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26.トラヴィス氏が壊れました
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私がぽかんとして見上げていると、トラヴィスの眉間に皺が寄った。その皺こそが今ここが現実であるということの証明だ。
(あ、夢じゃなかった)
「ユーリ、俺と踊って――」
「私の名前、ご存知だったんですね」
狼狽のあまり少しずれたことを呟いてしまった。
トラヴィスの眉間の皺がますます深くなる。
「当たり前だろう、なんでそんなことを思ったんだ」
「だ、だって一度も呼んでくださらないからご存知ないのかと」
「そんな訳はないだろう――好きな女の名前だぞ」
ごちゃごちゃと言われたが、確かに私の耳に届いた。
「え?」
見る間にトラヴィスの顔が真っ赤に染まっていく。
「いくらお前が俺のことを好きじゃなくても、ワルツを踊るくらいはいいだろう?」
「……え?」
(待って、トラヴィスは何を……?)
私がますます呆気にとられていると、彼の手が私の右手を掴んだ。
「あの男とも踊ったんだから、俺と踊ったっていいだろうが」
「え……あの、トラヴィス様、私は今夢を見て……? トラヴィス様が私を好きだなんて、絶対嘘、ですよね」
早口で告げると、私の手を掴んでいるトラヴィスの手がぴくりと動いた。
「なんでだ」
「だって私可愛くないし、貴族でもないし、それから仕事のことしか考えていないし、デートするなら岩壁を登りたいし――」
「十分可愛いし、貴族じゃなくてもいいし、俺の足のことを第一に考えてくれる真面目なやつだし、俺は登れないかもしれないけどお前が岩壁を登る姿を見てみたいし――」
(何かおかしなことを言っていない!?)
「トラヴィス様のお相手の方が貴族じゃないなんてありえませんよね?」
「一番ひっかかるのはそこか? いいんだよ、別に、貴族じゃなくたって」
(エヴァンス侯爵家の次男なのに……!?)
彼が正常な判断が出来ているとは思えず、むしろトラヴィスの精神状態が心配になってきた。
「トラヴィス様、何か不具合が? どうしたんですか!?」
「不具合?」
「だってトラヴィス様がそんなことを言うなんて、壊れたとしか思えない!」
悲鳴をあげるかのように言えば、彼が声をあげて笑った。
壊れた、絶対壊れた!
だって出会ってから彼がこんな風に屈託なく笑ったのは初めてだ。
けれど心底楽しそうに笑っているトラヴィスの姿は、いつまでも見ていたいくらい尊かった。
「壊れていない」
「いや、間違いなく壊れてます」
「はっきり言ったな」
トラヴィスは今や、にやにやとした笑みを浮かべている。その顔を見ていたら、私にはピンときた。
「あ、分かりました。夜会のストレスがこんな形で出ているのに決まっています。それに突然ワルツをしようだなんて……今までどなたともしたことがないのでは?」
令嬢たちが先程そう言っていたではないか。
トラヴィスが頷いた。
「ああ。それは今まで誰とも踊りたいと思わなかったからだ」
「であれば、なんで私と……?」
もはや呆然とするしかない。
「世間一般の感覚だと求愛されるときにワルツを申し込まれたいんじゃないのか?」
「きゅっ……」
トラヴィスがぐいっと力をいれたので、私は引っ張られるようにして立ちあがった。最近既に嗅ぎ慣れている彼の香水と、男らしい香りがした。
「もういいだろう? 初めて求愛する哀れな俺をこれ以上いじめないでくれ」
「トラヴィス、様……」
「このネックレス、似合うな」
そう言いながら彼が私の腰を抱いて、近くに引き寄せた。
「ネックレス、ですか……?」
貸してくれたこの鍵がモチーフのネックレスのことだ。
「ああ。昔、母が父にもらったものだそうだ」
