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29.私と彼の告白
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私は思いきって彼に話した。
クラウディア=サットンとして生を受けて、いわゆる普通の貴族令嬢として生きてきたこと。サットン侯爵家が没落することとなり、婚約破棄されるという段になってショックをうけたせいか、異世界の記憶を思い出したということ。
その異世界というのは、この世界とはあまりにもかけ離れたものだということ。この世界は、異世界で読んだ本の世界観に類似していること。自分やトラヴィスは出ていなかったが、セルゲイとアンジェリカは主役級だったこと。
自分のかつての人生と今の人生を近づけたくて、治療師になったこと。以前の知識を活かしながら、身を立てつつあること。
時々つっかえながらも、筋道を立てるように気をつけながら丁寧に話した。トラヴィスは黙ってそれを聞いていたが、やがて頷いた。
「そうか」
彼の表情は、話を聞く前と後で何ら変わっていなかった。
「すぐには信じられないかと思うのですが、決して私の頭がおかしくなったわけではなくて――」
トラヴィスは首をかしげた。
「どうして信じられないと思う? すごく納得したぞ。少なくとも、お前が違う世界からきたようだ、と感じていた俺の見立ては正しかったということが証明されたわけだ」
こんなにあっさりと理解を示されると、それはそれで本当に彼は分かっているのだろうかと焦る。
「でもその、私にはチートすぎる知識があって……」
「それの何が問題だ? お前はちゃんとその知識をこの世界に還元しようとしているじゃないか。俺だってお前の知識に救われた一人だ」
そう言われてしまえば、そうなのかもしれないが。
「いや、でも……」
そのまま口ごもってしまう。
「お前、魔法でも使えるのか?」
「……使えません」
「魔法じゃない、また別の特殊能力でも?」
「……ないです」
「わかった、この世界じゃ許されていないような奇術の類でも?」
「……無理です。でもなんでそんな術限定で聞くんですか」
ふん、とトラヴィスが鼻を鳴らした。
「術や魔法が使えるわけじゃないなら、別に俺と変わらないじゃないか。異世界とやらの記憶があるってだけだろうが。それで、ユーリは何を気にしているんだ?」
「何を……?」
私はぼんやりと聞き返した。
「俺にはお前が何かを怖がっているようにも思える」
「怖がっているように見えますか……?」
「ああ。俺に信じてもらえないことか?」
私は少し考え、小さく頷いた。
トラヴィスがつないでいる手に力をこめた。
(まるで、離さないって言ってくれているみたい)
誰かの体温がこれほどまでに自分を安心させるとは思っていなかった。
(そうか、私は……信じてもらえないことが怖かったんだわ)
「確かに出会った当日に、私には異世界の記憶があって、と切り出されたらまったく違っただろうな。詐欺師のように思って、警戒しただろう。だが、今はお前を“知っている”から……俺を騙すためだけに、そんなことをいう人間じゃないことはよく分かっている」
「――!」
(そうだ、この人はありえないくらいフラットで――柔軟で、だからこそ私は彼に惹かれて……。異世界転生をしたことなんて奇想天外すぎて信じてもらえないというのも思い込みだったのかもしれない)
もちろんすべての人にというわけではない。
けれど、私のことを知ってくれていて、なおかつこの人なら、と思える人たちだったら。フォスター先生やメグや、もしかしたらサットンの両親だって。
そう思ったら、異世界転生をしたのだと気付いてから、ずっと孤独だと信じて強張っていた自分の心が、ゆっくりと少しずつ緩んでいくのが分かった。
「だから俺はユーリを信じるよ――わっ!」
ぽたぽた、と涙が勝手にあふれてこぼれた。トラヴィスが慌てたようにつないでいない方の親指で私の目尻をこすった。
「おい、泣くなよ……!」
「ずみばぜっ……涙腺がおがじなごとに……」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら私は言った。
目も鼻も真っ赤できっと見られたものじゃないだろう。なのにトラヴィスは信じられないほどの優しい眼差しで私の顔を見つめている。
「いま、までっ……人前で泣いたことがない、のにっ……」
泣きたい夜は、誰かを心配させないように一人でこっそり泣いてきた。そう言えば、トラヴィスが心底嬉しそうに微笑んだ。
「そういうことなら、これからはいくらでも泣け。俺もお前の前ならマスクを取れるし、エドワードにだってなれる。お前は俺の前でだけ泣いたらいい」
「はい……でも、どうして私の前ならマスクを取れるんですか?」
彼の答えは端的だった。
「わからん」
あまりにも雑な答えに、私の涙は瞬時に止まった。
「すごい、トラヴィス様には私を泣き止ませる力があります」
「褒められてない気がするんだが」
トラヴィスは苦笑した。それから過去を思い出すかのように少しだけ遠い目をする。
「一番最初にお前を見た時から、動揺が収まったんだ。理由はわからん。でもユーリの何かが俺の心を鎮めてくれたんだ」
彼はそう言うと、うーんと唸った。
「それまで手紙でやり取りしていたのも良かったのかもしれないな。それから……その……お前があまりにも可愛かったから……一目惚れだ」
早口で、トラヴィスはそんなことを言う。
「それは、ありえません」
トラヴィスは明らかにむっとしたかのような表情となった。
「どうして」
「私が自分のことを知っているからです。私なんて特別可愛くありませんもの」
しかし彼は至極真面目だった。
「いや、可愛いよ。俺にはすごく可愛い。今まで女性に可愛いなんて思ったことはなかったが、ユーリを見た瞬間とてつもなく可愛いと思ったんだ。顔立ちだけじゃなくて、表情だったり、物腰すべてが――そういや、あの料理人だってお前にこなをかけていただろ」
「料理人? こな?」
「ああ。アンジェリカが来た日のことだ。お前がフォスター先生の元へ戻ったら会えるか、とか厨房で言っていたやつだ」
「まさかセインのことですか?」
私は仰天した。そういえば廊下を通りがかったらしいトラヴィスにアンソニーが声をかけていたのを思い出した。
「セイン、ねえ」
「あれは、料理人として手伝うっていう意味では?」
あれからセインからは何も言われていない。セイン自身ももう忘れているのかと思っていた。
「そんなわけないだろ、俺があれから厨房に顔を出し続けて牽制してなかったら、どうなっていたことか――だが、お前が気付いていないなら、もうその話は終わりだ」
彼はそう言うと、つないでいる手を引っ張った。
「話の途中で申し訳ないんだが、もうちょっとこっちに来てくれないか」
「えっ、順番おかしくないですか!?」
「だから申し訳ないと言っただろうが」
どうしてか突然近づきたくなったらしい。
(そうだこの人、さっきからずっと壊れてるんだった)
「分かりました」
そして私もきっと壊れている。
トラヴィスに近づきたいのは、私も同じだから。
許可をもらった彼は私をぐっと左腕で抱き寄せた。ぴったりとくっつくと、自分の居場所がここなのだと思えるほどの安心感があった。
「うん、いいな。しっくりくる」
トラヴィスは嬉しそうに呟いた。
それから彼が話を続ける。
「ユーリとのリハビリが始まって……お前が優秀な治療師というだけではなく、真面目で、一生懸命だということを知った。優しいし、辛抱強い。患者みんなにそうしているんだろうが……俺はいつしかそんなお前を独り占めしたいと思っていた」
治療師としての自分を認められるのは単純に嬉しく、誇らしく思う。だが、仕事中の自分と、仕事を離れた自分は別物だ。
「治療師ではないときの私は、そんなに優しくもないし、辛抱強くもないですよ」
はは、とトラヴィスは笑った。
「自分では分からないものなのだな。ユーリは優しいし、辛抱強いよ。そんなお前だからこそ、俺の全てを知ってもらいたいと思うようになったんだ……それで今夜、マスクをとってもいいような気がしたんだ。実際外すまではどうなるかは分からなかったが――やっぱり大丈夫だっただろう?」
それを聞いて、謙虚な気持ちになった。
親兄弟にも素顔を見せられなかった彼が、私にはマスクを取った顔を見せたいと思ってくれたのだ。
(これを機に……徐々にマスクなしでも生活できるようになれば……)
そして、そんなトラヴィスを私は見守っていきたい。
