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13.一緒に運動しましょう

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 お前のことを教えろ。

 その質問は、今の私には答えるのが少し難しい。

 “本当”の私は、クラウディアだけではなく鈴木有理としての記憶も併せ持っている。だから全てを彼に話すことは出来ないからだ。

 だが――。

「私については、それ以外は聞かれてはいませんか?」 

 患者との信頼関係は何よりも大切だ。せっかくの彼からの質問をぞんざいには扱えない。私が聞けば、トラヴィスはゆっくりと頷いた。彼の銀色の髪がさらりと揺れた。

「私は生まれはサットン侯爵家なのです。ただ父の不手際により家は断絶になりました。それが数年前のことです」

「ああ……」

 サットン、という名前を出すとトラヴィスは形の良い唇をゆっくりと指でなぞりながら何か考えていた。

「記憶にある。なるほど、お前はサットン家の娘だったのか」

「ええ」

 どうやら彼は王宮に勤めていたらしいから、世間を騒がせた詐欺罪に巻き込まれた貴族の名前を覚えていてもおかしくはない。

「婚約をしておりましたが、破棄されました。その後、両親は母の親戚を頼って田舎にまいりましたが、私はそのまま王都に残って、フォスター先生の診療所で働いております。治療師の試験に合格したのは去年です」

 彼はふん、と鼻を鳴らした。

「婚約破棄か。どうせ相手は醜聞に巻き込まれたくないと逃げたんだろう。しかし、どうして両親と共に田舎に行かなかった。王都では難しくても、田舎であればまともな縁談くらいあったろうに」
 
 私くらいの若い女性は良い縁談に恵まれ、良き夫、跡継ぎを作ることがよしとされるのは、これだけチートな世界観の中でも根強い価値観だ。平民でもそうだが、貴族であればなおさら。

 そしてクラウディア=サットンであればそうしただろうと思っている。密かに慕っていた元婚約者のことを考えながら、余生を過ごしたかもしれない。

 だが鈴木有理としては、窮屈な価値観にしか過ぎない。
 自由に自分のしたいことをしながら生きたいと思ったのだ。だからこそ治療師の試験を受けたわけだが――それを異世界転生云々抜きで、トラヴィスに説明するのは難しい。

「私、平民になりましたので――職業婦人でいいかもと思ったのです」

 なるべく軽く聞こえるように明るく言ってみたが、トラヴィスは尚も質問を重ねた。

「だが……家族に会いたくはないのか?」
  
 家族。

 途端にサットンの両親だけではなく、日本の家族の面影が脳裏に走る。だが、私はなるべく寂しさを出さないように小さく唇を噛み、それからすぐに首を横に振った。

「いいえ。私は自分の意思でここにいますから」

 トラヴィスは私の返事をうけて何事かを考えているようだった。やがて彼は呟く。

「ふうん」

 その呟きにはなんの感情も感じられなかった。私が彼へ視線を送ると、トラヴィスはあらわになっている左の瞳で私を真っ直ぐに見つめていた。
 まるで眼差しだけで、全てを見通すかのように。
 その視線に秘められた強さを感じ、一瞬ぞくりとした。やはり彼は騎士――氷の騎士なのだ。口先だけでは、簡単にはごまかされないだろう。
 
 私はトラヴィスが納得するような言葉を探していたが、彼の真剣な眼差しを受けて、気が変わった。

(本当に知りたいと思ってくださっているようだわ…‥ごまかしたら、失礼だな)

 ふとそんな気持ちが湧く。
 そう思えば、すぐに言葉がこぼれだした。

「寂しくないといったら嘘になります。けれど……私はもう、ここにいますから、立ち止まらないようにしています」

 こちらの方がずっと本音に近かった。

 そう、私はもうここにいる。かつていた世界にはもう戻れない。戻る方法すら知らない。

 淋しさがつい口調に現れてしまった気がして、少しだけ視線を落とした。

 今度は納得したかのようにトラヴィスが頷いた。

「そうか」

 私は背筋を伸ばして、トラヴィスを見た。

「私についてはこれくらいしか話すことがありませんが、他に何かお聞きになりたいことがあれば、出来る限りお答えします」

 彼はゆっくりと首を横に振った。

「また何か思いついたら質問させてもらう」

「承知しました。ではいくつか問診させていただいても?」

 そこでトラヴィスは口元を緩めて笑顔のようなものを作った。

(わぁ……!)

 顔が整いすぎているが故に冷たさを感じさせる彼がそうやって表情を変えると、途端に華やかさが増した。さすがの私も、思わず見惚れてしまう。

 ただ彼が話し出すと、その幻は消えて一気に現実に引き戻された。

「職務に忠実、だったか? 問診の前にとりあえずお前もなんか食え」

「え? いやでも私は……」

 使用人が主人の前で食事をするなんてありえない。私が固辞をすれば、トラヴィスの表情が変わり、眉間に皺が寄った。むしろこちらの方が見慣れた彼の姿だ。

(見慣れた、だなんて、まだ一日しか一緒に過ごしてないのに……!)

 どれだけ彼が眉間に皺を寄せているのかが分かるというものだ。

「ふふっ」

 思わず笑ってしまった。

 そこでとても奇妙なことが起こった。私が笑ったと同時に、目の前にいるトラヴィスの顔がみるみるうちに赤くなり、何なら耳まで染まった。あまりにも驚いたので私が目をぱちくりさせていると、彼は自分の口元を片手で覆った。

「なんでもない。いいから、飯を持ってきて食べろ。そうしないと俺は答えないからな」

 もごもごと話された。

(え? なんで赤くなった?)

 しかしトラヴィスはそれきり黙ってしまった。確かに今日はこれからしばらく彼と一緒に過ごすことになるだろうから、食事をとることにした。

「では厨房から私の分の朝食を持ってくることにします」

 トラヴィスは口を押さえたまま、細かく何度か頷いた。

 廊下に出ると、どこからか「にゃあ」と猫が鳴くような声がしたが、きっと気の所為に違いない。

 ☆

 食事を持って戻ればトラヴィスは既に落ち着いた様子だった。手早く朝食を済ませると、食器を脇に片付け、それからついでに自室から持ってきた『トラの巻』を開いた。

「怪我を直接私が見せていただくことって出来ますか」

 単刀直入に尋ねると、トラヴィスは黙ったまま答えなかった。

「私は医者ではないので医療行為はできません。ですがリハビリのお手伝いをするのにあたって怪我の状態を確認することは大切なので、できればお願いしたいのですが」

 そう言えば、彼がようやく身じろぎした。

「ああ。でも見ても気分がいいものではない」

「倒れたりはしませんよ、私は治療師ですので」

 そう言っても彼はしばらく逡巡しているようだった。セルゲイの口ぶりからも大怪我だったことはうかがえたし、ためらう気持ちも理解できたので、先に違うことから問診することにした。

「ではまずよかったら、一日のルーティーンを教えて下さい」

「ルーティーン」

 トラヴィスが繰り返したので、私は頷いた。

「大体でいいのですが、何時頃に起きて、寝て、運動はどれくらいされて、とか……」

 言いながら彼の顔を見てすぐに気づいた。
 
(ああなるほど、なにもしてないから言えることがないんだわ)

 そこで少し考えた。

 おおらかな性格や話し好きの患者であれば、以前元気だった頃のルーティーンを聞いたりをすることもある。むしろそこが取りかかりになり、円滑な会話がのぞめたりするのだが、トラヴィスには逆効果だろう。
 むしろ以前は出来ていたことが今は出来ない、と追いつめられた気持ちになるかもしれない。だが、そこを避けては通れないのも事実だ。

「では以前、怪我をされる前の休日のパターンでしたら?」

 その問いは、どうやらトラヴィスの興味を引いたらしい。

「そんなの簡単だ。明け方まで酒を飲んで、夕方まで寝てる」

 答えはろくでもなかった。
 だが、何も答えてくれないよりは良い。

「ああ、騎士の皆さんで酒場ででも飲まれるんです?」

「いいや。盛り場に行くと余計な虫がやってきたりするから、俺は部屋で飲むのが好きだった」

 余計な虫は、彼狙いの女性たちか、それとも力試しをしたい変な輩か、酔っぱらいか。

「なるほど。では今も部屋でお酒を飲まれてるんですか?」

 トラヴィスは答えなかった。

「それで夕方までそのまま?」

 この質問にも答えなかった。私は『トラの巻』に、“お酒を飲んで夕方まで寝ているようだ”と書き入れた。

「うーん、とりあえず昼寝を減らさないといけないですね。昼寝をすると夜に寝るより数倍威力ありますけど、今の貴方には必要ないですから。明日から一緒に運動しましょうか」

「うんどう?」

 トラヴィスが生まれてはじめて聞いたかのようにオウム返しに言った。

「はい、運動というかリハビリですが。あ、もしよろしければ朝一で一緒にしますか? 私は毎朝、この屋敷の敷地内を走らさせていただいています」

 嘘ではない。今朝も早朝に起き、空が白み始めると同時に敷地内を走った。それから一旦部屋に戻り、身体を清めた。そして扉を開けたら、トラヴィスが廊下に立っていたのである。

 もともとが陸上部出身、そして常に動いていないと死んでしまう回遊魚のマグロのようだった私だ。大学時代、短かった社会人時代も毎朝のジョギングは欠かせなかった。
 
 クラウディア=サットンはいわゆる普通の貴族令嬢だったので、今生ではほとんど運動していなかった。だから最初はあまりの体力の無さに驚いた。

 少し走れば息切れしてしまうし、とにかく体力がない。フォスター先生の診療所で働き始めてから、ちょっとずつ運動をするようになった。そもそもリハビリを手伝う治療師には、患者を支える場面も多いため、ある程度の筋肉が必要だ。そんなわけで最近はようやく上腕二頭筋なども人に見せられるくらいの筋肉がついてきた。

 トラヴィスが食事をとるようになって感謝されたセルゲイにお礼は何がいいかと問われ、敷地内で走る許可をください、と頼んだ。予想外だったのかセルゲイはとても驚いていたが、快諾してくれたのだ。

 それが一ヶ月前の話で、それから毎朝ジョギングをしている。
 
「やはりあれはお前だったのか」
 
 ぽつりとトラヴィスが呟いたので、彼に意識を向けた。

「あら、ご存知でした?」

 セルゲイに許可をもらった場所は、敷地内であるが屋敷から見える距離だ。トラヴィスに気づかれていたとは思わなかったが、不思議な話ではない。

「ああ、時々朝早く目が覚めると部屋の窓から見えるもんでな」

「朝のジョギングは最高ですよ! 明日ご一緒にいかがですか? ――走れなくても、早起きして、外に出るだけでご気分が変わると思います」 

 これは本音中の本音。
 私は両手を拳にして、力説した。

 早起きは三文の徳。
 十分な睡眠、栄養と、適度な運動で人間、そこまでネガティブな気持ちにならないのだ。あとは、筋トレをすれば、だいたいのことはどうでもよくなり、丸く収まることが多い。

 健全な魂は、健全な肉体に宿る。
 私の座右の銘である。

「変わってるな、お前」
 
 トラヴィスは呆れたように言ってから、小さく、考えておく、と付け加えた。
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