「そんな大事なものを! 帰宅したらすぐに返します」
私は慌てた。確かに少しアンティーク調だとは思ったのだ。だがトラヴィスはきっぱりと首を横に降った。
「いや、いい。お前に後で話すが――わが両親は少し歪な関係で……このネックレスも実はずっと忘れ去られていたんだ。だからこうしてお前がつけてくれると、すごく嬉しい」
私は躊躇った。
「え、でも……」
「お願いだ。よかったら、お前に持っておいて欲しい」
静かにトラヴィスが告げた。そこまで言うなら、とようやく心を決めて頷いた。
「……はい、ではお言葉に甘えて、私が持っておきます。大事にしますから」
「ありがとう。――さあ、俺と踊ってくれ。出来たら、先程のように足を踏まないでいてくれると助かる。まだ右足は本調子じゃないんでね」
先程というのは、間違いなくリヒャルトのことだ。
「あしっ……ご覧になっていたのですか」
はは、と楽しそうにトラヴィスが笑った。さっきまであれだけ無表情だった氷の騎士ととてもじゃないが同じ人とは思えない。
「あれはなかなか素晴らしい攻撃だった。相手が変態じゃなければ良かったのにな。――さあ俺と踊ってくれ。お前にダンスを申し込むために、杖がなくても歩けるようにリハビリを頑張ったんだから」
(私のために、だったんだ。アンジェリカのためじゃなかった……)
胸の中に、喜びの花が咲いた。
いつから彼が私と踊りたいと思っていてくれたのかは知らないが――少なくても一ヶ月前にはそう思っていてくれたこととなる。
そう思えば、ここしばらくの彼の行動の変化が腑に落ちた。
「俺と踊るのが嫌じゃなかったら、微笑んでくれるか、ユーリ?」
そうやって乞われると、断ることなんて出来るわけがない。
私がゆっくりと笑みを浮かべると、トラヴィスの瞳が喜びで輝いた。
それから大広間から聞こえてくる音楽に合わせて、私とトラヴィスは踊った。
それはまるで映画のワンシーンのような完璧な時間で――ワルツを踊り慣れていないトラヴィスに私が足を踏まれなければ、だけれど。
☆
トラヴィスと共に馬車に乗った時、依然ふわふわした心持ちだった。しかも今までは向かい合わせに座っていたのに、彼が隣に座るように言うから、今の私達はぴったりとくっついている。トラヴィスの左手はいつものように私の腰に回されたままだ。
「トラヴィス様はアンジェリカ様をお慕いしているのかと思っておりました」
馬車が走り出してからしばらくして私がそう言えば、トラヴィスの眉間に皺が寄った。
「アンジェリカを、俺が? まさかあんな気の強い女」
(気の強い女……?)
「そう、なのですか?」
確かにアンジェリカはライトノベルの主人公にぴったりの、意思をはっきりもった令嬢だ。けれど気が強いという表現は違う気がしている。正義感もあるし、優しい人柄――のはずである。
「なんでそんな勘違いをしたんだ」
「トラヴィス様にお目にかかりたいと言っていらっしゃったとうかがって……普通はご令嬢がなかなかお見舞いには来られないかと思いまして、何らかの関係がおありになるものかと。それから、その、アンジェリカ様がご帰宅なさるときにお見かけしたのですが、トラヴィス様が笑っていらしたので……」
そう答えながら私は気づいた。
(私、ここがライトノベルの世界だからって、トラヴィスもアンジェリカのことが好きなのに違いないって思い込んでいて、彼の行動をちゃんと見ていなかった気がする)
そういえばトラヴィスは、アンジェリカに会いたくない、とセルゲイを困らせていた。今夜の夜会も、セルゲイに言われて仕方なく、の態度だった。
普通に考えればトラヴィスはアンジェリカにまったく興味を抱いていない。
