3 / 33
2.転生令嬢、居候になる
しおりを挟む
それからしばらくして、王都の片隅で。
すっかり庶民の生活に馴染み、それに伴い名前も変えた私はフォスター先生の診療所で充実した時間を過ごしていた。
今の私は、クラウディア=サットンではなく、ただのユーリと呼ばれている。自分でこの名前を決めた。
ユーリにしたのは、もちろん転生前の名前とほぼ同じだからだ。ユーリと呼んでもらえることで、失ってしまった自分を少しだけ取り戻せる気がする。
☆
「えええっ! 我が家で雇って欲しいって……お嬢様、本気ですか?」
初めてフォスター先生の診療所を訪れた日。既に診療時間は終了しており、人気のない診察室で、丸っこい眼鏡をかけたフォスター先生は、せわしなく眼鏡のつるを触りながら、明らかに困惑していた。
「はい。最初は父は違う仕事を、と思っていたようですが、私がフォスター先生の元に来たいと頼みました。今では父も納得してくれています」
父が当初考えていたシャペロンであれ、家庭教師であれ、上級とはいえ要は使用人階級だ。それであれば両親からしたら、フォスター先生の元で働いていても大差はない。
しかし私にとっては違う。
やはり興味がある仕事に携わりたいのだ。
「確かに手紙にもそう書いてありますね……」
予想はしていたが、歓迎はされていないようだ。
私はスカートの部分をぎゅっと握りしめた。
今日着ているのは、貴族令嬢らしいフリルのたくさんついた豪華なものではなく、先生の隣に座っている奥さんが着ているようなごくシンプルなものだ。――我が家が没落したのは、れっきとした事実なのである。
「もちろん、お嬢様が聡明でいらっしゃるのは存じております。でも間違いなく、想像の何倍よりも過酷ですよ……? この診療所に出入りするだけで、ご自身が病気に伝染られる可能性だって、普通に暮らしておられるよりぐんとあがりますし……」
「承知しています」
余計なことは言わず、理解していると告げた。そのままじっと先生と奥さんであるメグを見つめた。
二人のうち、先に微笑んでくれたのはメグだった。
「ジョージ、ここまでおっしゃっているのだから、受け入れましょう」
メグとは今日初めて対峙したが、はきはきとした話し方に好感を持った。しかし、思いきりのよい妻とは対照的に先生は、困ったなぁという内心の思いを隠しきれていない顔で、頭をかいた。
「うーん、確かに診療所は猫の手を借りたいほど忙しいから助かるけれど……。しかしお嬢様に何かあったら私は侯爵様に申し訳がたたないよ」
メグは先生より現実的だった。
「でもジョージ。お話によればお嬢様はもう行くあてがないのではなくて?」
「うぅむ……、それは、そうだ」
唸るようにフォスター先生が同意した。
「ね。私達が受け入れることで、お嬢様を助けることが出来るのよ? まずは私の手伝いをしていただくというのはどうかしら。そうしたら常に患者さんの近くにいるわけでもないし」
メグが諭すように夫に言えば、先生も覚悟を決めたようだった。やり取りを通して、二人の間に通っている、確かな信頼関係が感じられ、とても素敵な夫婦だと思った。きっと彼らの診療所は温かい空気に満ちているのに違いない。
(やはりこの診療所で働きたい)
私は一層その思いを強くした。
フォスター先生が私に向かって頷く。
「わかりました。お嬢様、ではまずはメグとともに仕事をしてみてください。もちろん、辛かったらいつでも、私かメグにご相談くださいね」
私からこの診療所を辞めることはないだろう、と思ったが、今そんなことを言うのは時期尚早だ。感謝の意味をこめて、心からの笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、フォスター先生、メグさん。その決断を後悔させませんわ」
それからクラウディアではなく、ユーリという名前で呼んでくれるように頼んだ。クラウディア=サットンは、もうこの世にはいないのだ。
「ユーリ……?」
フォスター先生の表情は、とまどい以外の何ものでもなかった。
「はい。サットン家は没落いたしましたので、名前を変えたいと思います。先生、どうぞそのように扱ってください」
そう答えると、私の覚悟が伝わったのか先生はようやくすっきりしたような顔になった。
「わかりました。では……ユーリさん、今日からよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
こうして私はフォスター先生の診療所で働くことが許された。
まずは診療前の掃除や、受付業務などメグが主に担っている仕事を手伝うこととなった。また、診療所の向かい側にある家にフォスター先生とメグは住んでいた。メグが是非、と言ってくれたので彼らの家の空き部屋に居候させてもらうことにした。思っていた通りメグとは気が合い、共同生活はまったく苦ではなかった。
この国における平民の生活は、記憶にある日本での生活とそこまで変わらなかった。水道システムがあり、ぬるいけれどお湯もふんだんに使えて、水洗トイレも完備だ。電気はないが、信じられないことに、ガスも通っていた。これではチートな世界観、と言われるわけだ。だが私にとってはありがたいとしか言いようがない。
くわえて、診療所があるのが町中ということもあり、市場や繁華街に歩いていけるからすごく便利だった。両親がなけなしのお金を置いていってくれたので、それで必需品を買い揃えた。一度、フォスター先生に家賃を支払おうとしたら、居候なのだから受け取れないと固辞された。
「でも……」
「ユーリさんは十分働いてくれています。ですから、そのお金は他のことにお使いください」
フォスター先生はやはり優しかった。
すっかり庶民の生活に馴染み、それに伴い名前も変えた私はフォスター先生の診療所で充実した時間を過ごしていた。
今の私は、クラウディア=サットンではなく、ただのユーリと呼ばれている。自分でこの名前を決めた。
ユーリにしたのは、もちろん転生前の名前とほぼ同じだからだ。ユーリと呼んでもらえることで、失ってしまった自分を少しだけ取り戻せる気がする。
☆
「えええっ! 我が家で雇って欲しいって……お嬢様、本気ですか?」
初めてフォスター先生の診療所を訪れた日。既に診療時間は終了しており、人気のない診察室で、丸っこい眼鏡をかけたフォスター先生は、せわしなく眼鏡のつるを触りながら、明らかに困惑していた。
「はい。最初は父は違う仕事を、と思っていたようですが、私がフォスター先生の元に来たいと頼みました。今では父も納得してくれています」
父が当初考えていたシャペロンであれ、家庭教師であれ、上級とはいえ要は使用人階級だ。それであれば両親からしたら、フォスター先生の元で働いていても大差はない。
しかし私にとっては違う。
やはり興味がある仕事に携わりたいのだ。
「確かに手紙にもそう書いてありますね……」
予想はしていたが、歓迎はされていないようだ。
私はスカートの部分をぎゅっと握りしめた。
今日着ているのは、貴族令嬢らしいフリルのたくさんついた豪華なものではなく、先生の隣に座っている奥さんが着ているようなごくシンプルなものだ。――我が家が没落したのは、れっきとした事実なのである。
