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2.転生令嬢、居候になる
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それからしばらくして、王都の片隅で。
すっかり庶民の生活に馴染み、それに伴い名前も変えた私はフォスター先生の診療所で充実した時間を過ごしていた。
今の私は、クラウディア=サットンではなく、ただのユーリと呼ばれている。自分でこの名前を決めた。
ユーリにしたのは、もちろん転生前の名前とほぼ同じだからだ。ユーリと呼んでもらえることで、失ってしまった自分を少しだけ取り戻せる気がする。
☆
「えええっ! 我が家で雇って欲しいって……お嬢様、本気ですか?」
初めてフォスター先生の診療所を訪れた日。既に診療時間は終了しており、人気のない診察室で、丸っこい眼鏡をかけたフォスター先生は、せわしなく眼鏡のつるを触りながら、明らかに困惑していた。
「はい。最初は父は違う仕事を、と思っていたようですが、私がフォスター先生の元に来たいと頼みました。今では父も納得してくれています」
父が当初考えていたシャペロンであれ、家庭教師であれ、上級とはいえ要は使用人階級だ。それであれば両親からしたら、フォスター先生の元で働いていても大差はない。
しかし私にとっては違う。
やはり興味がある仕事に携わりたいのだ。
「確かに手紙にもそう書いてありますね……」
予想はしていたが、歓迎はされていないようだ。
私はスカートの部分をぎゅっと握りしめた。
今日着ているのは、貴族令嬢らしいフリルのたくさんついた豪華なものではなく、先生の隣に座っている奥さんが着ているようなごくシンプルなものだ。――我が家が没落したのは、れっきとした事実なのである。
「もちろん、お嬢様が聡明でいらっしゃるのは存じております。でも間違いなく、想像の何倍よりも過酷ですよ……? この診療所に出入りするだけで、ご自身が病気に伝染られる可能性だって、普通に暮らしておられるよりぐんとあがりますし……」
「承知しています」
余計なことは言わず、理解していると告げた。そのままじっと先生と奥さんであるメグを見つめた。
二人のうち、先に微笑んでくれたのはメグだった。
「ジョージ、ここまでおっしゃっているのだから、受け入れましょう」
メグとは今日初めて対峙したが、はきはきとした話し方に好感を持った。しかし、思いきりのよい妻とは対照的に先生は、困ったなぁという内心の思いを隠しきれていない顔で、頭をかいた。
「うーん、確かに診療所は猫の手を借りたいほど忙しいから助かるけれど……。しかしお嬢様に何かあったら私は侯爵様に申し訳がたたないよ」
メグは先生より現実的だった。
「でもジョージ。お話によればお嬢様はもう行くあてがないのではなくて?」
「うぅむ……、それは、そうだ」
唸るようにフォスター先生が同意した。
「ね。私達が受け入れることで、お嬢様を助けることが出来るのよ? まずは私の手伝いをしていただくというのはどうかしら。そうしたら常に患者さんの近くにいるわけでもないし」
メグが諭すように夫に言えば、先生も覚悟を決めたようだった。やり取りを通して、二人の間に通っている、確かな信頼関係が感じられ、とても素敵な夫婦だと思った。きっと彼らの診療所は温かい空気に満ちているのに違いない。
(やはりこの診療所で働きたい)
私は一層その思いを強くした。
フォスター先生が私に向かって頷く。
「わかりました。お嬢様、ではまずはメグとともに仕事をしてみてください。もちろん、辛かったらいつでも、私かメグにご相談くださいね」
私からこの診療所を辞めることはないだろう、と思ったが、今そんなことを言うのは時期尚早だ。感謝の意味をこめて、心からの笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、フォスター先生、メグさん。その決断を後悔させませんわ」
それからクラウディアではなく、ユーリという名前で呼んでくれるように頼んだ。クラウディア=サットンは、もうこの世にはいないのだ。
「ユーリ……?」
フォスター先生の表情は、とまどい以外の何ものでもなかった。
「はい。サットン家は没落いたしましたので、名前を変えたいと思います。先生、どうぞそのように扱ってください」
そう答えると、私の覚悟が伝わったのか先生はようやくすっきりしたような顔になった。
「わかりました。では……ユーリさん、今日からよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
こうして私はフォスター先生の診療所で働くことが許された。
まずは診療前の掃除や、受付業務などメグが主に担っている仕事を手伝うこととなった。また、診療所の向かい側にある家にフォスター先生とメグは住んでいた。メグが是非、と言ってくれたので彼らの家の空き部屋に居候させてもらうことにした。思っていた通りメグとは気が合い、共同生活はまったく苦ではなかった。
この国における平民の生活は、記憶にある日本での生活とそこまで変わらなかった。水道システムがあり、ぬるいけれどお湯もふんだんに使えて、水洗トイレも完備だ。電気はないが、信じられないことに、ガスも通っていた。これではチートな世界観、と言われるわけだ。だが私にとってはありがたいとしか言いようがない。
くわえて、診療所があるのが町中ということもあり、市場や繁華街に歩いていけるからすごく便利だった。両親がなけなしのお金を置いていってくれたので、それで必需品を買い揃えた。一度、フォスター先生に家賃を支払おうとしたら、居候なのだから受け取れないと固辞された。
「でも……」
「ユーリさんは十分働いてくれています。ですから、そのお金は他のことにお使いください」
フォスター先生はやはり優しかった。
すっかり庶民の生活に馴染み、それに伴い名前も変えた私はフォスター先生の診療所で充実した時間を過ごしていた。
今の私は、クラウディア=サットンではなく、ただのユーリと呼ばれている。自分でこの名前を決めた。
ユーリにしたのは、もちろん転生前の名前とほぼ同じだからだ。ユーリと呼んでもらえることで、失ってしまった自分を少しだけ取り戻せる気がする。
☆
「えええっ! 我が家で雇って欲しいって……お嬢様、本気ですか?」
初めてフォスター先生の診療所を訪れた日。既に診療時間は終了しており、人気のない診察室で、丸っこい眼鏡をかけたフォスター先生は、せわしなく眼鏡のつるを触りながら、明らかに困惑していた。
「はい。最初は父は違う仕事を、と思っていたようですが、私がフォスター先生の元に来たいと頼みました。今では父も納得してくれています」
父が当初考えていたシャペロンであれ、家庭教師であれ、上級とはいえ要は使用人階級だ。それであれば両親からしたら、フォスター先生の元で働いていても大差はない。
しかし私にとっては違う。
やはり興味がある仕事に携わりたいのだ。
「確かに手紙にもそう書いてありますね……」
予想はしていたが、歓迎はされていないようだ。
私はスカートの部分をぎゅっと握りしめた。
今日着ているのは、貴族令嬢らしいフリルのたくさんついた豪華なものではなく、先生の隣に座っている奥さんが着ているようなごくシンプルなものだ。――我が家が没落したのは、れっきとした事実なのである。
「もちろん、お嬢様が聡明でいらっしゃるのは存じております。でも間違いなく、想像の何倍よりも過酷ですよ……? この診療所に出入りするだけで、ご自身が病気に伝染られる可能性だって、普通に暮らしておられるよりぐんとあがりますし……」
「承知しています」
余計なことは言わず、理解していると告げた。そのままじっと先生と奥さんであるメグを見つめた。
二人のうち、先に微笑んでくれたのはメグだった。
「ジョージ、ここまでおっしゃっているのだから、受け入れましょう」
メグとは今日初めて対峙したが、はきはきとした話し方に好感を持った。しかし、思いきりのよい妻とは対照的に先生は、困ったなぁという内心の思いを隠しきれていない顔で、頭をかいた。
「うーん、確かに診療所は猫の手を借りたいほど忙しいから助かるけれど……。しかしお嬢様に何かあったら私は侯爵様に申し訳がたたないよ」
メグは先生より現実的だった。
「でもジョージ。お話によればお嬢様はもう行くあてがないのではなくて?」
「うぅむ……、それは、そうだ」
唸るようにフォスター先生が同意した。
「ね。私達が受け入れることで、お嬢様を助けることが出来るのよ? まずは私の手伝いをしていただくというのはどうかしら。そうしたら常に患者さんの近くにいるわけでもないし」
メグが諭すように夫に言えば、先生も覚悟を決めたようだった。やり取りを通して、二人の間に通っている、確かな信頼関係が感じられ、とても素敵な夫婦だと思った。きっと彼らの診療所は温かい空気に満ちているのに違いない。
(やはりこの診療所で働きたい)
私は一層その思いを強くした。
フォスター先生が私に向かって頷く。
「わかりました。お嬢様、ではまずはメグとともに仕事をしてみてください。もちろん、辛かったらいつでも、私かメグにご相談くださいね」
私からこの診療所を辞めることはないだろう、と思ったが、今そんなことを言うのは時期尚早だ。感謝の意味をこめて、心からの笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、フォスター先生、メグさん。その決断を後悔させませんわ」
それからクラウディアではなく、ユーリという名前で呼んでくれるように頼んだ。クラウディア=サットンは、もうこの世にはいないのだ。
「ユーリ……?」
フォスター先生の表情は、とまどい以外の何ものでもなかった。
「はい。サットン家は没落いたしましたので、名前を変えたいと思います。先生、どうぞそのように扱ってください」
そう答えると、私の覚悟が伝わったのか先生はようやくすっきりしたような顔になった。
「わかりました。では……ユーリさん、今日からよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
こうして私はフォスター先生の診療所で働くことが許された。
まずは診療前の掃除や、受付業務などメグが主に担っている仕事を手伝うこととなった。また、診療所の向かい側にある家にフォスター先生とメグは住んでいた。メグが是非、と言ってくれたので彼らの家の空き部屋に居候させてもらうことにした。思っていた通りメグとは気が合い、共同生活はまったく苦ではなかった。
この国における平民の生活は、記憶にある日本での生活とそこまで変わらなかった。水道システムがあり、ぬるいけれどお湯もふんだんに使えて、水洗トイレも完備だ。電気はないが、信じられないことに、ガスも通っていた。これではチートな世界観、と言われるわけだ。だが私にとってはありがたいとしか言いようがない。
くわえて、診療所があるのが町中ということもあり、市場や繁華街に歩いていけるからすごく便利だった。両親がなけなしのお金を置いていってくれたので、それで必需品を買い揃えた。一度、フォスター先生に家賃を支払おうとしたら、居候なのだから受け取れないと固辞された。
「でも……」
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フォスター先生はやはり優しかった。
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