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あっという間に数ヶ月が経った。
トラヴィスのリハビリがある程度の目処がつき、私はフォスター先生の元へ戻ることにした。
リハビリの甲斐あってトラヴィスは杖がなくても問題なく歩けるようになり、また階段も自由に上り下りできるようになった。すっかり体調は回復し、体力もかなり戻ってきた。
懸念だった右足の火傷の痕は依然残っているが、痛みはほぼなくなり、肌も随分綺麗になった。それに彼はまだ若く、身体のつくりも頑丈だ。日々の生活が鍛錬となり、これからも少しずつ良くなっていくだろう。
そのうち杖がなくても走れるようになるかもしれない。そんな日が来たら、トラヴィスはどんな顔をするのだろう、と考えるのが私の楽しみの一つだ。
そして彼のトレードマークでもあるマスクは――未だ私の前でしか取ることはできない。日々感情を豊かに表すようになっていくトラヴィスを前に、やはりいずれマスクを外せる日がくるのではないか、と密かに考えている。
でも急ぐ必要などない。彼のタイミングで、きっといつかその日がくるだろうから。
フォスター先生の元に戻る理由は、自分の名前を掲げた診療所を開くにはまだまだ経験が足りないからだ。私は永遠にフォスター先生の治療師である。
将来自分の診療所を開くのが夢だとトラヴィスに言えば、彼は心から賛成してくれた。ただ、それもあってアイヴィー・エンドを去りフォスター先生の元へ戻ると言えば、それは賛成したくないな、と拗ねられたけれど。
セルゲイ――かつての私の最推し――の執務室にトラヴィスと訪れた。トラヴィスはセルゲイに、私と婚約したいと思っている、とはっきりと伝えた。まったく驚いたそぶり一つ見せなかったセルゲイは、快く私達を祝福してくれた。
「そんな予感はあったんだよね、ユーリはトラヴィスの心を蕩かしちゃう気がしたんだ」
ぱちんとウインクをする彼は、今日も洒落ていて、隙がない。以前のように視界に入るだけでテンションがあがるようなことはなくなったが、やっぱり素敵な人だな、とは素直に思う。
セルゲイが改まった口調で話し始めた。
「私のせいでトラヴィスが酷い怪我を負う羽目になったからね……。一時は私はどうやって責任を果たすべきかとずっと考えていたんだ」
「兄上……!」
私の隣でトラヴィスが驚いたかのように呟いた。
「ユーリが当人と同じくらい、側で支える家族も同じくらい苦しいから大事にしてあげたい、と言ってくれただろう?」
「――はい」
確かに言った。フォスター先生をアイヴィー・エンドに呼ぶのを私からお願いした時のことだ。
「あれで随分救われたんだ。それまで一番苦しいのはトラヴィスなのだから、私が弱音を吐いてはいけないのだと思っていたからね……。もちろん、トラヴィスの怪我の原因は私が作ったのだということを忘れてはいないが」
打ちひしがれたように見えるセルゲイに、我慢ならないとばかりにトラヴィスが声をあげた。
「俺は騎士の仕事を全うしただけで、兄上のせいなんかじゃ絶対ない。俺が引き受けた時点でそれは俺の仕事だ」
「うん、それはそうかもしれないが……」
答えるセルゲイの声は弱々しかった。
「そうなんだよ。だからそんな風に思わないで欲しい」
私には、兄弟どちらの気持ちもよく伝わってきた。宥めるような気持ちで、トラヴィスの背中にそっと手を回した。
しばらく部屋を沈黙が占めた。
やがてセルゲイが口を開いた。
「だがユーリのお陰でこうしてトラヴィスが誰かと一緒に生きていくという気持ちになってくれた。本当にどれだけ感謝してもし足りない。どうか二人で仲良く暮らしておくれ」
トラヴィスに聞いたところによると、セルゲイはかつて年上の幼馴染――アンジェリカではない――の女性が好きだったのだそうだ。その令嬢は年頃になるとすぐに別の男性と結婚してしまったのだという。
そういえば、あれからアンジェリカと会うことは一切なかった。
私はアンジェリカ=ステインバーグがヒロインの物語では、モブ令嬢以下なのだ。ある意味、『あくでき』が私の物語とは一線を画していることの現れだ。
それでいいのだ、と最近は思うようになった。
私はこの世界が『あくでき』と同じだ、という思いこみなしで生きるべきなのだから。
(だけどこのお屋敷に来たのは、『あくでき』でセルゲイが最推しだったから……だから、やっぱり全く無関係だとは思えないけど)
今はもう私の最推しではないがセルゲイはセルゲイで素敵な男性だ。そのうちきっと彼に似合いの女性が現れることを願っている。
私は頷いた。
「ありがとうございます、セルゲイ様。セルゲイ様も、いつまでもお元気でいらしてくださいね」
私は町に戻り、そしてトラヴィスもエヴァンス侯爵家から出る形で共に暮らすことになる。こんなことは、もともと複雑な経緯でエヴァンス家に引き取られたトラヴィスだから可能なことだ。
もちろんトラヴィスがアイヴィー・エンドを訪れることはあるだろうが、今後私がセルゲイに会うことは滅多にないだろう。そう思っての挨拶だったが。
「はは、まるで今生の別れのように言うんだな――また会おうね、ユーリ」
私の元最推しは最後まで粋だった。
☆
一年後。
私はその夕方、家路を急ごうと逸る気持ちでフォスター先生の診療所の扉を開けた。すると、そこには――。
「有理!」
「トラヴィス、迎えに来てくれたの?」
「ああ」
そこにはすっかり市井の人となったトラヴィスが立っていた。
意外なことに平民としての暮らしは、トラヴィスを気楽にした。貴族に比べれば礼儀正しくないし、口が悪い人も多いが、ほとんどの人は気さくで明るい。トラヴィスが無表情だろうがマスクをしてようが、誰も彼も気にしていない。そんな暮らしの中、ある日トラヴィスは遂にマスクを外した。
だが、どうしても素顔だと心もとないと伊達眼鏡をかけるようになった。彼が過ごしやすい風にしてもらうのが一番だし、そしてその黒縁の伊達眼鏡は最高に彼に似合っているから私には何も言うことがない。
「今夜は結婚記念日だから、ご馳走を作ろうと思っていたんだけど……」
結婚してしばらくになる。
田舎に住んでいるサットンの両親に、トラヴィスと会いに行ったのがつい昨日のことのようだ。サットンの両親には、まさかエヴァンス侯爵家の次男と私が、ととてつもなく驚かれた。だが事情を説明し、これからも平民として生きていくということを伝えると、私が本当に好きな人と夫婦になれることを涙を流して喜んでくれた。
王都の教会でこじんまりとした結婚式を挙げた際には、エヴァンス侯爵夫妻やセルゲイはもちろんフォスター先生、メグ、アガサさんを始め患者さんたちも参列してくれ、とても思い出深い式となった。
サットンの両親も、その式を通じて私が今本当に周囲の人に恵まれ幸せなのだと実感してくれたようだった。王都に戻ってきたら、と私は誘ったが、彼らは田舎での暮らしを選び、戻っていった。もちろん手紙でのやりとりは続いていて、また彼らに会いに行きたいと思っている。
「ああ、有理のご飯は最高に美味いから、それも嬉しいな。でもせっかくの記念日だからこそ今夜はゆっくりしよう。何か食べて帰らないか?」
トラヴィスは迷いのない足取りで歩いてきて、私の目の前に立った。
彼の足はかなり回復を遂げている。長距離は無理だが、短距離ならば走ることだって出来る。
ステインバーグ家から何不自由ない生活が出来るだけの慰謝料をもらっているトラヴィスだが、やはり仕事をしたいと考えているようだ。
もう少しだけ足が良くなれば、身体を動かす仕事をしたいらしい。例えば騎士を目指す少年たちを指導する先生だったり、剣術を教える師範だったり。
トラヴィスの納得のいく夢が見つかるといいなと思っている。
「素敵! あ、じゃ、アガサ亭がいい!」
彼の提案はとても魅力的だったから私はすぐに賛成した。
「うん、いいな。じゃあそうしよう」
トラヴィスが微笑んだ。彼は自然な仕草で私の右手をとって恋人繋ぎをした。
「エドワードは?」
「出かけに餌をやってきたよ。今夜は俺たちの結婚記念日だからちょっとだけ良い餌をね」
トラヴィスが私の前で猫になることはついぞなかった。彼によれば、私と気持ちが通じ合ってからその衝動は徐々になくなっていったのだという。