「もちろん、お嬢様が聡明でいらっしゃるのは存じております。でも間違いなく、想像の何倍よりも過酷ですよ……? この診療所に出入りするだけで、ご自身が病気に伝染られる可能性だって、普通に暮らしておられるよりぐんとあがりますし……」
「承知しています」
余計なことは言わず、理解していると告げた。そのままじっと先生と奥さんであるメグを見つめた。
二人のうち、先に微笑んでくれたのはメグだった。
「ジョージ、ここまでおっしゃっているのだから、受け入れましょう」
メグとは今日初めて対峙したが、はきはきとした話し方に好感を持った。しかし、思いきりのよい妻とは対照的に先生は、困ったなぁという内心の思いを隠しきれていない顔で、頭をかいた。
「うーん、確かに診療所は猫の手を借りたいほど忙しいから助かるけれど……。しかしお嬢様に何かあったら私は侯爵様に申し訳がたたないよ」
メグは先生より現実的だった。
「でもジョージ。お話によればお嬢様はもう行くあてがないのではなくて?」
「うぅむ……、それは、そうだ」
唸るようにフォスター先生が同意した。
「ね。私達が受け入れることで、お嬢様を助けることが出来るのよ? まずは私の手伝いをしていただくというのはどうかしら。そうしたら常に患者さんの近くにいるわけでもないし」
メグが諭すように夫に言えば、先生も覚悟を決めたようだった。やり取りを通して、二人の間に通っている、確かな信頼関係が感じられ、とても素敵な夫婦だと思った。きっと彼らの診療所は温かい空気に満ちているのに違いない。
(やはりこの診療所で働きたい)
私は一層その思いを強くした。
フォスター先生が私に向かって頷く。
「わかりました。お嬢様、ではまずはメグとともに仕事をしてみてください。もちろん、辛かったらいつでも、私かメグにご相談くださいね」
私からこの診療所を辞めることはないだろう、と思ったが、今そんなことを言うのは時期尚早だ。感謝の意味をこめて、心からの笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、フォスター先生、メグさん。その決断を後悔させませんわ」
それからクラウディアではなく、ユーリという名前で呼んでくれるように頼んだ。クラウディア=サットンは、もうこの世にはいないのだ。
「ユーリ……?」
フォスター先生の表情は、とまどい以外の何ものでもなかった。
「はい。サットン家は没落いたしましたので、名前を変えたいと思います。先生、どうぞそのように扱ってください」
そう答えると、私の覚悟が伝わったのか先生はようやくすっきりしたような顔になった。
「わかりました。では……ユーリさん、今日からよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
こうして私はフォスター先生の診療所で働くことが許された。
まずは診療前の掃除や、受付業務などメグが主に担っている仕事を手伝うこととなった。また、診療所の向かい側にある家にフォスター先生とメグは住んでいた。メグが是非、と言ってくれたので彼らの家の空き部屋に居候させてもらうことにした。思っていた通りメグとは気が合い、共同生活はまったく苦ではなかった。
この国における平民の生活は、記憶にある日本での生活とそこまで変わらなかった。水道システムがあり、ぬるいけれどお湯もふんだんに使えて、水洗トイレも完備だ。電気はないが、信じられないことに、ガスも通っていた。これではチートな世界観、と言われるわけだ。だが私にとってはありがたいとしか言いようがない。
くわえて、診療所があるのが町中ということもあり、市場や繁華街に歩いていけるからすごく便利だった。両親がなけなしのお金を置いていってくれたので、それで必需品を買い揃えた。一度、フォスター先生に家賃を支払おうとしたら、居候なのだから受け取れないと固辞された。
「でも……」
「ユーリさんは十分働いてくれています。ですから、そのお金は他のことにお使いください」
フォスター先生はやはり優しかった。
24
お気に入りに追加
731
あなたにおすすめの小説

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…?
※他サイトでも掲載中しております。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。

美人な姉と『じゃない方』の私
LIN
恋愛
私には美人な姉がいる。優しくて自慢の姉だ。
そんな姉の事は大好きなのに、偶に嫌になってしまう時がある。
みんな姉を好きになる…
どうして私は『じゃない方』って呼ばれるの…?
私なんか、姉には遠く及ばない…

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました
さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。
私との約束なんかなかったかのように…
それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。
そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね…
分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!


踏み台(王女)にも事情はある
mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。
聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。
王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~
瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)
ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。
3歳年下のティーノ様だ。
本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。
行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。
なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。
もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。
そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。
全7話の短編です 完結確約です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる