転生したら、最推しキャラの弟に執着された件。 〜猫憑き!?氷の騎士が離してくれません〜

椎名さえら

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24.いざ夜会へ

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 ステインバーグ家での夜会までの日にちがほぼなくて、助かった。
 ドレスを買おうにも時間がない、ということを理由にいわゆる貴族令嬢が着るような豪華なイブニングドレスを拒否出来たからだ。

 そもそもアンジェリカは社交界で人気があるから、ステインバーグ家の夜会には多くの貴族が参加すると思われる。ということは、クラウディア=サットンの知人や友人、また数年前にサットン家が没落したことを知っている人に会う可能性は極めて高い。

 そんな中、私がセルゲイの弟である、また氷の騎士として有名だったトラヴィスの同伴者として、貴族令嬢らしく着飾って人前に出ることはやはり避けたかった。
 
 といっても、さすがにエヴァンス侯爵家――しかも伊達男で有名なセルゲイで既に有名な――の次男、かつて氷の騎士として名を馳せたトラヴィスが治療師として連れている女性としてあまりみすぼらしい格好は出来ないのも事実だった。

 なので私はいわゆる上級使用人が着るようなイブニングドレスを手に入れた。これならば一目で私が使用人だということが分かるし、彼が連れていても恥ずかしくないだろう。また貴族たちは私が使用人の格好さえしていれば、万が一クラウディア=サットンだと気づいても、見て見ぬふりをするものだ。

「おい、なんでそんなドレスを選んだんだ」

 シンプルなライトベージュのドレスを着た私が、トラヴィスの部屋に顔を出すと彼が眉間に深い深い皺を寄せて唸った。執事に手配してもらったそのドレスは今朝届いたばかりだが、手直しがなくても着れるようなゆったりしたデザインだった。

「今までのドレスに比べて、格段に上等ですよ。私にはこれで十分です。そもそも、ちゃんとしたイブニングドレスを手配する時間はなかったですし」

 私がそう答えると、自分こそ普段着と変わらないトラヴィスが顔を顰めた。どうやらその可能性には思い至らなかったようだ。

「ちっ……仕方ない。だが装飾品は?」

「必要ないですよ」

 私はぐるっと目を回してみせた。このドレスに、身の丈に合わないアクセサリーをしている方が逆に目立つ。どうやらトラヴィスもそう思ったのか、眉間に皺を寄せた。

「まぁいい、ちょっと待ってろ」

 彼はそう言うと、ゆっくりと歩いて自分の寝室へと姿を消した。杖はなくても、屋敷内であればもう危なげなく歩くことが出来る。
 すぐに戻ってきた彼の手には、ネックレスが握られていた。

「これをつけろ」

「……これはなんですか?」

「いいから、命令だ」

 渡されたそれは、予想に反してあまり高価そうなものではなかった。少しくすんだ銀色の鎖に、やはり銀で作られた鍵のモチーフがついている。宝石といえば、白い小さな石――ダイアモンドとは到底思えない――が申し訳程度に鍵を彩っているくらいだ。ネックレスとしての値打ちはあまりないかもしれないが、デザインはアンティーク調で気に入ったし、私の手にしっくり馴染んだ。

「このネックレス、とても可愛いですね。何か思い出があるものでしょうか……?」

 トラヴィスの眉間の皺が少しだけ薄くなった。

「いいからつけてこい」

 こうなればトラヴィスは質問に答えないつもりに違いない。

「承知しました」

 私は彼に断って洗面所に行くと鏡を見ながらそれをつけた。ネックレスをつければ、少しだけお洒落もしたくなるから不思議だ。アイヴィー・エンドに来た時は肩下ほどだった髪が、今はもう胸の辺りまで伸びている。それまでのポニーテールを止め、簡単にハーフアップのまとめ髪にすると、洗面所を出た。
 クラウディアの顔はどちらかというとタレ目なので、こうすることで目がきりりと大きく見えて、似合うはずである。

 トラヴィスはソファに座って、いつものように本を読んで待っていた。

「お待たせしました」

「ああ」

 トラヴィスがちらりと私を見上げて、目を少し見開いた。

「なんだその髪型は」

「え? 似合わないですか? この方が貸していただいたネックレスがよりよく映えるかと思ったんですけど……元に戻しましょうか」

「いや、そのままでいい」

 食い気味に言われて、私は瞬いた。

「その……悪くない……似合っている。だからそのままにしておいてくれ」

 トラヴィスが小さく呟き、右手で自分の口元を押さえた。みるみる彼の耳が赤く染まっていくのが分かった。

(……褒めてくれた?)
 
 トラヴィスにつられて顔が紅潮していくのが自分でも分かった。

 自分が好意を寄せている男性が、褒めてくれることがこんなに嬉しいとは思わなかった。
 
(少しだけ、化粧もしたらよかったな)

 トラヴィスが喜んでくれたかも、などと浮かれたことを一瞬考えた。だがすぐに、今からアンジェリカに会うのだ、と思い直し、心を落ち着かせた。アンジェリカは間違いなく着飾っているだろうし、彼女を囲む『あくでき』の登場人物たちは全員輝いているはずだ。

 クラウディア=サットンもしくはユーリなど、見劣りするだけだ。

(うん、私は『あくでき』の登場人物たちに今からお会いすることが出来るんだわ――そうよ、すごいことなのよ。だからファンとして楽しまなきゃ)

 ともすれば沈みがちになる心を、そう思うことで励ました。――以前はセルゲイ一人に会えるだけでもあんなにはしゃいでいたのに、今日はどうしてかそこまで楽しく感じられなかったけれど。

 ☆

 夜会はとてつもなく綺羅びやかだった。

 ステインバーグ家は、この国の貴族では珍しくない副業の、海運業が非常に順調だと物語で描かれていた。だからこそ、アンジェリカが和風の食材をたしなむ、という表記も納得がいくのだ。とにかく豪華絢爛な屋敷には圧倒された。

 アイヴィー・エンドはアイヴィー・エンドでとてもセンスが良いが、落ち着いた内装だ。それに対してステインバーグ家はとにかくどこもかしこも高級そうな装飾や家具が集められていた。かといってけばけばしさは一切ない。

 大広間の広さや豪華さも桁違いだった。

「おい、どうした?」
  
 大広間の大きな扉の少し手前で私が思わず足を留めてしまったので、訝しげにトラヴィスが尋ねてきた。私達の周囲をひっきりなしに貴族たちが歩いている。私が壁際に移動すると、トラヴィスもついてきた。ここならば通行の邪魔にならないだろう。それから彼に小声で謝罪した。

「ごめんなさい、あまりにも素敵なお屋敷で驚いてしまいました」

「そういうことか」

 さすがにトラヴィスは慣れているようだったが、彼は杖をついていない左腕を私に差し出した。

「ここから人が多い。俺を支えてくれ」

 私は逡巡した。
 今日は使用人としてやってきたのに、これではトラヴィスにエスコートされているように他人からは見えてしまうからだ。

「私がなんのために夜会に来たのかは理解していますが、これでは、あまりにも――」

 ためらう私への彼の返答はあっさりしていた。

「気にするな。俺の足が悪いことはみんな知っているから、支えてくれていると思うだろうよ」

 そう言われてようやく心を決めた。
 彼の左腕につかまると、大広間へと入っていった。

 それからトラヴィスは一気に注目の的だった。
 たくさんの貴族や、子息たち、ご令嬢たちが話しかけてきたが、彼は慇懃無礼に対応した。彼らと話す間中、トラヴィスの表情は相変わらず“無”であった。それでも体調を心配する声にも丁寧に答え、必要があれば私のことを治療師だと紹介した。

