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10.魔女疑惑をかけられました(違いますけど)
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「う、嘘だろ、女、だなんて!」
彼は杖をついていない左手で、自分の口をパッと覆った。
(嘘ではありません、女ですけど……ていうか突然飛び込んできて一体何を)
夜半過ぎである。
アンソニーに渡すメニューを考えるためにまだ起きていたから良かったものの基本料理人の夜は早い。普段であれば、翌朝に備えて寝ていてもおかしくない時間だ。
一般的に使用人の部屋を主人が訪れることは滅多に無いが、もちろん主人には使用人の部屋に入る権利がある。だが、勝手に入ってきてこの言い草はさすがに失礼ではないだろうか。
(なんて横暴な、って思いたいけど……)
しかし目の前の男性は、白くなったり赤くなったり青くなったり忙しく、それを見ていたら気の毒になり、なんだかあっという間に毒気が抜かれてしまった。
(杖をついていらっしゃるからこの方がトラヴィス様ね)
右足をかばうように、亜麻色の杖をついているから間違いないだろう。それから特出すべきは顔の右半分を覆う黒のハーフマスク。
(お顔を怪我されたって聞いているから……隠すためよね)
だが左半分だけでも彼の美貌は明らかだ。ライトに照らされ鈍く輝く銀色の短めに整えられた髪、ターコイズブルーの涼し気な瞳、高めの鼻梁に、薄めだが形のよい唇。身長は高いが、身体はほっそりしていて、騎士だとは思えなかった。
数ヶ月前に大怪我をし、どうやらここしばらくも食事をきちんと取れていなかったようだから、痩せてしまったのに違いない。
セルゲイの背後に薔薇を散らすなら、トラヴィスこそ蔦が似合う。
(うーん、銀の髪にブルーの瞳か。色味だけでも、氷の騎士って言われそう)
「初めまして、トラヴィス様。ユーリと申します」
座っていた椅子から立ちあがって挨拶をした。
挨拶の礼は貴族の礼儀に則ったものだが、あえて、クラウディア=サットンの名ではなく、ユーリとして自己紹介をした。
トラヴィスは何度か細かく頷いたものの、手で自分の口を覆ったまま、もごもごと愚痴めいたことを呟いた。
「お、お、女だとは! 兄が女を俺の治療師に選ぶなんて信じられない」
セルゲイはどうやら新しく雇った治療師が女性であるということも話していなかったようだ。
「メモに、ユーリと名前を記しておりましたが」
ぐ、とトラヴィスは息を飲んだ。
「……だが、ユーリは男でもあり得る名前だろう」
そういえばユーリは男女兼用の名前だ。
凛としていた立ち姿からかつて氷の騎士と呼ばれたらしいが、今は見る影もない。可哀想なくらいブルブル震えているトラヴィスは、私にとってはひとりの患者にしか過ぎない。なるべく彼の気持ちを逆撫でしないよう、落ち着いたトーンで話すように心がける。
「残念ながら私は女ですし、変えたくても性別は変えられません」
「……!」
そこでトラヴィスは初めて、じっと私の顔を見つめた。そしてそのまま彼の身体の震えが止まったのが分かった。
「え、お前……」
みるみるうちに彼の頬が赤くなっていく。彼の動きが止まり、どうしてか私の顔を凝視している。
(どうされたのかな?)
私はトラヴィスを見上げ、彼の顔色を丹念に観察した。
(冷や汗をかいていて、それから少しだけ視線が定まらない――極度の緊張とそれから…‥)
「目眩、していらっしゃいませんか?」
気になって尋ねると、トラヴィスは呆気にとられたようだ。
「は?」
「少し視線がうろついています。私の部屋だと落ち着かれませんでしょうから、一旦外に出てからソファにでも、お座りになりませんか」
そう言えば、トラヴィスは一瞬黙り込んだ。そうして彼はゆっくりと自分の手を口から離した。
「おい」
今まで震えていたのが嘘のように、明瞭な話し方になった。そして落ち着いて話せば、兄であるセルゲイよりずっと低い声だった。
「お前は魔女だろう」
「まさか! 魔女ではありません」
「魔女に違いない。どうしてか俺はお前と話していても……その、具合が悪くならない」
私は目を見開いた。
(……話すだけで具合が悪くなる……? でもとりあえず今は――)
「この部屋でご不快でなければ、こちらの椅子にお座りください。今、厨房にいって温かい飲み物を取ってまいります。甘いものはお嫌いではないですか?」
「あ、甘いの? は嫌いではないがそんなには……」
まだどこかぼんやりしているようにも見えるトラヴィスは杖をついて歩いてきて、素直に私が言った通りに椅子に座った。私の勢いにおされたのもあるだろうが、おそらく足も限界だったのに違いない。身体はもう震えていないが、足は私でも確認できるくらい、がくがくと揺れていた。
「わかりました。いいですか、扉をあけていきますので、新鮮な空気は入ってきます。……女、の部屋ですが、廊下とつながっていることをお忘れなく。深呼吸を心がけてください。――倒れられたら困りますので」
我に返った彼がパニックにならないように念の為そう言い置き、私は足早に厨房に向かった。
彼は杖をついていない左手で、自分の口をパッと覆った。
(嘘ではありません、女ですけど……ていうか突然飛び込んできて一体何を)
夜半過ぎである。
アンソニーに渡すメニューを考えるためにまだ起きていたから良かったものの基本料理人の夜は早い。普段であれば、翌朝に備えて寝ていてもおかしくない時間だ。
一般的に使用人の部屋を主人が訪れることは滅多に無いが、もちろん主人には使用人の部屋に入る権利がある。だが、勝手に入ってきてこの言い草はさすがに失礼ではないだろうか。
(なんて横暴な、って思いたいけど……)
しかし目の前の男性は、白くなったり赤くなったり青くなったり忙しく、それを見ていたら気の毒になり、なんだかあっという間に毒気が抜かれてしまった。
(杖をついていらっしゃるからこの方がトラヴィス様ね)
右足をかばうように、亜麻色の杖をついているから間違いないだろう。それから特出すべきは顔の右半分を覆う黒のハーフマスク。
(お顔を怪我されたって聞いているから……隠すためよね)
だが左半分だけでも彼の美貌は明らかだ。ライトに照らされ鈍く輝く銀色の短めに整えられた髪、ターコイズブルーの涼し気な瞳、高めの鼻梁に、薄めだが形のよい唇。身長は高いが、身体はほっそりしていて、騎士だとは思えなかった。
数ヶ月前に大怪我をし、どうやらここしばらくも食事をきちんと取れていなかったようだから、痩せてしまったのに違いない。
セルゲイの背後に薔薇を散らすなら、トラヴィスこそ蔦が似合う。
(うーん、銀の髪にブルーの瞳か。色味だけでも、氷の騎士って言われそう)
「初めまして、トラヴィス様。ユーリと申します」
座っていた椅子から立ちあがって挨拶をした。
挨拶の礼は貴族の礼儀に則ったものだが、あえて、クラウディア=サットンの名ではなく、ユーリとして自己紹介をした。
トラヴィスは何度か細かく頷いたものの、手で自分の口を覆ったまま、もごもごと愚痴めいたことを呟いた。
「お、お、女だとは! 兄が女を俺の治療師に選ぶなんて信じられない」
セルゲイはどうやら新しく雇った治療師が女性であるということも話していなかったようだ。
「メモに、ユーリと名前を記しておりましたが」
ぐ、とトラヴィスは息を飲んだ。
「……だが、ユーリは男でもあり得る名前だろう」
そういえばユーリは男女兼用の名前だ。
凛としていた立ち姿からかつて氷の騎士と呼ばれたらしいが、今は見る影もない。可哀想なくらいブルブル震えているトラヴィスは、私にとってはひとりの患者にしか過ぎない。なるべく彼の気持ちを逆撫でしないよう、落ち着いたトーンで話すように心がける。
「残念ながら私は女ですし、変えたくても性別は変えられません」
「……!」
そこでトラヴィスは初めて、じっと私の顔を見つめた。そしてそのまま彼の身体の震えが止まったのが分かった。
「え、お前……」
みるみるうちに彼の頬が赤くなっていく。彼の動きが止まり、どうしてか私の顔を凝視している。
(どうされたのかな?)
私はトラヴィスを見上げ、彼の顔色を丹念に観察した。
(冷や汗をかいていて、それから少しだけ視線が定まらない――極度の緊張とそれから…‥)
「目眩、していらっしゃいませんか?」
気になって尋ねると、トラヴィスは呆気にとられたようだ。
「は?」
「少し視線がうろついています。私の部屋だと落ち着かれませんでしょうから、一旦外に出てからソファにでも、お座りになりませんか」
そう言えば、トラヴィスは一瞬黙り込んだ。そうして彼はゆっくりと自分の手を口から離した。
「おい」
今まで震えていたのが嘘のように、明瞭な話し方になった。そして落ち着いて話せば、兄であるセルゲイよりずっと低い声だった。
「お前は魔女だろう」
「まさか! 魔女ではありません」
「魔女に違いない。どうしてか俺はお前と話していても……その、具合が悪くならない」
私は目を見開いた。
(……話すだけで具合が悪くなる……? でもとりあえず今は――)
「この部屋でご不快でなければ、こちらの椅子にお座りください。今、厨房にいって温かい飲み物を取ってまいります。甘いものはお嫌いではないですか?」
「あ、甘いの? は嫌いではないがそんなには……」
まだどこかぼんやりしているようにも見えるトラヴィスは杖をついて歩いてきて、素直に私が言った通りに椅子に座った。私の勢いにおされたのもあるだろうが、おそらく足も限界だったのに違いない。身体はもう震えていないが、足は私でも確認できるくらい、がくがくと揺れていた。
「わかりました。いいですか、扉をあけていきますので、新鮮な空気は入ってきます。……女、の部屋ですが、廊下とつながっていることをお忘れなく。深呼吸を心がけてください。――倒れられたら困りますので」
我に返った彼がパニックにならないように念の為そう言い置き、私は足早に厨房に向かった。
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