行ってみると、玄関に女の人のパンプスが置いてあるのを見つけてしまった。奥からは聞いたことのない女の子の甘えたような、楽しげに喋っている声がした。一旦開けたドアを、そのままそっと閉めた。


わたしにもドラマみたいなことが起こるんだ、と帰り道、にじむ景色を見ながら、思った。



気づかれたとは思っていないであろう彼には翌日詳細は書かずに、ただ別れの意思をメールして、いくつかのやり取りを交わした後、関係はあっけなく切れた。
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