転生したら、最推しキャラの弟に執着された件。 〜猫憑き!?氷の騎士が離してくれません〜

椎名さえら

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6.セルゲイ=エヴァンスとの話し合い

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 ちょうどそこへノックの音が響き、まだ年若いメイドがバーカートに乗せてティーセットを運んできた。さすがアイヴィー・エンドのメイド、手際よく、ほとんど物音も立てずに準備をする。辺りを紅茶の良い香りが漂い、推しの前で緊張している私はほっと息をついた。

(ふう……この香りはアールグレイかしら)

 三段のアフタヌーンティースタンドにはスコーンやショートブレッドなどが置かれている。紅茶を運んできたメイドが去ると、セルゲイが私に尋ねた。

「人払いをしたいのだが、いいだろうか? 少しの間、内密の話をさせてもらいたい。貴女の不利益になることはしないと誓う」

 これ以上なく丁寧に尋ねてくれ、もちろんだと頷く。そもそも今はもう貴族令嬢ではないのだから、気にするべき評判など私にはない。

「君たち、そういうことになった。何か必要があれば呼び鈴を鳴らす」

 それまで部屋の壁ぎわに立っていた使用人たちが心得たように一斉に退出した。扉が閉まると、それを合図にしたかのようにセルゲイが私に向き直った。

「さて、ユーリさん」

 それまでの穏やかさは一気に消えさり、冷静な目つきで私を見すえた。

「貴女が侯爵令嬢だったと見込んで、ここからの話は他言無用でお願いする」

 鋭い刃のような口調に、私はぞくぞくっとした。

(そう、これよ……! セルゲイの良さは……!)

 作中でもセルゲイは、ヒロインであるアンジェリカのために、裏で暗躍するシーンがある。アンジェリカに振られてしまった後、彼は彼女の幸せだけを考えて生きている。だから、アンジェリカがスタングリードと結ばれるために余計な動きをする貴族たちを裏で妨害するのだ。犯罪までは犯さないが、秘密裏に行動する。他の誰にも感づかせない賢さと仄暗さがこの男性には備わっている。

 一途で誠実なヒーローも素敵だと思うが、やはりセルゲイくらいの人間味の濃いキャラに、私は惹かれる。これは好みの問題だ。
 
 とにかく彼は間違いなく切れ者なのだ。その姿を垣間見れて、私は内心喜んだ。しかし顔の表情にはそれを出さないよう気をつけながら、重々しく頷いた。

「もちろん。それに治療師には守秘義務がございますからどうぞご信頼いただければ」

 その答えはどうやら合格点だったらしく、セルゲイに再び人当たりの良さが戻ってきた。彼は今度は私を自分の目的のために籠絡しようとしている。

(この二面性にもぞくぞくするな……。推しの威力ってすごい)

 セルゲイの口元が笑みのようなものを作った。

「そうだな――貴女を信じよう。弟は王宮を警護する騎士だったのだが、ある陰謀に巻き込まれて、右足と顔に大怪我を負った」

 トラヴィスは別名『氷の騎士』と呼ばれていた。涼し気な見た目と、何でも鋭く切り裂くようなそんな腕を持つ騎士だったからだそうだ。

 そのトラヴィスが数ヶ月前、ある陰謀にまきこまれた令嬢の護衛をしているときに、返り討ちにあった。普段の彼であれば絶対に遅れをとらないというのに、あまりにも卑劣な方法だったらしい。そう話す時のセルゲイは憤慨と悔しさを隠しきれていなかった。
 
「返り討ちということは――剣で?」

 セルゲイは一瞬黙った。

「いや、剣も使われていたが、ハンマーも……何しろ罠にはめられて、多勢に無勢の状況のようだったから」

 口ごもるセルゲイに、私は怪我の様子を察した。大怪我だというのは大げさでもなんでもなく、まだ十分に傷は癒えていないのに違いない。

「ここからは内密の話だが、トラヴィスは人を選ぶ。仕事中や表向きはどうという顔をしていないがなかなか人を寄せ付けないのだ」

 私は頷いた。リハビリを必要とするような怪我や事故にあった患者さんが、治療師とはいえ人と距離をおきたがることはないわけではないから、理解できた。

「はい」

「特に女性には拒否反応が出るようで……。決して仮病ではない。ただ、その時は我慢できても、後で辛くなることもある。まったくの健康体であるというのにも関わらず」

(まったくの健康体であるというのにも関わらず……? 精神的なもの、ということよね)

 だがセルゲイは、それ以上理由について語るつもりはなさそうだ。

(私には話したくないと思っているのか、――話せないのか、どちらだろう)

「はい」

 再び私がただ頷けば、セルゲイの表情は満足そうなものに変わった。

「それでも私は貴女にトラヴィスを診てもらいたいと思っている。どうしても、弟には元気になってもらいたいのでね」

 弟のトラヴィスの名前を出す度に、セルゲイの瞳に宿るのは温かさだ。彼は本当に弟を大事にし、だからこそ心配しているのだろう。

 それからセルゲイは、自分の使用人たちが街の食堂に行った時に私の噂を聞きつけたと口にした。

「その食堂の奥さんが、足を痛めたらしいのだが貴女のリハビリのお陰で完治したと話していたらしい。しかもその場にいた他の人達も、貴女のことを褒め称えていたとか。心当たり、あるだろうか?」

(あれ、それってもしかして……?)

 もしかして、アガサさんの食堂だろうか。アガサさんの食堂は街一番といってもいいほどの人気店だからありえない話ではない。あれからアガサさんは順調に回復して、今では怪我以前と遜色なく動けている。

「はい、きっとアガサ亭のことかな、と存じますが違いますか?」

 セルゲイは少しだけ驚いたかのように顎をひいた。

「わかるものなんだな。ご明察だ」

 アガサさんについて思えば、私の顔には自然と笑みが浮かんだ。それに他の患者さんも。アガサ亭の常連の患者さんといえば、何人かすぐに思い浮かんだ。

「ええ。皆さんにすごく良くしていただいていますから」

 私がそう答えると、セルゲイが少しだけ首を横に倒した。

「良くしていただいている? 治療師なんだから君が面倒をみているのでは?」

「ああ、もちろんそれはそうなのですが……、でも私が平民になった時に優しくみなさんが受け入れてくれたからこそ、ですので」

 セルゲイの瞳がそこで初めて、興味深いものをみた、とも言わんばかりに見開かれた。セルゲイは根っからの貴族だから――特権階級意識は強いはずだ。それはセルゲイの人間性には関係なく、この国の貴族として育つ間に培われているいわば“常識”である。
 私はクラウディアとしての記憶が残っているから、そう断言できる。

「貴女は、侯爵令嬢だった……で間違いないね?」

 その質問に含まれていたのは、今までとはぜんぜん違う、セルゲイの混じり気なしの興味だった。

「はい。サットン侯爵家で生まれ育ちました」

「そう、だよな……。貴女の仕草はすべて貴族らしい――でも人に感謝する、と? それも平民に?」

 私は思わず苦笑した。
 途端、セルゲイの眉間に小さく皺が寄った。

「ごめんなさい、不作法を謝罪いたします。でも――違うんです、私はもう“平民”なんですよ」

 そう指摘すれば、セルゲイが居心地悪そうに顔を少しだけ歪めた。

「それは分かっている。だが、貴女は生まれが平民というわけではないだろう」

 私がしばらく答えを逡巡していると、セルゲイが眉を上げた。

「言いたいことがあったら言ってくれたまえ。ここには貴女と私以外いないのだから。大丈夫、不敬罪なんて問わないよ」

 不敬罪云々はセルゲイの冗談だろう。そのまま彼は真面目な顔で私の答えを待っていてくれた。しばらくして心を決めた私はようやく口を開く。 

「まぁ、生まれが平民ではないことは否定しません。……ですが家は没落しましたし、両親は遠方におります。私は働かないと、生きていけません。そんな中、今、私を支えてくださっている人たちに感謝して大切にするのは当然かなと考えます。その方たちの生まれながらの身分なんて、私には些細なことです」 

 私が言いきると、セルゲイは口元をぎゅっと引き締めた。

(ご気分を悪くされたかしら?)

 セルゲイが思いの丈を話せ、と言ってくれたのもあるが、私は後悔していなかった。
 あれだけ親切にしてくれた、フォスター先生やメグを始め、アガサさんなどを平民だからという理由で私が貶めるような発言は、たとえ彼らがこの場にいないとしても口にしたくなかった。
 
 セルゲイが激怒して屋敷を出ていけ、と言えばそれに従うつもりだ。そこで背筋をぴんと伸ばして、彼の瞳を静かに見つめた。

 やがて予想外のことが起こった。

 セルゲイが、ふっと顔を緩めたのである。
 そして、そのまま微笑んだ。

(これは、間違いなく、心からの笑顔だわ……!)

 今までのどこか抜け目ない表情でも、籠絡しようと浮かべている感じの良い笑みでもない。セルゲイの心からの笑顔は、彼を屈託なく、近寄りやすい存在のように見せた。

「なるほど、貴方が信頼に足る治療師であるということがよく伝わってきた。そして謝罪しよう。私の想像力が足りなかった」

 私は首を横に振った。

「そんな、とんでもない。すみません、お言葉に甘えて出過ぎたことを申しました」

「ふふ、いいのだよ。なかなか普段自分に意見を面と向かって言ってくれる女性はいないので、新鮮だった。それに貴女の考えには、とても興味を惹かれるな」

「そう言って頂けて幸いです」

(さすが……器が大きい……。でも今後は発言には気をつけなきゃ)

 セルゲイは、そこでしばらく黙った。

「やはり貴女みたいな人に弟を診てもらいたいな。何人もの医師に診せても一向に良くならない。だから藁にもすがる思いで貴方のことを調べさせてもらったら、あのフォスター先生の専属治療師で、リハビリ専門だという。しかも、元貴族という経歴――この人しかいない、とすぐに便りを送った次第だ」

 フォスター先生は平民と貴族の両方を丁寧に診る数少ない医師として王都では有名だ。セルゲイが先生の名前を知っていてもおかしくはない。

 そこで初めてセルゲイは目の前のローテーブルに置いてある紅茶に手を伸ばして、ごくりと一口飲んだ。そんな些細な仕草すら優美である。

 私の腕に期待してくれているのはとても嬉しいが、やはり気になるのは――。

「ですが……その、人と触れ合うのが苦手ならば、治療はやはり難しいのでは?」

 セルゲイもすぐさま肯定した。

「そうだな。治療となると距離も近いだろうし、一緒に過ごす時間も長くなる……。それに貴女が若いのは分かっていたが、こんなに美しいとは思っていなかった。これではトラヴィスは余計に警戒するかもしれないな」

 私はぽかんとした。

「え、美しい……?」
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