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20.【光線】
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帝国首都ツァーリの十八にも及ぶ区画が大魔女によって消し炭に変えられてから一年、帝国歴十四年の春。居住区の三割、倉庫の二割、工区の三割を失った傷も癒えぬままに、帝国はルシス首都への侵攻を開始した。
大魔女によって被った損害は確実に帝国の進軍を遅らせ、かたや一年近くの猶予期間を得たルシスは、首都眼前に広がるカル盆地へ普請を済ませていた。東西にそびえるレル山脈に囲まれた盆地にて、満足とは言えないもののしかし出来うる限りの石垣や土塁を設け帝国を迎え撃つ準備を進めていた。
痛み付けた死屍を積み上げても尚、戦乙女による光線の情報を得られなかった帝国は、今日までの戦局において最後まで姿を現さなかった根拠を持って、一度切りの異能または精々残り一射が限度と思われるとの仮説を元に布陣。ルシス本国のある北方、または背後南方からの戦乙女の一射を想定し、部隊を東西の横に拡げた鶴翼の陣で構え、極力縦方向に人員が固まらないよう前進を開始した。
開戦から半刻、陽が頂点に達し、盆地へ落ちる山脈の陰が消え去る頃、目論見通り、物量でルシスを押し退け着実に帝国の軍靴がルシスの首都へと迫る。もはや戦場は古から脈々と続いた人間同士の闘争へと回帰しており、疎らに報告の上がったルシスの超越者らも、一時の押し引きの主因と成るに留まり、数と武具に勝る帝国に一人ずつ斬られ、射られ、血でぬかるんだ盆地へと沈んでいった。剣聖や大魔女のような理を超える殺傷力を持った超越者はルシスに残されてはいなかった。
しかし丹念に三尺近くまで積み上げられた土塁はルシス兵にとっての防壁になると同時に、帝国にとっては厄介な目隠しであり、併設された塹壕は迷路でもあった。帝国が兵量に任せて強引に戦線を上げると、ルシス兵は事前の演習通りに塹壕内で後退し、いつのまにか背後を取られて包囲されている帝国の部隊も散見された。
また攻め入る側の帝国兵らは飛び交う矢から身を守るための重装を身に着けている兵も多く、積み上げられた土塁に歩を阻まれ、ぬかるんだ塹壕には足を滑らせ、思うように前線を進められずにいたが、その歩詰まりを軽装の帝国戦奴らが切り開いていく。
潮時を見極め負傷兵を引きずりながらも統制的に塹壕内を後退するルシス兵。
殺さなければ殺される。恐慌に陥った戦奴は、例え剣を捨てて戦場を離れようとするルシス兵相手であっても鎧の肩上を泥に塗れた腕で掴み倒し、晒された首筋へ短刀を抉り込ませる。ルシス兵の絶叫がどす黒い体液にゴボゴボと溺れ沈んでも尚、短剣は動脈を裂き椎骨を拉げ、何度も何度も振り下ろされた。
そして戦奴らを背後から駆り立てる帝国重装兵は、赤く染まった泥水に塗れる塹壕を前に、飛び込みを躊躇う戦奴らの背中を蹴り~時には斬り~死地へと憐れな奴隷達を送り込む。
凄惨な死線は徐々にルシスの塹壕を縫い進み、帝国兵らが怒涛の進軍に士気を高める中、前線の後方、レル山脈の麓より戦局を覗っていた軍参謀ラピスは心中を微かに乱す一筋の違和感を覚えていた。
ルシスを挙げての一年がかりの普請、工兵や民衆を総動員した土木工事にしては守りが甘い。いや、甘いというよりも粗い。想定よりも帝国側の進軍が順調に進み過ぎていると。
それもルシスの防衛線は強固な領域と脆弱な領域が不自然に混在している。通常、土木施工や守護部隊の振り分けに際して、部位毎の質の差異は部隊全体を混乱に陥れる危険要因へと成りかねず、防衛能力の均一化こそが最終的には自軍に利するものだ。
それが戦局はどうか。東西の、陣形の両翼部分のルシスの防衛が堅牢である一方で中央の帝国側は快進撃を続けている。つまり先行している両翼に、頭部分である中央が追い付き始めている。帝国にとって悪い戦局ではない。元より絨毯殲滅で進軍する単純なれど最も効率の良い戦略なのだ。率いる兵が大軍になればなるほど、作戦は単純明快にしておくべき、というのがラピスの教義であった。
何も問題はない、そう訴えるラピスの頭脳に過る違和感。
やがて快進撃を続ける中央の部隊が、進軍を鈍らせている両翼の前線に追い付き、”横一線に”帝国軍が連なる。
ラピスにとって現況は想定の範疇に収まっている。その為の布石も準備している。にも拘わらず凪に努める心中に波紋を広げているのは一体何の不安なのか。
急ぎ中央に一時引き下がるよう伝令を送るラピスではあったが、伝令隊が先行する中央の部隊に到達するまでの時差が帝国にとって致命傷となった。
生体認証-静脈-success-指紋-success-生体電位-success-四肢運動情報-success
戦槍MTMS起動-success
SELFDP-running-000808error-前方に障害物-on error resume next-090125error-行使者危険範囲内-on all error resume next-success
照準-行使者を起点に西北西302-鉛直角誤差-5°修正-照度65327lux-大気温度64.4℉-気圧1013hPa-湿度54%-照準補正プロトコル誤差修正
砲口制退システム-online-拡張型PS複合防盾-online-耐反動補助外殻展開-success-逆噴射待機-インジェクション射出後0.005設定
出力制御モジュール-PS0003からPS0045までを放棄-閾値制限限定解除-拡張型PS複合防盾崩壊保護動力カット-主動力へバイパス-最大出力-マイクロ波流出保護皮膜拡張
warning-自壊蓋然性高-warning-保護被膜量不全-warning-耐反動補助外殻貫入深度不全-地盤強度不全-w-全ての警告を遮断
重イオン収束開始-running……13548/98940257
重イオン収束開始-running……7234586/98940257
重イオン収束開始-running……98940005/98940257
伝令が現着するまでの少しの暇、視界の右端、北東方向にラピスは瞳を運ぶ。
何かが光った。
海原に黄褐色の陽光が反射したかのような部分的な燈り。
記憶によぎるノスタルジックな夕日とは異なる青白い光沢。
盆地を囲む”レル山脈を奥手から抉るように”青と白のコントラストが放射され、ぐるぐると回転している。加速度的に回転を増す寒色がやがて薄水色の絢爛に変わる。
軍議で幾度も懸念された”東西方向から横薙ぎの”ヴァルキュリアの一射の可能性。非常識な偵察兵量を東西山中に展開していた筈の保険。ただし”山脈の向こうまで”は警戒範囲から除外している。
脳より先に身体が怖気づく。およそ自然環境が生み出す類でない浮世離れした色彩が逃走本能を横溢させる。
そしてかの薄水色を”恐慌の記憶として刻んでいた者”は絢爛に気付いたその時にはルシスへ対峙していた歩を反転させ、当惑に任せ後方へと駆け出す。しかし持ち場を離れた帝国兵らが三歩も逃げ足を踏み込む間も無く、直視することすら困難な光量に対して余りにも矮小な小高い射出音の後、山脈の中腹が突如巨大な顎を開き、莫大な体積を孕んでいた山相を穿ちながら、帝国の陣形を東から哭慟の一閃が蒸発させた。
"山脈越しに"撃たれたヴァルキュリアの一撃は帝国の三分の一に当たる兵力を刮ぎ取り、向かいの山脈にすらまるで砂山を抉るように容易くクレーターを作り上げ、その中心に赤黒い幾何学的な渦模様を刻んだ。
先までの激戦が幻だったかのように静謐に陥っていた戦場は、光線が彫り込んだ"境界"を隔て、歓喜と虚脱に分かたれた。一方は劣勢を覆した超越者を讃え、もう一方は眼前から友軍が根刮ぎ消失した事実を受け入れること叶わず、超越者との根源的な力の差異に戦意を喪失させて。
ほんの先まで指向的に動作していた帝国軍が、やがて四面に蠢き出す。
戦意喪失、敗走の兆候。
怒声を上げる将校の制止は余りにも無力で、我先に後退する将校すら散見される。
好機!
しかし虚脱群衆の中、帝国軍から一本の黒い鏃が突出する。ヴァルキュリアの放った閃光の余波。未だ熾火の燻る盆地が陽炎を湧き上げる中、突出する部隊。
黒騎重装兵部隊。
己が戦果のみをして一兵卒から叩き上げで帝国軍の頂点へ上り詰めた異端、帝国軍部主オニールが率いる精鋭部隊。
曰く、好機。好機。好機!
ニ射目は来ぬ。
防塁、土嚢、馬防柵は先の爆風で平地と成り下がっておる。
今こそありたけを尽くす時。
黒鋼の斧槍を掲げたオニールを先頭にした突然の突貫に慌てふためくのはルシス兵らだが、それ以上に驚嘆に呆けていたのは帝国兵らの方であった。あの閃光に自軍が壊滅的な損耗を受けた直後に"何故自軍の最高指揮官が我先に突撃しているのだ"と。
蜘蛛の子を散らすように散開しつつあった帝国軍の動きが南方から変化を迎える。オニール一人の狂気が大軍の敗走を止める。
馬上の軍部主は振り返らない。それは数々の死線を共に超えてきた黒騎部隊を信頼しているからではなく、他の帝国兵らの忠誠を信じているからでもなく、自らの嗅覚が戦局の分水嶺を嗅ぎ分ければただただ愚直に邁進するのみ。
南方の帝国軍から徐々にルシス方面へ向き直り出す。オニールの狂気に当てられた兵らが逃亡する戦奴らを"いつものように"斬りながら前進を始める。やがて狂気は図らずとも横一線の牧畜犬と化し、瓦解した戦線を立て直した。
オニールの突貫と同時刻、山脈を迂回し、自軍と合流を目指すヴァルキュリア、リンは再び進軍を開始した帝国軍に歯を軋ませながら速力を上げた。左右の近衛兵二人もリンに続く。帝国軍を横薙ぎに掃討する為に周到に用意した山道を蹄鉄が少気味の良い音を立てながら駆けていく。
一刻でも早く本陣へ合流し防衛線を立て直す必要があった。本来は壊滅損失を負った帝国と一時的であっても休戦状態へ持ち込む見通しであった。あれだけの大軍が浪費する資材を鑑みれば、持久戦に成らばもはや閃光の威光を失ったルシスにも一抹の勝機があったからだ。しかし大陸全土において最精鋭と名高い黒騎隊が直後に突貫してくるとは思いもよらなかった。オニールの判断は自然の理に反しているといっても良い、オカルトの域だ。
最早帝国は両の眼と両の耳を失い四肢を引き摺る死に体の獅子だ。
ただ、"獲物を嗅ぎ分ける嗅覚"がまだ残っている。
俯瞰的に見れば今はルシス側が有利な戦局だ。地の利も士気もある。兵量差も大きく縮まった。ただ緻密に組み上げた普請はオニールらを止められるだろうか。軍馬も兵も黒衣に統べたあの練兵集団を。
悲観を振り払い、息の上がった軍馬をもう少しだと追い込みながら、リンの視界へルシスの陣幕が小さく覗いてくる。盆地の北東、帝国の本陣とは対角線にある防衛中枢では、小さく何人かの人影が陣幕から出てリンらに手を振っているようだ。あれは優勢の為せる歓迎か、劣勢が為す焦燥なのか、前者であることを願いながらリンは無事に陣営へ帰還出来た喜びに近衛兵らを労おうと馬上から後方へ振り向いた。
そんな時だった。リンは進行方向の南東からガサガサと山林の茂みを掻き分ける草音が聞こえた気がした。
近づいてくる草音が纏った枯れ枝が割れる音。水溜まりを割る音は決して思い過ごしではない。
風の悪戯か、それとも中型の獣か。しかし草音はリンらの速力に付いて来るどころか、徐々に彼我の距離を圧縮し近付いて来ている。
リンは背に収めていた青く螺旋状に伸びた戦槍を抜いた。ヴァルキュリアたる象徴。ルシス救国の英雄たらしめる槍。
必然的にリンらの速力が落ち、尚接近する草音はやがて地面を高速に踏み抜く二足歩行の足音だとわかる。
ただその速さは決して"人間では無い"
リンは先の放出で傷んだ戦槍を強く握り締め、直後に訪れるであろう接敵に備えた。
大魔女によって被った損害は確実に帝国の進軍を遅らせ、かたや一年近くの猶予期間を得たルシスは、首都眼前に広がるカル盆地へ普請を済ませていた。東西にそびえるレル山脈に囲まれた盆地にて、満足とは言えないもののしかし出来うる限りの石垣や土塁を設け帝国を迎え撃つ準備を進めていた。
痛み付けた死屍を積み上げても尚、戦乙女による光線の情報を得られなかった帝国は、今日までの戦局において最後まで姿を現さなかった根拠を持って、一度切りの異能または精々残り一射が限度と思われるとの仮説を元に布陣。ルシス本国のある北方、または背後南方からの戦乙女の一射を想定し、部隊を東西の横に拡げた鶴翼の陣で構え、極力縦方向に人員が固まらないよう前進を開始した。
開戦から半刻、陽が頂点に達し、盆地へ落ちる山脈の陰が消え去る頃、目論見通り、物量でルシスを押し退け着実に帝国の軍靴がルシスの首都へと迫る。もはや戦場は古から脈々と続いた人間同士の闘争へと回帰しており、疎らに報告の上がったルシスの超越者らも、一時の押し引きの主因と成るに留まり、数と武具に勝る帝国に一人ずつ斬られ、射られ、血でぬかるんだ盆地へと沈んでいった。剣聖や大魔女のような理を超える殺傷力を持った超越者はルシスに残されてはいなかった。
しかし丹念に三尺近くまで積み上げられた土塁はルシス兵にとっての防壁になると同時に、帝国にとっては厄介な目隠しであり、併設された塹壕は迷路でもあった。帝国が兵量に任せて強引に戦線を上げると、ルシス兵は事前の演習通りに塹壕内で後退し、いつのまにか背後を取られて包囲されている帝国の部隊も散見された。
また攻め入る側の帝国兵らは飛び交う矢から身を守るための重装を身に着けている兵も多く、積み上げられた土塁に歩を阻まれ、ぬかるんだ塹壕には足を滑らせ、思うように前線を進められずにいたが、その歩詰まりを軽装の帝国戦奴らが切り開いていく。
潮時を見極め負傷兵を引きずりながらも統制的に塹壕内を後退するルシス兵。
殺さなければ殺される。恐慌に陥った戦奴は、例え剣を捨てて戦場を離れようとするルシス兵相手であっても鎧の肩上を泥に塗れた腕で掴み倒し、晒された首筋へ短刀を抉り込ませる。ルシス兵の絶叫がどす黒い体液にゴボゴボと溺れ沈んでも尚、短剣は動脈を裂き椎骨を拉げ、何度も何度も振り下ろされた。
そして戦奴らを背後から駆り立てる帝国重装兵は、赤く染まった泥水に塗れる塹壕を前に、飛び込みを躊躇う戦奴らの背中を蹴り~時には斬り~死地へと憐れな奴隷達を送り込む。
凄惨な死線は徐々にルシスの塹壕を縫い進み、帝国兵らが怒涛の進軍に士気を高める中、前線の後方、レル山脈の麓より戦局を覗っていた軍参謀ラピスは心中を微かに乱す一筋の違和感を覚えていた。
ルシスを挙げての一年がかりの普請、工兵や民衆を総動員した土木工事にしては守りが甘い。いや、甘いというよりも粗い。想定よりも帝国側の進軍が順調に進み過ぎていると。
それもルシスの防衛線は強固な領域と脆弱な領域が不自然に混在している。通常、土木施工や守護部隊の振り分けに際して、部位毎の質の差異は部隊全体を混乱に陥れる危険要因へと成りかねず、防衛能力の均一化こそが最終的には自軍に利するものだ。
それが戦局はどうか。東西の、陣形の両翼部分のルシスの防衛が堅牢である一方で中央の帝国側は快進撃を続けている。つまり先行している両翼に、頭部分である中央が追い付き始めている。帝国にとって悪い戦局ではない。元より絨毯殲滅で進軍する単純なれど最も効率の良い戦略なのだ。率いる兵が大軍になればなるほど、作戦は単純明快にしておくべき、というのがラピスの教義であった。
何も問題はない、そう訴えるラピスの頭脳に過る違和感。