アンジェリカの人柄も、『あくでき』で読んで知った気になっていただけである。実際は、私はアンジェリカと直接話したことは一度もないので“知らない”のだ。だからもしかしたら、アンジェリカは本当に気が強いのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
私は思い込みで勝手に判断していただけだ。
(なんて失礼なことをしていたのだろう)
ここがいくらライトノベルの世界だからとはいえ、目の前の彼らは一生懸命生きているというのに。
自分の愚かさに一瞬落ち込みかけたが、トラヴィスが鼻を鳴らしたので注意を戻した。
「俺が笑ってた?」
「はい、そのようにお見受けしました」
あれで私は、彼が心を開いているのは自分だけではないと思い――それが引き金になってトラヴィスへの思いを自覚したのだ。
しかしトラヴィスは首をひねっている。
「思い当たる節はない。そんなつもりはないが、だとしたらお前の話をしていたんだろう」
彼はあっさりと答えた。予想外の回答に、私は驚いた。
「わ、私……?」
「ああ、これからリハビリをすると話してたんだろう。兄上が、お前のことをそういや話題にしていた気がするからな」
「そう、でしたか……」
トラヴィスは再度鼻を鳴らした。
「まぁ、あの女が俺を訪ねてきたのは理由はある。それは――俺がアンジェリカを護衛している時にこの怪我をしたからだ」
「え、護衛、ですか?」
「ああ。あの女は跳ねっ返りだからな……周囲も苦労している」
トラヴィスが淡々と説明をし始めた。
詳細は言えないものの、ステインバーグ家が恨みを買う事態となった。家業である海運業の利権絡みで、下手をしたら令嬢であるアンジェリカを狙う計画があると噂された。娘を誘拐して盾にとり、ステインバーグ家を動かそうというわけだ。
それを知ったセルゲイが、王宮の騎士だった弟に護衛を頼んだというわけだ。もちろんステインバーグ家でも護衛を雇ったが、氷の騎士以上の凄腕の騎士などそうそういない。
「大人しくしてりゃいいのに、あの女は余計なことばかりしやがる。夜会なんて行かなくたって死にゃしないだろうに、私は平気ですアピールをするためにわざわざ参加する始末だ」
トラヴィスが説明したアンジェリカの“無謀な行動”に私は覚えがあった。
(待って待って、それって……!?)
ライトノベルの中ではスタングリードとの間を裂くべき陰謀が起こった。その数々を裏で秘密裏に止めたのはセルゲイだが、アンジェリカも主人公らしく、表で出来ることをしているのである。そのうちの一つが、敵に怯えない姿を見せつけるために、夜会に参加するということがあった。
「それで兄からアンジェリカの護衛を頼まれたんだ」
「ああ、セルゲイ様……。セルゲイ様は、アンジェリカ様の親しいお友達でいらっしゃるのでしょうか?」
「親しいお友達っていうか、お目付け役のようなものな気がするがな。ステインバーグ家の家業とエヴァンス家は深く関わっているから」
どうやらセルゲイはアンジェリカに心酔はしていないようだ。ここも少し『あくでき』とは変わっている。私が頷くと、トラヴィスが先を続けた。
「俺は王宮の騎士だったから、上と話をつけるのも苦労した。家業に関わる緊急事態であることと、期間限定だっていうことでなんとか許可をもらったんだが……。それからすぐ王宮での夜会の時にだまし討ちにあって廃業したから迷惑をかけっぱなしだ」
「王宮での、夜会……」
『あくでき』内では、『王宮での陰謀に関しては、夜会の裏でセルゲイが手を回して潰した。それが最後だったため、全ては密かに、しかし確実に片付けられた』とたった数行で説明された、まさにその事件ではないかと気づいた。
(やっぱり少し内容は変わってるけれど、ということはこの時間軸は……三巻から四巻……? でもそしたらトラヴィスの名前は『あくでき』には出ていない……ってことは、トラヴィスも、まさかのモブなの!?)
