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12−1.表情筋、どうされました?①
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翌朝、とんでもないことが起こった。
私が部屋の扉を開けると、眉間に皺を寄せたトラヴィスが立っていたのである。左半分しかあらわになっていないというのに、不機嫌そうだとすぐに分かる。
「わぁ、ずっと廊下にいらっしゃったんですか? どうされました?」
今まで一度も姿すら見かけなかったのに、こんなに立て続けに会えるなんてありがたい。まるでゲームのレアキャラのようである。
「お前が朝飯を作るところを見たいと思って」
「え?」
昨夜、本当にココアの入っていたカップを洗うのを眺めていたトラヴィスだったが、今度は私が朝食を作るところを見たいのだという。なんとも物好きな人だ。
「何か問題あるか?」
「問題はありません。でも何も特別なことはしませんよ?」
トラヴィスの眉間の皺が深くなった。
「それでもだ」
「はぁ……、お好きにどうぞ」
私の返事に、トラヴィスはゆっくりと片眉をあげてみせた。杖をついて歩く彼のスピードに合わせながら、一緒に厨房に向かった。
◇
早朝だったため厨房には私達の他は誰もいなかったが、しばらくしてアンソニーが入ってきた。筋骨隆々のアンソニーと並ぶと、トラヴィスの細さが際立つ。――彼はやはり病人なのだ。
「え、トラヴィス様!? 何か、何か粗相でもございましたか?」
アンソニーは突然のトラヴィス登場に慌てていた。
そこでとても不思議な事が起こった。トラヴィスの表情が一気に無になったのだ。
文字通り、無、である。
とてもじゃないが、顔の右半分をマスクで隠しているから、だけでは説明がつかないほどの変化だった。
私は呆気にとられて、みるみる失われていくトラヴィスの表情を眺めていた。そんな私の目の前で、トラヴィスが口を開いた。声の調子はどこまでも平坦で、冷淡な印象すら与えた。
「問題はなにもない――ただ、こいつが今から朝食を作る、というから毒でもいれないか見学しにきた」
アンソニーは余計に混乱しているようだ。トラヴィスを見て、私を見て、またトラヴィスを見ている。
「こいつ……。毒……!? 今更……!?」
アンソニーが口を滑らせた。
(そりゃそう思うよね……)
確かにトラヴィスはここしばらく私の作った食事を食べている。毒をいれようと思ったら、もっと以前からしているはずである。――してないけど。
「トラヴィス様はどうやら私の料理の腕を気に入っていらっしゃるようで、作る過程をご覧になりたいそうです」
「別に気に入っていない」
冷たい声で割り込まれたが、私は肩を軽くすくめただけだった。昨夜帰らないでくれ、と部屋に飛び込んできたくせに何を。アンソニーの手前、口には出さなかったけれど。
「は……、そ、そうですか。まぁ、そうですよね、ユーリさんがいれば、体調も悪くなられていないようです、し、ね」
じろり、とトラヴィスがアンソニーに冷たい視線を送ったので、料理長は口をつぐんだ。
(私がいれば体調が……? どういうことだろう)
しかし男性陣は沈黙するばかりだ。しばらくしてアンソニーはようやく衝撃がおさまったのか、ぎくしゃくしながらも動き出した。
(アンソニーさん、右手と右足が一緒に出てる……)
「ト、トラヴィス様、この椅子にお座りください」
アンソニーが私の手元がよく見える位置に、どこからか運んできた椅子を置いてくれた。トラヴィスはこれには素直にお礼を言った。
「助かる」
「――!」
お礼を言われたアンソニーは最初、ぼうっとしていて、何を言われていたのか理解できていない様子だった。その後、すぐに、あ、いえ、当然のことをしたまでです、などと口ごもりながら答えていたが、既にトラヴィスはアンソニーから意識を逸していた。
それから息を吹き返したらしいアンソニーは次々に入ってくる厨房の下働きのうち、女性だけ違う部屋での仕事を割り振ってくれた。そこまでする必要があるのか、と思ったが、念には念をいれたのだろうか。
セインや他の料理人たちも、部屋の奥に鎮座しているトラヴィスに驚いて、目を丸くしていた。
(やっぱりゲームのレアキャラ感がすごい……)
「すみません忙しい時間に。今から手早く作りますね」
食料庫の前で、私は小声でアンソニーに謝った。次回からは相談して、時間をずらすなどの対処が必要だろう。アンソニーは笑顔になると、やはり小声で返してくれた。
「問題ありません。セルゲイ様から、今一番優先するべきはトラヴィス様のご回復だと命じられています。なのでユーリさんはどうかお気になさらず」
「ありがとうございます」
「だから大丈夫ですって」
アンソニーは爽やかに仕事に戻っていき、私は手を洗ってから、調理を始めた。
脂をあまり使わないように留意しつつ、オムレツ――具はなしだが塩とハーブはいれた――、野菜スープ、温野菜のサラダ、それから焼き立てのテーブルロールパンをふたつ添えた。湯でボイルしたソーセージもつけた。ボイルしたのは、茹でることで焼くときに比べて余計な脂が落ちるからだ。今までと同じく常温の水をコップに淹れた。
椅子に腰かけたトラヴィスは私が忙しく立ち働くのを、無表情のまま見守っていた。視線は鋭く、厳しい。昨夜の会話がなかったら、監視されているかと思うくらいである。
(いやはや、本当にさっきと同じ人なの?)