やがて快進撃を続ける中央の部隊が、進軍を鈍らせている両翼の前線に追い付き、”横一線に”帝国軍が連なる。
ラピスにとって現況は想定の範疇に収まっている。その為の布石も準備している。にも拘わらず凪に努める心中に波紋を広げているのは一体何の不安なのか。
急ぎ中央に一時引き下がるよう伝令を送るラピスではあったが、伝令隊が先行する中央の部隊に到達するまでの時差が帝国にとって致命傷となった。
生体認証-静脈-success-指紋-success-生体電位-success-四肢運動情報-success
戦槍MTMS起動-success
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照準-行使者を起点に西北西302-鉛直角誤差-5°修正-照度65327lux-大気温度64.4℉-気圧1013hPa-湿度54%-照準補正プロトコル誤差修正
砲口制退システム-online-拡張型PS複合防盾-online-耐反動補助外殻展開-success-逆噴射待機-インジェクション射出後0.005設定
出力制御モジュール-PS0003からPS0045までを放棄-閾値制限限定解除-拡張型PS複合防盾崩壊保護動力カット-主動力へバイパス-最大出力-マイクロ波流出保護皮膜拡張
warning-自壊蓋然性高-warning-保護被膜量不全-warning-耐反動補助外殻貫入深度不全-地盤強度不全-w-全ての警告を遮断
重イオン収束開始-running……13548/98940257
重イオン収束開始-running……7234586/98940257
重イオン収束開始-running……98940005/98940257
伝令が現着するまでの少しの暇、視界の右端、北東方向にラピスは瞳を運ぶ。
何かが光った。
海原に黄褐色の陽光が反射したかのような部分的な燈り。
記憶によぎるノスタルジックな夕日とは異なる青白い光沢。
盆地を囲む”レル山脈を奥手から抉るように”青と白のコントラストが放射され、ぐるぐると回転している。加速度的に回転を増す寒色がやがて薄水色の絢爛に変わる。
軍議で幾度も懸念された”東西方向から横薙ぎの”ヴァルキュリアの一射の可能性。非常識な偵察兵量を東西山中に展開していた筈の保険。ただし”山脈の向こうまで”は警戒範囲から除外している。
脳より先に身体が怖気づく。およそ自然環境が生み出す類でない浮世離れした色彩が逃走本能を横溢させる。
そしてかの薄水色を”恐慌の記憶として刻んでいた者”は絢爛に気付いたその時にはルシスへ対峙していた歩を反転させ、当惑に任せ後方へと駆け出す。しかし持ち場を離れた帝国兵らが三歩も逃げ足を踏み込む間も無く、直視することすら困難な光量に対して余りにも矮小な小高い射出音の後、山脈の中腹が突如巨大な顎を開き、莫大な体積を孕んでいた山相を穿ちながら、帝国の陣形を東から哭慟の一閃が蒸発させた。
"山脈越しに"撃たれたヴァルキュリアの一撃は帝国の三分の一に当たる兵力を刮ぎ取り、向かいの山脈にすらまるで砂山を抉るように容易くクレーターを作り上げ、その中心に赤黒い幾何学的な渦模様を刻んだ。
先までの激戦が幻だったかのように静謐に陥っていた戦場は、光線が彫り込んだ"境界"を隔て、歓喜と虚脱に分かたれた。一方は劣勢を覆した超越者を讃え、もう一方は眼前から友軍が根刮ぎ消失した事実を受け入れること叶わず、超越者との根源的な力の差異に戦意を喪失させて。
ほんの先まで指向的に動作していた帝国軍が、やがて四面に蠢き出す。
戦意喪失、敗走の兆候。
怒声を上げる将校の制止は余りにも無力で、我先に後退する将校すら散見される。
好機!