私は呆然として、トラヴィスの横顔を見上げた。こちらはマスクをしていないから、彼がうんざりしている表情がありありと伝わってきた。
「とりあえずそれで敵を全て捕まえることが出来た。アンジェリカはもちろん、ステインバーグ家からも感謝された。だから今夜の夜会にどうしても来て欲しいということだったんだ」
「なるほど……」
「ああ。さっき大広間でセルゲイに呼ばれただろう? アンジェリカの両親にお礼と、俺が騎士でい続けたら稼いだであろう金額を保証したい、と言われた」
私はアンジェリカと共にいるトラヴィスを見たくなくて視線を逸していたから気づかなかった。
「金で解決すると思っている辺りがステインバーグ家らしいが、とりあえず保留にした」
トラヴィスの眉間の皺が深くなった。
「そうでしたか……。あの、私に話をしてくださって、よかったんですか?」
心配になって尋ねた。
「機密事項は避けて話したし、それにアンジェリカに俺が惚れてるとユーリに万に一つでも思われたくない」
トラヴィスがきっぱりと答えた。
トラヴィス=エヴァンスはやっぱり壊れたままらしかった。
(あ、夢じゃなかった)
「ユーリ、俺と踊って――」
「私の名前、ご存知だったんですね」
狼狽のあまり少しずれたことを呟いてしまった。
トラヴィスの眉間の皺がますます深くなる。
「当たり前だろう、なんでそんなことを思ったんだ」
「だ、だって一度も呼んでくださらないからご存知ないのかと」
「そんな訳はないだろう――好きな女の名前だぞ」
ごちゃごちゃと言われたが、確かに私の耳に届いた。
「え?」
見る間にトラヴィスの顔が真っ赤に染まっていく。
「いくらお前が俺のことを好きじゃなくても、ワルツを踊るくらいはいいだろう?」
「……え?」
(待って、トラヴィスは何を……?)
私がますます呆気にとられていると、彼の手が私の右手を掴んだ。
「あの男とも踊ったんだから、俺と踊ったっていいだろうが」
「え……あの、トラヴィス様、私は今夢を見て……? トラヴィス様が私を好きだなんて、絶対嘘、ですよね」
早口で告げると、私の手を掴んでいるトラヴィスの手がぴくりと動いた。
「なんでだ」
「だって私可愛くないし、貴族でもないし、それから仕事のことしか考えていないし、デートするなら岩壁を登りたいし――」
「十分可愛いし、貴族じゃなくてもいいし、俺の足のことを第一に考えてくれる真面目なやつだし、俺は登れないかもしれないけどお前が岩壁を登る姿を見てみたいし――」
(何かおかしなことを言っていない!?)
「トラヴィス様のお相手の方が貴族じゃないなんてありえませんよね?」
「一番ひっかかるのはそこか? いいんだよ、別に、貴族じゃなくたって」
(エヴァンス侯爵家の次男なのに……!?)
彼が正常な判断が出来ているとは思えず、むしろトラヴィスの精神状態が心配になってきた。
「トラヴィス様、何か不具合が? どうしたんですか!?」
「不具合?」
「だってトラヴィス様がそんなことを言うなんて、壊れたとしか思えない!」
悲鳴をあげるかのように言えば、彼が声をあげて笑った。
壊れた、絶対壊れた!
だって出会ってから彼がこんな風に屈託なく笑ったのは初めてだ。
けれど心底楽しそうに笑っているトラヴィスの姿は、いつまでも見ていたいくらい尊かった。
「壊れていない」
「いや、間違いなく壊れてます」
「はっきり言ったな」
トラヴィスは今や、にやにやとした笑みを浮かべている。その顔を見ていたら、私にはピンときた。
「あ、分かりました。夜会のストレスがこんな形で出ているのに決まっています。それに突然ワルツをしようだなんて……今までどなたともしたことがないのでは?」
令嬢たちが先程そう言っていたではないか。
トラヴィスが頷いた。
「ああ。それは今まで誰とも踊りたいと思わなかったからだ」
「であれば、なんで私と……?」
もはや呆然とするしかない。
「世間一般の感覚だと求愛されるときにワルツを申し込まれたいんじゃないのか?」
「きゅっ……」
トラヴィスがぐいっと力をいれたので、私は引っ張られるようにして立ちあがった。最近既に嗅ぎ慣れている彼の香水と、男らしい香りがした。
「もういいだろう? 初めて求愛する哀れな俺をこれ以上いじめないでくれ」
「トラヴィス、様……」
「このネックレス、似合うな」
そう言いながら彼が私の腰を抱いて、近くに引き寄せた。