 そして幸いにもクラウディア=サットンの知り合いには今の所一人も会っていないから、誰も彼の説明を疑うことなく受け入れていた。

 トラヴィスには心配していたような“奇妙”な言動はまったく見られず、顔色をみている限りでは、無理をしすぎているような感じもしなかった。時々、身体が小さく震えるのが気になったが、それでもなんとか衝動を抑えているようだった。どうしようもなくなったら、彼が私に言ってくれるはずだから、そのときは廊下に連れ出したら良いだろう。

 ほとんどの令嬢たちが、トラヴィスにダンスの相手をねだった。
 だが彼は、この足ですからね、と杖を指し示し、肩をすくめることでその全ての誘いをやり過ごしていた。

「またそう言って。以前からどれだけ誘っても踊ってくださらなかったじゃないの」

 一人の貴族令嬢が頬をふくらませると、隣にいた令嬢が仕方ないとばかりに苦笑した。

「氷の騎士様ですものね、トラヴィス様は。マスクされている姿が本当にいつだって素敵で」

(え、マスクは怪我をしたからつけているのではなくて、以前から……?)

 令嬢の言葉でそう気づいて、私は驚いた。

「ほんと、トレードマークっていえばこのマスク姿ですわよね。ああ、トラヴィス様がどなたと最初にダンスされるのかだけでも見たいものですわ――願わくば、私だといいのだけれど」

 ぱちぱち、とつけまつげがたくさんついた目を瞬いて、しなを作っているがトラヴィスには通用しなかった。

「また御冗談を」

 彼の返事はそれだけだった。
 トラヴィスが無表情のままそれきり口をつぐむと、その令嬢たちはすごすごと去っていった。

 塩対応どころの話ではなかった。
 しかもこの会話から察するに、トラヴィスは足を怪我する以前から誰ともワルツひとつも踊らなかったらしい。

(うん、これは『氷の騎士』って名前になるの当然かもしれない)
 
 以前からこのような対応だったとしたら、その二つ名には説得力があった。

 やがて大広間にセルゲイが、またしばらくしてアンジェリカが登場すると人々の視線は一斉にそちらに向かった。ちらりと視線を送ればアンジェリカの隣には、黒髪の野性的な見目麗しい若い男性がいた――スタングリードに違いない。

(やっぱり私おかしいな、全然わくわくしないや)

「トラヴィス! こちらに来い」

 と人に囲まれたセルゲイが大広間の真ん中から声をかけてきたので、トラヴィスは舌打ちした。

「めんどくさい」

「トラヴィス!」

「……でもめちゃくちゃ呼ばれてますよ?」
 
 トラヴィスは小さくため息をついた。

「仕方ない、今行かなかったら兄上はずっと呼び続けるだろうな。お前はここで待ってろ。俺が戻ってきたらそのまま帰宅するつもりだからそのつもりでいろ」

「お一人で大丈夫ですか?」

「ああ、瞬殺してくる」

「しゅ……、承知しました」

 さすがに大広間の中央に、この服装のまま行くことは出来ない。トラヴィスが杖をつきながらゆっくりセルゲイの元へ向かうのを見送ってから、私は壁際へと下がった。セルゲイはトラヴィスの事情を知っているそぶりだったから、彼がいれば問題ないだろう。

(ああ、疲れた……)

 以前クラウディア=サットンのときはこういう夜会も当たり前のように参加していた。

(平民で本当に気が楽だ。やっぱり私は将来、リハビリ施設を開いて……そうやって生きていきたい)

 綺麗に着飾り、ワイングラスを片手に歓談している貴族たちを眺めながらぼんやりそんなことを思った。セルゲイの元へ向かったトラヴィスからは意識的に視線を逸らしてしまった。だってそこにはアンジェリカがいるのだから。楽しげに会話する彼らを見守る強さはどうやら今日の私にはないようだ。

「ディア?」

 突然声をかけられてそちらに視線を送り、私は驚いた。

「リヒャルト……様?」

 そこにはクーパー家子息、クラウディア=サットンのかつての婚約者が立っていたのだった。
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