(ああ、私……本当にこの人のことが好きだわ)
ユーリ、と名前を呼ばれると同時に彼の左腕に力がこもった。それからトラヴィスが姿勢を変えた。彼の宝石のように輝く両の瞳が、私をのぞきこむ。
「好きだ。俺はこんな欠陥がたくさんある人間で迷惑をかけると思うが、これからもユーリに側にいて欲しい」
自分が好きな人が好きだと言ってくれている。
異世界転生を果たして、その先にこんな出会いと幸せが待っているとは思っていなかった。治療師にならなかったら、彼とは出会えなかった。過去の選択はどこかで現在と未来につながっている。
「……はい」
答えれば、今では珍しくない心からの微笑みを彼が浮かべた。
「誓いの口づけをしても?」
「~~あの、その、恥ずかしいからいちいち聞かないでくださいっ!!」
そこで何かを思いついたトラヴィスの眉間に皺が寄った。途端に見慣れたトラヴィス=エヴァンスの顔になる。
「もしかして元の世界で口づけの経験があったりするか? 待てよ、あいつと婚約者だったんだからクラウディア自身があるのか……?」
日本では陸上やボルダリングに夢中で彼氏がいたことがなかったし、クラウディアも挨拶のキスしかしたことがない。しかしそれを自らの口で、恋人になったばかりのトラヴィスに言うなんて何という羞恥プレイ。Mだったらしい元婚約者なら悶えてしまうかもしれないが、私はただただ恥ずかしい。
自分でも顔が真っ赤になっていくのが分かった。
「どちらも答えは、いいえ、です。クラウディアも挨拶の口づけしかしたことがないですよ」
トラヴィスの眉間の皺がするすると解けた。
「よかった。もちろん、俺も初めてだ」
トラヴィスが私の耳を触りながら、そっと尋ねた。
「なあ、お前の本当の名前は……?」
(ああ、こんなところでそうやって聞いてくださるなんて……!)
目頭があつくなった。
彼は本当に私の話を信じてくれている。それから同時に私の孤独も理解してくれているのだ。
「有理、です。鈴木有理」
ユーリだけではなく、有理としての私も、トラヴィスに捧げる。
「有理――これから大事にする」
トラヴィスはそう呟いて、心底嬉しそうに笑った。
私は目をつむって、彼の唇が私のそれを覆うのを待ったのだった。
クラウディア=サットンとして生を受けて、いわゆる普通の貴族令嬢として生きてきたこと。サットン侯爵家が没落することとなり、婚約破棄されるという段になってショックをうけたせいか、異世界の記憶を思い出したということ。
その異世界というのは、この世界とはあまりにもかけ離れたものだということ。この世界は、異世界で読んだ本の世界観に類似していること。自分やトラヴィスは出ていなかったが、セルゲイとアンジェリカは主役級だったこと。
自分のかつての人生と今の人生を近づけたくて、治療師になったこと。以前の知識を活かしながら、身を立てつつあること。
時々つっかえながらも、筋道を立てるように気をつけながら丁寧に話した。トラヴィスは黙ってそれを聞いていたが、やがて頷いた。
「そうか」
彼の表情は、話を聞く前と後で何ら変わっていなかった。
「すぐには信じられないかと思うのですが、決して私の頭がおかしくなったわけではなくて――」
トラヴィスは首をかしげた。
「どうして信じられないと思う? すごく納得したぞ。少なくとも、お前が違う世界からきたようだ、と感じていた俺の見立ては正しかったということが証明されたわけだ」
こんなにあっさりと理解を示されると、それはそれで本当に彼は分かっているのだろうかと焦る。
「でもその、私にはチートすぎる知識があって……」
「それの何が問題だ? お前はちゃんとその知識をこの世界に還元しようとしているじゃないか。俺だってお前の知識に救われた一人だ」
そう言われてしまえば、そうなのかもしれないが。
「いや、でも……」
そのまま口ごもってしまう。
「お前、魔法でも使えるのか?」
「……使えません」
「魔法じゃない、また別の特殊能力でも?」
「……ないです」
「わかった、この世界じゃ許されていないような奇術の類でも?」
「……無理です。でもなんでそんな術限定で聞くんですか」
ふん、とトラヴィスが鼻を鳴らした。
「術や魔法が使えるわけじゃないなら、別に俺と変わらないじゃないか。異世界とやらの記憶があるってだけだろうが。それで、ユーリは何を気にしているんだ?」
「何を……?」
私はぼんやりと聞き返した。
「俺にはお前が何かを怖がっているようにも思える」
「怖がっているように見えますか……?」
「ああ。俺に信じてもらえないことか?」
私は少し考え、小さく頷いた。
トラヴィスがつないでいる手に力をこめた。
(まるで、離さないって言ってくれているみたい)
誰かの体温がこれほどまでに自分を安心させるとは思っていなかった。
(そうか、私は……信じてもらえないことが怖かったんだわ)
「確かに出会った当日に、私には異世界の記憶があって、と切り出されたらまったく違っただろうな。詐欺師のように思って、警戒しただろう。だが、今はお前を“知っている”から……俺を騙すためだけに、そんなことをいう人間じゃないことはよく分かっている」
「――!」
(そうだ、この人はありえないくらいフラットで――柔軟で、だからこそ私は彼に惹かれて……。異世界転生をしたことなんて奇想天外すぎて信じてもらえないというのも思い込みだったのかもしれない)
もちろんすべての人にというわけではない。
けれど、私のことを知ってくれていて、なおかつこの人なら、と思える人たちだったら。フォスター先生やメグや、もしかしたらサットンの両親だって。
そう思ったら、異世界転生をしたのだと気付いてから、ずっと孤独だと信じて強張っていた自分の心が、ゆっくりと少しずつ緩んでいくのが分かった。
「だから俺はユーリを信じるよ――わっ!」
ぽたぽた、と涙が勝手にあふれてこぼれた。トラヴィスが慌てたようにつないでいない方の親指で私の目尻をこすった。
「おい、泣くなよ……!」
「ずみばぜっ……涙腺がおがじなごとに……」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら私は言った。
目も鼻も真っ赤できっと見られたものじゃないだろう。なのにトラヴィスは信じられないほどの優しい眼差しで私の顔を見つめている。
「いま、までっ……人前で泣いたことがない、のにっ……」
泣きたい夜は、誰かを心配させないように一人でこっそり泣いてきた。そう言えば、トラヴィスが心底嬉しそうに微笑んだ。
「そういうことなら、これからはいくらでも泣け。俺もお前の前ならマスクを取れるし、エドワードにだってなれる。お前は俺の前でだけ泣いたらいい」
「はい……でも、どうして私の前ならマスクを取れるんですか?」
彼の答えは端的だった。
「わからん」
あまりにも雑な答えに、私の涙は瞬時に止まった。
「すごい、トラヴィス様には私を泣き止ませる力があります」
「褒められてない気がするんだが」
トラヴィスは苦笑した。それから過去を思い出すかのように少しだけ遠い目をする。
「一番最初にお前を見た時から、動揺が収まったんだ。理由はわからん。でもユーリの何かが俺の心を鎮めてくれたんだ」
彼はそう言うと、うーんと唸った。
「それまで手紙でやり取りしていたのも良かったのかもしれないな。それから……その……お前があまりにも可愛かったから……一目惚れだ」
早口で、トラヴィスはそんなことを言う。
「それは、ありえません」
トラヴィスは明らかにむっとしたかのような表情となった。
「どうして」
「私が自分のことを知っているからです。私なんて特別可愛くありませんもの」
しかし彼は至極真面目だった。
「いや、可愛いよ。俺にはすごく可愛い。今まで女性に可愛いなんて思ったことはなかったが、ユーリを見た瞬間とてつもなく可愛いと思ったんだ。顔立ちだけじゃなくて、表情だったり、物腰すべてが――そういや、あの料理人だってお前にこなをかけていただろ」
「料理人? こな?」
「ああ。アンジェリカが来た日のことだ。お前がフォスター先生の元へ戻ったら会えるか、とか厨房で言っていたやつだ」
「まさかセインのことですか?」
私は仰天した。そういえば廊下を通りがかったらしいトラヴィスにアンソニーが声をかけていたのを思い出した。
「セイン、ねえ」
「あれは、料理人として手伝うっていう意味では?」
あれからセインからは何も言われていない。セイン自身ももう忘れているのかと思っていた。
「そんなわけないだろ、俺があれから厨房に顔を出し続けて牽制してなかったら、どうなっていたことか――だが、お前が気付いていないなら、もうその話は終わりだ」
彼はそう言うと、つないでいる手を引っ張った。
「話の途中で申し訳ないんだが、もうちょっとこっちに来てくれないか」
「えっ、順番おかしくないですか!?」
「だから申し訳ないと言っただろうが」
どうしてか突然近づきたくなったらしい。
(そうだこの人、さっきからずっと壊れてるんだった)
「分かりました」
そして私もきっと壊れている。
トラヴィスに近づきたいのは、私も同じだから。
許可をもらった彼は私をぐっと左腕で抱き寄せた。ぴったりとくっつくと、自分の居場所がここなのだと思えるほどの安心感があった。
「うん、いいな。しっくりくる」
トラヴィスは嬉しそうに呟いた。
それから彼が話を続ける。
「ユーリとのリハビリが始まって……お前が優秀な治療師というだけではなく、真面目で、一生懸命だということを知った。優しいし、辛抱強い。患者みんなにそうしているんだろうが……俺はいつしかそんなお前を独り占めしたいと思っていた」
治療師としての自分を認められるのは単純に嬉しく、誇らしく思う。だが、仕事中の自分と、仕事を離れた自分は別物だ。
「治療師ではないときの私は、そんなに優しくもないし、辛抱強くもないですよ」
はは、とトラヴィスは笑った。
「自分では分からないものなのだな。ユーリは優しいし、辛抱強いよ。そんなお前だからこそ、俺の全てを知ってもらいたいと思うようになったんだ……それで今夜、マスクをとってもいいような気がしたんだ。実際外すまではどうなるかは分からなかったが――やっぱり大丈夫だっただろう?」
それを聞いて、謙虚な気持ちになった。
親兄弟にも素顔を見せられなかった彼が、私にはマスクを取った顔を見せたいと思ってくれたのだ。
(これを機に……徐々にマスクなしでも生活できるようになれば……)
そして、そんなトラヴィスを私は見守っていきたい。
(ああ、私……本当にこの人のことが好きだわ)
ユーリ、と名前を呼ばれると同時に彼の左腕に力がこもった。それからトラヴィスが姿勢を変えた。彼の宝石のように輝く両の瞳が、私をのぞきこむ。
「好きだ。俺はこんな欠陥がたくさんある人間で迷惑をかけると思うが、これからもユーリに側にいて欲しい」
自分が好きな人が好きだと言ってくれている。
異世界転生を果たして、その先にこんな出会いと幸せが待っているとは思っていなかった。治療師にならなかったら、彼とは出会えなかった。過去の選択はどこかで現在と未来につながっている。
「……はい」
答えれば、今では珍しくない心からの微笑みを彼が浮かべた。
「誓いの口づけをしても?」
「~~あの、その、恥ずかしいからいちいち聞かないでくださいっ!!」
そこで何かを思いついたトラヴィスの眉間に皺が寄った。途端に見慣れたトラヴィス=エヴァンスの顔になる。
「もしかして元の世界で口づけの経験があったりするか? 待てよ、あいつと婚約者だったんだからクラウディア自身があるのか……?」
日本では陸上やボルダリングに夢中で彼氏がいたことがなかったし、クラウディアも挨拶のキスしかしたことがない。しかしそれを自らの口で、恋人になったばかりのトラヴィスに言うなんて何という羞恥プレイ。Mだったらしい元婚約者なら悶えてしまうかもしれないが、私はただただ恥ずかしい。
自分でも顔が真っ赤になっていくのが分かった。
「どちらも答えは、いいえ、です。クラウディアも挨拶の口づけしかしたことがないですよ」
トラヴィスの眉間の皺がするすると解けた。
「よかった。もちろん、俺も初めてだ」
トラヴィスが私の耳を触りながら、そっと尋ねた。
「なあ、お前の本当の名前は……?」
(ああ、こんなところでそうやって聞いてくださるなんて……!)
目頭があつくなった。
彼は本当に私の話を信じてくれている。それから同時に私の孤独も理解してくれているのだ。
「有理、です。鈴木有理」
ユーリだけではなく、有理としての私も、トラヴィスに捧げる。
「有理――これから大事にする」
トラヴィスはそう呟いて、心底嬉しそうに笑った。
私は目をつむって、彼の唇が私のそれを覆うのを待ったのだった。
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