衝動といえば、私の日本の家族に会いたい、という気持ちも少しずつ形を変え始めている。今も会いたいし、どうしようもなく寂しくなる日はあるが、それでもトラヴィスにその気持ちを話すことで和らぐのだ。理解してくれる人が隣にいることの心強さを私は噛み締めている。
「エドワード、ラッキーだったわね」
「まあな。良い餌をやったんだから、夜は邪魔しないように伝えた」
しれっとトラヴィスがそんなことを言う。
エドワードは二人の新居で飼っている白猫だ。おしゃまなオス猫で、トラヴィスが私にくっつくと負けじと私達の間に入ってくる。何しろエドワードは私のことがとても好きなのだ――あれだけ猫が好きだと言っていたトラヴィスが嫉妬するくらい。
「ふふ、じゃあエドワードは今日は空気を読んで大人しくしているかな」
「読んでくれないと困る。そもそもあいつはただの居候だというのに」
トラヴィスの眉間に皺が寄るのを、私は幸せな気持ちで眺めていた。
「トラヴィス」
「なんだ?」
彼が少しだけ身をかがめて、私の方へ傾いた。
「大好き!」
「なんだそんな当たり前のことを。俺はな、お前を愛してるよ」
そう言いながら、可愛い私の夫の耳は真っ赤になっている。そんな彼を愛でるのが私は何よりも好きだ。
「私達ってバカップルだね」
「バカップ……。あのな、いいことを教えてやろう。幸せだったら、なんだっていいんだよ」
「ふふ、そうだね。私、今日も幸せだよ」
「良かったな。俺も幸せだ」
「良かったね」
二人で顔を見合わせて笑った。
こうして二人の現在が重なり合い、未来に向けて一緒に歩んでいければ、これ以上何も望むものはない。
そしてトラヴィスは、今でも、これからも私の最推しである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
読んでくださってありがとうございました!!
完結しましたので、しばらく感想欄を開けます。
本編はここで終わりなのですが、ちょっとした番外編を書きたいと
思っているのでよろしければ少しだけ待っていて頂けると嬉しいです!
トラヴィスのリハビリがある程度の目処がつき、私はフォスター先生の元へ戻ることにした。
リハビリの甲斐あってトラヴィスは杖がなくても問題なく歩けるようになり、また階段も自由に上り下りできるようになった。すっかり体調は回復し、体力もかなり戻ってきた。
懸念だった右足の火傷の痕は依然残っているが、痛みはほぼなくなり、肌も随分綺麗になった。それに彼はまだ若く、身体のつくりも頑丈だ。日々の生活が鍛錬となり、これからも少しずつ良くなっていくだろう。
そのうち杖がなくても走れるようになるかもしれない。そんな日が来たら、トラヴィスはどんな顔をするのだろう、と考えるのが私の楽しみの一つだ。
そして彼のトレードマークでもあるマスクは――未だ私の前でしか取ることはできない。日々感情を豊かに表すようになっていくトラヴィスを前に、やはりいずれマスクを外せる日がくるのではないか、と密かに考えている。
でも急ぐ必要などない。彼のタイミングで、きっといつかその日がくるだろうから。
フォスター先生の元に戻る理由は、自分の名前を掲げた診療所を開くにはまだまだ経験が足りないからだ。私は永遠にフォスター先生の治療師である。
将来自分の診療所を開くのが夢だとトラヴィスに言えば、彼は心から賛成してくれた。ただ、それもあってアイヴィー・エンドを去りフォスター先生の元へ戻ると言えば、それは賛成したくないな、と拗ねられたけれど。
セルゲイ――かつての私の最推し――の執務室にトラヴィスと訪れた。トラヴィスはセルゲイに、私と婚約したいと思っている、とはっきりと伝えた。まったく驚いたそぶり一つ見せなかったセルゲイは、快く私達を祝福してくれた。
「そんな予感はあったんだよね、ユーリはトラヴィスの心を蕩かしちゃう気がしたんだ」
ぱちんとウインクをする彼は、今日も洒落ていて、隙がない。以前のように視界に入るだけでテンションがあがるようなことはなくなったが、やっぱり素敵な人だな、とは素直に思う。
セルゲイが改まった口調で話し始めた。
「私のせいでトラヴィスが酷い怪我を負う羽目になったからね……。一時は私はどうやって責任を果たすべきかとずっと考えていたんだ」
「兄上……!」
私の隣でトラヴィスが驚いたかのように呟いた。
「ユーリが当人と同じくらい、側で支える家族も同じくらい苦しいから大事にしてあげたい、と言ってくれただろう?」
「――はい」
確かに言った。フォスター先生をアイヴィー・エンドに呼ぶのを私からお願いした時のことだ。
「あれで随分救われたんだ。それまで一番苦しいのはトラヴィスなのだから、私が弱音を吐いてはいけないのだと思っていたからね……。もちろん、トラヴィスの怪我の原因は私が作ったのだということを忘れてはいないが」
打ちひしがれたように見えるセルゲイに、我慢ならないとばかりにトラヴィスが声をあげた。
「俺は騎士の仕事を全うしただけで、兄上のせいなんかじゃ絶対ない。俺が引き受けた時点でそれは俺の仕事だ」
「うん、それはそうかもしれないが……」
答えるセルゲイの声は弱々しかった。
「そうなんだよ。だからそんな風に思わないで欲しい」
私には、兄弟どちらの気持ちもよく伝わってきた。宥めるような気持ちで、トラヴィスの背中にそっと手を回した。
しばらく部屋を沈黙が占めた。
やがてセルゲイが口を開いた。
「だがユーリのお陰でこうしてトラヴィスが誰かと一緒に生きていくという気持ちになってくれた。本当にどれだけ感謝してもし足りない。どうか二人で仲良く暮らしておくれ」
トラヴィスに聞いたところによると、セルゲイはかつて年上の幼馴染――アンジェリカではない――の女性が好きだったのだそうだ。その令嬢は年頃になるとすぐに別の男性と結婚してしまったのだという。
そういえば、あれからアンジェリカと会うことは一切なかった。
私はアンジェリカ=ステインバーグがヒロインの物語では、モブ令嬢以下なのだ。ある意味、『あくでき』が私の物語とは一線を画していることの現れだ。
それでいいのだ、と最近は思うようになった。
私はこの世界が『あくでき』と同じだ、という思いこみなしで生きるべきなのだから。
(だけどこのお屋敷に来たのは、『あくでき』でセルゲイが最推しだったから……だから、やっぱり全く無関係だとは思えないけど)
今はもう私の最推しではないがセルゲイはセルゲイで素敵な男性だ。そのうちきっと彼に似合いの女性が現れることを願っている。
私は頷いた。
「ありがとうございます、セルゲイ様。セルゲイ様も、いつまでもお元気でいらしてくださいね」
私は町に戻り、そしてトラヴィスもエヴァンス侯爵家から出る形で共に暮らすことになる。こんなことは、もともと複雑な経緯でエヴァンス家に引き取られたトラヴィスだから可能なことだ。
もちろんトラヴィスがアイヴィー・エンドを訪れることはあるだろうが、今後私がセルゲイに会うことは滅多にないだろう。そう思っての挨拶だったが。
「はは、まるで今生の別れのように言うんだな――また会おうね、ユーリ」
私の元最推しは最後まで粋だった。
☆
一年後。
私はその夕方、家路を急ごうと逸る気持ちでフォスター先生の診療所の扉を開けた。すると、そこには――。
「有理!」
「トラヴィス、迎えに来てくれたの?」
「ああ」
そこにはすっかり市井の人となったトラヴィスが立っていた。
意外なことに平民としての暮らしは、トラヴィスを気楽にした。貴族に比べれば礼儀正しくないし、口が悪い人も多いが、ほとんどの人は気さくで明るい。トラヴィスが無表情だろうがマスクをしてようが、誰も彼も気にしていない。そんな暮らしの中、ある日トラヴィスは遂にマスクを外した。
だが、どうしても素顔だと心もとないと伊達眼鏡をかけるようになった。彼が過ごしやすい風にしてもらうのが一番だし、そしてその黒縁の伊達眼鏡は最高に彼に似合っているから私には何も言うことがない。
「今夜は結婚記念日だから、ご馳走を作ろうと思っていたんだけど……」
結婚してしばらくになる。
田舎に住んでいるサットンの両親に、トラヴィスと会いに行ったのがつい昨日のことのようだ。サットンの両親には、まさかエヴァンス侯爵家の次男と私が、ととてつもなく驚かれた。だが事情を説明し、これからも平民として生きていくということを伝えると、私が本当に好きな人と夫婦になれることを涙を流して喜んでくれた。