しかし虚脱群衆の中、帝国軍から一本の黒い鏃が突出する。ヴァルキュリアの放った閃光の余波。未だ熾火の燻る盆地が陽炎を湧き上げる中、突出する部隊。
黒騎重装兵部隊。
己が戦果のみをして一兵卒から叩き上げで帝国軍の頂点へ上り詰めた異端、帝国軍部主オニールが率いる精鋭部隊。
曰く、好機。好機。好機!
ニ射目は来ぬ。
防塁、土嚢、馬防柵は先の爆風で平地と成り下がっておる。
今こそありたけを尽くす時。
黒鋼の斧槍を掲げたオニールを先頭にした突然の突貫に慌てふためくのはルシス兵らだが、それ以上に驚嘆に呆けていたのは帝国兵らの方であった。あの閃光に自軍が壊滅的な損耗を受けた直後に"何故自軍の最高指揮官が我先に突撃しているのだ"と。
蜘蛛の子を散らすように散開しつつあった帝国軍の動きが南方から変化を迎える。オニール一人の狂気が大軍の敗走を止める。
馬上の軍部主は振り返らない。それは数々の死線を共に超えてきた黒騎部隊を信頼しているからではなく、他の帝国兵らの忠誠を信じているからでもなく、自らの嗅覚が戦局の分水嶺を嗅ぎ分ければただただ愚直に邁進するのみ。
南方の帝国軍から徐々にルシス方面へ向き直り出す。オニールの狂気に当てられた兵らが逃亡する戦奴らを"いつものように"斬りながら前進を始める。やがて狂気は図らずとも横一線の牧畜犬と化し、瓦解した戦線を立て直した。
オニールの突貫と同時刻、山脈を迂回し、自軍と合流を目指すヴァルキュリア、リンは再び進軍を開始した帝国軍に歯を軋ませながら速力を上げた。左右の近衛兵二人もリンに続く。帝国軍を横薙ぎに掃討する為に周到に用意した山道を蹄鉄が少気味の良い音を立てながら駆けていく。
一刻でも早く本陣へ合流し防衛線を立て直す必要があった。本来は壊滅損失を負った帝国と一時的であっても休戦状態へ持ち込む見通しであった。あれだけの大軍が浪費する資材を鑑みれば、持久戦に成らばもはや閃光の威光を失ったルシスにも一抹の勝機があったからだ。しかし大陸全土において最精鋭と名高い黒騎隊が直後に突貫してくるとは思いもよらなかった。オニールの判断は自然の理に反しているといっても良い、オカルトの域だ。
最早帝国は両の眼と両の耳を失い四肢を引き摺る死に体の獅子だ。
ただ、"獲物を嗅ぎ分ける嗅覚"がまだ残っている。
俯瞰的に見れば今はルシス側が有利な戦局だ。地の利も士気もある。兵量差も大きく縮まった。ただ緻密に組み上げた普請はオニールらを止められるだろうか。軍馬も兵も黒衣に統べたあの練兵集団を。
悲観を振り払い、息の上がった軍馬をもう少しだと追い込みながら、リンの視界へルシスの陣幕が小さく覗いてくる。盆地の北東、帝国の本陣とは対角線にある防衛中枢では、小さく何人かの人影が陣幕から出てリンらに手を振っているようだ。あれは優勢の為せる歓迎か、劣勢が為す焦燥なのか、前者であることを願いながらリンは無事に陣営へ帰還出来た喜びに近衛兵らを労おうと馬上から後方へ振り向いた。
そんな時だった。リンは進行方向の南東からガサガサと山林の茂みを掻き分ける草音が聞こえた気がした。
近づいてくる草音が纏った枯れ枝が割れる音。水溜まりを割る音は決して思い過ごしではない。
風の悪戯か、それとも中型の獣か。しかし草音はリンらの速力に付いて来るどころか、徐々に彼我の距離を圧縮し近付いて来ている。
リンは背に収めていた青く螺旋状に伸びた戦槍を抜いた。ヴァルキュリアたる象徴。ルシス救国の英雄たらしめる槍。
必然的にリンらの速力が落ち、尚接近する草音はやがて地面を高速に踏み抜く二足歩行の足音だとわかる。
ただその速さは決して"人間では無い"
リンは先の放出で傷んだ戦槍を強く握り締め、直後に訪れるであろう接敵に備えた。
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