「ネックレス、ですか……?」
貸してくれたこの鍵がモチーフのネックレスのことだ。
「ああ。昔、母が父にもらったものだそうだ」
「そんな大事なものを! 帰宅したらすぐに返します」
私は慌てた。確かに少しアンティーク調だとは思ったのだ。だがトラヴィスはきっぱりと首を横に降った。
「いや、いい。お前に後で話すが――わが両親は少し歪な関係で……このネックレスも実はずっと忘れ去られていたんだ。だからこうしてお前がつけてくれると、すごく嬉しい」
私は躊躇った。
「え、でも……」
「お願いだ。よかったら、お前に持っておいて欲しい」
静かにトラヴィスが告げた。そこまで言うなら、とようやく心を決めて頷いた。
「……はい、ではお言葉に甘えて、私が持っておきます。大事にしますから」
「ありがとう。――さあ、俺と踊ってくれ。出来たら、先程のように足を踏まないでいてくれると助かる。まだ右足は本調子じゃないんでね」
先程というのは、間違いなくリヒャルトのことだ。
「あしっ……ご覧になっていたのですか」
はは、と楽しそうにトラヴィスが笑った。さっきまであれだけ無表情だった氷の騎士ととてもじゃないが同じ人とは思えない。
「あれはなかなか素晴らしい攻撃だった。相手が変態じゃなければ良かったのにな。――さあ俺と踊ってくれ。お前にダンスを申し込むために、杖がなくても歩けるようにリハビリを頑張ったんだから」
(私のために、だったんだ。アンジェリカのためじゃなかった……)
胸の中に、喜びの花が咲いた。
いつから彼が私と踊りたいと思っていてくれたのかは知らないが――少なくても一ヶ月前にはそう思っていてくれたこととなる。
そう思えば、ここしばらくの彼の行動の変化が腑に落ちた。
「俺と踊るのが嫌じゃなかったら、微笑んでくれるか、ユーリ?」
そうやって乞われると、断ることなんて出来るわけがない。
私がゆっくりと笑みを浮かべると、トラヴィスの瞳が喜びで輝いた。
それから大広間から聞こえてくる音楽に合わせて、私とトラヴィスは踊った。
それはまるで映画のワンシーンのような完璧な時間で――ワルツを踊り慣れていないトラヴィスに私が足を踏まれなければ、だけれど。
☆
トラヴィスと共に馬車に乗った時、依然ふわふわした心持ちだった。しかも今までは向かい合わせに座っていたのに、彼が隣に座るように言うから、今の私達はぴったりとくっついている。トラヴィスの左手はいつものように私の腰に回されたままだ。
「トラヴィス様はアンジェリカ様をお慕いしているのかと思っておりました」
馬車が走り出してからしばらくして私がそう言えば、トラヴィスの眉間に皺が寄った。
「アンジェリカを、俺が? まさかあんな気の強い女」
(気の強い女……?)
「そう、なのですか?」
確かにアンジェリカはライトノベルの主人公にぴったりの、意思をはっきりもった令嬢だ。けれど気が強いという表現は違う気がしている。正義感もあるし、優しい人柄――のはずである。
「なんでそんな勘違いをしたんだ」
「トラヴィス様にお目にかかりたいと言っていらっしゃったとうかがって……普通はご令嬢がなかなかお見舞いには来られないかと思いまして、何らかの関係がおありになるものかと。それから、その、アンジェリカ様がご帰宅なさるときにお見かけしたのですが、トラヴィス様が笑っていらしたので……」
そう答えながら私は気づいた。
(私、ここがライトノベルの世界だからって、トラヴィスもアンジェリカのことが好きなのに違いないって思い込んでいて、彼の行動をちゃんと見ていなかった気がする)
そういえばトラヴィスは、アンジェリカに会いたくない、とセルゲイを困らせていた。今夜の夜会も、セルゲイに言われて仕方なく、の態度だった。
普通に考えればトラヴィスはアンジェリカにまったく興味を抱いていない。
アンジェリカの人柄も、『あくでき』で読んで知った気になっていただけである。実際は、私はアンジェリカと直接話したことは一度もないので“知らない”のだ。だからもしかしたら、アンジェリカは本当に気が強いのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
私は思い込みで勝手に判断していただけだ。
(なんて失礼なことをしていたのだろう)
ここがいくらライトノベルの世界だからとはいえ、目の前の彼らは一生懸命生きているというのに。
自分の愚かさに一瞬落ち込みかけたが、トラヴィスが鼻を鳴らしたので注意を戻した。
「俺が笑ってた?」
「はい、そのようにお見受けしました」
あれで私は、彼が心を開いているのは自分だけではないと思い――それが引き金になってトラヴィスへの思いを自覚したのだ。
しかしトラヴィスは首をひねっている。
「思い当たる節はない。そんなつもりはないが、だとしたらお前の話をしていたんだろう」
彼はあっさりと答えた。予想外の回答に、私は驚いた。
「わ、私……?」
「ああ、これからリハビリをすると話してたんだろう。兄上が、お前のことをそういや話題にしていた気がするからな」
「そう、でしたか……」
トラヴィスは再度鼻を鳴らした。
「まぁ、あの女が俺を訪ねてきたのは理由はある。それは――俺がアンジェリカを護衛している時にこの怪我をしたからだ」
「え、護衛、ですか?」
「ああ。あの女は跳ねっ返りだからな……周囲も苦労している」
トラヴィスが淡々と説明をし始めた。
詳細は言えないものの、ステインバーグ家が恨みを買う事態となった。家業である海運業の利権絡みで、下手をしたら令嬢であるアンジェリカを狙う計画があると噂された。娘を誘拐して盾にとり、ステインバーグ家を動かそうというわけだ。
それを知ったセルゲイが、王宮の騎士だった弟に護衛を頼んだというわけだ。もちろんステインバーグ家でも護衛を雇ったが、氷の騎士以上の凄腕の騎士などそうそういない。
「大人しくしてりゃいいのに、あの女は余計なことばかりしやがる。夜会なんて行かなくたって死にゃしないだろうに、私は平気ですアピールをするためにわざわざ参加する始末だ」
トラヴィスが説明したアンジェリカの“無謀な行動”に私は覚えがあった。
(待って待って、それって……!?)
ライトノベルの中ではスタングリードとの間を裂くべき陰謀が起こった。その数々を裏で秘密裏に止めたのはセルゲイだが、アンジェリカも主人公らしく、表で出来ることをしているのである。そのうちの一つが、敵に怯えない姿を見せつけるために、夜会に参加するということがあった。
「それで兄からアンジェリカの護衛を頼まれたんだ」
「ああ、セルゲイ様……。セルゲイ様は、アンジェリカ様の親しいお友達でいらっしゃるのでしょうか?」
「親しいお友達っていうか、お目付け役のようなものな気がするがな。ステインバーグ家の家業とエヴァンス家は深く関わっているから」
どうやらセルゲイはアンジェリカに心酔はしていないようだ。ここも少し『あくでき』とは変わっている。私が頷くと、トラヴィスが先を続けた。
「俺は王宮の騎士だったから、上と話をつけるのも苦労した。家業に関わる緊急事態であることと、期間限定だっていうことでなんとか許可をもらったんだが……。それからすぐ王宮での夜会の時にだまし討ちにあって廃業したから迷惑をかけっぱなしだ」
「王宮での、夜会……」
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(やっぱり少し内容は変わってるけれど、ということはこの時間軸は……三巻から四巻……? でもそしたらトラヴィスの名前は『あくでき』には出ていない……ってことは、トラヴィスも、まさかのモブなの!?)
私は呆然として、トラヴィスの横顔を見上げた。こちらはマスクをしていないから、彼がうんざりしている表情がありありと伝わってきた。
「とりあえずそれで敵を全て捕まえることが出来た。アンジェリカはもちろん、ステインバーグ家からも感謝された。だから今夜の夜会にどうしても来て欲しいということだったんだ」
「なるほど……」
「ああ。さっき大広間でセルゲイに呼ばれただろう? アンジェリカの両親にお礼と、俺が騎士でい続けたら稼いだであろう金額を保証したい、と言われた」
私はアンジェリカと共にいるトラヴィスを見たくなくて視線を逸していたから気づかなかった。
「金で解決すると思っている辺りがステインバーグ家らしいが、とりあえず保留にした」
トラヴィスの眉間の皺が深くなった。
「そうでしたか……。あの、私に話をしてくださって、よかったんですか?」
心配になって尋ねた。
「機密事項は避けて話したし、それにアンジェリカに俺が惚れてるとユーリに万に一つでも思われたくない」
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