王都の教会でこじんまりとした結婚式を挙げた際には、エヴァンス侯爵夫妻やセルゲイはもちろんフォスター先生、メグ、アガサさんを始め患者さんたちも参列してくれ、とても思い出深い式となった。
サットンの両親も、その式を通じて私が今本当に周囲の人に恵まれ幸せなのだと実感してくれたようだった。王都に戻ってきたら、と私は誘ったが、彼らは田舎での暮らしを選び、戻っていった。もちろん手紙でのやりとりは続いていて、また彼らに会いに行きたいと思っている。
「ああ、有理のご飯は最高に美味いから、それも嬉しいな。でもせっかくの記念日だからこそ今夜はゆっくりしよう。何か食べて帰らないか?」
トラヴィスは迷いのない足取りで歩いてきて、私の目の前に立った。
彼の足はかなり回復を遂げている。長距離は無理だが、短距離ならば走ることだって出来る。
ステインバーグ家から何不自由ない生活が出来るだけの慰謝料をもらっているトラヴィスだが、やはり仕事をしたいと考えているようだ。
もう少しだけ足が良くなれば、身体を動かす仕事をしたいらしい。例えば騎士を目指す少年たちを指導する先生だったり、剣術を教える師範だったり。
トラヴィスの納得のいく夢が見つかるといいなと思っている。
「素敵! あ、じゃ、アガサ亭がいい!」
彼の提案はとても魅力的だったから私はすぐに賛成した。
「うん、いいな。じゃあそうしよう」
トラヴィスが微笑んだ。彼は自然な仕草で私の右手をとって恋人繋ぎをした。
「エドワードは?」
「出かけに餌をやってきたよ。今夜は俺たちの結婚記念日だからちょっとだけ良い餌をね」
トラヴィスが私の前で猫になることはついぞなかった。彼によれば、私と気持ちが通じ合ってからその衝動は徐々になくなっていったのだという。
衝動といえば、私の日本の家族に会いたい、という気持ちも少しずつ形を変え始めている。今も会いたいし、どうしようもなく寂しくなる日はあるが、それでもトラヴィスにその気持ちを話すことで和らぐのだ。理解してくれる人が隣にいることの心強さを私は噛み締めている。
「エドワード、ラッキーだったわね」
「まあな。良い餌をやったんだから、夜は邪魔しないように伝えた」
しれっとトラヴィスがそんなことを言う。
エドワードは二人の新居で飼っている白猫だ。おしゃまなオス猫で、トラヴィスが私にくっつくと負けじと私達の間に入ってくる。何しろエドワードは私のことがとても好きなのだ――あれだけ猫が好きだと言っていたトラヴィスが嫉妬するくらい。
「ふふ、じゃあエドワードは今日は空気を読んで大人しくしているかな」
「読んでくれないと困る。そもそもあいつはただの居候だというのに」
トラヴィスの眉間に皺が寄るのを、私は幸せな気持ちで眺めていた。
「トラヴィス」
「なんだ?」
彼が少しだけ身をかがめて、私の方へ傾いた。
「大好き!」
「なんだそんな当たり前のことを。俺はな、お前を愛してるよ」
そう言いながら、可愛い私の夫の耳は真っ赤になっている。そんな彼を愛でるのが私は何よりも好きだ。
「私達ってバカップルだね」
「バカップ……。あのな、いいことを教えてやろう。幸せだったら、なんだっていいんだよ」
「ふふ、そうだね。私、今日も幸せだよ」
「良かったな。俺も幸せだ」
「良かったね」
二人で顔を見合わせて笑った。
こうして二人の現在が重なり合い、未来に向けて一緒に歩んでいければ、これ以上何も望むものはない。
そしてトラヴィスは、今でも、これからも私の最推しである。
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完結しましたので、しばらく感想欄を開けます。
本編はここで終わりなのですが、ちょっとした番外編を書きたいと
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そしてその過去が無ければトラヴィスは産まれず、ユーリと知り合えもしなかった。
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