とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら

文字の大きさ
上 下
25 / 30

25

しおりを挟む
「無理しないでくれ。気味が悪いと思うのは当然だ。…覚えているか?君が一番欲しいだろうものを俺があげられると言っただろう」

エラが考え込んでいる間に、彼が話し始めた。

「このブラウン家からの自由、だよ。あの女の問題が片付いたら、君を自由にしてあげようと思っていた。俺なら君のことを離縁してあげることが出来る。…君は今まで、周りから…奪われすぎているから今度こそ思うように生きて欲しい」

何も持っていないエラだけが、父親に、ブラウン家に、ジェームズに…そうやってずっと周囲の人々の思惑に振り回され、犠牲を払ってきた。

しかしエラは思う。

(でもそれは…貴方も同じでしょう?)

「…貴方はどうするの…?」

彼は一瞬だけ不自然に黙りこんだ。

「俺は数年は…この家に縛られることになるだろう」

彼の何かがエラの気に障った。
口ぶりか、目の動きか、それとも伝わってくる声の温度か。

先程義母に言っていた、約束、の言葉。

今ではエラは、ここ数ヶ月で知った彼の優しさを疑ってはいなかった。

「もしかして…私を自由にする代わりに、貴方は…ブラウン家でジェームズの代わりをし続ける、のではなくて?だってそうしたらブラウン家はこれからも安泰だから…」

あの優秀で冷徹な義母が、ジェームズ以上の能力を持った男を簡単に手放すだろうか。そして実際、彼には半分義父の血も混じっているのである。彼が黙り込んだので、エラは自分の推測が当たったのを知った。

「俺のことは気にするな…どちらにせよ戦争に行っている間に母が亡くなったんだ。俺には帰りを待っている家族ももういない」

(この人も……ひとり、なんだ)


そしてエラのために身を挺して何かを与えてくれようとしてくれた人は、今までの人生で誰一人としていなかった。誰一人として。

それから彼女は彼の、真剣な、どこか痛々しい表情を見上げて、あっと思い当たった。

「以前、私にお花をくださったこと、ある?まだ小さい頃…どこかの庭園で…」

彼の美しい瞳が驚きで丸くなる。

「まさか…覚えていてくれたのか?」

(やっぱり…!)

あの時、エラに花を差し出してくれたのは、この人だったのだ。

「…ピンクのお花、だったわね」
「あの頃はもう君のことが好きだったから…ジェームズのふりをしてでも、君に花をあげたかったんだ、何か俺から、形のあるものを」
「…それで、この前香水も買ってくださったの?」

彼は躊躇ったが、頷いた。

「君とはもうすぐお別れだということは分かっているんだが…何かを渡したかった」

香水を選んだのは、おそらくジェームズの日記に香水のくだりが書いてあったのに違いない、とエラは今は確信していた。エラには与えなかった香水を、ルーリアには惜しげもなく与えていたこと。メイドの勘違いで香水を取りに来た部屋でエラを罵ったこと。彼は自分が犯してもいない、ジェームズが与えた罪を、エラから少しでも拭い去ろうとして必死だったのだ。

「私は…貴方にそんなに想ってもらえるような人間じゃないのよ」

思わず涙が彼女の瞳に浮かぶと、彼がそれに気づいて、自分も泣きそうな顔になった。

「どうか泣かないで」

エラはその、隠しきれない優しさの滲んだ声に、頭の奥が痺れるような感覚に陥った。彼が惜しげもなく与えてくれる、愛情と優しさは、今までエラが欲しくて欲しくて、でも誰からも与えてもらえなかったものだ。これからもずっとこの美しい男の隣にいたいと言ったら彼は何て答えるだろう。その甘美な想像はまるで蜜が滴るように、彼女の心に歓びとともに広がっていく。

「もし…私が貴方の側にこれからも居たいと言ったら、受け入れてくれる?」

しおりを挟む
感想 227

あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

戻る場所がなくなったようなので別人として生きます

しゃーりん
恋愛
医療院で目が覚めて、新聞を見ると自分が死んだ記事が載っていた。 子爵令嬢だったリアンヌは公爵令息ジョーダンから猛アプローチを受け、結婚していた。 しかし、結婚生活は幸せではなかった。嫌がらせを受ける日々。子供に会えない日々。 そしてとうとう攫われ、襲われ、森に捨てられたらしい。 見つかったという遺体が自分に似ていて死んだと思われたのか、別人とわかっていて死んだことにされたのか。 でももう夫の元に戻る必要はない。そのことにホッとした。 リアンヌは別人として新しい人生を生きることにするというお話です。

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

私の知らぬ間に

豆狸
恋愛
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。 背中が痛い。 私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。

処理中です...