朝食の支度が終わったので、トラヴィスに尋ねた。
「ダイニングルームかお部屋まで私が運びましょうか?」
するとトラヴィスは首を横に振り、厨房の向かいの部屋で食べる、と短く告げた。私は了承し、朝食をのせたバーカートを押しながら、杖をついてゆっくり歩くトラヴィスに付き添った。
私が部屋の扉を開けると、眉間に皺を寄せたトラヴィスが立っていたのである。左半分しかあらわになっていないというのに、不機嫌そうだとすぐに分かる。
「わぁ、ずっと廊下にいらっしゃったんですか? どうされました?」
今まで一度も姿すら見かけなかったのに、こんなに立て続けに会えるなんてありがたい。まるでゲームのレアキャラのようである。
「お前が朝飯を作るところを見たいと思って」
「え?」
昨夜、本当にココアの入っていたカップを洗うのを眺めていたトラヴィスだったが、今度は私が朝食を作るところを見たいのだという。なんとも物好きな人だ。
「何か問題あるか?」
「問題はありません。でも何も特別なことはしませんよ?」
トラヴィスの眉間の皺が深くなった。
「それでもだ」
「はぁ……、お好きにどうぞ」
私の返事に、トラヴィスはゆっくりと片眉をあげてみせた。杖をついて歩く彼のスピードに合わせながら、一緒に厨房に向かった。
◇
早朝だったため厨房には私達の他は誰もいなかったが、しばらくしてアンソニーが入ってきた。筋骨隆々のアンソニーと並ぶと、トラヴィスの細さが際立つ。――彼はやはり病人なのだ。
「え、トラヴィス様!? 何か、何か粗相でもございましたか?」
アンソニーは突然のトラヴィス登場に慌てていた。
そこでとても不思議な事が起こった。トラヴィスの表情が一気に無になったのだ。
文字通り、無、である。
とてもじゃないが、顔の右半分をマスクで隠しているから、だけでは説明がつかないほどの変化だった。
私は呆気にとられて、みるみる失われていくトラヴィスの表情を眺めていた。そんな私の目の前で、トラヴィスが口を開いた。声の調子はどこまでも平坦で、冷淡な印象すら与えた。
「問題はなにもない――ただ、こいつが今から朝食を作る、というから毒でもいれないか見学しにきた」
アンソニーは余計に混乱しているようだ。トラヴィスを見て、私を見て、またトラヴィスを見ている。
「こいつ……。毒……!? 今更……!?」
アンソニーが口を滑らせた。
(そりゃそう思うよね……)
確かにトラヴィスはここしばらく私の作った食事を食べている。毒をいれようと思ったら、もっと以前からしているはずである。――してないけど。
「トラヴィス様はどうやら私の料理の腕を気に入っていらっしゃるようで、作る過程をご覧になりたいそうです」
「別に気に入っていない」
冷たい声で割り込まれたが、私は肩を軽くすくめただけだった。昨夜帰らないでくれ、と部屋に飛び込んできたくせに何を。アンソニーの手前、口には出さなかったけれど。
「は……、そ、そうですか。まぁ、そうですよね、ユーリさんがいれば、体調も悪くなられていないようです、し、ね」
じろり、とトラヴィスがアンソニーに冷たい視線を送ったので、料理長は口をつぐんだ。
(私がいれば体調が……? どういうことだろう)
しかし男性陣は沈黙するばかりだ。しばらくしてアンソニーはようやく衝撃がおさまったのか、ぎくしゃくしながらも動き出した。
(アンソニーさん、右手と右足が一緒に出てる……)
「ト、トラヴィス様、この椅子にお座りください」
アンソニーが私の手元がよく見える位置に、どこからか運んできた椅子を置いてくれた。トラヴィスはこれには素直にお礼を言った。
「助かる」
「――!」
お礼を言われたアンソニーは最初、ぼうっとしていて、何を言われていたのか理解できていない様子だった。その後、すぐに、あ、いえ、当然のことをしたまでです、などと口ごもりながら答えていたが、既にトラヴィスはアンソニーから意識を逸していた。
それから息を吹き返したらしいアンソニーは次々に入ってくる厨房の下働きのうち、女性だけ違う部屋での仕事を割り振ってくれた。そこまでする必要があるのか、と思ったが、念には念をいれたのだろうか。
セインや他の料理人たちも、部屋の奥に鎮座しているトラヴィスに驚いて、目を丸くしていた。
(やっぱりゲームのレアキャラ感がすごい……)
「すみません忙しい時間に。今から手早く作りますね」
食料庫の前で、私は小声でアンソニーに謝った。次回からは相談して、時間をずらすなどの対処が必要だろう。アンソニーは笑顔になると、やはり小声で返してくれた。
「問題ありません。セルゲイ様から、今一番優先するべきはトラヴィス様のご回復だと命じられています。なのでユーリさんはどうかお気になさらず」
「ありがとうございます」
「だから大丈夫ですって」
アンソニーは爽やかに仕事に戻っていき、私は手を洗ってから、調理を始めた。
脂をあまり使わないように留意しつつ、オムレツ――具はなしだが塩とハーブはいれた――、野菜スープ、温野菜のサラダ、それから焼き立てのテーブルロールパンをふたつ添えた。湯でボイルしたソーセージもつけた。ボイルしたのは、茹でることで焼くときに比べて余計な脂が落ちるからだ。今までと同じく常温の水をコップに淹れた。
椅子に腰かけたトラヴィスは私が忙しく立ち働くのを、無表情のまま見守っていた。視線は鋭く、厳しい。昨夜の会話がなかったら、監視されているかと思うくらいである。
(いやはや、本当にさっきと同じ人なの?)
朝食の支度が終わったので、トラヴィスに尋ねた。
「ダイニングルームかお部屋まで私が運びましょうか?」
するとトラヴィスは首を横に振り、厨房の向かいの部屋で食べる、と短く告げた。私は了承し、朝食をのせたバーカートを押しながら、杖をついてゆっくり歩くトラヴィスに付き添った。
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